ゼロの龍   作:九頭龍

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「白炎」の襲撃


第49話

 早朝四時過ぎ。

 未だ日が昇らない暗い空の中、魔法学園の上空に一隻の小さなフリゲート艦が現れた。

 甲板に立っていたメンヌヴィルは上空を見上げながら小さく溜め息を漏らした。

 傭兵となって幾千もの戦場を歩いた。時には死を覚悟した事もあった。今こうしてここに立っている事が奇跡であると思わざる得ない状況に陥った事もある。

 しかし、それでもこの身体に宿った渇きは癒える事はなかった。

 求めるのは、あの温度。この目元を焼いた、あの隊長が放った炎の温度。

 あの「蛇の眼」を、今一度見たい。あの眼ともう一度視線を交わしたい。それがもう叶わぬ願いだとわかってはいるものの、メンヌヴィルは思わざる得なかった。

 

「……ふっ、俺を試さぬば安心して送れぬのか? 子爵よ」

 

 そう呟いたメンヌヴィルの言葉に答える様に、闇に包まれた甲板の奥からワルドが現れた。

 ゆっくりメンヌヴィルに近付きながら、ワルドは内心驚いていた。気配を殺した「風」の「スクウェア」クラスのメイジはさながら空気の如く見つけるのが困難となる。

 しかし、メンヌヴィルは振り向きもせずに此方の存在に気付いた。いや、仮に振り向いたとしても闇に包まれたこの距離ならば視覚等役には立たないだろう。どんな手を使ったかはわからないが、メンヌヴィルの実力が本物である事は疑い様が無くなった。

 

「あんたには感謝しているよ、子爵。ここまで誰にも見つからずに来れたのはあんたの道案内のおかげだ。仕事が済んだら、高い酒の一杯でも奢らせてくれ」

 

 近付いて来るワルドへ顔も向けずにメンヌヴィルが言う。

 

「今回は俺の功績と言うより、運が良かったという事だろう。最も、攻める側というのは自分が攻められる事を考えぬ事が多いからな」

 

 メイジの使い魔やピケット船が行っているであろう哨戒ラインは避けては来たが、ここまで誰にも発見されなかったのは僥倖に近い。

 

「仕事の幸先が良い。これならば直ぐにでも制圧出来そうだ」

 

 メンヌヴィルが手を挙げると、甲板の端に待機していた黒装束に身を包んだ十数名の傭兵の小隊が一斉に集まった。

 メンヌヴィルが上げた手を倒して見せると、隊員達は次々と空へと身を投げ出していき、最後にメンヌヴィルもそれに続いた。

 メンヌヴィル達傭兵の小隊が居なくなった所で、甲板の奥からフーケが姿を現わす。

 

「気味が悪くていけ好かない男だったけど、この作戦を成功させられるかしらね?」

 

 甲板の手摺に手を掛け少し身を乗り出し、魔法学園を見下ろしたフーケが呟くと、ワルドは首を振ってからチラッと魔法学園に視線をやった。

 

「もし失敗したなら、その程度の男だったという事だ」

 

 それだけ言うとワルドは背を向けて、船内に向かって歩き出す。

 フーケはそんなワルドと魔法学園を交互に見てから、ワルドと同じ様に船内へと向かった。

 

 

 アニエス率いる銃士隊の宿舎として割り当てられた火の塔の前で、銃士隊の隊員二人がマスケット銃を構えて見張りに立っていた。

 ふと、月明かりの下で何かが動く気配を感じた。

 年長の隊員は直ぐ様しゃがみ、銃口に火薬と鉛の弾を紙で包んだ弾薬包を当ててそのまま押し込み、槊杖で火薬をつき固める。

 同輩の隊員の動きを見て、もう一人の隊員もマスケット銃に弾と火薬を込める。

 いつでも引き金を引ける様に準備すると、暗闇の中へと目を凝らす。

 暗闇の中で影が動いたのが見えて誰何しようと口を開いた瞬間、二人の隊員の喉が風の魔法によって切り裂かれた。

 力無く倒れ込んだ二人の隊員の身体はメンヌヴィル達に支えられ、音も無く地面へと横たわられた。

 死体となった二人の隊員を見て、傭兵の一人が下衆な笑みを浮かべる。

 

「こいつ等、女ですぜ。しかもまだ若ぇ。こいつは惜しい事をしちまいましたな。生け捕りにして楽しんでから殺した方が良かったっすね」

 

「俺はひと昔前の貴族と違って、男女差別論者じゃない。戦場に立つ以上、平等に死を与える」

 

 メンヌヴィルの獣の様な笑みに、傭兵達もニヤリと笑う。

 

「隊長、貴族の餓鬼は殺しちゃ駄目っすよ? 人質にするんですからね」

 

「わかっている。だが、それ以外は殺して良いという事だろう?」

 

 メンヌヴィルが杖を弄りながら楽しそうに言うと、傭兵の一人が地図を開いた。

 フーケに描いて貰った、魔法学園の地図だ。他の人間に見つからぬ様に布で覆う様にしながら、魔法の僅かな灯りで地図を見る。

 死体となった銃士隊の手に持たれていたマスケット銃を見て、傭兵の一人が口を開いた。

 

「銃を持っている連中が駐屯してるみたいだな」

 

「俺達は全員がメイジだぜ? 銃兵程度なら一個連隊が来ようと相手にならねぇだろ」

 

 軽口を叩いている仲間を無視して、地図をまじまじと眺めていた傭兵の一人がメンヌヴィルに声を掛ける。

 

「隊長、目標は三つです。本塔、餓鬼共がいる寮塔、そしてこいつ等銃兵が駐屯していると思しきこの塔です」

 

 説明を受けたメンヌヴィルは直ぐ様自身の隊員達に指示を告げる。

 

「寮塔は俺がやる。ジャン、ルードウィヒ、ジェルマン、付いて来い。ジョヴァンニ、お前の選択で四名を連れて本塔にやれ。セレスタン、お前は残りを引き連れてこの塔だ」

 

 メンヌヴィルから指示を受けた傭兵の隊員達は、頷くなり行動を開始した。

 

 

 中庭から漂う妙な気配で、タバサは目を覚ました。

 少しの間悩みはしたが、キュルケを起こす事に決めた。

 タバサはベッドから身体を起こしてパジャマから制服に着替え、廊下に出てキュルケの部屋の扉を叩く。すると素肌に薄手のネグリジェ一枚という、あられのない格好でキュルケが寝惚け眼を擦りながら扉を開いた。

 

「何よ、タバサ……まだ太陽も昇ってない時間じゃないの」

 

「変」

 

 眠りを妨げられて文句を漏らすキュルケにタバサは短く言う。

 キュルケは首を傾げながら目を閉じて、軽く耳を澄ましてみる。

 するとぐるるるっとサラマンダーのフレイムが窓に向かって唸っている事に気付く。

 

「どうやらそうみたいね」

 

 瞼を開いたキュルケの瞳からは、眠そうな色は消えていた。

 キュルケが手早く制服に着替えて杖を手に取った瞬間、下の方から扉が蹴破られる音が響いた。

 キュルケとタバサは顔を見合わせ頷いた。

 

「ここは一旦引く」

 

「それ、賛成」

 

 キュルケとタバサは窓から飛び降りて茂みに隠れて辺りの様子を伺った。相手の姿や得物、数がわからぬ内には一旦態勢を立て直す。戦の基本だ。

 直後数人の男の怒号と、女子生徒の悲鳴が寮内に響いた。

 タバサはまだ暗い空へと視線を移す。日が昇るのはまだまだ先の様だ。

 

 

 寮塔へ傭兵達が押し入った同時刻、アニエスは与えられた寝室で目を覚ました。銃士隊として鍛えて来た感覚が不穏な空気を察知したのだ。

 枕元に置いていた剣と銃を取り、鞘から引き抜き銃の撃鉄を起こして扉の側へと待ち受ける。

 此処は宿舎として使っている火の塔の二階。何時もは倉庫として使われている部屋に、簡易ベッドを持ち込んだだけの寝室である。

 今回の軍事教練の為に連れて来た隊員は十二人。彼女達は全員隣の部屋で寝起きしている。

 アニエスは部屋の真ん中に置かれた鏡に気が付いた。確か、「月霞の鏡」というマジックアイテムだったか。月の光を鏡に反射して壁に当てると、壁の向こう側が透けて見えるという物だった。

 アニエスは口元に笑みを浮かべ、鏡を手に取って雲の隙間から部屋に差し込む月の光を反射して扉へと向けた。

 

 

 セレスタンという傭兵メイジが率いた四人は、火の塔の螺旋階段を上った二階へと躍り出た。踊り場には扉が二つ並んでいる。

 奥の扉は二人の部下へと任せ、自分は一人を連れて手間の扉を開ける事にした。

 セレスタンの指示で二人縦二列で突撃する事となった。一人が部屋に突っ込み、もう一人が援護に続いて入る手筈だ。

 二人と同時にセレスタンが扉を蹴破った瞬間、腹部を冷たい何かが貫いた。

 セレスタンがその冷たい感触を確認した瞬間に絶命していた。

 「月霞の鏡」で透けた向こう側でセレスタンの動きを読んでいたアニエスは、セレスタンが扉を蹴破った瞬間に目の前に躍り出て引き抜いた剣で腹部を貫いたのだ。

 セレスタンの身体でアニエスの姿が確認出来なかったもう一人が戸惑っていると、アニエスはセレスタンの身体に銃口を押し当て引き金を引く。

 セレスタンの身体を貫いた弾丸は、もう一人の身体をも貫いて絶命させた。セレスタンの身体に押し当てられていた事から銃声は鈍く低いくぐもった音になり、他の塔まで聞こえなかった。

 身体を貫かれたセレスタンと、弾丸に貫かれた傭兵はゆっくりと倒れた。

 傭兵達が倒れた頃合いに、隣から他の隊員達が飛び出して来た。

 

「アニエス様! ご無事ですか!?」

 

 声を掛けて来た隊員達にアニエスは頷いた。

 

「問題ない、平気だ」

 

「我々の部屋にも二人ばかり忍び込んで来ました。問題なく片付けましたけど……」

 

 自分の部屋に二人。隣に二人。忍び込んで来た賊は計四人。どうやらこの火の塔に忍び込んで来た賊は全員片付けられた様だ。

 

「アルビオンの狗と見て間違いないだろうな」

 

 アニエスは侵入して来た賊の身なりを見て呟いた。

 メイジばかりで構成された分隊。間違っても物盗りの類の者ではない。アルビオンが雇った小部隊だろう。

 不意にアニエスは外の状況が気になった。今、この学園には女子生徒しか居ない。

 

「二分やる。完全武装して、私に続け」

 

 アニエスは部下に命令しながら剣を鞘を納めた。

 

 

 メンヌヴィル達は何なく女子寮を制圧した。

 貴族とはいえ、所詮はただのお嬢様でしかない女子生徒は賊が侵入して来ただけで怯えてしまい、全く抵抗を見せずに寝巻き姿のまま杖を取り上げられ、一箇所に閉じ込められる為に食堂へと連れて行かれた。その数、約九十人。

 途中で本塔へ向かっていた連中と合流する。その連中が連れた捕虜の中に学園長のオスマンが居た事にメンヌヴィルは微笑んだ。

 食堂に捕虜達を集めたメンヌヴィルは後ろ手に全員を縛り始めた。傭兵の誰かが唱えた魔法のおかげで、ロープが動き手首に絡み付いていく。

 女ばかりの生徒や教師の怯えた捕虜達に、メンヌヴィルはなるべく優しい声で一同に呟く。

 

「お嬢さん方、無闇に立ち上がったり、騒いだりと我等が困る様な行動を取らなければ、命まで奪う様な事はありません。ご心配なされるな」

 

 緊張からか、女子生徒の誰かが泣き出した。

 

「やれやれ……言ってる側からこれだ。静かにしなさい」

 

 呆れた様にしながらもメンヌヴィルが諭す様に口にする。

 それでもその女子生徒は泣きやまない為、メンヌヴィルは近付いてその女子生徒の顎へ杖を突き付け、そのまま顔を無理矢理上げさせた。

 

「消し炭になりたいか?」

 

 その言葉が脅しでない事が理解出来たのだろう。女子生徒は息が止まったかの様に泣き止んだ。

 その様子に対して、オスマンが小さく咳払いして見せた。

 

「あ〜、君達?」

 

「何だね、爺さん?」

 

 メンヌヴィルは女子生徒の顎から杖を外して、オスマンへと視線を移しながら問い掛ける。

 

「女性に乱暴するのは止してくれんかね? 君達はアルビオンの手の者で、人質が欲しいのじゃろう? 此処に居る我々は、此度の戦の上で何らかの交渉に使うカードなのじゃろう?」

 

「ほぉ……どうしてそう思う?」

 

「長く生きていればそいつがどんな奴で、何処から来て、何を欲しがっているのかくらいわかる様になるものじゃ。兎に角、贅沢はいかん。そのカードは、この老いぼれ一枚で我慢しておく事じゃ」

 

 真剣に語るオスマンに、傭兵の一人が口元を押さえながら吹き出した。

 

「じじい、自分の価値わかってんのか? じじい一人の為に国の大事を曲げる奴ぁ居ねえだろ? 普通」

 

 ゲラゲラと大声で笑う傭兵達に首をすくめて見せながら、アルヴィーズの食堂に集められた人間を見渡してみた。

 此処に居て欲しくない女子生徒の姿が見られない。

 ふむ、とオスマンは内心呟いた。これはもしかしたら、何とかなるかもしれない。

 

「おい、じじい。学園にいる人間はこれで全員か?」

 

 傭兵の一人の問い掛けにオスマンは頷いて見せる。

 

「うむ、これで全員じゃ」

 

 傭兵達はそこで火の塔に向かった連中が戻って来ない事に気付いて顔を見合わせた。

 手間取っているのだろうか? いや、それはないだろう。仮に手間取っているのであれば、戻って来て増援の要請をしてくる筈だ。それくらいの判断力は持ち合わせている連中である。だからこそ、メンヌヴィルも分隊として任せたのだ。

 そんな風に考えていた矢先、食堂の外から声が聞こえた。

 

「食堂の閉じこもっている賊達よ! 聞けっ! 我々は女王陛下の銃士隊だ!」

 

 その声に、メンヌヴィル達は顔を見合わせた。どうやらセレスタン達はやられたらしい。

 しかし、それだけで顔色を変える連中ではない。一人の傭兵が舌打ちしながらオスマンへと顔を向けた。

 

「おい、老いぼれ。「これで全員」じゃねぇじゃねぇか」

 

「銃士は数には入れておらんのでな」

 

 髭を手で扱きながらオスマンは涼しげな顔で言う。

 メンヌヴィルは笑みを浮かべながら食堂の入り口に向かって歩くと、外の連中との交渉を考え始めた。

 

 

 塔の外周を巡る階段の踊り場で、寮塔や本塔から離れた宿舎にいた魔法学園で働く平民達を避難させて、アニエス達は身を隠して様子を窺っていた。

 未だ朝日は昇る気配を見せてくれない。

 アニエスの声に反応したのか、食堂の入り口にがっちりとした体格のメイジが現れた。雲に閉ざされた薄暗い月明かりがその姿をぼんやりと照らす。

 そのメイジに向けて銃を構えた隊員を制して、アニエスは叫ぶ。

 

「良く聞けっ、賊共っ! 我等は陛下の銃士隊だ! 我等は一個中隊で貴様等を完全に包囲している! 人質を解放しろ!」

 

 此処でアニエスは「一個中隊」とハッタリをかました。本当は十人ほどしか居ないが、この暗さがそのハッタリを少しでも味方してくれると思ったからだ。

 そんなアニエスに対して、食堂からは愉快そうに笑う声が響いた。

 

「銃兵如きの一個中隊等、我々の敵ではない!」

 

「その銃兵に既に貴様等の仲間四人が屠られている! 大人しく投降しろ! そうすれば命までは取らぬ!」

 

「投降? これからこの人質の正しい使い方をするのに投降等せぬさ。我々の要求はただ一つ。アンリエッタを此処に呼べ」

 

「陛下を呼べ、だと?」

 

「そうだ。俺達の雇い主は土足で国土を汚されたくないとの事でね。此処でアルビオンから兵を引く約束をして貰う」

 

 本来ならば、一市民の為に軍が動く事等有り得ない。しかし、今人質になっているのは貴族の子等、それも九十人という人数だ。本当に侵攻軍の撤退を余儀無くされるかもしれない。仮に侵攻を強行したとしても、自分の子を見殺しにされた貴族達から反乱を招く事も有り得る。

 救いの無い選択を迫られ絶句するアニエスの耳元で、隊員の一人が囁いた。

 

「……何とか時間を稼ぎ、トリスタニアに急使を飛ばして増援を頼むべきでは?」

 

「いや、人質が取られている以上、増援等意味はない」

 

 アニエス達の沈黙を否定と捉えたメンヌヴィルは杖を振るいながら怒鳴った。

 

「五分間だけ貴様等に時間をくれてやる! それまでにアンリエッタか枢機卿を呼ばなければ、一分毎に人質の一人を殺す! もしも他の者が来たり、これ以上の兵が来た場合は、その人数に合わせて人質を殺す! 良く考えて行動する事だ!」

 

 アニエスが返答に詰まり、緊迫した空気が漂う中、後ろから間の抜けた声が掛けられた。

 

「何事かね? 隊長殿」

 

 振り返ると、コルベールが立って居た。

 事態の把握が出来ていないコルベールがアルヴィーズの食堂を眺めようとしたのを、アニエスがローブの胸ぐらを掴んで引っ込めさせた。

 

「あんたは捕まらなかったのか?」

 

「質問の意味がわかり兼ねるが、私の研究室は本塔から少し離れていてね。それで、一体何事かね? 今の発言を聞く限りでは、どうやら只事では無さそうだが」

 

 何処までも呑気そうなコルベールに、アニエスは苛立ちながら首を振って小さく怒鳴った。

 

「見てわからぬのか!? お前の生徒達が、アルビオンの手の者に捕まったのだ!」

 

 コルベールの表情から見る見る血の気が引いていくのが見て取れたが、アニエスは御構い無しに食堂へと再び視線を戻した。

 

「ねぇ、銃士さん?」

 

 また後ろから声を掛けられ、振り返るとキュルケとタバサが其処に居た。

 そんな二人をアニエス含む銃士隊の面々と、コルベールが驚いた様子で見つめた。

 

「お前達は、生徒か? 良く捕まらなかったな」

 

「まあね。それより、あたし達に良い計画があるだけど、乗らない?」

 

「計画だと?」

 

「ええ。皆を早く助けてあげないと」

 

「ふむ……。それで、どんな計画だ?」

 

 キュルケとタバサはアニエス達銃士隊に自分達の考えた作戦を説明した。

 説明を聞き終えたアニエスの口元には笑みが浮かんでいた。

 

「なるほど、面白い作戦だ」

 

「でしょ? もうこれしか方法はないと思うのよね」

 

 自分達の作戦に同意を示したアニエスに対して笑みを浮かべるキュルケに対し、コルベールが首を振って反対を示した。

 

「危険過ぎる。相手は傭兵、つまり戦闘のプロだ。そんな小細工が通用する相手とは思えない」

 

「やらないよりはマシでしょ? 臆病者の意見なんて聞いてないわ」

 

 自分の作戦を反対されたキュルケが露骨に不機嫌な表情で手を振りながらコルベールに言い放つ。

 アニエスに至っては、もうコルベールを見てもいない。

 

「奴等はあたし達の存在を知らないわ。それが奇襲の鍵よ」

 

 キュルケは自分とタバサを指差して呟いた。

 もはや存在を無視されているコルベールは少し離れて地面に膝を着くと、掌を地面に這わせた。それは無力な自分を悔いている様にも、何かに集中している様にも見えた。

 

 

 人質達の前で腕を組みながら立っていたメンヌヴィルは、ズボンのポケットから懐中時計を取り出した。

 カチリと、時計の針が無慈悲に動く。

 

「五分だ。どうやら奴等は君達を見捨てた様だな」

 

 笑みの篭った冷たいメンヌヴィルの言葉に、女子生徒達は震え上がった。五分経ってもアニエス達から「アンリエッタを呼ぶ」と声が無ければ、一人ずつ殺すと言われていたのだ。

 

「殺すのなら、私にしなさい」

 

 オスマンが感情のない声で言うも、メンヌヴィルは首を振った。

 

「あんたは交渉の鍵として必要だ。おい、最初は誰だ? 焼かれるのに立候補する奴は居るか?」

 

 当然ながら誰も手を挙げる者は居ない。

 メンヌヴィルが適当に女子生徒の一人を選び、杖を掲げたその時だった。

 食堂の中に小さな紙風船が飛んで来た。

 突然現れた謎の存在に全員の視線が集まった瞬間、紙風船が爆発して激しい音と光が放たれた。

 風を使って黄燐がたっぷりと仕込まれた紙風船をタバサが飛ばし、それにキュルケが「発火」の魔法で着火したのだ。

 女子生徒の悲鳴と数人の傭兵の叫び声が響き、まともに紙風船を見ていた傭兵達は視力を奪われた。

 瞬間、キュルケとタバサ、マスケット銃を構えた銃士隊がなだれ込む。

 作戦は見事に成功、する筈だった。

 食堂に飛び込んで来たキュルケ達に向かって、何発もの炎の玉が飛んで来たのだ。

 作戦の成功を確信して油断していたキュルケ達は次々とその火の玉をまともに食らってしまい、銃士隊達はマスケット銃の火薬に引火して爆発し手に大火傷を負ったり、指が吹き飛んでしまい地面をのたうち回った。

 キュルケは身体に受けた衝撃から、火の玉が当たる直前で爆発したのを感じた。身体を焼かれるよりも至近距離の爆発の方が効果的な攻撃法なのだ。身体の自由が奪われ、後は煮るなり焼くなり術者の自由となる。

 食堂の扉が閉められる、何かで塞ぐ様な鈍い音がして、失い掛けたキュルケの意識が覚醒する。

 痛む身体を何とか動かしてタバサを探すキュルケ。

 視界の中でタバサが起き上がったのが見えたが、頭を打ってしまったらしくそのまま崩れる様に倒れ込んだ。

 ふと、あと数センチ先に自分の杖がある事に気が付いたキュルケは、身体を這わせながら杖に向かって手を伸ばす。

 しかし、その杖は誰かの足に踏み付けられた。

 キュルケが顔を上げると、メンヌヴィルが立って此方を見下していた。

 

「惜しかったな。光の玉を爆発させるのは見事な考えだったが」

 

 そう言ってメンヌヴィルが笑ったのを見て、キュルケはある事に気が付いた。

 メンヌヴィルの眼球がピクリとも動いていないのだ。

 

「貴方、まさか……その目」

 

 キュルケの言葉に笑みを浮かべながら目に手を伸ばす。するとメンヌヴィルの眼球がゴロリと抜けた。義眼だ。

 

「俺は瞼だけでなく眼を焼かれていてな。光がわからんのだよ」

 

「そんな! なら、どうして……!?」

 

 キュルケの頭の中で疑問が膨らむ。メンヌヴィルの動きは、目の見える者の動きだ。

 

「知っているか? 蛇は獲物の体温で位置を割り出すのだよ」

 

 義眼を戻してメンヌヴィルがニヤリと笑う。

 

「俺は炎を扱う内に温度に敏感になってね。距離、位置、どんなに高かろうが低かろうが数値を的確に当てられる。温度でそいつの体格までわかるのさ」

 

 キュルケは身の毛もよだつ恐怖を覚えて息を飲んだ。

 そんなキュルケの様子を楽しむ様に、メンヌヴィルは顎を撫でながら笑みを浮かべ続ける。

 

「お前、恐れているな? 人間は感情が乱れると、体温も乱れる物なのさ。目で見るよりも、温度の変化の方が多くの情報を俺に与えてくれるのだよ」

 

 メンヌヴィルはそこで鼻腔を広げ、香りを楽しむ様に吸い上げて見せた。

 

「嗅ぎたい」

 

「……何ですって?」

 

「お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」

 

 キュルケは震え上がった。

 生まれて初めて感じる、純粋な恐怖。今までそれなりに無茶をして命の危険に冒される事はあった。しかし、今はそんな時とは違う。絶対の「死」を突き付けられ、絶望の中で感じる恐怖だ。

 

「今まで何を、どれだけ焼いて来た? 炎の使い手よ。今度はお前が焼かれる番だ」

 

 メンヌヴィルが杖を掲げるのを見て、キュルケは覚悟を決めて瞳を閉じた。

 

 

 強烈な閃光に視力を奪われていた傭兵達は、何とか視力を取り戻して食堂を見渡した。

 どうやら自分達の誰一人として倒された者は居ないらしい。

 代わりに、銃士隊の隊員であろう女性達がそこらで手を押さえながら蹲っているのが見えた。

 

「ははっ! 随分と手の込んだ事をしてくれるじゃねぇか! ええ、姉ちゃんよぉっ!」

 

「ぐっ!」

 

 蹲る隊員の一人の頭を、傭兵の一人が踏み付けながら下卑た笑みを浮かべ見下す。

 

「おい! 今の内にこの女共を縛り上げて、後でたっぷり可愛がってやろうぜ! 女に生まれて来た事を後悔するくらいによぉっ!」

 

「そいつは良いな! ここんとこ日出って、溜まり気味だったしな!」

 

 一人の提案に傭兵達は皆賛同し、予備の縄で隊員達を縛ろうとした、その時ーー。

 突如、傭兵の一人が足元の地面から噴き出した火柱に包まれた。

 突然焼かれた仲間を呆然と見ていた傭兵達は次々と、足元から噴き出した火柱に包まれ身体を焼かれていく。

 オスマンも女子生徒達も状況に頭が追いつかず、悲鳴を上げる事も忘れて既に炭に変わり始めた傭兵達を眺めていた。

 

 

 キュルケに向かって杖を掲げたメンヌヴィルの動きがピタリと止まる。

 中々自分の身体を焼く炎の熱い感触が訪れないキュルケは恐る恐る目を開いた。

 一瞬の間の後、メンヌヴィルが横に飛んだのと同時に、メンヌヴィルが立っていた場所の地面から火柱が上がった。

 火柱を避けたメンヌヴィルに向かって闇の中から数発の火の玉が飛んで来る。

 メンヌヴィルは後退しながら火の玉を避けて、キュルケと距離が開かれた。

 沈黙の後、火の玉の飛んで来た闇の中からコルベールが現れた。

 

「私の生徒に手を出すな」

 

 キュルケは咄嗟に感じた。何時もの、臆病者のコルベールではない。コルベールの姿を全く別の存在の様だった。触れたら一瞬で焼き尽くされる、そんな熱気の様な物を今のコルベールは纏っていた。

 突然現れたコルベールに顔をしかめたメンヌヴィルは、次の瞬間に狂気的な笑みを浮かべていた。

 

「おおっ! お前はっ! この温度! この声! コルベール! コルベールではないか!」

 

 歓喜からか顔を歪めて別人の様にはしゃぎ出すメンヌヴィルに対し、コルベールは変わらず静かに睨み続けている。

 

「俺だよ、忘れたか!? メンヌヴィルだよ、隊長殿! 久しぶりだな!」

 

 両手を広げ、喜びを表すメンヌヴィルにコルベールは眉を潜める。

 返答のないコルベールを無視して、メンヌヴィルは壊れたオルゴールの様に大声で続ける。

 

「いやあ、あれから何年だ? そう、二十年だ! もう二十年も経ったぞ、隊長殿!」

 

 あまりにも大きなメンヌヴィルの声は、扉が施錠された食堂の中にまで響き渡った。

 隊長殿。その言葉の意味が分からず、外に居たキュルケや中の女子生徒達の間に動揺が走った。

 

「何だ、隊長殿? まさか今は教師なのか? 「炎蛇」と呼ばれた貴様が教師だと? ふはっ! ふはははははっ! 貴様が一体何を教えると言うのだ!? 人の殺し方か!?」

 

 心底面白そうにメンヌヴィルが高らかに笑う。

 

「君達に説明してやるっ! この男はな、かつて「炎蛇」と呼ばれた炎の使い手だ! 特殊な任務を行う隊の隊長で、女子供だろうと容赦なく焼き殺し、俺から光を奪った男だ!」

 

 キュルケも、食堂の中で聞いていた女子生徒達も息を飲んだ。

 コルベールは溜め息をつきながらゆっくりと瞼を閉じて、そして開く。

 

 

 メンヌヴィルの大声でマスケット銃の爆発で身体を吹き飛ばされ、意識を失っていたアニエスが目を覚ました。

 身体が思う様に動かない。爆発の衝撃で想像以上のダメージを受けてしまったらしい。

 痛む身体に鞭打って寝返りをし、中庭の方へと視線を向ける。

 そしてアニエスは痛みも忘れてその視線の先に見入った。

 メンヌヴィルと対峙している様に立つコルベールが見える。そのコルベールの眼は、あの日からずっと追い掛け続けて来たあの男と同じ、あの「蛇の眼」をしていた。


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