ゼロの龍   作:九頭龍

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戦争の駒


第45話

 会議が開始してから三十分くらいが経過したが、未だに会議は難航していた。

 会議の本題となっているのは、アルビオン大陸に六万の兵を上陸させる為の方法についてだった。その上陸の成功を障害する物は主に二つ。

 一つは未だ有力である敵軍の空軍艦隊だ。タルブでの戦いで主力である「レキシントン」号を筆頭とした戦列艦十数隻を墜とす事は出来たとはいえ、アルビオン空軍には未だに四十隻ほどの戦列艦が残っている。

 それに対して此方のトリステイン・ゲルマニアの連合軍には六十隻ほどの戦列艦はあるが、二国混合艦隊の為指揮上の問題が予想されている。統率の取れた先鋭であるアルビオン空軍に対して烏合の集の二国混合艦隊では、数の利等皆無に等しいと思われる。

 もう一つは上陸地点の選定だ。

 アルビオン大陸に六万の大軍を上陸させる事が出来る要地は二つ。

 一つは首都ロンディニムの南部に位置する空軍基地ロサイス。もう一つは北部の港ダータルネス。港湾設備の規模からすれば間違いなくロサイスが良いに決まっている。しかし、そこを大軍で真っ直ぐ目指してしまってはすぐ様発見され、敵に迎撃の機会を与えてしまう。

 

「強襲で兵を消費してしまっては、ロンディニムの城を堕とすのは不可能でしょう」

 

 参謀長は自軍の戦力を冷静に分析した上でそう発言した。

 今、連合軍に求められているのは「奇襲」なのである。

 六万の大軍を無傷のままロサイスに上陸させたいのだ。その為には敵の大軍を欺き、「我々連合軍の上陸地点はダータルネスである」と思い込ませなければならない。

 その欺瞞作戦を成功させる為の作戦が次々と将軍達の間で挙げられるが、挙がる度に他の誰かが口を挟んで結局お流れになってしまうのが何度も続いている。結局、将軍同士が口角泡を飛ばし、それをド・ポワチエ将軍がたしなめて辞めさせるの繰り返しなのだ。

 纏まりそうにない会議を見ていると、不意に桐生の脳裏に柏木修の姿が蘇った。

 風間組若頭として風間新太郎を支え続け、風間亡き後は東城会の直系組織を纏める若頭として活躍し続けていた、風間譲りの手腕と任侠魂を秘めた男だった柏木。常に癖の強い直系組織の組長達を纏めるのに苦労していた姿を自分だけには見せる事があった。

 CIAの策略によって凶弾に倒れてしまったが、もしもあの人が生きていたら今の東城会も形が変わっていたのではないかと思う。そして、大吾ももっと安心していられたのではないかと思う。

 凶弾に撃たれ身体を血に染めた中、最後の力を振り絞って東城会の行く末を託された時に抱きかかえていた柏木の感触が、桐生の掌に今も蘇る。

 

「カズマ? 大丈夫?」

 

 自分の掌を眺めながら顔をしかめていた此方に気付いたルイズが心配そうに声をかけて来た。

 桐生はそんなルイズに首を振って、大丈夫である事を見せて安心させようとした。

 

「ともかく、障害のどちらかを「虚無」殿になんとかしてもらわんとならん。タルブで「レキシントン」号を吹き飛ばした様に、今回もアルビオン艦隊を吹き飛ばしてはくれないかね?」

 

 参謀記章を着けた貴族の一人がルイズを見ながら言うと、ルイズは桐生から振り返り首を振った。

 

「それは無理です。あの時の様な強力な「エクスプロージョン」を使うには相当な精神力を溜める必要があります。再び使える様になるには何ヵ月……いえ、何年かかるかわかりません」

 

 ルイズの言葉に参謀の貴族達は失望した様に溜め息を漏らした。

 

「そんな不確かな「兵器」等切り札と呼べん」

 

 参謀の一人がそう呟いた瞬間、ドンッ! と言う大きな音が部屋の中に鳴り響いた。

 桐生がルイズの後ろから身を乗り出し、拳を机に思い切り叩きつけたのだ。拳が打ち付けられた机上には大きなヒビが走っている。

 怯えた目で此方を見るルイズ等構わず、桐生は参謀を睨み付ける。

 

「ルイズは兵器じゃねぇ。あんまりふざけた事を抜かしてんじゃねぇぞ」

 

「何だと! 勝利する為に呼ばれたその娘が切り札なのだぞ! 使い魔風情が我々の作戦に口を挟むな!」

 

 桐生の怒りを物ともせずに言い返す参謀達。

 このまま殴り合いにまで発展しかけたその時、会議の始まりから一切口を開かなかったエルギースが杖を引き抜いて机を叩いた。

 その場にいる全員が音の方に視線が向けられると、エルギースが立ち上がり周りを見回すと小馬鹿にした様な笑みを浮かべた。

 

「今回の戦は子供に頼らなければ勝てぬ戦なのですかな? 貴族としてではなく、大人として恥ずかしくはないのですか? 子供頼りに会議を進める等……下らんですな。こんな無意味な会議に参加するくらいなら、外でパイプを吹かしていた方がずっと良い。良い会議結果があったら知らせてください。では、失礼」

 

「待たれよ、エルギース将軍! 会議はまだ終わってないぞ! おい!」

 

 言いたい事を口にしたエルギースはパイプを咥えると、ハルデンベルグ侯爵の言葉にも耳を貸さずに会議室から出て行った。

 エルギースの発言から、部屋には白けた空気が漂った。桐生も参謀達も溜め息を吐きながらそれ以上の口論を続けるのをやめる。

 

「……艦隊は我々が引き受けよう。「虚無」殿には陽動の方をお願いしたい。出来ないかね?」

 

 落ち着きを取り戻した周りを見回したド・ポワチエ将軍がルイズの方へ顔を向けながら問い掛ける。

 

「陽動、ですか? 具体的には何をすれば……」

 

「先ほどから議題に挙がっている通りの事だ。我々がロサイスではなく、「ダータルネスに上陸する」と敵軍に思い込ませて欲しいのだ。伝説の「虚無」殿ならば、容易い事ではないのか?」

 

 ド・ポワチエ将軍の言葉を聞いたルイズは顎に手を当てながら瞳を閉じた。

 そんな呪文があっただろうか?

 自身の中で問い掛けながらも、操られたウェールズと対峙した際に「始祖の祈祷書」から新たに「ディスペル・マジック」を見つけたのを思い出した。もしかすれば、自分が見つけてないだけで何か役立つ呪文が載っているかもしれない。

 ルイズは瞳を開いて一人頷くと、ド・ポワチエ将軍へと顔を向けた。

 

「明日までに、使える呪文を探しておきます」

 

 ルイズの言葉に頼もしいとばかりに笑顔を浮かべて頷くド・ポワチエ将軍。

 ド・ポワチエ将軍は周りの将軍達に目配せをして桐生とルイズに退室を促した。

 

 

 会議室から出て来たルイズは張り詰めた雰囲気に疲れてしまったらしい。身体を大きく伸ばしながら小さくんっ、と可愛らしい声を漏らした。

 

「何よ、嫌な感じ」

 

 そう呟いて会議室の扉に向かって舌を出して見せるルイズの頭を桐生が優しく撫でてやる。

 部屋に戻ろうと二人が扉から身体を反転させると、向こうからエルギースがパイプを咥えながら此方に来るのが見えた。

 会議室の薄暗い灯りでは分からなかったエルギースの顔や体格が、通路の窓から差し込む陽の光ではっきりと見えた。

 丸いフォルムの鉛色のメットから覗く目は青く鋭い光を秘めている。顎には短く整えられた黒髭を蓄え、鉛色の鎧から覗く肌はキュルケの様な褐色だ。腰にはワルドと同じ、軍人が好むレイピア型の杖が刺されている。

 此方に気付いたエルギースは気さくな笑みを浮かべて見せながらパイプを口から外した。

 

「これはこれは、お二方。お二方も下らん会議に嫌気が差して出て来られた口ですかな?」

 

 問い掛けながら再びパイプを咥えて紫煙を燻らせるエルギースに、桐生はルイズを抱き寄せながら首を振った。

 

「退室を促されたから、出て来ただけだ」

 

「なるほど。しかし、それで良い。あんな意味のない会議に時間を費やすくらいなら訓練の一つでもした方が利口という物だ。実践知らずの頭の固い、卓上の理論しか述べられぬ者には分からんだろうがね。作戦を立てるのが不必要とは言わないが、必ずしも作戦通りに事が運ぶ事等ありはしない。戦場で頼れるのは、結局最後は己の肉体と精神力に他ならぬ」

 

 会議室の扉を忌々しそうに見ながらエルギースが露骨に不機嫌な表情を浮かべて語る。どうやら彼は考えるよりも動くのが得意な様だ。

 桐生はそんなエルギースを無視してルイズを連れて部屋へと向かおうとした。そんな桐生を見て、ああ、と思い出した様にエルギースが呟いた。

 

「そう言えば、お二方に少し付き合って欲しい場所があるのだが……どうかお付き合い願いだろうか?」

 

 笑みを浮かべながら言うエルギースには悪意は感じられない。が、先ほどの会議室での一件もある。このまま付いて行って良いのか迷う桐生に、ルイズはジャケットの袖を握りながら首を振った。

 桐生は少し考えた後、ルイズを見てからエルギースに顔を向けて頷いた。

 

「有り難い。では、付いて来て頂こう」

 

 エルギースは踵を返すと通路を歩き出した。不安そうにするルイズを宥める様に手を繋ぎながら桐生がその後を続く。

 しばらく通路を何度か左右へ曲がりながら進むと、ゼロ戦が係留されている上甲板に着いた。ゼロ戦はロープで各部を縛られて甲板に固定されている。

 ゼロ戦の周りには、ルイズとそう変わらないくらいの歳の少年の貴族達が群がっている。ある者は興味深そうに、ある者は訝しげにゼロ戦を眺めている。少年達はみんな革の帽子に青い上衣を纏い、腰には短めのレイピア型の杖を差している。

 

「お前達、それの持ち主を連れて来たぞ」

 

 エルギースが少年達にそう言うと、少年達は一斉に集まって整列した。

 集まった少年達の顔を桐生は見回す。誰も彼もまだルイズと同じくらいの若さに見える。

 ルイズも集まった少年達が自分くらいの歳なのに少し驚いたのか、訝しげに少年達一人一人の顔を見ている。

 そんな二人にエルギースは少し申し訳なさそうに苦笑してから口を開いた。

 

「お二方に来て貰ったのは、お二方が乗って来たアレについて彼等が聞きたい事があるとの事だったのでね。お前達、此方のお二方はそれの持ち主であるトリステインのラ・ヴァリエール嬢と、使い魔のカズマ殿だ。失礼のない様に、何なりと聞くが良い」

 

 エルギースの言葉に少年達は桐生とルイズの顔をマジマジと眺めると、少年達の中の一人が手を挙げた。

 

「では、ラ・ヴァリエール嬢にお尋ねしたい。コレは生き物なのですか? そうでないなら一体何なのです?」

 

「えっ? えっと、それは……」

 

 少年から自分を名指しして飛んで来た質問に困惑するルイズ。ルイズとてゼロ戦が「ひこうき」というものである事くらいしか分かっていないのだ。説明等出来る訳もない。

 困った様子のルイズに代わって、桐生が口を開いた。

 

「あれはゼロ戦という、「飛行機」だ。生き物ではなく、人が操縦して動く乗り物の一つだ」

 

 桐生の説明を受けた少年達は興味深そうに声を上げながらゼロ戦に視線を移した。

 そんな少年達にエルギースは微笑みながら手を叩いて見せ、少年達の意識をゼロ戦から此方に向けさせた。

 

「謎が少しは解けたか? 今度はお前達が自分達の乗り物をお見せして差し上げろ。せめてもの礼にな」

 

 エルギースの言葉に少年達が敬礼すると、真っ直ぐに後ろに身体を向けて歩き出した。

 エルギースに促された桐生とルイズは、少年達の後に続いて歩き出す。

 

 

「凄い……。こんな近くで見るのは初めてだわ」

 

 辿り着いた場所で、ルイズはまず一言そう漏らした。

 少年達に続いて着いたのは竜舎だった。首を綱に繋がれた蒼い皮膚と翼を持った竜達が時折鳴き声を上げながら此方を見ている。

 

「僕達は竜騎士なんだ」

 

 少年の一人が得意げになって言ってみせた。

 少年の説明によると繋がれている竜達は風竜の成獣である。タバサのシルフィードよりも二回りほど身体が大きい。

 桐生がそっと風竜に手を伸ばすと、風龍に身体を少し後ずらせて桐生を見詰めた。

 汚れのない黄色い竜の瞳が、まるで値踏みをする様に桐生の身体を、顔を、眼を見詰める。

 暫くすると風龍はゆっくりと桐生に近付いて、頭を下げて視線を合わせながら顔を近づけた。

 桐生はそんな風龍の頭を優しく撫でる。キュルケのフレイムよりもザラついた、硬い鱗の感触が掌に伝わって来る。

 桐生の撫でる感触に、風龍は目を細めながらクルルっと声を漏らした。瞬間、少年達から声が上がる。

 

「凄いな、あんた。見た所、メイジでもないのに風竜に認められるなんて。竜騎士の素質があるかもよ」

 

 少年の一人が心底驚いた様に言う。

 

「そうなのか?」

 

「ああ。使い魔として契約しない限り、竜は一番気難しくて、乗りこなすのが一番難しい幻獣だからね。それに自分の認めた相手じゃなきゃ決して背中に乗せないんだ。しかも竜は此方の魔力や格、知性を見抜いて自分の主人かどうかを決めるからね。頭を撫でるなんて、いきなり出来る事じゃないよ」

 

 少年の説明を受けた桐生が風龍の頭を撫で続けてると、ルイズが横から桐生のジャケットを引っ張って見上げて来た。瞳から察する、自分も撫でてみたいのだろう。

 桐生はルイズの背中を押して風竜の前に出させると、風竜は先ほど桐生にした様にルイズを見詰めた。

 暫くすると、風竜はルイズから視線を逸らしてそっぽを向いてしまった。

 

「はは、残念ながらラ・ヴァリエール嬢は認めて貰えなかったらしいですな」

 

 エルギースがそう言うと、ルイズも頬を膨らませながら腕を組んでそっぽを向く。そんなルイズの頭を桐生が優しく撫でてやる。

 

「でも、やっぱりカズマの背中の龍とは形が違うわね」

 

 桐生に撫でられて些か機嫌が治ったルイズが、桐生の顔を見上げながら言う。

 桐生の背中に彫られている「応龍」は翼がない。いつしか誰かに聞いた話だが、西洋では龍は大きな翼を持つ蜥蜴の様な身体のものが多く、東洋では翼がないか、或いは小さく身体が蛇の様なものが多いんだとか。

 ルイズの発言に意味がわからない少年達とエルギースが首を傾げると、桐生は何でもないと周りに言った。

 ルイズはなんとか風竜の頭を撫でようと背伸びして手を伸ばすが、風竜は気怠そうに首を動かしてその手から逃れる。

 躍起になるルイズを宥めながら風龍を手懐けている少年達を桐生が見ていると、横からエルギースが声を掛けた。

 

「彼等は私が預かった竜騎士の部隊兵です。本来ならあと一年は訓練が必要な竜騎士見習いだったのですが、先のタルブの戦で消耗した竜騎士を即席に補充する形となって彼等も前線に立つ事になりましてね」

 

 パイプを吹かしながら説明するエルギースの言葉を聞きながらも桐生はルイズの方へと視線を向け続ける。

 ルイズは少年達から竜騎士になる為の訓練や心得の説明を熱心に聞いては、興味深そうに風龍を見上げていた。

 年端も行かぬ、少女と少年。戦争で命を落とすには若過ぎる年齢に桐生は顔をしかめる。

 そんな桐生を見て、エルギースは小さく笑った。

 

「なに、歳こそ若いが、みなそれなりにガッツのある奴等です。我々同様、戦争の駒として働くには十分な動きは出来る。何も心配する事はない」

 

「駒……だと?」

 

 エルギースの言葉に露骨に不機嫌な声を漏らし、鋭い目付きでエルギースを睨みながら桐生は拳を握り締める。

 そんな桐生にエルギースは首を傾げた。

 

「戦場に一度出れば、誰も彼もが勝利の為に動く駒と同じだ。カズマ殿、貴殿はチェスを嗜みますかな? 仮にそうだとしたら動かし、相手に取られるポーンを一々気にかけて勝負をしますか? 私も貴殿も、そして勿論ラ・ヴァリエール嬢も彼等も、この「戦争」という巨大で大掛かりなゲームの上では使い捨てのポーンに過ぎない。ナイトにもビショップにもルークにも、ましてやクィーンにもキングにもなれはしない。変われないポーンの成すべき事は、少しでも敵を蹴散らし、勝利の為の道を築く事。違いますか?」

 

 美味そうに紫煙を口から燻らせて語るエルギースに、桐生は何も言えずにルイズ達を見た。

 会話はわからないが何か楽しそうに話して笑みを浮かべる少女と少年達。この戦争に参加することで、彼等の手も、その笑顔も、血に染めなくてはならない時が来る。そんな事があって良いのだろうか。

 そんな風にルイズ達を見ていた桐生の首筋に、冷たく硬い何かが当てられた。

 視線を向けると、エルギースが杖を引き抜いて桐生の首元に宛てがっている。

 

「まさか、「こんな子供が」なんて考えているんじゃないでしょうな? 彼等は確かに我々からすれば子供だ。しかし、戦場に出た以上、彼等は立派な一人の「兵士」だ。覚悟を決め、今日を生き抜く為にここに居るのだ。そんな彼等に対して哀れみなど、侮辱以外の何物でもない。そして、彼等を侮辱する事は、彼等を預かっている私に対する侮辱となる。その所を弁えて欲しいな」

 

 会議室の時とは違う、怒気を含んだエルギースの声が桐生に投げかけられる。幸か不幸か、ルイズ達は二人の今の状態には気付いていない。

 自分の考えが甘い事は理解している。自分の居た世界でも、少年兵として銃を持つ子供達が存在しているのを桐生は知っている。

 それでも、やはり納得はいかない。自分達の様な大人ならつゆ知らず、これから先の未来がある少年少女達が命を落とすかもしれない戦場に立つなどと。

 しかし、戦争の参加をルイズが決め、そしてそんなルイズを守ると決めた以上、綺麗事だけでは生き残れないのを桐生は知っている。

 悔しくて認めたくはないが、その覚悟をエルギースの言葉が改めさせたのを感じざるを得なかった。

 桐生が何も言わないのが会話の終了を感じると、エルギースは杖を腰に差してルイズ達の元へと近付いて再び手を叩いた。

 

「さぁ、そろそろ訓練を再開するぞ。お二方の手を煩わせるのは終いだ。全員持ち場に戻り、いつでも動ける様に準備しておけ」

 

 エルギースの言葉にルイズと楽しげに話していた少年達はすぐさま背筋を伸ばして敬礼すると、そのまま散り散りに去って行った。

 エルギースに促されて桐生の元へと向かったルイズは、桐生の表情が硬いのに気付いて心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「カズマ? どうかしたの?」

 

「……なんでもない。ちょっと、考え事をしていただけだ」

 

 ルイズに声を掛けられた桐生は首を振ると、ルイズと共に部屋へと戻った。

 互いに向かい合って質素なベッドに腰掛けると、ルイズが深い溜め息を漏らした。

 

「陽動に使える魔法……。そんなの、どんなのがあるって言うのよ」

 

 一人ポツリと漏らしたルイズを見ながら、桐生は首を振って窓の外を見た。

 

「さあなぁ。いっそ艦隊の模型でも飛ばしてみるか? そんな物ありはしないだろうが」

 

 そう呟きながら、桐生は若い頃にハマっていた「ポケットサーキット」、略して「ポケサー」を思い出していた。車の模型をモーターと電池で動かし、レースをするのは最初こそ小馬鹿にしていたが、これが案外やってみるとどっぷりとハマり込んでいった。豊富すぎるパーツのカスタマイズやお気に入りのボディへのシール貼りは奥が深く、無限の可能性を秘めている様にも思った。

 中でもお気に入りだったボディの「DON-蜂」。バブルと言われたあの時代だから許されたとは思うが、たかだかプラスチックのボディに五千万はふっかけ過ぎなのではないかと今では思う。買ってしまった以上あまり大っぴらに文句は言えないが、えびすやも中々此方の足元を見て営業している。パーツショップもかなり悪どさを感じる値段設定だったのは、今思えばいい思い出だ。タイヤ一つ、モーター一つの為に必死になって不動産の仕事をしていた自分は、側から見れば滑稽だったろう。

 その後、あの年……澤村遥と出会った2005年の12月、ポケサーを始めるに当たっての最初のマシンをくれた、ポケサーファイターとの再会をきっかけにまた始めたのだった。三七歳にもなる大の大人がと思うかもしれないが、一度初めてしまえばあの頃の興奮が蘇り、色々あって無くしてしまったパーツを集め直し、再び熱中したのも今の自分からは誰も想像出来ないかもしれない。

 そう言えば、あんなに大枚叩いて再び手に入れた数々のパーツは一体何処にいってしまったのだろう。売っても大した額にはならないだろうが、あんなに買ったのにいつの間にか無くしてしまったのは勿体なさを感じた。ちょっとでも取っておけば「アサガオ」の子供達にも使わせられたろうに。

 そんな風に若き頃を思い出している桐生に対して、ルイズは身を乗り出して顔を近付けた。

 

「あんた……今、何て言ったの?」

 

 真剣な眼差しで此方を見詰めながら問い掛けるルイズに、桐生は少し困惑した様に顔をしかめた。

 

「何の事だ?」

 

「艦隊の……何を飛ばすって言った?」

 

「ああ、模型の事か? しかし、模型なんて何処にもーー」

 

「そう! それよ!」

 

 桐生の言葉を遮って、ルイズは叫びながらベッドから立ち上がった。

 話について行けない桐生の困った表情とは対照的に、ルイズの瞳は輝いている。

 

「六万の艦隊の模型を作って飛ばせば良いのよ!」

 

「おいおい、そんな材料、こんな空の上にある訳ないだろう。一つ作る事だって難しいぞ?」

 

「違うわ! 材料なんて必要ないわよ! 魔法で作れば良いんだから!」

 

 言うや否やルイズは「始祖の祈祷書」を荷物から引っ張り出すと、ベッドにうつ伏せに寝転び、枕で上体を上げながらパラパラとページを捲っては左手にしている「水のルビー」の指輪をかざしている。

 桐生がそんなルイズに疑問を持っていると、「始祖の祈祷書」のページの一枚が輝いた。

 ルイズの口元に笑みが浮かんで行く。どうやら、有力な魔法が見つかったらしい。

 一体自分の模型という言葉の何がルイズにヒントを与えたのだろう。桐生は一人首を傾げながらルイズを見詰めた。

 

 

 空をも覆う木々の枝が伸びた薄暗い森の中、二人の男が対峙していた。

 一人は白装束に蛇の仮面を着け、三枚の刃を生やす鉤爪を突き出す様に構えている男、ウロボロス。

 もう一人はそんなウロボロスの前で黒いコートを羽織り、同じ色のズボンのポケットに手を突っ込む鳥の嘴の様な長い突起を生やした仮面を着けた男、レイヴン。

 静かに仮面越しに見詰めあう中、一枚の木の葉がゆっくりと地面に落ちた瞬間、ウロボロスがレイヴン目掛けて駆け出した。

 左右から同時に繰り出される鉤爪による一閃を飛んで避けたレイヴンは、そのまま右脚でウロボロスの顔面に蹴りをお見舞いする。

 交差した腕でウロボロスは蹴りを防御すると、レイヴンが着地したのと同時に両腕を振るって斬りかかる。

 鋭利な鉤爪の素早い一閃を縫う様に避けるレイヴン。時折人の骨まで容易く断ち切れるほどの鋭い刃がコートを裂き、仮面の突起を切り取って行く。

 レイヴンの動きを読んだウロボロスが腹に目掛けて鋭い蹴りを繰り出すと、レイヴンはその足首を掴んで身体を回転させ、遠心力を付けてウロボロスの身体を乱暴に投げ飛ばした。すぐさまウロボロスは鉤爪を木に突き立てて衝撃を身体から逃がし、体勢を整えると再びレイヴンの身体を斬り裂かんと襲い掛かる。

 腕を器用に動かして変幻自在に鉤爪を操るウロボロス。その攻撃の隙を見てウロボロスの左右それぞれの手首掴んでレイヴンが動きを封じると、ウロボロスの靴の爪先から小さな刃が突き出て、バク転の要領で手首を掴まれたままレイヴンの顎を蹴り上げようと身体を回転させる。

 瞬間、レイヴンは咄嗟にウロボロスの両手首を離して距離を取る。

 再び二人が互いに向かって駆け出した瞬間、空から降って来た黒刃の大剣が二人の間を割って重々しい音を立てながら地面に突き刺さる。

 

「そこまでだ」

 

 木々の間からゆっくりと出て来た鉛色の仮面を着けたオーガの声に、ウロボロスは構えを解いて後ろ手に腕を組み、レイヴンはつまらなそうに溜め息を漏らした。

 

「良い所だったんだけどね」

 

 不満げに言いながら身体を伸ばすレイヴンに、オーガは首を振る。

 

「お前達の組手には加減がない。どちらかが死ぬまで殺り合うのは目に見えている」

 

 オーガはそう言いながら地面に突き刺さった黒刃の大剣を引き抜き、背中に担ぐと腕を組んだ。

 

「本格的な戦争が始まる。アルビオン対トリステイン・ゲルマニアの連合軍によるな」

 

「天に召されし始祖ブリミルが見たら、どんな反応をするだろうね」

 

 重々しく話すオーガに対してレイヴンは軽く言い、シャツから首にぶら下げていた黄金の十字架を取り出して見詰めた。

 そんなレイヴンを見て、ウロボロスは小さく笑い声を上げる。

 

「神の創りし物を壊そうとしている男が、神を想うのか?」

 

 ウロボロスの言葉にレイヴンは顔を上げると、十字架をシャツの中へと仕舞い込んでから首を振る。

 

「生憎、僕が想うのは一人の女神だけでね。でも神には感謝しているよ。神をも殺せる力を与えてくれた事にね」

 

 強い風が吹き、木々を揺らしてまるで潮騒の様なせせらぎが辺りに響き渡る。

 斬り裂かれ、ボロボロなったコートも気にかけず、レイヴンはマスクを外して空を仰いだ。

 生い茂る木々の葉の隙間から覗く青い空の、その下の何処かにある神が残した「遺産」を想って。


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