ゼロの龍   作:九頭龍

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居場所


第40話

 魔法学園からエレオノールに連れてこられて二日、桐生達はラ・ヴァリエール家の屋敷に漸く辿り着いた。

 着いたのはもう夜の闇が空を完全に覆い尽くし、煌めく星々の中で一際二つの月が地上を照らす時刻になっていた。

 桐生は馬車から降りて、今まで自分達が通って来た道を見詰めながら溜め息を漏らした。

 確か、ラ・ヴァリエール家の領土に入ったのは朝だったはずだ。そこからはラ・ヴァリエール家の庭という事になるのだが、庭を通って屋敷に着くまでに半日以上かかるとはどう言う事だろうか。

 恐らく神室町、いや、新宿その物位の敷地があるのではないだろうかと思わせる広さを桐生は感じていた。

 そして、この領土に入った事で、桐生はルイズが正真正銘のお嬢様である事を改めて認識した。

 

 

 昼頃に、昼食の為にと途中にあった旅籠に寄ったのだが、ルイズとエレオノールが馬車から降りた瞬間に、旅籠から大勢の村人達が飛び出して帽子を取っては二人にぺこぺこと頭を下げていた。

 村人達は桐生とシエスタにも気付き、私服姿から二人がルイズ達にとって大切な客人であると思ったのか、代わる代わるに挨拶をして来た。

 普段している側のシエスタは困った様に自分達も平民である事を伝えるが、それでもと村人達は頭を下げ続けた。

 旅籠の中へと案内されてルイズとエレオノールがテーブルに着いたので、桐生もそれに続こうとした瞬間、エレオノールが鋭い眼差しで睨んで来た。

 桐生が一人首を傾げていると、シエスタが桐生のジャケットの裾をクイッと引っ張り、

 

「カズマさん、貴族の方々と同席は出来ませんよ」

 

 と言われ、普段ルイズと一緒に座っていた為にそんなルールがあったのを忘れていた桐生は頭を掻いて席から離れた。

 ルイズはそんな桐生に何か言おうとしたが、エレオノールから何やらお説教が始まってしまい、シュンと項垂れた。

 少し離れた席からそんなルイズを見ていた桐生とシエスタは、思わずいたたまれない気持ちになった。

 

「ミス・ヴァリエールも、あんな表情をするんですね」

 

「自分の姉が相手じゃ仕方ないんじゃないか? 何で怒られてるのかはわからないが」

 

「でも、あのエレオノールという方……まるでミス・ヴァリエールに八つ当たりしてる様にしか見えませんよ。こう言ったら失礼ですけど……少し、ミス・ヴァリエールが可哀想です」

 

 シエスタは心配そうにルイズを見詰めながら呟いた。

 多くの弟や妹を持つシエスタに取っては、エレオノールの妹への態度が余り快く思えないらしい。

 しかし、そんなエレオノールの説教も長くは続かなかった。

 突然旅籠の扉がバンッと大きく開かれると、一人の女性が飛び込んで来た。

 女性は腰がくびれたドレスを優雅に着こなし、羽根着きのつばの広い帽子を被っている。その帽子から覗くのは、ルイズと同じ桃色の髪と鳶色の瞳。

 美しい、と言う言葉よりも可愛い、と言う言葉が似合う顔をしたその女性はエレオノールに気付くと目を輝かせた。

 

「あらあら! 見慣れない馬車が見えたと思ったら嬉しいお客さんだわ! 帰ってらしたのね、エレオノール姉様!」

 

「……ええ。ただいま、カトレア」

 

 突然の訪問者に説教を中断して、エレオノールがカトレアと呼ばれた女性に挨拶した。

 カトレアに気付いたルイズは先ほどまでの項垂れた表情が嘘の様に輝き、席から立ち上がるとカトレアへ向かって駆け出した。

 カトレアはそんなルイズに手を広げ、胸の中へと迎え入れて抱き締めた。

 

「姉様! ちい姉様!」

 

「ルイズ! 私の小さいルイズ! 貴女も帰って来てくれたのね!」

 

 二人は周りの目も気にせずに声を上げて再会を喜んでいた。

 どうやらカトレアはルイズのすぐ上の姉らしい。ルイズを大人びさせて、そのまま優しくさせた様な雰囲気を纏っている。髪と瞳の色もルイズそっくりだ。二人の身体的な特徴で違いを差せと言われたら身長と、その胸の大きさだろう。あくまでも素人目ではあるが、シエスタに勝るとも劣らない大きさだ。

 カトレアは此方を見ている桐生とシエスタに気が付くと、ルイズを優しく身体から離して二人に駆け寄った。

 完全に蚊帳の外だった為油断していたシエスタは焦った様に立ち上がり懸命に身嗜みを整えるが、カトレアはそんなシエスタに優しく微笑み掛けて手を振ってから桐生へと視線を向けた。

 急に見詰められた桐生は首を傾げると、カトレアはニコニコしながら桐生の顔を両手で包む様に頬に手を添えた。

 

「う〜ん、昔から年上が好きなのは知っていたけど……随分歳の離れた殿方ね。でも、ハンサムじゃない。ルイズもなかなか見る目があるのね」

 

「はっ?」

 

 カトレアの言葉にルイズは目を点にしながら間の抜けた声を漏らした。

 カトレアはそんなルイズに満面の笑みを浮かべながら振り返り、桐生の肩を優しく叩いた。

 

「この方、ルイズの恋人なんでしょう?」

 

「はぁっ!?」

 

 カトレアの言葉に反応したのは、今度はルイズではなくシエスタだった。

 敵意を剥き出しにした眼でカトレアを睨むその表情からは、普段の貴族への礼節だの敬いだのは感じられない。今、シエスタにはカトレアが貴族である事も、ルイズの姉である事も頭にないのかもしれない。

 ルイズは一瞬思考が停止した様に無表情のまま黙りこくった後、顔を真っ赤にしながら勢い良く首を横に振った。

 

「ち、違うわ! 恋人なんかじゃない! た、ただの使い魔よ!」

 

「あら、そうなの?」

 

 必死になって説明するルイズに振り返り、悪気なくコロコロと笑うカトレア。

 そんなカトレアの後ろで勝ち誇った様な表情を浮かべているシエスタに、ルイズは苦虫を噛み潰した様な顔をして拳を握り締めた。

 カトレアは二人の静かなる駆け引きに気づく事なく桐生に顔を向けて、可愛らしく小さな舌を出して見せた。

 

「ごめんなさいね。私、よく勘違いしちゃうのよ」

 

 

 旅籠から出た桐生達は、カトレアが乗って来た馬車でラ・ヴァリエールの屋敷へと向かう事となった。

 エレオノールは平民である桐生とシエスタと同じ馬車に乗るのを嫌がったが、カトレアになんだかんだ言いくるめられて渋々と乗り込んだ。

 カトレアが乗って来た馬車はとても大きく、中の広さもルイズ達が乗っていた馬車の倍以上であった。

 そして、どうやら乗客は桐生達だけではなかった。

 馬車の中には様々な動物が乗っていた。虎やら馬やら犬やら猫やら……果ては蛇までも。

 聞いた所によると、カトレアは大の動物好きで何でもかんでも拾ったり連れて来ては屋敷で飼育するらしい。

 桐生は側にすり寄って来た犬の頭を優しく撫でながら、膝には目の前にニョロリと現れた蛇を見るなり気絶してしまったシエスタの頭を乗せて、ルイズ達三姉妹を眺めていた。

 ルイズとカトレアは本当に仲が良いらしく、先ほどからキャッキャと声を上げながら楽しげにお喋りに花を咲かせている。その二人を眺めて寄って来た猫の顎を撫でながらエレオノールが溜め息を漏らしている。

 しかし、二人を眺めるエレオノールの瞳は先ほどルイズに見せていたキツさはなく、優しい光が込められている。長女として妹達の団欒を温かく見守っているのかもしれない。

 

「そうだ、エレオノール姉様」

 

「何よ、おチビ?」

 

 不意に思い出した様に声を掛けて来たルイズに、少し面倒臭そうにしながらも言葉の先を促すエレオノール。

 ルイズは小さくはにかみながら口を開いた。

 

「以前頂いた手紙に書かれていましたよね? ご婚約、おめでとうございます」

 

 ルイズのその言葉を聞いた瞬間、エレオノールの眉がピクンと釣り上がり、カトレアは苦笑を浮かべながら口元を手で押さえた。

 エレオノールから発せられる威圧感から、今までゆったりのんびりとしていた動物達も怯えた様に隅へと散って行った。

 あれ? と一人状況が飲み込めていないルイズが首を傾げた瞬間、エレオノールがルイズの頬を両手で鷲掴むと思いっきり引っ張り始めた。

 

「ひぎっ!? あ、あでざばっ!? どぼじで!?」

 

「貴女、知ってて言ってるのね? そうなんでしょう?」

 

「じ、じりばぜんっ!? わだぢ何にもっ!」

 

「婚約はとっくに解消よ! か・い・しょ・うっ!」

 

 怒りからか鼻息を荒げながらルイズの頬を解放してから腕を組むエレオノール。

 痛む頬を両手でさするルイズの頭を優しく撫でるカトレア。

 

「な、何故に!?」

 

「「試験」に受からなかったからよ。全く……あれで貴族なんて笑わせてくれるわ。まぁ、あんなヘタレならこっちから願い下げよ」

 

「「試験」?」

 

 エレオノールの口から出た聞きなれない言葉に赤くなった頬を摩りながら首を傾げるルイズに、カトレアは小さく首を振って見せる。

 ルイズはまだ姉達しか知らないラ・ヴァリエール家のルールに少し不満気味に頬を膨らませた。

 

 

 夜が更け、エレオノールがポケットから出した懐中時計を確認しているのを尻目に桐生が窓の外を眺めると、何やら大きな城が見えて来た。

 街ではなく森に囲まれているその城は、トリステインの宮殿よりも大きく見えた。

 

「もしかして、あれか?」

 

 桐生が城を指差しながら言うと、ルイズが頷いて見せた。

 確か、今日向かっているのはラ・ヴァリエール家の屋敷と聞いていた筈だが……どこからどう見ても城にしか見えない。

 そんな風に思っていると、突然フクロウが窓を開けて馬車の中に入って来た。

 フクロウは羽根をバサバサと羽ばたかせて桐生の肩に止まると、器用に一礼して見せた。

 

「お帰りなさいませ、エレオノール様。カトレア様。ルイズ様」

 

 フクロウが礼儀正しく挨拶する姿に驚きを全く感じない自分に、桐生は我ながら随分とこの世界に慣れたものだと心の中で思った。

 カトレアが立ち上がりフクロウの頭を優しく撫でながら微笑んだ。

 

「お出迎えご苦労様、トゥルーカス。お母様は?」

 

「奥様は晩餐の席で皆様をお待ちです」

 

「トゥルーカス……あの、お父様は?」

 

 不安げに尋ねるルイズに、トゥルーカスと呼ばれたフクロウは首を振った。

 

「旦那様は未だ戻られていません」

 

 今回一番話さなければならない相手が居ない事に不安と不満がルイズの心の中で広がった。

 ルイズは思わず桐生へと視線を向けたが、膝枕で眠っているシエスタの姿にすぐに視線を逸らしてしまった。

 重い空気のまま、馬車は堀の向こう側にある立派な石像を携えた門の前で止まった。

 すると石像の眼が光り、ジャラジャラと音を立ててゆっくりと跳ね橋が降りて行く。門専用のゴーレムらしい。

 ずううん、と重々しい音を立てて跳ね橋が掛かると、再び馬車が動き出して城壁の向こうへと動き出した。

 

 

 ずっと馬車に乗って揺られていた身体を伸ばしていると、目を覚ましたシエスタが降りて来た。

 次にエレオノール、カトレア、ルイズの順で降りた所で、玄関と思われる大きな扉から一人の男が現れた。

 歳は五十を少し過ぎた頃だろうか。桐生ほどの身長で燕尾服に身を包み、白い手袋を着けている。白髪混じりのグレーの髪を短く整えて上唇には髪と同じ色の立派な髭が生え揃えられている。少し皺が多い顔のせいで実年齢以上上に見られがちかもしれない。瞳に宿る光は優しさと厳しさを兼ね備えている。

 

「お帰りなさいませ、エレオノール様。カトレア様。ルイズ様」

 

「ウルフェイン!」

 

 恭しく頭を下げるその男にルイズが目を輝かせながら駆け寄った。

 ウルフェインと呼ばれたその男は向かって来るルイズを優しく抱きとめると、桃色の髪を梳く様に撫でた。

 

「お久し振りでございます、ルイズ様。しばらく見ぬ間にまた一段と美しくなられて……」

 

「本当に久し振り! ウルフェインは……変わらないわね」

 

 身体を離してウルフェインを見上げながら苦笑するルイズ。

 ウルフェインは視線を桐生とシエスタに向けると、背筋を伸ばして深々とお辞儀した後、満面の笑顔を浮かべた。

 

「ようこそ、ラ・ヴァリエール家においで下さいました。私、ラ・ヴァリエール家の執事頭を務めております、ウルフェインと申します。以後、お見知り置きを」

 

 再度深くお辞儀をするウルフェインに対して、桐生もシエスタも思わず釣られた様に深く頭を下げた。

 

「どうぞ、此方へ。奥様がダイニングルームでお待ちです」

 

 ウルフェインの後ろから次々と使用人が現れて、カトレアが連れて来た動物達やエレオノールとルイズの荷物をそれぞれ運び始める中、案内されるまま屋敷の中へと入って行く桐生達。

 外見に負けず劣らず、ラ・ヴァリエール家の屋敷はインテリアも見事な物だった。

 豪華な装飾が惜しげもなく飾られている部屋を何個も通り、十数分ほどでダイニングルームへと辿り着いた。

 ダイニングルームに着くなり、シエスタはすぐさま使用人の控え室へと案内されてしまったが、桐生はルイズの使い魔である事が考慮されて晩餐会へ同席する事を許された。あくまでルイズの席の後ろに控えているだけだが。

 ルイズが腰掛けたテーブルの長さは三十メイルほどの大きさだ。そこに座るのは四人だけなのだが、周りには二十人ほどの使用人がテーブルを囲む様に背筋を伸ばして立っていた。

 もう深夜ではあったが、この遅めの晩餐会にルイズ達の母親、ラ・ヴァリエール公爵夫人が先にテーブルに着いて娘達の到着を待っていた。

 傍らにウルフェインを携えながら、上座に座っている公爵夫人は席に着いた娘達を見回した。

 公爵夫人はエレオノール以上の高飛車な雰囲気を醸し出した、一言で言うとキツめの美人だった。歳はウルフェインと同じくらいかもしれないが、それはルイズ達娘の年齢を逆算した計算による物に過ぎない。四十半ばと言われても疑われる事がないであろう美貌と輝きを持っている。

 ルイズとカトレアの桃色の髪は彼女譲りらしい。艶やかな桃色の髪を頭の上で纏め、人を傅かせて来た者だけが持てる貫禄を感じる。

 どうやらルイズが心を許せるのはカトレアとウルフェインだけらしい。席に着いてから、後ろからでもわかるほどにガチガチに緊張しているのが伝わって来る。

 

「母様、ただいま戻りました」

 

 エレオノールが言うと、公爵夫人は頷いてからウルフェインに目配せした。

 心得ている様にウルフェインが頷き一度手を叩くと、四人それぞれの目の前に給仕達が前菜を運んで来て晩餐会が始まった。

 

「い……頂きます」

 

 緊張からぎこちない動きで両手を合わせ、食事の挨拶をしたルイズに公爵夫人達のフォークを持つ手が止まり、一斉にルイズに視線が向けられた。

 

「ルイズ、今のは何?」

 

 カトレアが首を傾げながら尋ねると、ルイズは視線が自分に集まった事から自然と耳が熱くなるのを感じながらもじもじと答え始めた。

 

「えっと、その……食事を作ってくれた人への感謝と、料理になった生き物への供養を込めた……おまじない? みたいな物なの。こうやって口にして言うと、食事が何時もより美味しく感じるの」

 

 「魅惑の妖精」亭での生活で桐生から教わった日本のマナーは、最初こそ小馬鹿にしていたが、ジェシカ達平民と働いて食事の有り難みを理解し始めたルイズにとって大きな物へとなっていた。

 今こうして目の前に出された料理も誰かが作ってくれた物であり、命を食す者として食材となった生き物達への感謝を忘れてはいけないという桐生の教えは、いつしかルイズの中で平民に対しての態度の変化を作り始めたのである。

 

「作ってくれた人への感謝って……それって平民に感謝するって事? 相変わらず下らない事に拘る子ね。私達貴族が平民に感謝なんかしてたら、平民がつけ上がるでしょうが」

 

 小馬鹿にした様に言うエレオノールに対して、姉としての怖さから何も言い返せないルイズ。

 そんなルイズを見て、黙っていられない男が一人いた。

 

「それはどうかな? 貴族だろうが平民だろうが、感謝する気持ちを持てない人間に碌な奴は居ないと思うが?」

 

 桐生の言葉にエレオノールの目付きが鋭くなり、周りの使用人達の間にも緊張が走り出した。

 ルイズも不安そうに桐生を見るが、そんな事に構わず桐生は言葉を紡ぎ続ける。

 

「今の時間、普通なら料理なんて作る事なんて殆どないだろう。今、目の前に出された料理と同じ物を、あんたは作れるのか?」

 

「何で貴族の私がそんな事しなきゃならないのよ? 平民は私達貴族からお金を貰って働いてるの。こっちが何を注文しようと勝手な筈じゃない?」

 

 桐生を睨んだまま腕を組んで不機嫌そうに言うエレオノールに、桐生は小さく頷いた。

 

「確かにな。金を貰っている以上、当然期待に応えた働きをしなきゃいけない。それを間違ってるとは言わない。だがな、もしもこの世界に平民と言う存在が居なければあんた等貴族はどうやって生きていくんだ?」

 

 忌々しげに桐生を見つめるも、エレオノールは何も言い返せなかった。今平民がやっている仕事、もし自分がやる事となれば、上手く出来る訳がない。

 

「平民を見下すのは勝手だが、平民が居なきゃ出来ない事があるのを忘れない事だ。少なくとも、ルイズはあんたよりもそれを学んで来た筈だ。それは側にいた俺が一番良く知ってる」

 

 エレオノールから視線を外しルイズへ顔を向けた桐生は、ルイズの頭を優しく撫でた。

 その感謝は優しくて、温かくて、ガチガチに緊張していたルイズの表情に笑顔を浮かべさせてくれた。

 

「……頂きます」

 

「カトレアっ!」

 

 桐生とルイズを微笑ましそうに眺めていたカトレアは見よう見まねで両手を合わせ、口ずさむと注意する様に声を上げるエレオノールを無視して料理を口に運んだ。

 

「ん……美味しいっ!気持ちの問題かもしれないけど、確かに何時もより美味しく感じるかも」

 

 カトレアは嬉しそうに笑みを浮かべながら料理を口に運ぶ。それを見たルイズも多少ながら緊張が解けたのか、一緒になって料理を運んだ。

 エレオノールはそんな二人を詰まらなそうに眺めた。本当はこのままルイズが戦争に参加する事を母親へ話して、しっかりと叱って貰った後に断念させる算段だった。

 しかし、その計画もルイズの使い魔とやらのせいで台無しになってしまった。今から無理矢理にでも話題を振る事も決して不可能な訳ではないが、ルイズの、自分の妹の人生に関わる事だ。いい加減な形で話を進めてしまえば、勝手な真似をしかねない。

 エレオノールは苛立ちと焦りから大きな溜め息を漏らした。

 

「エレオノール、食事中ですよ。行儀の悪い事はやめなさい」

 

 今までずっと口を開く事なかった母親の言葉に、エレオノールはハッとして小さく咳払いをした。

 

「ご、ごめんなさい、母様」

 

「平民の言葉一つで心を乱す様では、貴女もまだまだですね。平民の言う事が正しいとは限りません。シャンとしなさい」

 

「は、はいっ!」

 

 そう言った公爵夫人は料理を一口口に運び、味わう様に咀嚼した後言葉を続けた。

 

「そして覚えておきなさい。平民の言う事全てが間違ってるとも限りません」

 

「へっ?」

 

「研究者であるならば、幅広く視野を広めなさい。貴女はまだまだその若さ故に視野が狭い。今後今以上に自分を高めたければ、あらゆる意見に耳を傾けなさい。小さな石が、時には中に宝石を秘めている場合もあります。自らの成長を止めるのは、自分自身である事を忘れぬ事です」

 

「は、はぁ……」

 

 公爵夫人は桐生へと視線を向けると、しばらくジッと見つめてから食事を再開した。

 

 

 晩餐会が終わって湯浴みを済ませたルイズは、カトレアの部屋で髪を梳いて貰っていた。

 カトレアの部屋は植物と動物が一杯で、何個も植木鉢が並べられていて、鳥籠がいくつも天井から吊るされ、数匹の子犬が走り回っていた。

 

「貴女の髪って、惚れ惚れするくらい綺麗ね」

 

「ちい姉様だって同じ髪じゃない」

 

 梳いて貰う感謝が心地良くて、ルイズは瞳を細めながら口にする。

 

「私、エレオノール姉様みたいな金色の髪じゃなくて良かった」

 

「ルイズ、そんな事を言っては駄目よ。エレオノール姉様が気を悪くするわ」

 

「だって……私、エレオノール姉様が苦手なんだもの。何時も厳しくて、怒ってばかりで」

 

「貴女が可愛いのよ、ルイズ。エレオノール姉様は私以上に、貴女の事を想っているのよ」

 

「そんな事ないわ、エレオノール姉様は私が嫌いなのよ」

 

 寂しげに言うルイズを、カトレアが後ろから優しく抱き締める。

 

「本当よ、ルイズ。貴女が戦争に参加するって聞いて、一番心配したのはエレオノール姉様なんだから」

 

 ルイズは自分を抱き締めてくれているカトレアの手を掴みながら、エレオノールの事を想った。

 あのエレオノールが自分を心配? きっと駄目な自分が戦争に行った所で家名を汚されるだけだと思ったに違いない。そうに決まってる筈だ。

 

「ちい姉様……お身体は、まだ?」

 

 ルイズの言葉にカトレアは身体を離し、苦笑しながら首を振った。

 カトレアは幼少の頃から身体が悪く、魔法を使ったり、軽く運動をしただけでも体力を大きく奪われて衰弱してしまうのだ。

 ラ・ヴァリエール公爵が国中の腕利きの医者や「水」のメイジを呼んでカトレアを診せさせたが、どんな薬も、どんな治癒魔法も効果がなかった。何でも、生まれつき身体の中を流れる水の流れ常人と違って悪く、其処を治す事が出来なければ治療は意味がないそうだ。そして其処を治すのは、今の医学や技術、魔法では無理だと言われているらしい。

 その病気のせいで、カトレアはラ・ヴァリエール家の領土から出た事がない。学校にも行けず、常に付き人が居なければならないのだ。

 ルイズはそんなカトレアが不憫に思えてならなかった。自分よりも魔法を扱えて、女性としても魅力的なのに外の世界へと歩き出せないカトレアが。

 そんなルイズの気持ちに気付いたのか、カトレアはルイズの頭を優しく撫でた。

 

「さぁ、ルイズ。今日は久し振りに一緒に寝ましょう」

 

 カトレアの言葉にルイズは瞳を輝かせて頷いた。

 部屋の灯りを消すと、子犬達は自分の寝床に戻って丸まった。

 ふかふかのベッドの中でルイズはカトレアと寄り添い、その豊かな乳房に顔を埋めた。

 

「ねぇ……ちい姉様」

 

「なあに?」

 

「私の胸も、ちい姉様みたく膨らむかしら?」

 

 カトレアは小さく噴き出すと、ルイズの頭を撫でながら頷いた。

 

「大丈夫よ。私もルイズくらいの頃は小さかったんだから」

 

「本当?」

 

「ええ、本当よ」

 

 ルイズは安心した様に瞳を閉じながら、カトレアの身体をギュッと抱き締めた。

 

「けど、良かったわ。貴女が落ち込んでなくて」

 

「私が落ち込む? どうして?」

 

「ワルド子爵……裏切り者だったんでしょう? 半年ほど前にワルドの領地に魔法衛士隊の人達がやって来て、屋敷を差し押さえていたわ。婚約者が裏切り者だったなんて、貴女が落ち込んでるんじゃないかと思って」

 

 ルイズは小さく首を振った。

 

「平気よ。私はもう、子供じゃない。憧れと愛情を間違えたりはしないわ」

 

「そう……成長したのね、ルイズ」

 

「もう自分の道は自分で決める。だからお父様には、私の出征を賛成して欲しいの」

 

「なら、お父様が反対したら……勝手に出て行くのね?」

 

 ルイズはその質問に言葉を詰まらせたまま黙りこくった。

 カトレアもそれ以上は聞かずにルイズを抱き締めたまま瞳を閉じた。

 久しく鼻を擽る姉の香りにルイズは幸せな気持ちになりながら、不意に桐生の事が頭に浮かんだ。

 晩餐会で自分を庇ってくれた桐生にお礼も言えずに別れてしまった。

 今頃はシエスタと一緒だろうか。そう思うと面白くない。

 

「さっきの男の人が気になる?」

 

 一人悶々としていたルイズは急に声を掛けられて驚いた様に顔を上げる。

 するとニコニコしながら此方を見ているカトレアの顔があった。

 

「もう私の隣じゃ眠れなくなっちゃったみたいね」

 

「ち、ちが……別にそんなんじゃっ!」

 

「良いのよ、ルイズ。貴女も女性として成長して来た証なんだから」

 

 う〜と唸るルイズからそっと身体を離したカトレアは、上体を起こして微笑んだ。

 

「行って来なさい。貴女の今の居場所に」

 

 

 案内された薄暗い部屋の窓を開いて、桐生は空の月を眺めながら煙草を吸っていた。

 部屋、とは言ったが、どうやらここは納戸らしい。其処彼処に箒やらバケツやらが置かれている中、急遽作られたらしいベッドが一つだけ置いてある。

 改めてルイズとの身分の差を思い知らされる。

 煙草を楽しんでいると、扉がノックされた。

 こんな納戸に用のある人間が居るのか疑問に思ったが、取り敢えずとばかりに煙草を携帯灰皿に押し込んで扉を開くとシエスタが立っていた。

 

「シエスタ……どうした?」

 

「その、来ちゃいました。なんだか眠れなくて」

 

 はにかみを浮かべるシエスタを中に入れる桐生。

 

「よくここがわかったな」

 

「使用人の人に聞きました。カズマさんは何処に泊まっているのかって」

 

 中に入れてシエスタが何か、バスケットを持っているのに桐生が気付くと、シエスタはそのバスケットを開いて見せた。

 中にはグラスが数個と、酒瓶が三つほど入っていた。

 

「夕食の時に頂いたんですけど、折角だからカズマさんも一緒にどうかと思って持って来ちゃいました」

 

「そうだったのか。ありがとう、早速頂くとするか」

 

 酒瓶を取り出してグラスを出そうとすると、今度はノックも無く扉が開かれた。

 桐生とシエスタが扉に目を向けると、寝間着姿のルイズが立っていた。ルイズも使用人に聞いて桐生の泊まっている納戸を突き止め、向かって来たのだ。

 ルイズは中にいたシエスタを見るなり、眉を釣り上げた。

 

「何であんたが此処に居るのよ」

 

 露骨に不機嫌な声で言いながらヅカヅカと納戸の中へ入って来るルイズ。

 そんなルイズに負けじとシエスタは胸を張って言い返す。

 

「カズマさんとお酒を飲もうと思って来たんです。ちゃんと使用人の人には話を通しましたよ」

 

「そんな事どうでも良いわ。早く部屋に帰りなさいよ」

 

「ミス・ヴァリエールこそお部屋に帰られたらどうですか? 私達平民と違って貴族の貴女にはさぞ居づらい場所でしょうし」

 

 視線をぶつけ、バチバチと火花を散らせながら一歩も引かない二人。

 そんな二人に苦笑しながら、桐生が酒瓶の蓋を開けると三つのグラスに注いだ。

 

「折角ルイズも来たんだ。今日は無礼講と言う事で、三人で飲もうじゃないか」

 

 桐生から差し出されたグラスに、ルイズもシエスタも渋々ながら頷いてグラスを受け取った。

 

「それじゃあ、乾杯だ」

 

「「……乾杯」」

 

 まだ何処かムッとしながらも、カチリとグラスを重ねた。

 グラスを口に運んだ桐生は、鼻をつくその匂いに手を止めた。

 部屋の薄暗さからわかりにくいが、何時も飲んでいるワインではないらしい。グラスを月明かりに照らすと、赤や白ではなく、琥珀の様な色が見えた。

 一口含み、口の中で転がす。鼻を抜ける濃厚な香りに、気化したかの様な感覚を覚える舌触りと甘みと苦味が調和された喉越し。その味に桐生は覚えがあった。

 ブランデーである。ワインもブランデーも、葡萄が材料の為この世界でも作る事は可能だろうが、此方に来てからは初めて飲んだ。

 そして気付く。ワインよりも度数が遥かに高い事に。

 慌ててルイズとシエスタに顔を向けると、既にグラスは空となっており、二人とも真っ赤な顔でお互い睨み合っている。

 

「……だいたい、あんらはわらひを馬鹿にひしゅぎなろよ! こっちはきろくなろよ! きーろーくー!」

 

「なぁにがきろくれすか! わらひなんか、うぃっく、メイドれすよ! かずまひゃんにあーんなごろうしやこーんらごろうしがれきますわ!」

 

 一気飲みしたせいか呂律が上手く回らないほど酔った二人はぎゃいぎゃい喚きながら酒瓶を取った。

 

「おらっ! きろく! もっとろめ!」

 

「あんらこそ! ろめ! 馬鹿めいろ!」

 

 互いに相手のグラスに並々と酒を注いでは一気に飲み干している。二人とも桐生の事はもう眼中にない様だ。

 桐生はグラスに口付け、今度は味を楽しむ様にゆっくりと舌の上で酒を転がした。

 ふくよかな味わいを感じながら、ルイズとシエスタの飲み比べを苦笑しながら眺めている桐生を、窓から覗く二つの月だけが見つめていた。


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