ゼロの龍   作:九頭龍

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帰省


第39話

 劇場での逮捕劇当日深夜。

 リッシュモンを乗せたチェルノボーグへの護送用の馬車は月のない薄暗い闇夜の中街道を走っていた。脇にはそれぞれに魔法衛士隊の隊員が付いて護衛兼監視の為、馬に跨って馬車と並行に走っていた。

 馬車の中では杖を奪われ、金属製の手枷を掛けられたリッシュモンが俯いたまま何やらブツブツと呟き続けていた。

 リッシュモンとは向かい側に座っていた魔法衛士隊の隊員が、そんなリッシュモンを見ながら本日何回目になるか分からない舌打ちを繰り返していた。先ほどから「私は偉いんだ」「こんな事は夢なんだ」と現実逃避の言葉を漏らしては表情のない顔で馬車の底板を見つめている。その姿はまるで気が狂った精神病疾患者の様だ。

 チェルノボーグまで後少しの距離だが油断は出来ず、馬車の横を走る魔法衛士隊隊員と、馬車を運転している派遣された御者は辺りを警戒していた。

 リッシュモンはアンリエッタをアルビオンへ売る為に、相手側の深部を何かしら知っている可能性もある。そうなればアルビオンも、このままおめおめとリッシュモンをチェルノボーグに連れて行かせる筈がない。リッシュモンを取り戻すか、或いは秘密を守る為にその口を封じる筈である。

 そんな風に警戒して馬車を走らせていると、御者が何かに気付いたらしく馬を停めさせた。

 脇を走っていた魔法衛士隊隊員も馬から降りて、御者が指差す方へと少し歩み寄る。

 街道の少し先の真ん中、其処に大男が立っていた。左手に布に包まれた棒の様な物を持ち、袖の無い道着の様な薄汚れた上着に見た事のない濃紺のズボンを身に纏い、顔には鼻から上を覆う鉛色の仮面を着けている。良く見ると、その仮面の額の左右には角の様な突起があり、右肩からは剣の柄の様な物が覗いている。

 

「アルビオンの者か!? リッシュモンを取り返しに来たのだな!」

 

 魔法衛士隊隊員の二人が怒号を上げながら杖を引き抜いて大男に切っ先を突き付けるが、大男は何も言わずに左手に持っていた布に包まれた棒を地面へ突き刺した。

 

「貴様! 何か言わぬか! それともそれは、肯定を表しているという事か!」

 

 魔法衛士隊隊員が声を荒げて言うのも構わず、大男は右肩から覗く剣の柄の様な物を右手で掴むと、そのまま背中から何かを取り出して手を下げた。

 それは大きな、とても大きな大剣だった。暗い為形はあくまでシルエットしかわからないが、恐らく黒いであろうその鉄の塊から放たれる威圧感が肉厚の刀身を連想させた。

 相手の抜剣を攻撃行為と見なした魔法衛士隊の隊員達は直ぐさま呪文を口にするも、時既に遅かった。

 大男はそのまま身体を回転させて一歩前へ出ると、大剣を横一文字に振るった。瞬間、二人の魔法衛士隊の身体の上半身が前方線を描いて飛んで行った。

 半分になった身体の下半身からまるで噴水の様な血柱が上がり、力無く後ろへと倒れるのを見送ると、そのまま馬車へと歩み寄る大男。

 御者は悲鳴を上げながら御者台から飛び降りると、来た道を駆けて逃げ出した。

 逃げ出した御者を無視して大男、オーガは馬車へと近付くと、リッシュモンの向かいに当たる座席の壁目掛けて大剣を突き刺した。

 リッシュモンの目の前で外の様子に杖を抜いて待機していた魔法衛士隊が突然壁を突き破り飛び出して来た大剣の刃に顔を横から貫かれ、白眼を剥いてだらんと身体から力が抜けた。

 大剣が引き抜かれ顔の左右から血を吹き出しながら倒れた魔法衛士隊にリッシュモンが小さな悲鳴を上げる。

 乱暴に馬車の扉が開かれ、オーガに胸元を掴まれ外に投げ出されたリッシュモンは地面にゴロゴロとその丸い身体を転がした。

 

「き、貴様! 私が誰だか分かっているのか!?」

 

 怒声を上げながら立ち上がったリッシュモンがオーガの姿を確認すると、威勢の良い態度は一変してその場に腰を抜かしてしまう。

 

「ひ、ひいいっ!? い、命だけは……!」

 

 情けない声を上げながら懸命に後退りするリッシュモンを見て、オーガは小さな溜め息を漏らした後、両手でしっかりと大剣の柄を握って上段へと構える。

 

「人間はいつか死ぬ。それが早まっただけだ」

 

 オーガはそう呟くと、命乞いをするリッシュモンを容赦無く斬り捨てた。

 真っ二つになったリッシュモンだった死体を尻目に馬車に繋がれた馬の綱を切り離し、魔法衛士隊二人が乗っていた馬共々尻を叩いて逃してからオーガは天を仰いだ。

 

「ブリミル……これが、お前が守りたかった世界なのか……?」

 

 オーガは小さく漏らすと、茂みの中から服の所々を血に染めたレイヴンとウロボロスが現れた。

 

「……そっちも終わったか」

 

 言いながら大剣を肩に再び掛け、地面に突き刺した棒を引き抜くオーガにレイヴンが頷いて見せた。

 

「使用人、メイド、小生……一人残らず、始末した」

 

 まだ血に濡れたままの鉤爪を掲げながら笑みを含んだ声色で言うウロボロスに対してオーガは興味無さそうに背を向ける。

 オーガの態度が気に入らなかったらしいウロボロスが歩み寄ろうとするも、それをレイヴンが手で制した。納得が行かなそうに舌打ちをするも、ウロボロスは素直にレイヴンに従い足を止める。

 レイヴンが二つに分かれたリッシュモンの死体を軽く足蹴にすると、顎をしゃくって闇夜の中へと歩み始める。

 オーガとウロボロスは互いを顔を合わす事も無くレイヴンに付いて歩いて行った。

 

 

 夏の頃とは違い、優しい木漏れ日が降り注ぐ街道の脇に生える木々を、桐生は馬車の中から眺めていた。馬車を運転している御者はゴーレムらしく、ガラスの様な眼を光らせながら馬の手綱を器用に操っている。

 トリステイン魔法学園の夏休みは終わりを告げ、「魅惑の妖精」亭から学園に戻った桐生達を待っていたのは、アルビオンとの戦争が本格的になるという知らせだった。

 多くの生徒達は従軍する事となり、ルイズもまた従軍の許可を貰う為に帰省する事となった。正直に言えばルイズの戦争参加は反対だが、アンリエッタの前で見せた覚悟から桐生も腹を決める事にした。

 初めて会う事になるルイズの両親。自分を見てどう思うだろうと考えていた桐生の思考は、下から聞こえた小さな呻きによって中断された。

 顔を下へ向けると、シエスタが桐生の膝に頭を乗せて薄っすらと瞳を開いていた。普段のメイド服ではなく、草色のワンピースに編み上げのブーツの余所行きの格好をしている。

 使用人という名目で付いてきたシエスタは桐生と同じ馬車に乗り、その揺れと時々吹いてくる秋の匂いを含んだ風の心地良さから眠ってしまったのだった。

 最初は肩に(もた)れ掛かって来たシエスタだったが、ゆっくりとズレてきた為桐生が自分の膝に頭を乗せさせたのである。

 

「……あ、カズマさん。ごめんなさい……私、寝ちゃったんですね……」

 

「気にするな。良く眠れてたみたいだったしな」

 

 申し訳無さそうに漏らすシエスタの頭を優しく撫でると、柔らかな笑みを浮かべながら気持ち良さそうに声を漏らした。

 チラリと後ろを見ると、ルイズと彼女の姉が乗っている、自分達の馬車よりも一回り大きな二頭立ての立派な馬車が走っている。

 目を覚ましたにも関わらず、シエスタは身体を起こそうとせず、そのまま甘える様に瞳を閉じたまま微笑み続けた。

 

「何だか……不思議です。私、カズマさんの膝枕で寝てたのに、母の夢を見ました」

 

「お袋さんの?」

 

「はい。私がまだ小さくて、兄弟もそんなに居なかった頃、いつも弟達を甘やかしていた母が唯一私だけにしてくれてたのが膝枕だったんです。その膝枕は柔らかくて、それからお日様の匂いがして……子供ながらに、ああ、私も愛されてるんだって感じた瞬間でした」

 

 兄弟が多ければ多いほど、上の兄弟は我慢や努力を強いられるものだ。それはシエスタも例外ではない様である。

 自分と錦山は、甘えたい盛りには自分より年下の孤児ばかりが周りに居て、不器用ながらに保母さんや風間慎太郎に迷惑を掛けないよう、甘える事を我慢しながら成長してきた。

 時折街で見る、玩具やお菓子を強請(ねだ)り、駄々をこねる子供を見かけると思わずその素直さを羨ましく思う事が今でもある。

 

「私、今まで頑張って来ました。家族の為に、自分の為に……だから、お願いです。今は……カズマさんに甘えさせて下さい」

 

 そう言ってシエスタは身体を丸め、意地でも退こうとはしない意思を示した。

 そんなシエスタを見ていると、不意に遥の事が脳裏を過ぎった。普段は「アサガオ」の皆の先頭に立って行動するが、いざ自分と二人きりになると見せた子供らしく甘える姿。普段大人びていても、どうしても愛情を求め、その優しい温もりを独り占めしたくなる時もあるだろう。

 桐生は肯定の意を示す様に、再びシエスタの頭を優しく撫でた。

 嬉しそうに漏れたシエスタの吐息は、やがてゆっくりと静かな寝息へと変わっていった。

 

 

 ルイズは何度も目の前の馬車を注意深く見てはハラハラしていた。

 自分から桐生を奪うと宣言したシエスタが、今正に桐生と二人きり。しかも先程からシエスタが上手く見えず、中で何が起こっているのかサッパリ分からない。

 そんな風に目の前の馬車にばかり集中していたルイズの左頬に、突然鋭い痛みが走った。

 

「ひゃんっ!」

 

 情けない悲鳴を挙げると、目の前の人物がルイズの左頬を容赦なく摘み、そのままぐにぃ〜っと引っ張り始めた。

 

「ひはっ! ひはいっ! ひはいへふ〜!」

 

 あの強気のルイズがされるがままになっているのを、桐生が見たら驚く事だろう。

 ルイズの頬を引っ張っているのは二十代半ばほどの、長いブロンド髪の女性だ。顔立ちはルイズに似ているが、何処かキツめの印象を与える美女だった。

 

「この私が話していると言うのに、何処を見ているのかしら? 答えてみなさい、ちびルイズ?」

 

「ひはいっ! ふ、ふみまへぇ〜ん! あねはま〜!」

 

 両目に涙を溜めながら許しを乞うルイズに、ラ・ヴァリエール家の長女であるエレオノールはふんっ、と鼻を鳴らしてからルイズの頬を解放した。

 ルイズより十一年上のエレオノールは男勝りの気性と、王立魔法研究所「アカデミー」の優秀な研究員として知られていた。

 ルイズは少し赤くなった左頬をさすりながらしっかりとエレオノールの顔を向けると、エレオノールは小さく溜め息を漏らした。

 

「全く……一々従者の馬車なんて気にするんじゃないわよ。人の話はちゃんと聞きなさい。学園に行って少しは変わったかと思ったら、相変わらず落ち着きのない子ね」

 

「ご、ごめんなさい、姉様」

 

 ルイズはしょぼんとしながら頷いた。

 

「で、でも、何も学園のメイドを連れて来なくても良かったんじゃ……」

 

「はぁ……。全く分かってないわね。いい事、おちび? ラ・ヴァリエール家はトリステインの名門中の名門。これはわかるわよね?」

 

「勿論です、姉様」

 

「となれば従者があんたの使い魔一人じゃ格好がつかないでしょう? 貴婦人というものは、常に身の回りの世話をする侍女が一人は居るものなのよ。それにあの娘は自分から志願したじゃない」

 

 トリスタニアの「アカデミー」に勤めているエレオノールがルイズを連れて帰郷する為に魔法学園にやって来たのは今朝の事である。

 たまたま通りかかったシエスタがエレオノールとルイズの話を聞き、桐生だけでなくもう一人従者は居ないのかと問われた瞬間に自分が行きますと名乗り出たのだ。女の勘で、付いて行けば桐生と一緒に過ごせると思ったのである。

 これをエレオノールがあっさりと認めただけでも面白くないのに、更にルイズをやきもきさせたのは桐生とシエスタが同じ馬車を使うこととなった事である。

 エレオノール曰く、従者と一緒の馬車に貴族が乗る訳がないとの事だがそんな事はルイズにとっては知った事では無い。

 しかし文句を言おうとした瞬間、エレオノールの鋭い眼光にルイズは蛇に睨まれた蛙宜しく何も言えなくなってしまったのだった。

 それだけでも穏やかではないが、ルイズの内心はそれとは別の事でも穏やかではなかった。今回の帰省が、一筋縄では行かないからである。

 アルビオンへの侵攻作戦が発表されたのは夏休みが終わって二ヶ月が過ぎた頃、先月のケンの月の事である。

 今度は此方から仕掛けるのを決めた王軍は、何十年か振りの遠征軍が編成される事となり、自国の士官不足を痛感する事となる。その為、貴族の学生も士官登録する事となった。一部の教師やオスマンが反対したが、アンリエッタを筆頭に王族がこれを抑え込んだ。

 アンリエッタ直属の女官であるルイズは、特別な任務を与えられたのだが、「祖国の為に王軍の一員となってアルビオン侵攻に参加します」という便りを実家に送ったら大騒ぎとなってしまった。

 従軍はまかりならぬという手紙が返ってきたが、ルイズはこれを無視。結果、エレオノールが魔法学園にやって来たという訳だ。

 ルイズは実家の反応に機嫌を損ねていた。今回は桐生の飛行機を使い、進軍する予定となっている。アンリエッタや枢機卿が自分をトリステインの切り札と思ってくれているのだ。

 なのに何故従軍はまかりならぬなのか。戦が好きという訳ではないが、国の為に戦う事はラ・ヴァリエール家にとって誇るべき事ではないのか。

 

「全く、勝手な事をして! 貴女が戦争に行って何が出来ると言うの!? しっかりとお母様とお父様に叱って貰いますからね!」

 

「で、でも、姉様……」

 

 口答えを使用するルイズに対し、今度は両頬を掴んで思いっ切り引っ張るエレオノール。

 

「最近研究のし過ぎで耳が悪くなったのかしら? でも、と聞こえた気がしたわ。違うわよね、おちび? はい、と言ったのよねぇ?」

 

 相変わらずルイズを子供扱いしているエレオノールは邪悪な笑みを浮かべながらむにぃ〜っと両頬を引っ張り続ける。

 

「ひ、ひだっ! あ、あでざば、ほっぺひだっ!」

 

 姉の剣幕に何時もの調子が出せず、ただただ悲痛の声を漏らしながらルイズはされるがままになっていた。

 

 

 アルビオンの首都ロンディニウムの南側に建てられているハヴィランド宮殿。そこの白の間は正しく「白の国」と呼ばれるのに相応しいほど白一色に塗りつぶされていた。十六本もの円柱がホールを囲み、傷一つない壁は光の加減次第で鏡の様に顔が映るほどだった。

 そんな白の間では今、神聖アルビオン共和国の閣僚や将軍、そして新たなる皇帝となったクロムウェルが中心の一枚岩で出来た円卓を囲んで会議を行っていた。クロムウェルの背後には秘書であるシェフィールドと傷の癒えたワルド、そしてフーケが佇んでいた。

 会議の内容はタルブの村での敗戦についてと、今後攻めてくるトリステインとゲルマニアの連合軍に対しての対応である。

 理由は定かではないが、「奇跡」と呼ばれる光の玉と竜もどきによって竜騎士と戦艦「レキシントン」号を失ったアルビオンは大きな戦力削減を余儀なくされた。

 更に隠密裏に行った女王誘拐作戦も失敗に終わり、ウェールズという兵を失ったのは大きな痛手となっている。

 様々な意見や怒号、憶測が飛び交う中、ホーキンス将軍が静かに皆の声を聞いているクロムウェルに顔を向けた。白髪と白い髭が眩い歴戦の将軍がキツイ目で見つめる中、クロムウェルは微笑みながら意見を言う様に頷いて見せた。

 

「閣下、質問させて頂きます。彼等は間違いなくこの大陸に攻め入って来る筈です。閣下の有効な防衛作戦をお聞かせ願いたい。連合軍の艦隊は約六十隻。我々とほぼ同じ数です。艦隊戦で負けたら、我等は丸裸同然。敵軍が我が大陸に足を入れれば泥沼になるのは必然。革命戦争で兵は未だ疲弊しています。その軍で敵軍を止めるなどとても……」

 

 ホーキンスの発言から、他の将軍や閣僚が口を閉じて一斉にクロムウェルへと視線を向けて発言を待った。

 クロムウェルは自分の周りにいる将軍と閣僚を見回してからにっこりと笑って口を開いた。

 

「彼等がこのアルビオンに攻め入る為には、全軍を動員する必要がある」

 

「左様です。しかし、彼等には国に兵を残す理由がありませぬ。何故ならば、彼等には我が国以外敵が居ないからです」

 

「ふむ。ならば彼等は背中を疎かにすると?」

 

「既にガリアからは中立声明が発表されています。それを見越した進軍となれば、当然全勢力で向かって来る筈です」

 

 クロムウェルは後ろに振り返るとシェフィールドと何かをボソボソと話した。その声は余りにも小さく、ワルドやフーケでも聞き取れないほどであった。

 少し話してからシェフィールドが頷くと、クロムウェルは再び将軍と閣僚に顔を向けた。

 

「その中立声明が、偽りだとしたら?」

 

 クロムウェルの発言から一瞬の間の後、白の間に(ざわ)めきが走った。

 

「それは、(まこと)ですか? ガリアが我々に味方すると?」

 

「そこまでは言っていない。事は高度な外交機密なのだ」

 

 ホーキンスの言葉にクロムウェルは口髭を弄りながら答えた後、手を叩いて会議の終了を知らせた。

 

「諸君等は案ずる事なく軍務に励んでくれたまえ。攻めようが守ろうが、我等の勝利は動かない」

 

 将軍と閣僚達は先程までの暗い表情とは打って変わり、希望を含んだ表情で起立し一礼した。そして、それぞれの持ち場や己が指揮する軍や隊の元へと散って行った。

 

 

 会議を終えたクロムウェルはシェフィールド達を引き連れて執務室へと戻り、かつて王が座っていた椅子に腰掛けると部下達を見回した。

 

「子爵、傷はもう癒えたかね?」

 

「万全で御座います、閣下。休息を与えて下さった事、感謝の言葉も御座いません」

 

「ふむ、それは良かった。しかし、感謝を述べるならば余ではなく、君を懸命に看病した「土くれ」殿にするべきだと思うぞ?」

 

 クロムウェルの言葉にワルドがフーケへと顔を向けると、勝ち誇った様な表情を浮かべる彼女を忌々しげに見てから顔を背けた。

 

「さて、君はどう読むね、子爵?」

 

 クロムウェルがワルドに問い掛ける。

 

「あの将軍の見立て通り、トリステインとゲルマニアは此方に攻めに来ると思われます」

 

「ふむ、やはりそうか。して、我が軍に勝ち目は?」

 

「五分五分……いや、若干ながら我々の方が有利でしょうな。兵数でこそ劣りますが、地の利と――」

 

「閣下の「虚無」もありますわね」

 

 ワルドの言葉をフーケが引き継ぐ形で発言する。

 するとクロムウェルは頬を掻きながら目を背け、小さな咳払いをして見せた。

 そんなクロムウェルにフーケが首を傾げて見せた。

 

「如何なさいましたの?」

 

「いや……。諸君等も知っての通り、強力な魔法というのは何度も使える訳ではないのだ。故に、余の力をあまり当てにして欲しくないのが本音なのだよ」

 

 クロムウェルの話し振りから察するに、彼が蘇らせられる死体の数には限度があるらしい。

 

「閣下の力を当てにばかりするつもりはありません。ただ、切り札の有無は士気に関わります」

 

「うむ。あくまでも切り札はガリアだ」

 

 当初の予定では、ガリアはアルビオン軍の侵攻に呼応して、トリステイン、そしてゲルマニアを攻める予定だった。しかし、タルブでのアルビオン敗戦に計画変更が余儀無くされ、ガリアから出された新たな作戦は、アルビオン大陸にトリステイン、ゲルマニアの連合軍を引き寄せ、その隙に両国の本土を突くというものだった。

 

「……閣下。一つ、気になる事があるのですが」

 

「申してみよ、子爵」

 

「我々はハルケギニアの王政に反旗を翻した訳ですが、そんな我々にガリアの王政府が味方するのは、彼等にとってどんな得があるのでしょうか? それとも、彼等には我々に味方するのに値する理由があるのですか?」

 

 ワルドの質問に対して、クロムウェルは鋭い目付きをして見せた。

 

「子爵、それは君が考える事ではない。君は与えられた任務に邁進(まいしん)してくれればいい」

 

「……御意」

 

 クロムウェルの言葉に失言だったと思ったワルドは頭を下げた。

 

「君に頼みたい仕事があるんだが……やってくれるかね、子爵」

 

「はっ。何なりと」

 

「ありがとう。入りたまえ、メンヌヴィル君」

 

 クロムウェルが呼ぶと、執務室の扉が開いて一人の男が入って来た。

 白髪と皺から歳は四十代と見られるが、鍛え抜かれた身体が年齢を感じさせない。まるで剣士の様なラフな出で立ちではあるが、手には杖を持っている為メイジの様だ。

 ワルドとフーケが最も目を引いたのは、その顔だった。額の真ん中から左眼を包んで頰にかけて火傷の痕がある。

 

「メンヌヴィル君、ワルド子爵だ」

 

 メンヌヴィルと呼ばれた男は表情一つ変えずワルドを見つめた。

 メンヌヴィル。その名前を聞いてワルドは目を光らせた。

 「白炎」の二つ名を持つ、伝説のメイジの傭兵。卑怯な決闘を行い家名を奪われたとか、初めて焼いたのは両親だとか、彼が今まで焼いた人間の数は、彼が食べて来たパンよりも多いだとか、様々な噂が飛び交っている。

 そんな噂の中でも、一つだけ確かな事がある。戦場では、女子供だろうが容赦無く焼き払い、消し炭にするという事だ。

 

「子爵、君も名前くらいは聞いた事があるだろう? 彼が「白炎」のメンヌヴィル君だ。どうかね? 伝説の前に立った気分は?」

 

「此処が戦場でない事に、喜びを隠せません」

 

 ワルドは正直な意見を述べた。「トライデント」とはまた違った威圧感をメンヌヴィルから感じ、杖を抜き合えば無事で済まない事は容易に想像出来た。

 

「さて、子爵。君には彼が率いる小部隊を隠密裏に運んで欲しいのだ。勘違いしないで欲しいのだが、これは余が最も信頼出来る「風」のエキスパートでなければ頼めない仕事だ。つまり、君こそが適任という事だ。分かってくれるかね、子爵?」

 

「勿論です、閣下」

 

 自分のプライドを気遣ってくれたクロムウェルの発言に、ワルドは運び屋をやらされる事の嫌気を飲み込む事が出来た。

 

「ガリア軍が全てを占領したとなっては、我々は何も発言出来なくなってしまう。余はせめて「あの場所」だけは押さえておきたいのだ。そうすれば彼等に恩を着せられるだろう」

 

 クロムウェルは焦りを含んだ声で言いながら腕を組んだ。

 

「閣下、「あの場所」とは?」

 

「貴族にとって……いや、親にとって何よりもかけがえのない存在とは何だと思うかね、子爵? 例え、そう……自分の国を裏切ってでも守りたい存在は?」

 

 その言葉の意味がわかった瞬間、ワルドの口元に薄い笑みが浮かんだ。

 クロムウェルは大振りに腕を振るいながら立ち上がった。

 

「魔法学園だ! 彼処には貴族の子供達が大勢いる! 子供達を人質に取れば、トリステインの貴族達との取引に使える! 子爵、君はメンヌヴィル君が率いる一小隊を闇夜に紛れて、魔法学園に運んでくれたまえ」

 

「御意」

 

「出発の時間は後ほど伝える。余はメンヌヴィル君と話す事があるから、君達は待機していたまえ」

 

 クロムウェルから退室の意を表されると、ワルドとフーケは頭を下げて執務室から出て行った。

 自室に向かうワルドの後ろをフーケが付いて行き、ワルドが部屋に入って扉を閉めようとすると、フーケが脚で扉が閉まるのを阻止した。

 

「……おい、何の真似だ?」

 

 訝しげな顔で問い掛けるワルドを無視して無理矢理部屋に入り込むと、突然フーケがワルドの胸を叩いた。

 突然の衝撃に呻き声を漏らしながら叩かれた胸を押さえるワルドに対して、フーケが溜め息を漏らした。

 

「普段のあんたならこんなに痛みを感じる事なんかないでしょうに。全く、無理して。ほら、包帯を変えるから服を脱ぎなよ」

 

 机の上にあった救急箱を取るなりワルドを押してベッドに無理矢理座らせると、ワルドの制止の声も聞かずに服を脱がしていくフーケ。

 だいぶ良くはなったものの、まだ至る所に塞がり切っていない傷が見られるワルドの身体は包帯とガーゼが未だ取れていなかった。

 フーケは慣れた手つきでワルドの包帯とガーゼを取って行くと、救急箱に入っていた軟膏を傷に塗り、新しいガーゼを貼っていく。傷をしっかりガーゼで塞いでから包帯を器用に巻いていくフーケに、ワルドはバツが悪そうに顔を背けた。

 

「はい、これでよし。終わったよ」

 

 包帯を巻き終えたフーケがワルドの身体を叩くと、ワルドの口から小さな呻きが漏れた。

 

「……もう少し気を遣え。そんなんじゃ嫁に行けんぞ」

 

「はっ! あんたに心配されなくても大丈夫だっての!」

 

 フーケはムスッとしながら言うと救急箱に包帯や軟膏をしまっていく。ワルドはそんなフーケを尻目に服を着直した。

 

「それじゃあ私は行くけど、あんまり無理するんじゃないよ」

 

「分かってる。要らん世話だ」

 

 ワルドがベッドに腰掛けたまま手を振って見せると、フーケが出て行こうと扉を開いた。

 が、フーケは少しの間その場に立ち止まってからワルドへと振り返って歩み寄る。

 目の前まで来たフーケに顔を上げるワルド。フーケはそんなワルドの顎を掴むと、そのまま唇を重ねた。

 突然の事に驚きながらも、拒絶する事なくフーケを受け入れるワルド。

 

「……本当に、無理するんじゃないよ」

 

 唇を離したフーケが心配そうに言うと、ゆっくりした足取りで部屋から出て行った。

 フーケの柔らかな感触が残る自分の唇を指先で撫でた後、ワルドは首から下げたペンダントを握り締めて俯いた。


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