ゼロの龍   作:九頭龍

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チップレース


第35話

 店の仕込みが終わっていよいよ開店間際、いつものミーティングでスカロンがパンパンと手を鳴らした。

 

「さぁ、いよいよこの時が来たわよ! 準備は宜しくて!? 妖精さん達!」

 

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 

「今日から張り切りチップレース、開幕よ!」

 

 天井に向かって手を上げてポージングしながら宣言するスカロンに、従業員一同から歓声と拍手が鳴り響く。

 

「さて、皆さんも知っての通り……まだこの店が「鰻の寝床」亭なんて色気も何もへったくれもない名前だった頃、トリステイン魅了王子と言われたアンリ三世陛下がお忍びでこのお店にいらっしゃったわ。そこで出会った給仕の娘に、なんと陛下は恋を! 恋をしてしまったのよ!」

 

 激しい動きを交えながら語るスカロンの姿はどこかキュルケと被って見えた桐生は一瞬、スカロンの顔でキュルケの身体と言うとんでもない妄想が頭に浮かんで、咳払いでその悪魔を頭の外へと追いやった。

 

「だけど王族と町娘。決して結ばれてはいけない恋の苦しさから、陛下は一枚のビスチェを娘に送り、その恋を諦めたの。私のご先祖様はその恋に激しく感じ入り、遂にはそのビスチェに因んで今のお店の名前になったのよ。そしてこれこそが、陛下が娘に送った「魅惑のビスチェ」!」

 

 スカロンは突然服とズボンを脱ぎ捨てると、その逞しい身体にフィットする様に着込まれた丈の短い色っぽい、黒染めのビスチェが露わになった。

 スカロンの姿に思わず吹き出した桐生は何とか誤魔化そうと大きく咳込んで口元を抑えた。

 

「今から遡る事四百年前、陛下が恋した娘に送られたこの「魅惑のビスチェ」は我が家の家宝となったわ! そしてこのビスチェには着る者の身体にピッタリと合う様に伸縮する魔法と、「魅了」の魔法がかけられているのよ!」

 

「素敵なお話ね! ミ・マドモワゼル!」

 

「んんんんんっ! トレビア〜〜〜〜ン!」

 

 感極まった様にポージングして見せるスカロンに、桐生は悪くないと思ってしまっている自分に驚いた。

 あんなにも気持ち悪い姿をしているが、どうやらこれが「魅了」の魔法の効果らしい。徐々にスカロンの姿にこれはこれでアリなのでは? と思えてくる自分がいるのだ。

 クネクネと身体を動かして色っぽい仕草をして見せるスカロンの演説はまだ続く。

 

「今日から始まるチップレースに優勝した妖精さんには、この「魅惑のビスチェ」を一日着用する権利が与えられるわ! もうこれ着た日にゃあチップなんて湯水の様に貰えるの間違いなし! そんな訳だから、みんな頑張ってね!」

 

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 

「宜しい! では、グラスを持って!」

 

 スカロンの号令に事前に配られていた、赤ワインの注がれたグラスを掲げる従業員一同。

 

「それじゃあチップレースの成功とぉ、商売繁盛とぉ、」

 

 そこでこほんと咳払いしたスカロンは身体を直立させて真顔に戻り、何時もの女言葉ではなく地声で言った。

 

「女王陛下の健康を祈って、乾杯」

 

 スカロンに続く様に乾杯と言ってからみんなワインを呷ってグラスを空けた。

 

「さぁ、今日も張り切って営業開始よ!」

 

 パンパンと再び手を鳴らしたスカロンの言葉にそれぞれが持ち場へと向かって歩き出した。

 

「あ、あの……スカロン店長!」

 

 そんな中、一人動かず空いたグラスを持ったままのルイズがスカロンに声を掛ける。

 

「どうしたの、ルイズちゃん?」

 

 スカロンは首を傾げながらルイズに近付くと、優しい微笑みを浮かべながら身体を屈めて視線を合わせながら問い掛ける。

 ルイズは指をもじもじ動かしながらえっと、あの、と繰り返してから顔を赤らめ俯きながら口を開いた。

 

「昨日は、勝手にお店から出て行ってしまってごめんなさい。今日からまた頑張りますから……宜しく、お願いします……」

 

 慣れない謝罪に顔を赤らめながら必死に言葉を紡ぐルイズ。

 昨日寝る前に、桐生から悪い事をしたのだから先ずはキチンと謝る様にと言われて実践したのだ。この場に立つまでに、何度も貴族のプライドが邪魔したが、ルイズはそれを必死に押し込めた。

 ジェシカに勝つと決めたのだ。謝罪の一つも出来ずに、勝負に勝つなんて出来る筈がない。

 スカロンは優しくルイズの頭を撫でながら笑顔で頷いた。

 

「大丈夫よ、ルイズちゃん。でも昨日言った通り、私はお店の子は誰もを平等に扱わせて貰ってるの。ルイズちゃんだけを応援する訳にはいかないわ。だから、これは内緒よ」

 

「へ? きゃっ!?」

 

 スカロンの最後の小声に思わず顔を上げたルイズは次に驚きの声を上げた。突然スカロンがルイズを抱き締めて頭を撫でたのだ。

 

「頑張れよ、ルイズちゃん」

 

 周りに聞こえない様に小声で耳元で囁いたスカロンの声は地声だった。スカロンはそっとルイズを離し、何時もの笑顔で自分の持ち場へと戻っていく。

 その言葉から、声から、ルイズの身体は温かい何かを感じた。

 ルイズは拳を握り締め、絶対にジェシカに勝とうと改めて思った。自分を応援してくれてるのは桐生だけじゃない。その想いに、貴族も平民も無かった。

 

 

 ルイズは慣れない酌とお世辞に四苦八苦しながら接客をしていた。

 そこでルイズは改めて、色んな人間がいるのを思い知った。

 ただ女の子と喋りたい客、女の子はともかく酒を飲みたい客、女の子とスキンシップを取りたがる客、褒められたい客、中には馬鹿にして欲しいなんて特殊な客もいた。

 客の相手をしながら、時折聞こえて来るアンリエッタや国への不満を、ルイズは小さくメモを取っていた。

 

「タルブの村での勝利は偶然だ。この国はもうお終いさ」

 

 と言う意見もあれば、

 

「あの戦いを機に一気に攻め込みゃあ良いんだ! 勝利は我が国の物だ!」

 

 と言う意見もある。また、アンリエッタに対しては、

 

「あのお姫様が勝利を導いてくれる筈だ!」

 

 と言う声もあれば、

 

「戦のいの字も知らない小娘に何が出来るってんだ」

 

 と言う声も上がっていた。

 ルイズは聞いた事を事細かく書いては、寝る前に伝承鳩にメモを括り付けてアンリエッタの元へと飛ばした。

 そんなこんなをしていて三日目を迎えたチップレース。

 ルイズは未だチップを一枚も貰っていなかった。

 誰も彼もが新人のルイズに声を掛けはするが、身長や胸の小ささからやその慣れない引きつった笑顔に愛想が尽きて他の女の子を指名してしまうのだ。

 それでもルイズは必死に耐えた。慣れないお世辞等を口にして少しでもチップを貰える様に努力し続けた。

 

「おい、そこのチビ。ちょっとこっち来い」

 

 酔っ払った男がワインを運ぶルイズに声を掛けた。

 ルイズはチビと言う言葉に少しムッとしながらも必死に笑顔を作って近付いた。

 歳は四十位だろうか。薄汚れた草色のシャツと茶色いズボンで短いブロンドの髪に同じ色の髭が伸び放題に蓄えられている。

 

「はい、何でしょう?」

 

「……近くで見るとお前、随分小さいな。身長も胸も」

 

 胸も。その言葉にルイズの中でビシリと何かにヒビが入る音が鳴り響いた。

 この男、一生口を聞けなくしてやろうか。

 黒ずんだ殺意を押さえ付け、青筋を立て引き攣った笑顔を浮かべながらワインを男の空いたグラスに注いだ。

 

「メシはちゃんと食ってんのか?」

 

「え、ええ。一応……」

 

「……お前、歳幾つだ?」

 

「こ、今年で十六になりました」

 

「十六か……」

 

 男はマジマジとルイズを見つめながら呟いた。

 その視線に苛立ちを覚えかけたルイズは不意に気付いた。自分を見る男の目。その目には、深い悲しみが込められていた。

 

「……おい、チビ。これでちったぁ何か食え。そんで身長も胸もデカくなれ」

 

 男はポケットからジャラジャラと五枚程の金貨を机に置くと、ルイズに差し出した。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 嬉しそうに金貨を受け取るルイズに男は目を細め、少しだけ口元を緩めた。

 

「……俺の娘も十六だった。その金でもっと、飯を食わせてやりたかったんだけどな……」

 

「十六、だった?」

 

 男の歯切れの悪い言葉に、ルイズは首を傾げながら問い掛けた。

 男は少し俯いて暫く黙った後、ゆっくりと口を開いた。

 

「お前も知ってんだろ? ちょっと前にあったタルブの村での戦を。俺の妻と、娘は……あの戦いで死んだ」

 

 ルイズは思わず言葉を詰まらせて男を見つめた。

 

「竜騎士のドラゴンの炎で焼かれちまったらしくてな。出稼ぎに出て、帰って出迎えてくれたのはあいつ等の墓だった」

 

 男はそう言うとルイズが注いだワインを一気に飲み干し、勘定の料金を机に置いて立ち上がった。

 

「酔っ払いのつまんねぇ話を聞かせて悪かったな。チビ、お前はたらふく食って、背も胸もデカくなって、もっと良い女になれよ」

 

 少し申し訳なさそうに苦笑して見せた男を見送りながら、ルイズは貰った金貨をギュッと握り締めた。

 いつも小遣いや買い物の際に握っていた金貨だったが、今日チップとして貰った金貨は酷く重く感じた。

 

 

 チップレース最終日。

 仕事の前のミーティングで、スカロンはいつも以上にテンションを上げて口を開いた。

 

「さぁ、今日がチップレース最後の日よ! まだまだ逆転も有り得るからみんな頑張ってちょうだい! では現在のトップスリーの発表よ! 第三位、マレーヌちゃん! 第二位、ジャンヌちゃん! そして一位は……不肖、私の娘、ジェシカ!」

 

 周りから歓声と拍手が鳴り響く中、この日の為に用意したのか何時もとは違うスリットの深いセクシーな衣装に身を包んだジェシカが優雅に一礼して見せる。

 そんなジェシカをルイズは悔しそうに歯噛みしながら見た後、掌で輝く五枚の金貨を見つめた。

 結局、ルイズはこの日まで家族を失った男から貰った金貨以外一枚も獲得出来ていない。

 

「さぁ、今日も張り切って行くわよ! 今日は月末のダエグの曜日! お客様も何時も以上に多くいらっしゃるから、みんな頑張ってね!」

 

 パンパンとスカロンが手を叩いたのを合図に、みんな持ち場へと向かって駆け出す。

 

「どう、ルイズ? まだまだ私に勝つ気はある?」

 

 余裕たっぷりな様子で話し掛けて来たジェシカにルイズは言葉を詰まらせる。確か、ジェシカは今日までに百六十エキュー以上稼いでいると言っていた。ここから逆転するのは不可能に近い。

 

「ま、せいぜい頑張ってちょうだい。あんたみたいな餓鬼じゃ、それ以上稼ぐなんて無理でしょうけど」

 

「まだ勝負はついてないわ! 見てなさい! あんたをぎゃふんと言わせてやるわよ!」

 

「はいはい。そう言うのは私より稼いでから言いましょうね、お嬢さん」

 

 カラカラと小馬鹿にした笑い声を上げながら去っていくジェシカを、ルイズは鋭く睨み付けてから自分も持ち場へと向かった。

 その日も客の入りは良く満席となっていた店内に、一人の男と四人の取り巻きらしい男達が入ってきた。

 一人はでっぷりと肥え太った中年だ。リーダー格らしいその男は薄くなっている髪を気にする様に頭を何度も触っている。少しよれているが貴族の証であるマントが小さくなびいている。周りの男達は緑色の軍服の様な服装だ。どうやら下級の貴族らしく、腰にはレイピアの様な杖を差している。

 その男達の一団が店に入るなり、店の中で先程までの活気は一瞬にして消え去った。

 スカロンはすぐ様その男に近付くなり揉み手をしながら愛想笑いを浮かべた。

 

「これはこれはチュレンヌ様。ようこそ我が「魅惑の妖精」亭へ」

 

 チュレンヌと呼ばれたその太った男は鯰の様な髭を指先で弄びながら周りを見回した。

 

「中々の繁盛振りじゃないか、スカロン。これは税金を多少上げても大丈夫そうだな」

 

 厭らしい笑みを浮かべて言うチュレンヌにスカロンは大きく首を振りながら困った表情を浮かべた。

 

「とんでもございません。本日は偶々客の入りが良かっただけですよ。毎日毎日、閑古鳥が鳴いていつ首を吊る羽目になるか怯える毎日です」

 

「ふんっ。まぁ、良い。今日は客として来たのだ。その様な仕事の話は抜きにしようじゃないか」

 

「しかし、チュレンヌ様。生憎今は満席でして」

 

「ほう?」

 

 チュレンヌは店内を見回してからパチンと指を鳴らす。すると取り巻きの男達がレイピアの様な杖を引き抜いて銀色の鈍い輝きを店内に散らばせた。

 すると、今まで座っていた客が代金も払わずにそそくさと店の外へと出て行ってしまった。

 

「どうやら閑古鳥が鳴いていると言うのは本当らしいな」

 

 意地悪い笑い声を出しながら我が物顔でドカッと椅子に腰掛けるチュレンヌ。

 そんなチュレンヌの態度に、桐生は持っていた皿を思わず割ってしまう程強く握り締めた。

 

「何だ、あの野郎は?」

 

 するといつの間にか桐生の横にやって来ていたジェシカが、忌々しそうにチュレンヌを見ながら吐き棄てる様に言った。

 

「ここら一帯のお店を任されてる徴税官のチュレンヌよ。貴族だからって威張り散らして偶に店に来ては私達にたかるの。銅貨一枚すら払った事ないわ。でも言う事を聞かないと、とんでもない税金をかけられるの」

 

 弱い者にたかり私腹を肥やす。桐生が最も嫌うタイプである。

 

「おい、誰か酌をせぬか。せっかく来てやったのだぞ。少しは愉しませぬか」

 

「誰が酌なんてするもんですか。触るだけ触って、一銭も払わない癖に」

 

 心底嫌そうに言うジェシカを他所に、一人の少女がチュレンヌに近付いた。

 ルイズである。このままではチップレースに負けてしまうと思い、少し気持ち悪い男だと思いながらも給仕の仕事をしようとしたのだ。

 

「何だ、貴様は?」

 

「お客様は……素敵ですわね」

 

 少し引きつった笑顔で近付いたルイズをチュレンヌが訝しげに見つめると、話にならないとばかりに手を振った。

 

「貴様の様な餓鬼に用はない。邪魔だ、あっちへ行け」

 

 ビシリ、とルイズの中で大きく何かにヒビが入る音が鳴り響く。

 するとチュレンヌは、ルイズをマジマジと眺めて鼻で笑った。

 

「なんだ、良く見たらただの小さな女か。身長も胸も小さくてわからなかったわ」

 

 ビキキッ! ともう一回、ルイズの中で何かにヒビが入った。その裂け目から激しい怒りが迸るが、ルイズは懸命にそれを抑えつけて引きつった笑顔を浮かべ続けた。

 

「しかし、大きさはないが形は良さそうだ。どれ、このチュレンヌ様が形を確かめてやろう」

 

 チュレンヌの手が、ルイズの胸に向かって伸びていく。

 そのチュレンヌの手首を強い力で掴み、グイッと上げさせた者が居た。桐生だ。

 

「か、カズマ……」

 

 少し不安そうながらも、何処か安心した様に桐生を見上げて呟くルイズ。

 

「ここは店の給仕と酒や会話を楽しまれるお店です。それ以上の事をお望みなら、どうぞそういったお店へ」

 

 言葉こそ丁寧だが、乱暴にルイズから身体を離させる桐生にチュレンヌが顔を赤くしてその太った身を寄せた。

 

「何だ、貴様は!? 貴様の様な男に用はない! 引っ込んでいろ!」

 

「そうはいきません。私も従業員の一人ですので。この店の人間を守る義務がございます。私が気に入らないのであれば、どうぞ他の店へ」

 

「貴様……客に向かってその態度はなんだ!?」

 

「客?」

 

 桐生は一瞬間の抜けた声を漏らしてから溜め息をつくと、チュレンヌの胸倉を掴んで鋭い眼光で睨み付けた。

 

「き、貴様!?」

 

「寝惚けた事抜かしてんじゃねぇぞ。客ってのは店のルールを守り、他の客に迷惑を掛けずに楽しんでいる人間の事だ。今のてめぇに客を名乗る資格はねぇ」

 

 チュレンヌが掴まれているのに取り巻きの貴族達が杖を抜こうと手を掛けた瞬間、

 

「おい……」

 

 低く、目には見えぬもとてつもない殺気の込められた桐生の声にその動きが止まる。

 ゆっくりとチュレンヌから貴族達へと顔を向けた桐生の眼は、それだけで人を殺せそうな鋭さを秘めていた。

 

「俺は今こいつと話している。それを邪魔するってんならお前等にも付き合って貰うが……俺は今、機嫌が悪い。五体満足な身体で帰れると思うなよ。それでも良いなら杖を抜け。そうじゃないならとっとと失せろ」

 

 ゴクリ、と貴族達の誰かが生唾を飲んだ音が聞こえたかと思うと、貴族達は互いの顔を見合わせた後ゾロゾロと店から出て行った。

 

「お、おい! 何処へ行く! この者を捕らえぬか! おい!」

 

 懸命にチュレンヌが叫ぶが貴族達は振り返りもせずに店の外に出ては散って行った。

 

「捕らえるなら、てめぇ(自分)でやったらどうだ?」

 

 桐生は乱暴にチュレンヌを離すとエプロンを外して小馬鹿にした様に言う。

 チュレンヌは顔を真っ赤にしながら腰に差していた杖を引き抜いた。

 

「貴様! もう許さん! 縛り上げて嬲り殺しにしてくれる!」

 

「上等だ。ここじゃあ店の迷惑になる。相手になってやるから表へ出ろ」

 

 桐生は店の掃除に使うデッキブラシを手に取ると、顎で店の外へ出る様にチュレンヌに促してから外へと出る。

 チュレンヌもそれに続き、更に店の人間も不安そうに二人の後を追った。

 「魅惑の妖精」亭での騒ぎは外にも聞こえてた様で、周りの店から呑んでいた客達が外へと集まってちょっとした人集りが出来ていた。

少し距離を空けて対峙する桐生とチュレンヌ。

 

「おい、スカロン。俺の給料からブラシ代を引いといてくれ。代わりにこの意地汚ねぇゴミは、俺が掃除してやる」

 

 桐生はそう言いながらブラシの部分を取り外し、柄だけになった木の棒を構える。

 そんな桐生に、チュレンヌが杖を抜きながら馬鹿にする様に笑い声を上げた。

 

「ふははっ! そんな木の棒っきれで、何が出来ると言うのだ!? 笑わせるな! 薄汚い皿洗い風情が!」

 

「そうだな……少し手の内を見せてやるよ」

 

 チュレンヌの挑発に不敵な笑みを浮かべた桐生は、木の棒を地面に叩き付けた後に身体を捻りながら横薙ぎをして見せた。そのまま流れる様に巧みに棒を自分の手を軸に回転させ風を切る様なぶぉんっという音を鳴らせる。

 そのアクションスターさながらの動きに周りの観客から拍手や歓声が上がった。チュレンヌの顔からも、徐々に余裕が無くなっていく。

 深い深呼吸と共に、右手で棒を持って背中に這わせる様な構えを取った桐生は、チュレンヌを見詰めて左手でちょいちょいと挑発する。

 

「来いよ。ゴミらしく、掃除してやるぜ」

 

「調子に……調子にのるなぁっ! 平民がぁっ!」

 

 杖を構えて呪文を詠唱しようとしたチュレンヌに、桐生は左脚を軸に身体を回転させ鋭い横薙ぎを顔にお見舞いする。

 右頰を穿たれたチュレンヌは後ろへとよろめくが、桐生は更に一歩近付いて棒で腹を突き、そのままカチ上げる様に顎へ先端を叩き付ける。

 身体から青い光を迸らせながら桐生の追い打ちはまだ続く。左からの横薙ぎを再び顔に浴びせた後、そのまま右から脚を払ってチュレンヌの太った身体を無理矢理地面に倒した。そのまま上段へ棒を持ち上げると腹へ目掛けて打ち下ろし容赦なく叩き付けた。

 蓮家操棒術奥義、「蓮家棒術の極み」だ。巧みな棒捌きは例えそれが箒だろうとモップだろうと瞬時に武器へと姿を変える。

 ルイズは以前、桐生が剣術と棒術を嗜んでいると話していたのを思い出したが、それが本当である事を改めて思い知った。

 一方的な桐生の攻撃に呆気に取られていた観客は、一瞬の間の後大きな歓声を上げて桐生を褒め称え始めた。

 桐生は周りの歓声にも目をくれず、鼻血と口から血を流しながらもまだ此方を強く睨み付けてくるチュレンヌが起き上がるのを待った。

 

「この、平民風情がっ……!貴族に楯突きおって……!」

 

 丸々とした身体を支えてゆっくりと、脚を震わせながら起き上がるチュレンヌの姿に歓声も止んだ。

 

「カズマ! そのままやっちゃって!」

 

 ジェシカが叫ぶが桐生は動かない。チュレンヌが完全に立ち上がるまで待つつもりらしい。

 

「もう止めるなら、ここで終わりにしてやっても良いが……まだやるか?」

 

「当たり、前だっ……! 平民に負ける等、認められる訳あるまい!」

 

 手の甲で鼻血を拭ったチュレンヌが憎悪を込めた眼差しで桐生を睨む。

 とうとうチュレンヌが完全に立ち上がると、桐生は溜め息を漏らして首を振った。

 

「やれやれ、ご立派だな。なら、次の一撃で決めてやる」

 

「やれる物ならやってみろ! 貴様はこの場で殺してくれる!」

 

 杖を振るい、先端に火の玉を作り出したチュレンヌに桐生は一瞬笑みを浮かべると、木の棒の端を持ってチュレンヌの脚の間に突き入れる。

 一瞬チュレンヌが桐生の行為に訝しげにしてから杖を振ろうとするも、時既に遅し。

 桐生はそのまま力任せに棒を持ち上げチュレンヌの股間に強く叩き付け、声にならない悲鳴を上げる太った身体をそのまま空へと打ち上げて地面に落下させる。

 我流喧嘩体術、「長棒の極み」。長い棒を相手の股間に差し入れそのまま掬い上げる意外性を秘めた荒技だ。

 観ていた観客の男達も自分の股間を押さえて切なそうに声を漏らす。

 

「いやぁんっ! カズマ君たらぁっ!」

 

 スカロンも思いっ切り股間を押さえながら声を上げた。その姿にギャラリーの男達は思わず股間から口元を手で押さえた。

 桐生は棒を投げ捨てると、ルイズへと視線を向けた。

 ルイズはその視線に桐生の意図を読み取ると、そそくさと屋根裏部屋まで掛けて隠してあったアンリエッタからの許可証を持って来た。

 桐生が股間を押さえながら呻き声を上げるチュレンヌの頭を掴んで無理矢理上げさせると、駆け寄ったルイズが許可証を突き付ける。

 

「そ、それは陛下の許可し、ひぎっ!?」

 

「あんまりでけぇ声で喋るな。さもなきゃこのまま頭を握り潰すぞ」

 

 桐生のドスの利いた声と握力にチュレンヌは何度も頷いてからルイズを見上げた。

 

「見ての通り、私は陛下直属の女官で由緒正しい家系の三女よ。あんたみたいな木っ端の役人風情が、簡単に触れる訳ないでしょ」

 

「も、申し訳ございません! し、失礼を!」

 

「本当にそう思ってるなら、今日の客の支払いは全部あんた持ちよ。それと、ここで見た物、聞いた事は全て忘れなさい。さもないと……」

 

 ルイズがチラッと桐生に視線を向けると、桐生は心得ているかの様にチュレンヌに顔を近付けた。

 

「次は、てめぇの命も無くなるぞ?」

 

「ひ、ひぃっ! わ、わかりましたわかりました! 天地神明に誓い、この事は他言致しません! こ、これでご勘弁を!」

 

チュレンヌは慌てて腰にぶら下げていた財布の袋をルイズに差し出した。中身を覗くと、エキュー金貨が数百枚程入っている。今日の客全員分を支払ってもお釣りが来る金額だ。

 

「良いわ。さぁ、とっとと行きなさい。そして二度とこの店に来ないで。此処には、自分の生活や夢の為に頑張って働いている人間しか居ないの。あんた達みたいな役所の人間を食べさせる為に働いている人間なんて居ないんだから」

 

「は、はいぃっ! 失礼いたしましたぁっ!」

 

 チュレンヌは立ち上がるなり一目散に夜の闇へと消えて行った。

その瞬間、静かだった周りから歓声が沸き上がった。

 店の女の子達は一斉に桐生とルイズに抱き着いて喜びの声を上げる。

 

「ありがとう、ルイズちゃん! あの憎ったらしいチュレンヌの奴に一泡吹かせられたわ!」

 

「ざまあみろって感じよね! あのデブ!」

 

「カズマ! あんた格好良かったわよ!」

 

 ジェシカも混ざって喜びの声を上げる中、桐生もルイズも複雑そうな笑みを浮かべて抱き締められていた,。

 騒ぎも収まり、店の中へと戻ってルイズ達はチュレンヌの置いていった袋を机に置いた。

 

「これは、文句無しよね」

 

 そう言ったスカロンが周りを眺めると、従業員の誰もが笑顔で頷いた。

 

「今回のチップレースの優勝者は……ルイズちゃんに決定!」

 

 スカロンの発表に周りから歓声と拍手が鳴り響いた。

 ルイズは照れ臭そうに頬を掻きながら、みんなに促されて一歩前へと出る。

 

「さぁ、ルイズちゃん。このチップと「魅惑のビスチェ」は貴女の物よ。どうぞ受け取ってちょうだい」

 

 チュレンヌが置いていった袋と「魅惑のビスチェ」を差し出しルイズに微笑みかけるスカロン。

 ルイズはその二つをジッと見つめた後、手を差し伸ばしてその二つをスカロンへ押しやった。

 

「受け取れないわ」

 

 ルイズの言葉に周りからどよめきが起こり、スカロンも困った様な表情を浮かべた。

 

「どうしたの、ルイズちゃん? これは貴女が、自分で勝ち取った物なのよ?」

 

「そんな事ないわ。あの太っちょからお金を手に入れたのは私だけの力じゃなくて、カズマのお陰でもあるもの。だから、受け取れないわ」

 

「でも……」

 

「チップは、今までお店に掛けた迷惑料と、私の借金の返済として受け取って。今回のチップレース、私の負けよ」

 

 そう言ったルイズはジェシカへと振り返ると、少し悔しそうながらも優しさのこもった笑みを浮かべて首を振った。

 

「ジェシカ……この勝負、貴女の勝ちよ。だから約束通り、貴女の質問に答えるわ。私は貴族で、カズマは……人間だけど使い魔よ」

 

 ルイズの告白に、店の中で沈黙が訪れた。しかし、それは息苦しい物ではなく、何故か誰も彼もがニヤニヤしている。

 

「あ、あれ? 普通こういう時って、もっと驚いたりとかするんじゃないの?」

 

 不安そうに周りを眺めるルイズに、スカロンは首を振って見せた。

 

「ルイズちゃんが貴族だなんて、最初からわかってたわよ」

 

「え、えぇっ!?」

 

 スカロンの言葉に、逆に驚きの声を上げるルイズ。

 

「当たり前じゃないの。こちとら夜の店を仕切ってる人間よ。人を見る目は人一倍なの。それにまぁ……ルイズちゃんはわかりやすかったしねぇ」

 

 スカロンが苦笑混じりに言うと、ジェシカも小悪魔の様な意地の悪い笑顔を浮かべてルイズを見た。

 ルイズは恥ずかしさから顔を真っ赤にして俯いた。最初からバレていたなんて、今までの演技は何だったんだろうと軽く落ち込みを見せた。桐生も返す言葉が無いらしく、困った表情で頭を掻いていた。

 そんなルイズに、スカロンは優しく肩を掴んで微笑んだ。

 

「大丈夫よ。何か訳があるんでしょう? 誰かに言ったりはしないわ。それに、嬉しかったのよ。ルイズちゃんもカズマ君も、あの豚野郎に私達の気持ちを伝えてくれたじゃない」

 

 ルイズが顔を上げると心底嬉しそうに笑うスカロンの顔がそこにあった。

 

「さぁっ! みんな、チップレースお疲れ様! 明日は休みにして今夜は無礼講よ! 今までの疲れを癒す様に、呑んで、食べて、騒ぎましょう!」

 

 スカロンの掛け声に歓声が上がると、厨房から待ってましたとばかりに料理が大量に運ばれて来た。

 店の机を埋め尽くさんばかりに並んだご馳走を囲む様にみんな並び、それぞれの手には年代物のワインが並々注がれたグラスが配られた。

 

「では、今回の優勝者は無しで! その代わりに……」

 

 スカロンが言葉を切ってルイズと桐生を交互に見つめた後、他のみんなは笑顔で頷いた。

 

「私達平民と共に働いてくれた優しい貴族のお嬢様と、その強く逞しい使い魔さんに!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 スカロンの音頭に声を揃えて上げた歓声の後、グラスを空けて料理へとみんなで手を伸ばした。

 

「ねぇ、ルイズ」

 

 ジェシカがちょこちょことルイズに近付くと、ワインの酔いで少し赤らんだ顔で笑みを浮かべた。

 

「確かにあんたは貴族のお嬢様だけど、無礼講なら良いわよね?」

 

「な、何よ?」

 

 思わず身構えたルイズにジェシカは蕩けた様に笑顔を浮かべた後、ガバッとルイズに抱き着いた。

 少し身長に差がある為、ルイズの顔はジェシカの豊満な乳房の中へと埋められる。

 

「わぷっ! ちょ、ちょっと! いきなり何を」

 

「ありがとう」

 

 そう言ったジェシカの顔からは笑顔が消え、大粒の涙をポロポロ流しながら泣きじゃくっていた。

 

「このお店を、私達を守ってくれてありがとう。私達、いつもあいつに脅されて、嫌がらせされて……ずっと辛かった。私、あんたにあんなに酷い事言ったのに……なのに、あんたは私達を守ってくれた。平民の私達を、貴族のあんたが。私、嬉しくて……」

 

「ジェシカ……」

 

 今まで見せていた明るさとはかけ離れた、何処か憑き物が落ちた様に泣きじゃくるジェシカをルイズはそっと抱き締めた。

 そんな二人を、桐生とスカロンは優しい眼差しで見つめていた。

 

「まさか、貴族の方が私達を守ってくれるなんてね。後世に残る美談だわ」

 

 スカロンはワインを小さく呷ると、深い溜息を漏らしてから桐生へ視線を移した。

 

「お疲れ様、カズマ君。手の掛かるお嬢様を宥めるのも大変だったでしょう?」

 

「いや、今回はあいつにとって良い経験になった筈だからな。疲れも吹き飛んださ」

 

 桐生とスカロンは互いに小さく笑みを浮かべると、残り少なくなったワインのグラスを小さく重ねた。

 平民と貴族が抱き合う。この世界では物語でしか有り得ない光景は何処までも美しく、何処までも優しかった。


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