ゼロの龍   作:九頭龍

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「魅惑の妖精」亭


第33話

 灼熱の太陽が照らす道を歩き切って街に着いた二人は一先ず、最近出来たばかりらしい近くの喫茶店で冷たい紅茶で喉を潤していた。

 店の中も外に負けず劣らずの暑さで、他の客や店員も額や肌に汗の玉が浮かんでいるのが見える。

 ルイズは汗だくになった身体に服がへばり付くのが気持ち悪いのか、何度もシャツの胸元を指で開いてはパタパタと手を振って扇いでいる。

 桐生も流石に暑さが堪えたのか、ジャケットを脱いでシャツの袖を捲って少しでも涼を取ろうとしていた。

 学園から街に来るまでの二日間、余りの暑さからルイズは制服の袖を捲って歩いていた。

 その判断の結果、照り付ける日差しのせいでルイズの腕は少し赤みを持った日焼けが浮かび上がっていた。色白のルイズは小麦色の肌に変わる事はないらしい。

 桐生もこの日差しの中、帽子も被らず歩いていた為顔が心なしか色黒くなった。捲った袖から覗く腕もややいつもより色黒い。

 

「全く……焼け死ぬかと思ったわ」

 

「本当にな」

 

 額から伝う汗を腕で拭うルイズに、桐生は首を振りながら溜め息を漏らした。

 沖縄に移り住んで暑さには大分強くなったつもりだったが、此方の熱気はなかなか身体に堪えてくる。俺もやっぱり歳かな、と内心ごちりながら汗をかいた様に水滴の浮かんだグラスを持って、中に残っていた紅茶を飲み干した。

 空になったグラスの中でまだ何とか形を残している氷がカラッと小さく渇いた音を立てた。

 そのまま喫茶店で軽めの昼食を済ませた二人はまず財務庁へと出向き、アンリエッタが手紙に同封してくれていた手形を現金へと換えた。新金貨で六百枚、四百エキューだ。

 桐生はベルトに結わえられた、シエスタから貰った革のポーチの中に入れてあるアンリエッタからの金貨を数えた。ざっと見ただけでも新金貨が五百枚以上はありそうだ。暫く金には困らなそうである。

その後、桐生は仕立て屋にルイズを連れて行き、ルイズ用に地味な服を買い求めた。

 ルイズは嫌がったが、今回の任務は身分を隠して行うのが絶対条件だ。仕立ての良い学園の制服に五芒星のマントなんて着けてたら、私は貴族ですと周りに宣伝してるのと変わらない。ここまで歩いて来た意味がなくなってしまう。

 結局ルイズと色々話し合った結果、ブラウンの袖のないワンピースになった。桐生は懸命に服を選んだが、どうやらルイズの趣味には合わなかったらしい。殆どを却下された結果、まだマシだからとその服にしたのだ。これは外さないと頑として聞かない為、首から下げた翡翠のペンダントは着けたままだ。

 ルイズは普段の服とは違う肌触りの生地が気になるのか、ちょくちょくワンピースを指先で摘んでは直すのを繰り返しては不満そうに顔をしかめた。

 

「やっぱり足りないわ」

 

「何がだ?」

 

「この頂いた活動費よ。四百エキューじゃ、馬を買って終わりじゃない」

 

「馬なんて必要ない。俺達は今、平民としてこの街に潜伏しなきゃならないんだ。俺にはこの世界の常識はあまりわからないが、少なくとも平民は馬を持ってないだろう?」

 

 桐生は財務庁と仕立て屋に向かう際、街の中をざっと見回していたが馬に乗って移動している人間は殆ど居なかった。居たとしても、その身に着けている物から貴族であるのがわかる者ばかりだった。

 

「平民のフリをしようがしまいが、馬がなくちゃ満足なご奉公が出来ないじゃない」

 

「なら安い馬で良いだろうが」

 

「駄目よ! 大した馬じゃなかったら、いざという時役に立たないでしょ! 馬具だって必要だし……それに宿だって変な所には泊まれないわ。このお金じゃ、二ヶ月半泊まっただけでなくなっちゃうわ!」

 

 桐生はルイズの話を聞いていて頭が痛くなるのを感じた。

 

「お前……一体何処に泊まるつもりなんだ? 安い宿で良いだろうが」

 

「そんなの駄目に決まってるじゃない! 安い部屋じゃ良く眠れないじゃない!」

 

 拗ねた様にプイッとそっぽを向くルイズに桐生は思わず目が点になってしまった。

 一体こいつは何をしに街まで来たんだ? 平民に紛れて仕事をするんじゃないのか?

 ルイズは根っからのお嬢様だ。平民と貴族は別物、平民の普通は貴族にとって最低限に近い感覚でしかないのだろう。

 桐生はルイズに背を向けると溜め息を漏らしながらこれからどうしようか悩んだ。

 

「もし、そこのお嬢さん」

 

 仕立て屋の前で突っ立っていたルイズに、奇妙な男が声を掛けてきた。

 桐生も思わずルイズに声を掛けた男の方へと顔を向ける。

 奇妙な格好だった。歳は自分より少し上くらいだろうか。黒髪をオイルで撫で付けて整え、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツからモジャモジャの胸毛が覗いている。鼻の下と見事に割れた顎の下には小粋な髭が生え整っている。その身体から漂う香水の香りは人を不快にさせない程度に抑えられていた。

 

「貴女、なかなかの美人じゃない。如何かしら? うちのお店で働かない?」

 

 奇妙な男はその顔からは似合わない、女言葉でルイズに問い掛ける。

 

「はっ? 何で私が……むぐっ!」

 

 文句の一つでも言おうとしたルイズの口を桐生がサッと抑え込む。

 

「有り難い。うちの娘を雇って貰えるのか?」

 

「娘?」

 

 奇妙な男はルイズと桐生の顔を交互に見つめてから首を傾げて見せる。

 

「失礼だけど……親子にしては随分似てないわね?」

 

「生憎血は繋がっていなくてな。この子は孤児だったんだが、俺が引き取ったんだ。幸い、生みの親は随分と容姿が良かった様で……俺に似なくてホッとしている」

 

「あら、そうだったの。それじゃあ確かに似てないのも当然ね」

 

 桐生は必死に演技しながらルイズにここは合わせろと目配せする。

 ルイズは納得いかない物の、渋々と肯定の意を表す様に小さく頷いた。

 

「でもお父さんはまだまだ若そうだし、生活には困らないかしらね?」

 

「いや……実は以前いた所でちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまって家も財産も失ってしまって、この街には今日来たばかりなんだ。何分急ぎだったので、殆ど着の身着のままで来た物だから、娘にせめて服でもと思って買ったは良い物の、これから如何しようか……文字通り路頭に迷っていたんだ」

 

「あら、そうだったの? それはそれは……随分と苦労をなさったのねぇ」

 

 心底同情する様に言う男に桐生は内心ホッとしていた。咄嗟にこの様に嘘を並べられたのは、立華不動産での経験からだろう。短いながらも濃厚な接客と取引の駆け引きやテクニックは少なからず身体に染みている。経験から得られる事に無駄な事はないと改めて桐生は思い知っていた。

 

「ならそうねぇ……実はうちは宿を経営しててね? そこの空き部屋で良ければ二人に使わせても良いわ」

 

「本当か? 何から何まで、有り難い」

 

「良いのよぉ、困った時はお互い様ってね。ただし、条件を一つ。今そこのお嬢さんを雇おうとしたのは、宿の一階でお店を開いていてね。そこでお二人に働いて貰うわ。如何かしら?」

 

 桐生はそこで顎に手を当てて考えた。ルイズに声を掛けたのが、ルイズの容姿から来る物だとしたら仕事内容は接客か、あるいは……。

 桐生は目の前の男を真剣な眼差しで見つめてから口を開いた。

 

「働かせて貰えるのは有り難いが……娘に如何わしい事をさせる気はない。それでもいいか?」

 

 ルイズを軽く抱き寄せながら言う桐生を男はジッと見つめてから、優しげな笑顔を浮かべて見せた。

 

「大丈夫よ。私のお店で身体を売らせる様な真似はさせないわ。ちょっとした給仕の仕事をして欲しいのよ。早い話が、酒場の仕事ね。貴方には厨房に入って貰うつもりだし、そこからなら娘さんの様子も常に見れる。それなら安心でしょう?」

 

 男の目からは嘘の色は見えない。あるいは、それを目に出さない様にしているのか。

 不意に、抱き寄せられていたルイズがクイッと桐生のシャツを引っ張った。

 ルイズを見ると、置いてけぼりにされて不満げにしている顔がそこにあった。

 桐生は男に背を向ける形でしゃがみ込む。

 

「ちょっと、まさかあいつの所で働けって言うの?」

 

「そのつもりだ。俺も側に居られるなら、いざという時動ける。それに、酒場なら噂や情報は常に流れている物だ。今回の任務にはもってこいの条件だ」

 

「わざわざお金があるのに、何で働かなくちゃいけないの?」

 

「その金が如何やって生まれているのか、お前は少し知った方が良い。やりたくないなら俺は降りる。任務はお前一人でやれ」

 

 桐生の言葉にルイズは少しだけ困った様に口を紡いだ。

 少し脅しに近い形になってしまったが、今回の一件はもしかしたらチャンスかもしれないと桐生は思っていた。

 貴族と言う状況がどれだけ恵まれているのか、ルイズは大人になる前に少し思い知った方が良いと思う。ルイズ自身の為にも。

 ルイズは少し悩んだ様に顔を歪めてから、渋々といった感じで頷いた。

 桐生は立ち上がって男に振り返ると頷いた。

 

「今、娘とも話し合ったが……親子共々あんたに世話になる事にした。宜しく頼む」

 

「トレビアン!」

 

 男はクネクネと腰を動かして顔を満面の笑顔に変えた。

 思わずその姿に、神室町を牛耳っていたファイブミリオネアの一人、風俗王を思い出した。

 あれから二十年近く。かつて神室町を懸けて金と拳で戦い合ったあの五人は今どうしているだろうか。

 桐生の回想を他所に、男は指を動かして二人についてくる様にジェスチャーして見せた。

 

「それじゃあ今日から頼むわね。自己紹介が遅れたけど、私の名はスカロン。宜しくね」

 

「ああ」

 

 上機嫌そうに歩き出したスカロンに続いて歩き出す桐生とルイズ。

 ルイズは目の前を歩くスカロンを疑わしく思う様な目で見つめた。

 

 

「ねぇ、本当にあいつの所で働くの? なんかあいつ、変じゃない?」

 

 不安と不満を込めた目で話すルイズに桐生は首を振って見せた。

 

「あの男が変な事には同意するが、今回は譲らねぇ。心配するな。俺は常にお前の側にいるさ」

 

 宥める様に言いながら頭を撫でてくる桐生に、なんか騙されてると思いながらもルイズは素直に頷いた。

 

 

「さぁ、準備は宜しくて!? 妖精さん達!」

 

 しっかりと開店準備が整った店内を見渡しながらスカロンが腰をキュッと捻った。

 スカロンの目の前には色とりどりの派手な衣装に身を包んだ少女達が背筋を伸ばして立っている。歳はみな、ルイズと同じか少し上くらいだろう。

 

「バッチリです! スカロン店長!」

 

「ノンノンノン! 違うでしょぉぉぉぉっ!」

 

 少女達の元気な唱和に派手な動きをしながら指を振ってスカロンが叫ぶ。

 

「もう、いつも言ってるでしょ!? 店内では私の事はミ・マドモアゼルと呼ぶ様にと!」

 

「失礼しました! ミ・マドモアゼル!」

 

「んん〜! トレビアン!」

 

 少女達の言い直しに満足気に腰をカクカク動かして身体を震わせるスカロンを見て、桐生は一瞬選択を誤ったかと本気で思ったが、少女達の何も変わらない様子を見る限りこれが普通らしい。

 それに、少女達のスカロンに向ける眼差しには感謝と尊敬の意を感じる。スカロンが変人である事は変わりないが、店の少女達からの信頼は厚いらしい。

 店員となる人間全てから信頼を集めるのは簡単な事ではない。どんなに仕事が出来ようが、どんなに正しい事を言おうが、結局人がついていく人間にはその人間の本質、つまり性格や気の配り方等様々な要素が求められる。この人なら任せられる、この人なら信頼出来る、下の者達からそう思われるのは生半可な努力では無理なのだ。

 

「さて、そんなミ・マドモアゼルからまずは悲しいお知らせ。この「魅惑の妖精」亭は最近売り上げが落ちてるわ。原因は最近東方から輸入されている「お茶」を出す「カッフェ」なるお店のせいね。妖精さん達がこんなに頑張っているのに、憎ったらしいったらないわ!」

 

 そう言えば此処に来る前に寄って来たな……悪い事をしたか。

 桐生は内心申し訳なく思いながら声に出さずに呟いた。

 

「落ち着いて! ミ・マドモアゼル!」

 

「ごめんなさい。そうよね。私には貴女達が、常に頑張ってくれている妖精さん達が居るんだもの! 此処でじだんたを踏んでいる様じゃ、「魅惑の妖精」の名に傷が付くというもの!」

 

 スカロンは華麗なステップでテーブルに飛び乗ると、派手なポージングをして見せた。

 

「魅惑の妖精達のお約束! ア〜〜〜〜〜〜ン!」

 

「毎日笑顔のご接待!」

 

「魅惑の妖精達のお約束! ドゥ〜〜〜〜〜〜!」

 

「美しい店内で清潔に!」

 

「魅惑の妖精達のお約束! トロワ〜〜〜〜〜〜!」

 

「たっぷりチップを貰うべし!」

 

「んん〜! トレビアン!」

 

 スカロンはテーブルから華麗に飛び降りて嬉しそうにポージングをする。

 

「さて、続いては妖精さん達に嬉しいお知らせよ! 今日からなんと、新しい妖精さんがお仲間に入ります!」

 

 少女達は歓声を上げながら拍手した。

 

「じゃあ、新しい妖精さんを紹介するわ! ルイズちゃん! いらっしゃい!」

 

 拍手に包まれる中、羞恥と怒りに顔を真っ赤にさせたルイズが入ってきた。

 ルイズは桃色の髪を店の髪結い師に横の髪を小さな三つ編みに結わえられていた。そしてホワイトの短いキャミソールに身を包み、上着がコルセットの様に身体に密着してスラリとしたラインを浮かび上がらせている。背中はザックリと開いている為、白く滑らかな肌がまだ熟してない色気を放っていた。さながら可憐な妖精の様だ。

 桐生はルイズの格好に少し苦虫を噛み潰した様な表現を浮かべた。

仕事とはどういうものかを教える為に選んだ場所だったが、ルイズにはちょっと早い世界だったかもしれないと思う。

 しかし、一度決めた事なのだ。桐生はそんなネガティヴな考えを頭の隅に追いやった。

 

「ルイズちゃんは元々孤児だったんだけど、お父さんに引き取られてこの街に来たの。お父さんもちょっとトラブルに巻き込まれちゃって家も財産も失っちゃってね。とっても可愛い子だけど、同時にとても苦労をしている子なのよ。みんな、仲良くしてあげてね」

 

 少女達から同情の溜め息が漏れる。

 スカロンは自分がついた嘘を信じてくれているらしい。他の従業員にもその嘘を広げて貰えば、自分とルイズが一緒に居ても何ら不自然では無くなる。これは有り難い事だった。

 

「さぁ、ルイズちゃん。今日から一緒に働く妖精さん達に挨拶してちょうだい」

 

 わなわなとルイズの身体が震えているのがわかる。かなり怒っている様だ。プライドの高い貴族である自分がこんなはしたない格好をさせられて、終いには平民にも頭を下げろと言われて。

 しかし、任務の為だと自分に言い聞かせたルイズはその怒りを必死に堪えた。桐生が言う様に、酒場は常に噂と情報が入り乱れる。更に酔いで思考の鈍った客から耳寄りな情報を掴めるかもしれない。

 チラリとルイズが横目で桐生を見ると、頷いて見せる桐生に覚悟を決めた。

 

「る、るる、ルイズです! よ、宜しくお願いします!」

 

 怒りから震える声と引きつった笑いでルイズが挨拶する。

 

「はい、拍手〜!」

 

 スカロンの一言から少女達が拍手を鳴らした。

 ルイズはぎこちない動きで少女達の左端に移動して並ぶ。

 

「さて、それともう一つお知らせ。妖精さん達をサポートするダンディな新人さんを紹介するわ! さぁ、カズマ君! いらっしゃい!」

 

 スカロンの紹介から今度は桐生が前に出る。桐生の登場に少女達からはルイズ以上の歓声が上がった。

 桐生は店から支給された黒く袖の短いシャツに白いエプロン姿をしていた。普段の格好からは想像出来ない姿だが、なかなか様になっている。

 

「カズマ君は今紹介したルイズちゃんを引き取ったお父さんよ。彼には厨房で働いて貰って、妖精さん達をサポートして貰うわ。どう? どう? なかなかのハンサムでしょ?」

 

 桐生の肩を掴んで胸元を叩くスカロンに少女達は瞳を輝かせながらウンウン頷いている。

 ルイズは桐生が他の少女に紹介されているのが気に入らないのか、鋭い目付きで桐生を睨んでいる。

 

「さぁ、カズマ君。妖精さん達に挨拶してちょうだい」

 

 スカロンから解放された桐生は少女達を見回してから口を開いた。

 

「今日から世話になるき……一馬だ。娘に苦労を掛けてしまう不甲斐ない父親だが、娘共々宜しく頼む」

 

「はい、拍手〜!」

 

 一瞬本名を名乗りそうになった所で、桐生は言葉を飲み込んだ。ルイズとは義理の親子関係である為、念の為自分の苗字は伏せる事にしておいた。幸いこの世界では名を呼ぶのが習慣になっている為、それほど苗字は隠しても怪しまれなさそうだ。

 深々と頭を下げる桐生に少女達から大きな拍手が上がる。

 ルイズはつまらなそうにムスッとした表情で桐生を見つめていた。

 新人の自己紹介が終わった所で、スカロンは壁に掛けられた時計を見つめた。

 スカロンが指をパチンと弾くと、その音に反応して店の隅に設えられた魔法細工の人形達が派手な音楽を演奏し始める。行進の音楽だ。

スカロンがビシッと背筋を伸ばすと両手を広げた。

 

「さぁ、開店よ!」

 

 閉まっていた羽根扉が開かれ、開店を待ち構えていた客達がゾロゾロと入って来た。

 「魅惑の妖精」亭、営業開始である。

 

 

 「魅惑の妖精」亭は一見するとただの居酒屋だが、可愛い少女達が際どい格好で飲み物や食事を運んでくれる事で人気な店であった。スカロンはルイズの美貌と可憐さに目を付けてスカウトしたとの事だ。桐生の世界で言うならいつだかテレビでやっていたメイド喫茶、に近い物かもしれない。

 桐生は皿洗いの仕事を与えられた。店は繁盛している様で次から次へと空になった皿が運ばれて来る。皿洗いはどこの世界でも新入りの仕事らしい。他の従業員は料理やら酒やらの用意をしていて誰も手伝ってはくれない。

 桐生は黙々と皿を洗い続けた。ルイズがやると決めた以上、自分はそれに続いて任務を遂行するだけだ。

 冷たい水とぬるつく洗剤と格闘しながら皿の汚れを落としていく。しかし、桐生の動きよりも早く皿がどんどん積まれていく。

 必死に皿の汚れを落としている桐生の元に派手な格好の少女が現れた。長いストレートの黒髪に太い眉が活発な雰囲気を漂わせている。大きく胸元が開かれたワンピースから覗く胸の谷間はその大きさを際立てている。歳は店の他の少女と同じくらいだ。

 

「ちょっとカズマ! 汚れたお皿が減ってないわよ! 他の料理でも使うんだからもっと早くして!」

 

 ルイズ同様、自分より遥かに年下の少女に怒鳴られた。あの世で錦山や風間が苦笑しているのが脳裏に浮かび、桐生は小さな溜め息を漏らしてから少女に顔を向けた。

 

「すまん、頑張ってはいるんだが……」

 

 桐生がそう言うと、少女は洗い終わった皿を一枚掴んで見回してから少し驚いた様な表情を浮かべた。

 

「ふ〜ん……確かにちゃんと綺麗には洗ってるみたいね。でもそれじゃ効率が悪いわ。貸してごらん」

 

 そう言って少女は桐生から皿洗い用の布を取ると、手本を見せる様にゴシゴシと洗っては綺麗になった皿を次々と積んでいった。その動きには無駄が無く、機械的ともまた違ったスムーズな動きに桐生は素直に感心した。

 

「こうやって布で挟む様にしてグイグイ磨けば両面の汚れが落ちるわ。片面ずつじゃ手間も時間もかかるでしょ?」

 

「なるほどな……」

 

 「アサガオ」に居た時にそれなりに家事は慣れたつもりだったが、まだまだ上には上がいる様だ。向こうに帰れたら少し掃除や片付けの本でも読んでみようかと桐生は思った。

 

「ありがとうな。良い洗い方を教えてくれたおかげで仕事がはかどりそうだ」

 

「どう致しまして。あ、あたし、ジェシカって言うの。宜しくね」

 

「そうか。さっき自己紹介はしたが、俺は一馬だ。宜しくな」

 

 にぱっと気持ちの良い笑顔を浮かべて挨拶するジェシカに、桐生も笑みを浮かべて見せた。

 ジェシカは暫く桐生の側で一緒になって皿を洗っていたが、不意に辺りを見回してから桐生のシャツの袖をクイッと引っ張った。

 

「ねぇ、カズマがあの新人の子を引き取ったって……嘘でしょ?」

 

「……どうしてそう思う?」

 

 ジェシカの言葉になるべく表情を変えない様にしながら桐生が質問を質問で返す。

 

「何て言うかさ……あの子のカズマを見る目、お父さん、って感じじゃないのよね。女の目って言うのかな? とにかく、子供が親に向ける目じゃない様に見えるのよ」

 

 少女ながらも流石は夜の店で生きている人間だ。観察力は並みの人間とは違うらしい。

 

「ねぇ、誰にも言わないからこっそりあたしだけに教えてよ。お店じゃ出来ないサービスしてあげるからさぁ」

 

 腕で自分の胸を持ち上げ谷間を強調させながらジェシカが色気たっぷりに嘯く。

 ジェシカの格好と言葉の限りでは給仕の妖精さんとやらの一人なのだろう。

 桐生は小さく手を振った。

 

「そろそろお喋りは止めて仕事に戻ったらどうだ? 店長に叱られるぞ?」

 

「良いのよ、あたしは」

 

「何でだ?」

 

「その店長の娘だもの、あたし」

 

 桐生は本日再び目が点になった。

 あのスカロンとジェシカが親子? 寧ろこの二人こそ血の繋がってない親子なんじゃないだろうか。しかし、黒髪の所を見ると何となくはわかる。此方の世界では黒髪は珍しい方だ。

 桐生の心情を察してか、ジェシカが頬を膨らませる。

 

「あのねぇ、ああ見えてあたしとパパはちゃんと血の繋がった実の親子なの! 全く、失礼しちゃうわ! もう慣れたけど!」

 

 ジェシカはぷりぷりと怒りながら皿洗い用の布を投げ置いて桐生の元から去っていった。

 

 

 桐生が洗い物と格闘している中、ルイズはもっと過酷な受難が待ち構えていた。

 

「ご、ご注文の品、お持ち致しました!」

 

 必死に屈辱から来る怒りを抑えて引きつった笑顔を浮かべながら注文されたワインと陶器のグラスをテーブルに運ぶ。

 目の前では客の男が下卑た笑みを浮かべて此方を見ている。叶うなら思いっ切りその顔面を蹴り飛ばしたい。

 

「ありがとうよ、姉ちゃん。じゃ、注いでくれや」

 

 男はルイズを舐め回す様に眺めながら陶器のグラスをグイッと差し出す。

 貴族の私が平民に酌をする? 貴族の私が? 貴族の私が!?

 頭の中でグルグルと繰り返し呟くルイズに男は首を傾げた。

 

「聞こえなかった、姉ちゃん? 注げって言ってんだろ?」

 

 再度酌を催促する男にルイズは大きく深呼吸して荒ぶる気持ちを落ち着かせた。

 これは任務。そう、任務なのよ。姫様の為に、平民に紛れて情報を集める為。

 何度も強く自分に言い聞かせると、慣れない手つきでワインの瓶を持ち上げるルイズ。

 

「そ、それでは注がせて頂きます!」

 

 ルイズはグラスにワインを注ぐが、怒りで震える手は上手く狙いが定まらない。バタバタと赤いワインがテーブルに溢れてしまった。

 

「何やってんだよ! 人のワインを溢しやがって!」

 

「す、すみま……せん」

 

「すみませんで済むか! このアホ女!」

 

 謝罪するルイズに罵声を浴びせた男はジロジロと店の衣装を身に纏った汚れを知らなそうな身体を見つめた。

 

「お前、胸は無ぇけど良い顔と身体してるな」

 

 ビシッ! とルイズの中で何かにヒビが入る音が響いた。

 

「よし、こうしよう! お前、ワインを口移しで俺に飲ませろ! それで許してやるからよ!」

 

 グイッと今度はグラスではなくワインの瓶をルイズに突き出す男。

ルイズはその瓶を取り上げ一気に呷ったかと思うと、男の顔目掛けてワインを吹き掛けた。さながらプロレスのヒールがやる毒霧の様だ。

 

「うわっ! 何しやがる! このガキ!」

 

 文句を言う男を無視してルイズがテーブルにダンッと片足を乗せる。

 その瞬間、目の前の小娘から漂う強烈な圧力に男は言葉を失った。

 

「こ、ここここ、この下郎! あんた、私を誰だと思ってんの!?」

 

「は、はい?」

 

「お、おおおお、恐れ多くもこ、ここここっ!」

 

 ルイズが公爵家と言おうとした瞬間、小さな身体がグイッと後ろから引っ張られた。

 

「いっけな〜〜〜い! すみませんねぇ、お客様ぁ!」

 

 スカロンが男の隣の椅子に腰掛けるとタオルで男のシャツを拭き始める。

 

「な、何だよ、オカマ野郎。てめぇに用は……」

 

「せっかくのワインをシャツに飲ませるなんて勿体無いわぁ。さぁ、ルイズちゃん。新しいワインを持って来て。その間お客様は私がお相手して差し上げるわぁ」

 

 スカロンが男にしなだれかかり、嫌がる男をとてつもない力で抑え込む。

 理性が戻ったルイズは、は、はいっ! と返事をして厨房へと駆け込んだ。

 

 

「本日もお疲れ様ぁっ!」

 

 空も白み始めた頃、最後の客を見送ったスカロンの声に店内では歓声が上がった。

 ルイズは力無く、ふらふらした足取りで立っていた。桐生も流石に疲れが出ており、肩を自分で揉みながらルイズの元へと歩み寄った。

 

「みんな一生懸命に働いてくれてありがとう! 今月はちょっとだけど色をつけさせて貰ったわ」

 

 少女達や従業員のコック達が喜びながらスカロンきら封筒を受け取っている。どうやら今日は給料日の様だ。

 

「はい、カズマ君。それにルイズちゃんにも」

 

 ルイズの顔がパァッと輝いた。偶々とは言え、今日一日働いた分が貰えるなんて予想外だ。顔を輝かせるルイズに桐生も自然と笑みが浮かぶ。

 桐生は受け取った封筒を破いて中の物を掌に出した。掌には小さな銀貨が一枚転がった。

 まぁ、俺がやったのは皿洗いだけだしな。

 ルイズの方に目を向けると、ルイズも同じく封筒を破って中の物を取り出していた。

 しかし、ルイズの掌に乗ったのは硬貨ではなく一枚の紙切れだった。

 

「何だ、それは?」

 

 紙切れを見つめながらプルプル震えるルイズに声を掛けると、スカロンが真顔で桐生に答える。

 

「請求書よ。ルイズちゃん、何人のお客さんを怒らせたの? 悪いけど、仕事が出来なかった子にお金をあげられる程私も裕福ではないのよ」

 

 ルイズは悔しそうに紙切れを握り締め、俯きながら溜め息を漏らした。

 

「良いのよ。初めは誰だって失敗する物。其処から学ぶ事がお仕事で一番大事な事よ。挫折を知らずに大物になった人間なんて居ないんだから。これから働いて返してね」

 

 スカロンに返す言葉もないルイズは身体を震わせながら歯を食いしばる。

 桐生はそんなルイズの頭を優しく撫でた。


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