ゼロの龍   作:九頭龍

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鋼の翼


第25話

 トリステイン魔法学園にアルビオンからの宣戦布告の報が入ったのは翌朝の事だった。

 桐生とルイズは「始祖の祈祷書」を手に魔法学園の玄関先で、ゲルマニアへ向かう為の王宮からの馬車を待っていたが、突如朝靄の中から息せききって現れた一人の使者に面食らった。

 彼は荒い呼吸を繰り返しながらオスマンの居室を尋ねてくると、教えた瞬間に疲れた身体に鞭打って走り出した。

 その様子から異様な事態を察した桐生とルイズは互いの顔を見合わせて、頷き合うと使者の後を追った。

 

 

 オスマンは式典に向けての準備をしていた所に現れた使者の話を聞くと、深い溜め息を漏らしながら自分の席へと腰掛けた。

 

「アルビオンからの宣戦布告……戦争と言う訳じゃな?」

 

「さよう! 敵軍はタルブの草原に陣を張り、ラ・ロシェール付近に展開した我が軍と睨み合っております!」

 

 使者は肩を落としてがっくりとした様子で続けた。

 

「敵軍は巨艦「レキシントン」号を筆頭に戦列艦が十数隻。上陸せし総兵力は三千少々と見積もられています。我が軍の艦隊主力は既に全滅、なんとかかき集めた兵力は多く見積もっても二千。国内で緊急配備できる兵はそれが精一杯の様です。ですが何より厄介なのは制空権を敵に奪われた事です。敵軍は空からの砲撃を筆頭に、我が軍を難なく蹴散らすでしょう」

 

「現在の戦況はどうなってるのかね?」

 

「敵の竜騎兵がタルブの村を焼いているとの事です。同盟に基づきゲルマニアへ軍の派遣を要請しましたが……先陣が到着するのは三週間後になると」

 

 使者の言葉にオスマンは深い溜め息を再び漏らしながら首を振った。

 

「残念じゃが、ゲルマニアはトリステインを見捨てる気じゃろうて。敵はその間にトリステインの城下町を落とすじゃろう」

 

 使者とオスマンがどちらからとともなく溜め息を漏らした瞬間、学園長室の扉が勢い良く蹴破られた。

 驚いた二人が扉に目を向けると、桐生とルイズが立っていた。学園長室の扉に張り付いて二人の会話を盗み聞きしていた桐生の眉間には深い皺が出来てオスマンと使者を睨み付けており、ルイズは不安そうに桐生と二人を交互に見ている。

 

「今の話は本当か?」

 

「き、君達は!?」

 

 使者は先程ここまでの道のりを教えてくれた二人がすぐ外にいた事に驚いたが、桐生はそんな事に構わず使者に詰め寄ると胸ぐらを掴んで乱暴に引き寄せた。

 

「今の話が本当かどうかを聞いているんだ、答えろ!」

 

 有無を言わせない迫力で迫る桐生に使者は小さな悲鳴を漏らしてから何度も首を縦に振って頷いた。

 

「ほ、本当です! アルビオンと我が国は本格的な戦争を開始する事になりました! げ、現在敵軍はタルブの草原で……!」

 

 オスマンに報告した内容を伝えようとする使者の言葉に、桐生は表情を怒りに染めて乱暴に手を離すと駆け足で学園長室から出ていった。

 ルイズが慌ててその後を追う。

 

 

 中庭に向かった桐生はゼロ戦を眺めてから再び走り出そうとした。そんな桐生の腰に、ルイズが後ろから抱きつく。

 

「な、何をするつもりなのよ、カズマ!?」

 

「決まってるだろ、タルブの村に行く!」

 

 その言葉に青ざめたルイズは力強く桐生の脚にしがみついた。

 

「何言ってんの!? 聞いたでしょ!? 戦争が始まったのよ! あんたが一人で行ったって、無駄死にするだけじゃない!」

 

「こいつがある。敵はウェールズと見たあの巨艦なんだろ?こいつなら空を飛べるし、対抗できる筈だ」

 

 ルイズはゼロ戦を見上げる。太陽の光を受けて鈍い輝きを放つ機体はこの世界の常識にとらわれたルイズにはただの鉄の塊にしか見えない。

 

「こんな……こんな玩具で何が出来るのよ!?」

 

「ルイズ、これは玩具じゃねぇよ」

 

 桐生が左手でゼロ戦のボディを撫でる。ルーンが力強く輝いた。

 

「俺の世界の武器だ。人殺しの道具だ。だが、こいつならシエスタ達を救えるかもしれない」

 

 ルイズは桐生に力強く首を振る。

 

「これが仮にあんたの世界の武器だとしても、あんな巨大な戦艦に勝てる訳ないでしょ!? わかんないの!? 王軍に任せなさい!」

 

「そのトリステインの艦隊は全滅だって話じゃねぇか」

 

 桐生は優しくルイズの手をほどき、頭を撫でる。

 

「お前の言う通り、俺が行った所で何も変わらないかもしれないあの戦艦も倒せないかもしれない。でもな……」

 

「でも……何よ?」

 

 顔を上げて桐生を見上げながら尋ねるルイズ。

 

「世話になった人が危険な目にあってるのに、「自分には関係ない」って割り切れるほど……俺は大人じゃねぇんだよ」

 

 桐生のどこまでも優しい口調に、思わず涙が目に溜まりかけたルイズは首を振った。

 

「……馬鹿じゃないの? あんた、元の世界に帰るんでしょ!? こんな所で死んだらどうすんのよ!? 待っている人達がいるんでしょ!?」

 

 ルイズの必死の言葉に、一瞬遥の姿が脳裏に蘇る。確かにここで死んでしまったら、二度と遥には、「アサガオ」のみんなには会えない。

 

「確かにな。ここで死んじまったら、元も子ねぇ。でもここで逃げ出したら、あいつ等に胸を張って会えない。そんな事になれば、俺は俺を一生許せない」

 

 桐生は優しくルイズを優しく抱き寄せた。小さい身体から伝わる温もりは、桐生の心を強くさせた。

 

「大丈夫だ、ルイズ。必ず俺は帰ってくる。約束する。だからお前は残れ。自分のご主人様を危険な目に合わせんのは、使い魔として良くねぇからな」

 

 最後に少し悪戯っぽく囁いてからゆっくりとルイズの身体を離すと、桐生はゼロ戦にまだガソリンが入っていない事に気付いてコルベールの元へ駆け出した。

 ルイズは遠ざかる桐生の背中を見ながら地団駄を踏んだ。

 

「何よ何よ! 本当にご主人様の言う事を聞かない使い魔なんだから! 危ないって言ってんでしょうが!」

 

 肩を震わせながら叫んだルイズの声はもう桐生に届かない。呼吸を荒げながら拳を握り締めると、瞳から涙が溢れてきた。

 

「死んだら……死んだら、どうすんのよ? あんたが居なくなるなんて、嫌よ、私……」

 

 頬を伝い、顎を伝って一粒の涙が地面に零れ落ちた。

 ルイズは制服の袖でゴシゴシと目を拭いてからゼロ戦を睨み付けて、胸元で「始祖の祈祷書」を抱き締めると独り強く頷いた。

 

 

 桐生が乱暴に研究室の扉を開けた音で、夢の世界で美女と戯れていたコルベールは身体を跳ねさせて現実へと引き戻された。

 

「おわっ!? な、何事かね!?」

 

 口端から垂れている涎を指で拭いながらまだぼやけてる寝ぼけ眼で研究室の扉へと視線を送るコルベール。そのぼやけた視界の中に浮かぶシルエットから桐生が立っている事に気付く。

 

「おや、カズマ殿。ああ、ガソリンなら頼まれた量が出来ましたぞ。そこの樽がそうです」

 

 ゴシゴシと手の甲で目を擦ってから眼鏡をかけたコルベールは乱雑に積まれた五個の樽を指差した。

 桐生は頷くとコルベールに詰め寄った。

 

「頼む、今すぐこれを運んでくれ」

 

 桐生に言われるまま、まだしっかりと起きてない頭で樽を運びながらコルベールは欠伸を繰り返した。

 ガソリンをゼロ戦に入れながら辺りを見回すとルイズがいない。恐らく自分の部屋へと戻ったのだろうと桐生はホッとした。ここでついていくなんて言われたら厄介な事極まりない。

 

「しかし、こんな朝っぱらから飛ぶとは。出来れば昼過ぎにしてもらえると頭も冴えて良く見えそうなんだがね」

 

「今は時間がねぇんだ」

 

 寝起きのコルベールは当然ながら戦争の事等知りはしない。桐生も面倒だったので説明は省かせて貰った。どの道後でオスマン辺りから知らされる筈でもあるし。

 桐生は操縦席に乗り込みエンジン始動前の操作を行う。そしてこの前の様にコルベールに頼み、エンジンを始動させた。

 唸り声の様な音と振動を響かせながらエンジンが始動し、プロペラが回転し始める。

 各部計器を確認し、機銃や翼の機関砲にも弾が込められている事を確認する。

 ブレーキをリリースし、ゼロ戦が動き出す。

 前を見る。「アウストリ」の広場を囲う壁が少し向こうに見える。ギリギリだが、飛び立てる距離である事を左手のルーンが教えてくれる。

 眠気が吹き飛んだ様に瞳を輝かせて此方を見ているコルベールに、桐生はシエスタから貰ったゴーグルを着けてから親指を立てて見せた。

 ブレーキを踏みしめ、カウルフラップを全開にする。プロペラのピッチレバーを離陸上昇に合わせてからブレーキを弱め、左手で握ったスロットルレバーを開いた。

 瞬間、弾かれた様にゼロ戦が勢い良く加速し始める。

 操縦桿を軽く前方に押し、尾輪が地面から離れたのを感じながらそのまま滑走する。魔法学園の壁が徐々に迫り、身体中に嫌な緊張感が走って筋肉が強ばり手が汗ばんでいく。

 

「今だ!」

 

 操縦席に立て掛けたデルフリンガーの掛け声に合わせて、壁が目の前近くまで迫った所で操縦桿を引く。

 轟音を響かせながらゼロ戦が浮き上がり、壁をかすめて空へと飛び上がった。

 脚を収納して計器盤の左下についた脚表示灯が青から赤へ変わったのを確認する。

 

「本当に飛びやがった! すっげぇ! 面白ぇっ! やっぱり長生きはするもんだな!」

 

 上昇を続けるゼロ戦にデルフリンガーがはしゃいだ様に声を上げる。

 

「そりゃ飛ぶさ。飛ぶ様に出来てるんだからな」

 

 桐生はそんなデルフリンガーに苦笑を浮かべてから、真剣な表情へと変えた。

 

「さぁ、行くぜ!」

 

 ゼロ戦は鋼の翼を太陽の光に反射させて煌めかせながら、異世界の空を駆け出した。

 

 

 タルブの村の火災はおさまったが、そこは無惨な戦場へと変わり果てていた。草原には大部隊が終結し、港町ラ・ロシェールに立て籠っているトリステイン軍との決戦の火蓋が切られるのを待ち構えていた。

 その上には部隊を空から守る為、「レキシントン」号から発艦した竜騎士達が飛び交っている。何度かトリステイン軍からの竜騎士隊が攻撃を仕掛けてきたが、悉く撃ち落としてきた。

 決戦に先立ち、アルビオン軍は「レキシントン」号を筆頭とした艦隊の冠砲射撃が行われる事になっていた。それぞれの戦艦が砲撃に向けてタルブの草原の上空で準備をしていた。

 タルブの村の上空を警戒していた竜騎士の一人が、自分の上空、二千五百メイル程の一点に此方に近付く一騎の竜騎兵を発見した。

 竜に股がった騎士は竜を鳴かせ、仲間に敵の接近を告げた。

 ふと、もう一人の竜騎士が地上の大部隊の数百メイル先、南の森から何やら一騎の兵の様な物が近付いているのを見つけ、草原に陣を組んだ大部隊の兵士達に警戒する様に伝えた。

 

 

 桐生は風防から顔を出し、眼下のタルブの村を見つめてギリッと奥歯を噛み締めた。素朴で美しかった村は跡形もなく焼かれ、黒い煙が空へ立ち上っている。

 シエスタと共に眺めた草原にはアルビオンの軍勢で埋まっていた。

 

「許さねぇ……!」

 

 操縦桿を握る力が強くなるのを感じながら、タルブの村の上空を我が物顔で飛び交う竜騎士達を睨む桐生。

 スロットルを絞り、機体を捻らせてタルブの村目掛けてゼロ戦を急降下させた。

 

 

 竜騎士から連絡を受けた地上部隊の数名が南の森から此方に向かってくる何かを迎え撃とうと隊列を組んで待ち構えた。

 最初は豆粒程度にしか見えなかった物は徐々に輪郭が現れていき、兵士達は目を凝らした。

 どうやら向かってくるのは一人らしい。全身黒ずくめの何かが此方に向かってきている。

 兵士達は剣を引き抜いてその人物が来るのを待った。すると、突然その黒い人物は速度を落としてゆっくりと近付いてきた。

 奇妙な格好だった。黒いロングコートに黒いズボン、極めつけは鳥の嘴の様な物が突き出た黒い仮面を被っていた。

 

「何者だ? 我々は神聖アルビオン帝国の地上部隊だ。今は作戦待機中で忙しいんだ、とっとと失せろ。さもなくば……切り捨てるぞ?」

 

 鎧に身を包んだ数人の兵士の男の一人が剣の切っ先をその黒ずくめの人物に向けて突き付けた。

 黒ずくめの人物は一瞬の間を取ってから構わずその男に近付く。

 

「貴様、聞こえないのか!? 今は作戦待機ちゅ」

 

 怒りを露にしたその男の言葉は、それ以上続かなかった。

 黒ずくめの人物は切っ先が向けられた剣の刃を掴むなり、そのまま奪い取ると目にも止まらぬ速さで剣を持ち直し男の首を跳ねたのだ。

 頭のなくなった首から大量の血が噴水の様に噴き出して、顔のない身体が前のめりに倒れこんだ。

 一瞬の出来事で頭が追い付かないもう一人の兵士の首に、そのまま剣を突き刺す。首を貫いた刀身は血で赤く染まり、刺された兵士の身体が一瞬の硬直の後だらんと脱力し、手から力なく剣が零れ落ちる。

 黒ずくめの人物はそのまま束を離して首に剣を突き刺された兵士が倒れるのを見送ると、零れ落ちた剣を拾って此方に視線を向けている兵士達に顔を向ける。

 

「さぁ、来なよ。まぁ、来なくてもいいけど。一人残らず、皆殺しだぁっ!」

 

 心底楽しそうに叫びながらその黒ずくめの人物、レイヴンは大部隊に突っ込んで行った。

 

 

「たった一騎とは、随分となめられた物だ。」

 

 突如現れた此方に向かってくる竜騎兵を見つめ、迎え撃とうと竜を上昇させた騎士が目を細めて呟く。

 ただ少し気になるのは、徐々に見えてきた相手の竜のシルエットだ。翼は真っ直ぐと伸びてまるで固定されている様な印象を受ける。それに鳴き声にしては妙に耳に響く喧しさだ。

 あの様な竜、ハルケギニアに存在していただろうか?

 いや、世界は広い。単に自分が知らないだけなのかもしれないと、竜騎士は雑念を捨てた。

 アルビオンに住む火竜のブレスを一撃でも食らえば、いかなる竜だろうとただでは済まない。

 竜騎士の股がった火竜が此方に向かってくる敵を撃ち落とそうとブレスを開く為に口を開く。

 その瞬間、相手の竜から白い何かが発射された。その何かは火竜の翼と腹を撃ち抜き、火竜の腹にあるブレスの為の油を溜めている器官に引火して爆発する。

 突然仲間をやられた他の竜騎士達が次々と相手の竜を追って火竜を羽ばたかせた。

 ブレスを浴びせようと火竜は懸命に近付こうとするが、その鋼の竜、ゼロ戦のスピードは遥かに速く、ブレスを吐いてもかわされてしまう。

 ゼロ戦の操縦席で、桐生は操縦桿を操りながら怒りに任せて二十ミリ機関砲弾と七・七ミリ機銃を竜騎士に浴びせていく。「ガンダールヴ」の力によってゼロ戦はまるで桐生の身体の一部の様に滑らかに動き回り、竜騎士達を翻弄しては容赦なく弾を撃ち込んでいく。

 次々と身体を、翼を撃ち抜かれて墜ちていく竜騎士達を見送り、速度エネルギーを高度へと変換する。火竜の動きを遥かに上回る速度で制空権を奪うのだ。

 増援と見られる竜騎士が十騎ほど現れたのを確認すると、突然後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「あ、あの天下一と言われてるアルビオンの竜騎士をあんなに倒しちゃうなんて! あんた凄いじゃない!」

 

 驚いて後ろを振り向くと、座席と機体の間からルイズが顔を出して墜ちていく竜騎士を眺めている。

 座席の後ろには無線機の様な機械が繋がれていたが、この世界では不要と思った桐生はそれを取り外していた。その為、座席の後ろには固定様のワイヤー位しかないので大きな隙間が出来ている。ルイズはそこに隠れていたらしい。

 

「ルイズ! お前、乗っていたのか!?」

 

 驚きを表しながら怒鳴る桐生に、ルイズは仏頂面をして見せる。手に持たれている「始祖の祈祷書」を見る限り、コルベールの元へ向かっている間に忍び込んだらしい。

 

「あったり前でしょ! あんたは私の使い魔なのよ! 使い魔は主人と常に一緒にいなきゃ駄目なのよ!」

 

「残れと言っただろう! 危ないだろうが!」

 

「危なくなんかないわよ!」

 

 桐生の怒鳴り声に対抗する様にルイズも怒鳴り声を張り上げ、真っ直ぐな瞳で桐生を見つめる。

 

「あんた言ったでしょ!? 必ず帰ってくるって! それってつまり勝つって事でしょ!? なら私がいたって、あんたは勝つ! 危ない事なんて何もない! 違う!?」

 

 滅茶苦茶な理屈を延べてくるルイズに、桐生は深い溜め息をつきながらルイズから視線を逸らした。

 何でこいつは、あいつと同じ瞳(め)をするんだ。

 ルイズの真っ直ぐな瞳。それは今まで自分を信じ、常に自分を理解していてくれていた遥と同じ物だった。

 国も、歳も、背格好も、更には世界まで違うこの少女は、自分が何よりも愛している少女と同じ眼差しを持っている。

 

「全く……とんでもねぇご主人様の元についちまったもんだぜ」

 

「な、なんですってぇ!?」

 

 小さく漏らした桐生の言葉に聞き捨てならないとばかりに、ルイズが身を乗り出して桐生の顔に顔を近付ける。

 すると、桐生は小さな笑みを浮かべていた。

 

「だがまぁ、お陰で余計負ける訳にはいかなくなったぜ。しっかり掴まってろよ、ルイズ!」

 

 桐生の笑みにつられた様にルイズも笑みを浮かべて頷くと、座席にしっかりと掴まりながらポケットから「水」のルビーを取り出して指に嵌める。

 

「姫様……私とカズマをお守り下さい」

 

 小さな声で祈りを捧げると、いつの間にか座席の床に開いた状態で落ちていた「始祖の祈祷書」に気付く。

 ルイズが何の気なしに「始祖の祈祷書」を拾おうと手を伸ばした瞬間、「水」のルビーとページが光り出して驚きを表した。

 

 

「全滅……だと!?」

 

 艦砲射撃実施に向けてタルブの草原の上空三千メイルに遊弋していた「レキシントン」号の甲板で、伝令からの報告を聞いたジョンストンは身体をわなわなと震わせた。

 

「敵は一体何騎で来たんだ? トリステインの竜騎士隊が、そんなに数があるとは思えんが?」

 

「サー! そ、それが……報告では、一騎だと」

 

「一騎、だと……!?」

 

 ジョンストンは一瞬呆然とした後、被っていた帽子を甲板へ叩きつける。

 

「ふざけるなっ! 二十騎もいた竜騎士が、たった一騎に全滅させられただと!? あり得る筈がないだろう!」

 

 伝令が総司令官の剣幕に怯えて後退り、生唾を飲み込んだ。

 

「て、敵の竜騎兵はあり得ぬスピードで敏捷に飛び回り、射程の長い魔法攻撃で次々と我が軍の竜騎士を撃ち落としていったそうです……」

 

 ジョンストンは報告を続ける伝令の胸ぐらを掴むとガクガクと乱暴に揺さぶった。

 

「ワルドはどうした!? 竜騎士隊を預けた、あの生意気なトリステイン人はどうしたと言うんだ!? まさか、奴までもやられたのか!?」

 

「い、いえ、被害報告にはワルド子爵の風竜は上がっていません。ですがその、姿が見えぬ、と」

 

「あの小僧めっ! 裏切りおったか! それとも臆したか!? 何にしろ使えん奴だ!」

 

 ギリギリと伝令の服を破らんばかりに胸ぐらを掴み続けるジョンストンを、ボーウッドが手でほどかせる。

 

「兵の前でその様に取り乱しては士気が下がりますぞ、総司令官殿」

 

 冷静な口調が気に触ったのか、ジョンストンはボーウッドへと矛先を変えて詰め寄った。

 

「何を悠長な事を! 元はと言えば、竜騎士隊が全滅したのは貴様のせいだぞ、艦長! 貴様の稚拙な指揮のせいで貴重な我が軍の竜騎士隊がやられたのだ! この責任、貴様はどう取るつもりだ!?」

 

 唾を飛ばしながら罵るジョンストンに小さな溜め息を漏らすと、ボーウッドは腰に指していた杖を引き抜いてジョンストンの腹へ叩き付けた。グリンと白眼を向きながらジョンストンがその場に崩れ落ちるのを見送り、近くにいた従兵に部屋に運ぶ様に指示する。

 総司令官が運ばれていくのを不安そうに眺めている伝令に、ボーウッドは軽い咳払いをしてから落ち着いた口調で言う。

 

「竜騎士隊がいかに潰れようとも、主力である本艦「レキシントン」号は無傷なのだ。ワルド子爵にも何かしらの策があるのだろう。諸君等はただ任務に励んでいれば良い」

 

 ボーウッドの言葉に安心したのか、伝令は敬礼をすると持ち場へと戻っていった。

 二十騎もの竜騎士をたった一騎で撃ち破った竜騎兵。強者であるのに変わりはないが、所詮は「個人」の力。連携を取った武力の前では無力に過ぎない。

 

「艦隊全速前進。砲台用意」

 

 ボーウッドの命令で動き出した艦隊はやがてタルブの草原の端向こう、周りを岩山で囲まれた天然の要塞ラ・ロシェールの港町に布陣したトリステイン軍の陣容がわかる程近付いた。

 

「上下左砲、命令があり次第砲撃開始、それまでは待機せよ。それと上下右砲、弾種散弾に変え竜騎兵に備えよ」

 

 ボーウッドの命令に従い砲台が用意される中、先程の伝令が再び息せき切ってやって来た。

 悪い知らせなのは目に見えているのもあって面倒臭そうに、ボーウッドは報告を促す様に顎をしゃくって見せる。

 

「で、伝令!わ、我が軍の地上部隊、ぜ、全滅しました!」

 

 その言葉に、ボーウッドの表情は一瞬で険しくなった。

 

「竜騎士だけでなく地上部隊までも全滅だと? 馬鹿な……トリステインの軍か? それとも例の竜騎兵が空襲をかけたか?」

 

 地上部隊に奇襲をかけられぬ様に制空権を奪った筈なのに、何故全滅等と言う状態に陥っているのか。いや、そもそも空から眺めている限り、地上部隊に攻撃を仕掛けられそうな兵や竜騎士の類いは見付からなかった筈。仮に背後から襲おうにも他の艦隊が注意深く見張っていた筈だ。

 

「そ、それが……伝え聞いた所、此方もその竜騎兵とは別のたった一人に全滅させられたと」

 

「何だと!?」

 

 冷静を装っていたボーウッドも思わず声を上げて叫ぶ。

 竜騎士を全滅させた竜騎兵だけでも多少ながら驚いていたのに、今度は地上部隊がたった一人に全滅させられたのだ。とてもじゃないが信じられない。

 

「一体どれ程の強者が現れたと言うのだ!? トリステインに一騎当千の強者がいる等聞いた事がないぞ!?」

 

 苛立ちを隠せずに怒鳴り散らす此方を見ながら震える伝令を見て、ボーウッドは慌てて咳払いをした。

 

「……済まぬ、少々取り乱した。それで、一体どの様な者が相手だったのか報告はあるかね?」

 

「そ、それが……」

 

 伝令は歯をカチカチと鳴らせる程震えながらボーウッドを見つめた。

 その震えから、この伝令が震えているのは自分の怒りに対してではなく、別の何かを恐れているのをボーウッドは悟った。伝令が落ち着くのを待ってから再度報告を促す様に顎をしゃくって見せた。

 

「ほ、報告によりますと、相手は「トライデント」のリーダーだったと……」

 

「な……に……!?」

 

 ボーウッドは言葉を詰まらせながら僅かに後退った。

 数年前、トリステイン、ゲルマニア、アルビオンの三カ国の三千人のメイジ達によって結成された犯罪組織「オブリビオン」の討伐の為に、それぞれの国がメイジや兵士を結集させて作られた連合軍が向かった決戦の部隊となる戦場には、既に先客がいた。

 連合軍が見守る中、強力なメイジ達を次々と討ち倒していたのは三人の人物だった。それこそが「トライデント」であり、その戦が彼等を表の世界にまで名を馳せさせるきっかけとなった。

 当時の戦争にウェールズと共に連合軍に参加していたボーウッドは、艦隊から三人の戦いを眺めて身震いしたのを覚えている。

 いや、あれは戦いではない。まるで生まれたての赤ん坊をなぶり殺す様な、一方的な殺戮だった。繰り出されるメイジ達の強力な魔法は何故か全てかわされてしまい、一人また一人とメイジ達は殺されていった。

 あの戦いは未だに夢に出てくる程強烈な物だった。そして今、最も厄介な問題が出来てしまった。

 

「「トライデント」が、あの化け物共がトリステインについたと言うのか……!?」

 

 ボーウッドは呟きを漏らしてから大きく咳払いし、深呼吸をしてから伝令に向き直った。

 

「今は余計な憶測は止そう。奴等とてこの高さまでは飛べまい。まずはラ・ロシェールに立て籠っているトリステイン軍を片付ける!」

 

 

 緑が覆い茂った草原には、鉛色の鎧を着込んだ屍が無造作に転がっていた。緑色の草は所々が血で赤く染まり、時折吹く風は血の臭いを運んで草原を駆けていく。

 空から次々と墜ちてくる竜騎士を見ながら、レイヴンはアルビオンの兵士の屍を重ねた山の上に腰掛けて拍手を鳴らしていた。

 

「凄いねぇ。竜騎士がどんどん墜ちてくる。なかなか面白い光景だね」

 

 クスクスと小さな笑い声を響かせながら空を舞うゼロ戦へと視線を向ける。

 

「一応墜ちて来た奴等は僕の獲物だったんだけど……まぁ、流石に空は飛べないし、別にいっか。あの子達、喜んでくれるかな?」

 

 死体の山の上で身体を伸ばしながら、レイヴンは呑気な口調で呟いた。


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