ゼロの龍   作:九頭龍

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謝る勇気


第23話

 翌朝、ギーシュの便りのおかげで集まってくれた竜騎士隊とドラゴンによって、綱を繋げたゼロ戦が運ばれる事になった。

 シエスタ一家が見送る中出発し、今回の運賃の額を聞いて静かに頭を抱えていた桐生は、情けないながらもオスマンになんとか助けを乞えない物かと考えていた。

 

 

 コルベールは突如学園の中庭に現れたゼロ戦を見て歓喜に身体を震わせていた。彼の知的好奇心がとてつもなく刺激を受けたのである。

 今年で四十二歳となる彼の趣味、もとい生き甲斐は研究と発明なのだ。おかげで周りには変人扱いされ、恋人もままならぬままこの歳まで来てしまったが、そんな事はどうでもいい。

 

「カズマ殿! これは一体なんなのかね!?」

 

 竜騎士隊がゼロ戦を下ろす作業を見守っていた桐生は、興奮した様に駆け寄ってきたコルベールに笑顔を浮かべた。

 

「良い所に来てくれたな、コルベールさん。実は飛行機に関して、あんたに相談したい事があるんだ」

 

「ほう、これは「ひこうき」と言うのか! そしてこれに関して私に相談とな!? さぁ、早く言ってみたまえ!」

 

 ゆっくりと中庭に下ろされ、太陽の光を浴びたボディが鈍い輝きを放つゼロ戦と桐生を交互に見ながら、この得体の知れない物体に関して携われる事を嬉しく思ったコルベールが子供の様に瞳をキラキラさせながら問いかける。

 そんなコルベールに苦笑を浮かべながら、桐生は静かに首を振った。

 

「だが、その前にこいつを運んだ運賃をあの騎士隊に払わなきゃならないんだ。まずはオスマンのじいさんの所に相談にーー」

 

「そんな物は私が払う! だから早く話を聞かせてくれ!」

 

 桐生の言葉を遮り、興奮して桐生の肩を掴みながら迫ってくるコルベールは中々の迫力があった。キュルケの言葉を借りるなら、瞳は情熱の炎が宿った様に爛々としている。

 

「い、良いのか? 結構な額らしいんだが……」

 

 桐生はコルベールの迫力に気押されながら請求額の書かれた紙を差し出した。

 コルベールはその紙を引ったくる様に受け取ると、ローブの内ポケットから取り出した羽根ペンでサラサラと何かを書き込んで桐生に返す。

 

「これで大丈夫だ。後日竜騎士隊の連中に金が払われる様に手配した。さぁ、この紙をさっさと彼等に渡して話を聞かせてくれ」

 

「あ、ああ。だが、良かったのか? こんな結構な額をそんな簡単に立て替えてしまって」

 

「何を言うのかね」

 

 心配そうに話す桐生にコルベールは子供の様な悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

 

「自らの悲願を達成する為には、金では解決出来ない事が多い。それを金で解決出来るなら、私は喜んで出すさ。独身の者にはね、躊躇いなくそれが出来る時があるのだよ」

 

 

 ギーシュ達と別れた桐生は、コルベールの研究室に招かれていた。

研究室は本塔と火の塔の間に建てられた、見るも無惨な掘っ立て小屋だった。

 

「最初は自分の居室で研究をしていたんだが、騒音と異臭から苦情が来てしまってね。仕方なくここに小屋を建てて移ったのさ」

 

 コルベールは話しながら自分の机であろう、様々な書類や用途がわからない器具が置かれた物の椅子に腰掛けた。

 研究室には木で作られた棚が並び、中には本や良くわからない生き物が入った瓶や調合用の器具等が並んでいた。

 カビとも埃とも言えない異臭が鼻をつき、桐生の眉が僅かにひそむ。

 

「臭いはすぐにでも慣れるさ。まぁ、ご婦人には堪らないだろうがね」

 

 コルベールは苦笑を漏らしながら、ゼロ戦の燃料タンクの中から取り出した、僅かに残ったガソリンを入れた壺の臭いを嗅いだ。「固定化」の呪文をかけられたお陰で、ガソリンは化学変化を起こしていなかった。

 

「む……嗅いだ事のない臭いだな。温めていないのにこの臭いを発するとは、随分気化しやすい液体の様だ。これは、爆発した時の威力も凄そうだ」

 

 コルベールは独り呟きながら羊皮紙にサラサラと羽根ペンを走らせてメモを取る。

 

「この油が大量にあれば、あの「ひこうき」とやらは飛ぶのだね?」

 

 桐生は腕を組みながら頷いた。

 

「壊れてなければ、その筈だ」

 

「面白い! 久々に血が騒ぐ! 調合は大変そうだがやってみよう!」

 

 コルベールはそう言うと、棚から色んな液体やら粉やらを取り出して机の上に並べ、桐生へと顔を向けた。

 

「カズマ殿、貴方の故郷ではあれが普通に飛んでいるのかね? だとしたらエルフの知識や技術は、もはやハルケギニアとは別次元の物を感じるな」

 

 桐生はここで言葉を詰まらせて困った表情を浮かべた。運賃を立て替えて貰ったり、ガソリンをこれから作って貰うのを考えると、コルベールに嘘はつきたくなかった。

 話した所で信じて貰えるかはわからないが、作業を続けているコルベールに真剣な眼差しを向けて、桐生は口を開いた。

 

「実はな、コルベールさん……俺はこの世界の人間じゃないんだ。俺も、あの飛行機も、そしていつぞやの「破壊の杖」とやらも、このハルケギニアじゃない、別の世界からやって来たんだ」

 

 桐生の言葉に、コルベールの手がピタリと止まった。

 

「カズマ殿……今、何と言ったのかね?」

 

「別の世界から来た、と言った」

 

 コルベールは手を完全に止めて、桐生をマジマジと眺めた。そして、ふむ、と小さく呟くと、頷いて見せた。

 

「あまり驚かないんだな」

 

「そんな事はない。しかし、貴方の言動、知識は確かにあまりにもハルケギニアでは常識外れな事が多いからね。いや、実に面白い」

 

「変わった人だな、あんたは」

 

 桐生の言葉にコルベールは小さく頷いた。

 

「その通りだよ。私は変わっている。変人、とも良く言われる。だがね、私には信念があるんだ」

 

「信念?」

 

 コルベールは開かれた窓の外へと視線を向けながら、遠い目をして頷いた。

 

「ハルケギニアの貴族は、魔法をただの道具としてしか見ていない。しかし、私はそうは思わない。魔法は使い様で顔色を変える。「火」の系統は、特にそうだと思う。人を救う為に食事を作ったり、暖を取ったりと出来るように、人を殺める為に牙を剥き、家も大地も焼き付くす武器にもなる」

 

 心なしか、コルベールの口元が辛そうに歪んでいるのが見えた。が、すぐに優しげな笑みへと変わる。

 

「だから私はいつか、誰も彼もが魔法の様に火を着けたり、水を出したり出来る装置を作りたいのだよ。そして、それを世界に広めたいんだ。はは、カズマ殿、貴方との出逢いも、もしかしたら始祖ブリミルのお導きかもしれない。異世界とは! ハルケギニアの理が全てではないのだ! ならばまだまだ世界は広く、そして多くの可能性が秘められていると言う事だ! 実に面白い! 私はまだまだカズマ殿と交流を深めたいと思う! だから、困った事があればいつでも来てくれたまえ!」

 

 満面の笑顔を浮かべて握手を求めるコルベールに、桐生も笑顔で握手を固く結んだ。

 

 

 「アウストリ」の広場に佇むゼロ戦を眺めながら、桐生は煙草に火を着けた。そして、ゼロ戦の機体に手を這わせ、瞳を閉じてみる。

 頭の中にゼロ戦の操縦法が流れ込んで来て、操縦桿の扱い方、機体の構造が次々と自分の知識として吸収されていくのを感じる。瞳を開いてみると、左手甲の「ガンダールヴ」の印が輝いていた。

 

「相棒、本当にこれは飛ぶのかね?」

 

 腰からぶら下げていたデルフリンガーが、とぼけた口調で桐生に問い掛けた。

 

「ああ、飛ぶ」

 

「はぁん。こんな物が飛ぶなんざ、相棒のいた世界ってのは本当に奇妙な所だぁね」

 

「俺からすれば、こっちの方が奇妙な所なんだがな」

 

 軽口を叩き合いながらゼロ戦から手を離すと、数人の生徒がやって来ては中庭に現れた奇妙な物体を物珍しそうに見ているのに気付いた。

 ふと、その中に見覚えのある、桃色の髪が見えたのだが桐生はあえて無視した。ゼロ戦へと身体を向けてこちらを見つめている少女に背を向けた。

 

「相棒、娘っ子が見てるぜ?」

 

「放っておけ」

 

 美味そうに紫煙を燻らせて呟く桐生。

 早くもゼロ戦に興味をなくした生徒達が足早に去っていく。やはりこの様な物に関心を持つのはコルベールくらいのものらしい。

 今、桐生の後ろにいるのはルイズ一人。それは気配でわかる。

 

「お、おい、相棒……娘っ子の奴、顔を赤くしたり青くしたり、笑ったり怒ったり落ち込んだりと、なんか大変そうだぞ?」

 

 デルフリンガーの言葉からルイズの様子は容易にわかり、思わず口元に笑みが浮かびそうになるが堪える。

 

「いいから放っておけ。時には自分が悪い事を認め、自分から謝る勇気も必要だ。あいつには、それを学んでもらわなきゃならない。今後のあいつの為にもな」

 

 後ろで独り百面相をしているルイズに構わず、煙草を携帯灰皿へ捩じ込んで腕を組む桐生。

 不意に、こちらに近付く足取りを感じたかと思うと、ジャケットの背中を小さくクイッと引っ張られた。

 

「か、カズマ……」

 

 弱々しく、今にも泣き出しそうな声で桐生の名を呼ぶルイズ。

 桐生はゆっくりと身体をルイズに向けて頷いた。

 

「久しぶりだな、ルイズ」

 

 どこか冷たさを含んだ声で軽く挨拶する桐生に、ルイズは少し戸惑いながらもどこか安堵した表情を浮かべる。

 しかし、すぐさま少し怒った様な表情へと変わる。

 

「今まで、どこにいたのよ?」

 

「キュルケ達と少し出掛けていた」

 

「何を勝手にそんな……」

 

「クビになった身なんでな。いちいちお前に伝えなきゃいけない理由はない」

 

 いつもとは違い、冷たく素っ気ない態度で答える桐生に、ルイズの心に不安が募っていく。自分が勝手に追い出してしまった手前、そうされても文句は言えないのだが悲しい。ルイズが求めていた桐生の声はそんな冷たい物ではなく、もっと暖かい物だ。

 もっと自分の気持ちに素直になれ、と言うキュルケの言葉が蘇る。

 

「……シエスタから、聞いたわ。あの時、本当に何もなかったのね」

 

「最初からそう言っただろう? まぁ……お前にとって、俺はそこまで信用されてなかった事に素直に驚いたが」

 

 ズキリ、と桐生の言葉がルイズの胸に突き刺さる。そうなのだ。何故あの時、自分は桐生の言葉を信じられなかったのだろう。

 本人にも自覚がない、恋する乙女の複雑な心境に、ルイズは常に自分自身を振り回してしまっていた。

 

「そ、その、あの、あのね……」

 

 スカートを強く握り締め、必死に言葉を紡ごうとするルイズ。次第に瞳には涙が溜まりだし、肩は小さく震え始める。

 

「……話も聞かないで、追い出してごめんなさい。もう、もうクビなんて言わないから……帰って、がえって……ぎで……!」

 

 とうとう涙を零して嗚咽混じりに謝罪し始めたルイズの頭を、桐生は優しく撫でてやる。

 

「おう」

 

 その一言に、ルイズは桐生に抱き着いて身体を震わせて静かに泣いた。

 

 

 その夜、桐生のジャケットを身に纏ったルイズがベットの上でこの十数日間、桐生が体験した話を聞いていた。時折ワクワクした様な表情を浮かべて聞き入っている。

 

「……それで、シエスタの実家にあったあの「ひこうき」とやらを持って帰って来た訳ね?」

 

「ああ。あれがちゃんと飛べば、シエスタのひいおじいさんとやらがやって来た東の方へと向かえるからな」

 

 ワインレッドのシャツ姿で椅子に座った桐生が頷く。もしコルベールの研究が上手くいってガソリンが作れれば、間違いなくあのゼロ戦は飛べる。そうすれば、東の方へと飛んで何か元の世界へ帰る手掛かりを探せるかもしれない。

 

「やっぱり……帰りたい?」

 

 不安げな顔でシーツを握り締めながらルイズが問い掛ける。

 そんなルイズの表情に一瞬戸惑いを見せてから、桐生はゆっくりと頷いた。

 

「ここの生活も悪くないと思っている。自分のいた場所では体験できない事ばかりだしな。だが、あっちには俺の帰りを待ってくれている人達がいる。それは。俺にとっても大切な人達なんだ」

 

「そっか、そうよね……」

 

 少し寂しげに笑いながら言ったルイズは、桐生に手を振って手招いて見せる。

 桐生は素直にそれに応え、ルイズの隣へと座った。

 

「私ね、今……姫様の結婚の際に詠み上げる詔を考えなきゃいけないの」

 

 話題を反らし、少しでも自分にとって嫌な話を遠ざける子供騙しな方法だが、桐生は気にしてない様に先を促す様に頷いた。

 

「だけど、私は詩人じゃないし、こんな時にどんな言葉を言えば良いのかわからないの。だから、カズマにも協力して欲しいのよ」

 

「協力、と言われてもな。その詔とやらはどんな風に詠むんだ?」

 

 桐生とて、それなりに様々な知識はある物の詩なんてまともに考えた事がない。正直、自分では大したこと助けにはなれないんじゃないかと自覚し始めた。

 

「んと……火に対する感謝、水に対する感謝と、四大系統に対する感謝の辞を順番に詠み上げなきゃいけないの。だけど、ただ詠めば良いって訳じゃないわ。韻を踏みながら詩的な言葉で詠まなければいけないの」

 

「なるほどな……」

 

 ルイズの言葉を頭の中で整理しながら相槌を打つ桐生。韻を踏む、と聞くと以前神室町で出会った青年のラッパーを思い出す。ヤル気が全く感じられない歌からまさかのわらしべ長者への道が開けるなんて誰が考えるだろう。

 

「……俺はこの世界の風習についてまだまだ詳しくはないから、上手く言えないんだが」

 

 桐生はそう前置きを置いてから続けた。

 

「お前があのお姫様を祝いたい気持ちを、そのまま乗せたらどうだ? 火に対する感謝、と言われてもピンとは来ないんだが、燃える火の様に互いを熱く愛し合える相手に出会えて良かった、とかな」

 

「そんな事、嘘でも言いたくないわ」

 

 桐生なりに真剣に考えた言葉だったが、ルイズは顔を俯かせて小さく呟いた。

 あのお姫様は、アンリエッタは、国の為に自分も良く知らない相手と結婚するのだ。親友であり、家臣であるルイズから見れば、そんな物祝いたくもない事だろう。

 

「お前は優しいな、ルイズ」

 

 そう漏らしてから、桐生はルイズの頭を優しく撫でた。

 

 

 桐生が魔法学園に戻って三日、コルベールは自分の受け持つ授業の講義以外は寝食を忘れて調合に勤しんでいた。目の下の隈が、その努力を物語っている。

 アルコールランプの上に置かれたフラスコが外から差し込む日の光を反射して、眩しさに目が痛む。ガラス官が伸びて左に置かれた冷えたビーカーの中には、熱せられた触媒が冷えて凝固している。

 最後の仕上げに直面したコルベールは、ここでゆっくりと深呼吸してから意識を集中させた。桐生から貰ったガソリンの臭いを強くイメージしながら、冷やされたビーカーに向かって「錬金」の呪文を唱えた。

 ボンッ、と小さな爆発音と煙を上げながらビーカーの中の冷えた触媒が茶褐色の液体に変わった。ごくっと生唾を飲んでビーカーを手に取り臭いを嗅いでみる。

 つんと鼻をつく刺激臭。それはあの時嗅いだガソリンの臭いだった。

 自然と笑みが浮かんでくるコルベールはこの調合を数回繰り返し、ちょうどワイン瓶二本分の量を作ると急いで研究室から出た。

 目を焼かんばかりの眩しい輝きに一瞬顔を手で覆う。すると昼食を告げるチャイムの音が鳴り響いた。

 

「もう昼か……ん、外の空気はいいな。そんな事すら忘れていた」

 

 身体を少し伸ばして正午を迎えた太陽の日差しを久々にたっぷりと浴びながら、コルベールは自嘲気味に呟いてゼロ戦の置かれている「アウストリ」の広場まで走った。

 ゼロ戦の所には桐生がおり、コックピットに乗り込んで点検をしていた。

 

「カズマ殿! 完成しましたぞ!」

 

 コルベールの声で此方に向かってくるのに気が付いた桐生はコックピットから飛び降りた。

 コルベールの手に持たれたワイン瓶二本に入ったガソリンを燃料コックへと注ぎ込んだ。

 

「いやぁ、なかなかに難しい作業でしたぞ。あの油の成分を調べたら微生物の化石から作られた様だったので、それに近い成分の石炭を使いました。そこから色々試行錯誤して「錬金」を何日間も繰り返し出来上がったのが……なんと言ったかな?」

 

「ガソリンだな」

 

 桐生の言葉にコルベールは笑顔で頷いた。

 

「そうそう、ガソリンでしたな! しかし、こんなに真剣に何かを調合したのは久しぶりだ。お陰で寝るのも食事も忘れていましたよ」

 

 禿げ上がった頭を掻きながらコルベールが苦笑を浮かべて見せた。

 目の下に出来た濃い隈に、頬も若干やつれて見える。相当無理をした様だ。

 

「すまないな。随分難しい作業を任せてしまった様で……」

 

 申し訳なさそうに言う桐生にコルベールはあっけらかんと笑って首を振った。

 

「何をおっしゃるか。私の知的好奇心を満たしてくれた事に、逆に感謝を表したいくらいなんですぞ? それよりもカズマ殿、早くこの「ひこうき」とやらを飛ばして見せてくれ! 私はそれだけが楽しみで楽しみで……!」

 

 桐生は頷くと、燃料コックの蓋を閉めて再びコックピットへと乗り込んだ。頭に流れてくるエンジンの始動方法からまずはプロペラを回さなくてはならないのがわかった。コックピットから顔を出した桐生がコルベールに声をかける。

 

「コルベールさん、魔法でそのプロペラを回せるか?」

 

「む、これかね? それは可能だが……これを回す動力はあのガソリンとやらとは違うのかね?」

 

「最初はエンジンをかけるために、手動で回す必要がある。だが、本来回す為の道具がないから魔法で直接回してくれ」

 

「なるほど、心得た」

 

 コルベールに協力を頼んでから、桐生は各部の操作を開始する。

 「ガンダールヴ」の力のお陰か、手は止まる事を知らない様に操作を行っていく。

 コルベールが魔法で回してくれたプロペラが、重そうにゆっくりと回り始めた。後はタイミングの問題だ。

 緊張から汗ばむ左手で握ったスロットルレバーを、ゆっくり前に倒す。

 バスンと燻る音が聞こえたかと思うと、プラグの点火でエンジンが始動し、プロペラの回転が早まる。その風圧でコルベールが一瞬吹き飛ばされそうになった。

 轟音を立てながら機体が振動している。車輪ブレーキをかけてなければ、間違いなく走り出してしまっていただろう。

 プロペラの風を避けて少しだけ離れた場所から、確かに起動しているゼロ戦を見て、コルベールは感動した面持ちを浮かべている。

 問題なく全てのエンジン系の計器が機能しているのを確認してから、桐生は点火スイッチをOFFへ切り替えた。

 コックピットから飛び降りてコルベールに近付くと、硬い握手を結んだ。

 

「やったぞ、コルベールさん! あんたのお陰でエンジンがかかった!」

 

「いやぁ、良かった良かった! 頑張って調合した甲斐がありましたぞ! しかし、何故飛ばんのかね?」

 

コルベールは握手を交わしたままゼロ戦へ視線を向けて首を傾げて見せる。てっきり飛び立つと思っていた彼には、少々拍子抜けだった様だ。

 

「残念だが、ガソリンが足りない。飛び立つには、そうだな……樽で五個分、といった所か」

 

「そんなに必要なのかね!? だが、この大きさを考えれば当然か。うむ! 乗り掛かった船だ! やってやろうじゃないか!」

 

 コルベールは力強く頷いてから握手を解くと、ゼロ戦に身体を向けて腕を組んだ。

 

「カズマ殿のいた世界には、こんな物が飛んでいるとは……もしこれがこの世界に広まれば、平民の生活も豊かになるだろうか。」

 

 コルベールと同じ様にゼロ戦に身体を向け、咥えた煙草に火を着けてから桐生は頷いた。

 

「きっとな。少なくとも、今まで見えていた世界が、もっと広く見えるのは間違いないだろう。この飛行機の基礎を応用すれば、物資や人手の運送に使える筈だ」

 

「そして、応用次第では武器にもなる、か……」

 

 コルベールの小さな呟きに、桐生が顔を向ける。

 コルベールはゼロ戦を複雑な表情で見つめていた。不安と期待が入り交じった、何とも言えない表情だった。

 

「カズマ殿……少し、私の独り言を聞いてくれますかな?」

 

 コルベールの言葉に、桐生は小さく頷きゼロ戦へ視線を向けた。少しだけ強い風が、二人の身体を撫でて煙草の紫煙と灰を拐って行った。

 

「私がこの魔法学園に来たのも、そして周りに変人と呼ばれながらも研究を続けるのも、ある事の為なのです。「罪滅ぼし」と言う、身勝手な理由のね。」

 

 普段の陽気さや気難しさとは違う声色の、重々しいコルベールの言葉が広場に小さく響く。

 

「私は20年程前、罪を犯しました。決して許されない、許されてはならない罪を。私は、私の様な人間が再びこの世に現れない様に学園の教師となり、子供達に魔法の正しい使い方を教えてきました。そして、いつか世界中の人々がより豊かな生活を送れる様に研究を重ねているんです」

 

 そこでコルベールは自分の身体を抱き締め、歯をカチカチと鳴らして震え出した。桐生はコルベールの顔を見ない様に紫煙を燻らせたが、見ずともその表情が苦痛に歪んでいるのが手に取る様にわかった。

 

「しかし、私は同時に恐いんです。私の教えが元で、子供達を兵士へと育ててしまったら、私の研究が元で戦争の道具を増やしてしまったらと思うと……恐いんです」

 

 嗚咽に近い声で漏らすコルベールに、桐生は黙ったままただ側にいた。

 暫く二人はそのまま立ち尽くしていたが、やがてコルベールが溜め息を漏らしながら身体を楽にさせた。

 

「フーケの一件の時、カズマ殿はおっしゃいましたね? お前達に、教師を名乗る資格はない、と。その通りだと思います。私は、私自身の教えを信じられていない。そんな人間が誰かに物を教えるなんて、無理な話ーー」

 

「そんな事はないさ」

 

 コルベールの自嘲を、桐生は力強い声で遮る。

 コルベールが桐生に視線を向けると、桐生は煙草を携帯灰皿に捩じ込んで顔を向けた。

 

「コルベールさん、あんたがかつてどんな罪を犯しちまったのか、俺にはわからない。だがな、それを償おうと子供達に授業を教え、そして世界の為にと研究をしている……良いじゃねぇか、身勝手な理由だって。償おうとして行動しているなら胸を張るべきだぜ」

 

 コルベールの肩を優しく叩きながら言う桐生。桐生には、コルベールの気持ちが何となくわかった。

 以前、賽の河原で峰義孝に言われた言葉。沖縄で営む「アサガオ」を偽善呼ばわりされた瞬間、桐生は心のどこかでそうかもしれないと自重した。

 だが、遥の、あの子供達の笑顔を見ると、周りにどう思われても構わない。この子達がただ幸せな日々を送ってくれれば良い。そう思えたのだ。

 

「そして、授業と研究。自分に自信がないなら、子供達に、周りの人間に教えて貰えばいい。教師だから、研究者だからと言って自分で殻に閉じ籠っちゃ、見える物も見えなくなる。以前あんたは俺に力になるって言ってくれたな? なら、俺だってあんたの力になる。一人で抱え込まないで、たまには誰かに頼るのも、大事な事だと思うぜ?」

 

 桐生はコルベールに身体を向けると、手を差し出した。かつて、全てを失い、自暴自棄になっていた、浜崎豪へと差し出した様に。

 コルベールは少し驚いた表情を浮かべてから、照れ臭そうにその手を強く握った。

 

「ありがとう、カズマ殿。少し、気が楽になりました。そうですな……一人で抱え込んでも、ただ辛いだけ。いつからか私は、誰かを頼るのを一番恐れていたのかもしれませんな」

 

 そう話した後、コルベールの腹が大きく鳴った。ここ三日間、ガソリンの調合に精を出してしまい、ろくに食べなかったせいで胃袋がいい加減にしろと訴え始めたのである。

 一瞬の間の後、二人は大声で笑った。

 

「そう言えば腹が減っていたのも忘れていた! 今日は私の授業もないし、これから遅めの昼食と行きませんか、カズマ殿?」

 

「良いな。俺もそろそろ腹が減ってきた」

 

 二人は並んで食堂へと歩き出した。

 それぞれの罪を背負い、それでも懸命に生きている二人の男。その背中はまるで、気の置ける友が並んで歩く様に温かく見えた。


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