ゼロの龍   作:九頭龍

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竜の羽衣


第22話

 翌朝、一行を乗せたウィンドドラゴンの上でシエスタが「竜の羽衣」についてみんなに説明した。

 しかし、シエスタから受けた説明は村の近くに寺院がある事、そしてそこに「竜の羽衣」が祀られていると言うだけで、どんな物なのかが想像出来なかった。

 

「そもそも、なんで「竜の羽衣」なんて呼ばれているの?」

 

 風になびく燃える様な赤髪を手で抑えながらキュルケが首を傾げて見せた。

 

「それを纏ったら、空を飛べるらしいんです」

 

「らしい?」

 

 シエスタの言葉からどこか自信が無さそうなのを感じ取って、桐生が鸚鵡返しの様に言う。

 

「実は……その「竜の羽衣」の持ち主、私のひいおじいちゃんなんです。その「竜の羽衣」に乗って、私の村に突然ふらりと現れたらしいんです。それで、「自分は東の国からこれに乗って来た」とみんなに言ったそうです」

 

「へぇ、凄いじゃないか。本当に飛べるんだね」

 

 ギーシュがワクワクした表情で言うも、シエスタは溜め息をつきながら首を振った。

 

「いえ、それが……村の人がその「竜の羽衣」に乗って飛んで見せてくれと言ったら、ひいおじいちゃんは何か言い訳をしたらしいんですけど、結局飛べなかったんです。だから、みんなはひいおじいちゃんが頭がおかしくなったと、馬鹿にして相手にしなかったそうです」

 

「なんだか……いたたまれないな」

 

 シエスタの話ぶりからそのひいおじいちゃんと言う人物がなんだか可哀想に感じて、桐生は眉をひそめながら呟いた。

 そんな桐生に、シエスタは手と首を振って見せた。

 

「でも、その「竜の羽衣」の件以外はとても真面目で働き者だったそうです。飛べないからと言う理由で私の村に住み着いちゃったんですけで、明るくて元気な姿に私のひいおばあちゃんが惚れちゃったみたいで……そのまま結婚して、村では人気者だったそうです」

 

「異国から来た謎の男と村娘の恋……なんかロマンチックね」

 

 シエスタのひいおばあちゃんの恋の馴れ初めに、キュルケは心底楽しそうに呟く。

 

「しかし、寺院に祀られているって事は、その村の名物みたいな物だろう? 昨日シエスタが作ってくれたヨシェナヴェみたいな。そんな物を貰う訳にはいかないんじゃないか?」

 

 桐生の言葉にギーシュとキュルケもどこか残念そうにしながらも確かにとばかりに頷いた。

 

「でも、私の家の持ち物だし……もしもカズマさんが欲しいって言ったら、私の父に掛け合います」

 

 シエスタは少し悩んだ様にそう言って、苦笑を浮かべた。

 

 

 桐生は信じられない物を見ているかの様に、その「竜の羽衣」を眺めていた。

 ここはシエスタの故郷、タルブの村の近くに建てられた寺院。そこに「竜の羽衣」は安置されていた。

 寺院はシエスタの曾祖父が自分で建てたらしく、まるで日本の寺を思わせる様な造りをしている。

 曾祖父が金を工面し「固定化」の魔法をかけられた「竜の羽衣」は錆一つない姿をしていた。

 ギーシュとキュルケはつまらなそうにその「竜の羽衣」を眺めているが、タバサは好奇心が刺激されたのか、珍しくしげしげと眺めている。

 

「あの、カズマさん? 大丈夫ですか?」

 

 呆けた様に「竜の羽衣」を見つめる桐生を心配した様にシエスタが声をかけるが、桐生は答えずにただただ「竜の羽衣」に視線を釘付けにしていた。

 

「こんな物が飛ぶ訳ないじゃない」

 

キュルケががっかりした様に肩を落とした。

 

「確かに……どう見てもカヌーに翼を着けた玩具にしか見えないな。まぁこんな大きさに作れたのは素直に凄いとは思うけど」

 

 ギーシュもつまらなそうに「竜の羽衣」から視線を逸らして小馬鹿にした様に笑った。

 

「シエスタ……」

 

 そんなギーシュとキュルケが見えていないかの様に桐生が口を開いた。

 

「お前のひいおじいちゃんが残したのは、これだけか?」

 

「えっ? あとはお墓と、探せば何かあるかもしれませんけど……」

 

 桐生はシエスタの方へと身体をむけると、シエスタの肩をガシッと掴んだ。シエスタは自分の瞳を見つめる桐生の真剣な眼差しにドキッとして、顔に赤みが差す。

 

「頼む、それを見せてくれ」

 

 桐生の真剣な言葉にギーシュもキュルケも、「竜の羽衣」を眺めていたタバサも桐生へと視線を向ける。

 

「わ、わかりました。ではまず、お墓を」

 

 桐生の言葉に戸惑いながらシエスタは頷き、寺院の外へと出ていった。それに桐生が続き、ギーシュ達も続く。

 シエスタに先導されて辿り着いたのは、タルブの村の共同墓地だった。所々に白い石で作られた墓石の中、一つだけ黒く他の墓石と趣を異にした墓石がある。

 その墓石には墓碑銘が刻まれていた。

 

「ひいおじいちゃんが亡くなる前、自分で掘った文字なんですが……村のみんなも誰も読めないんです」

 

 シエスタの言葉に興味を持ったのか、タバサが墓石に近付いて刻まれている墓碑銘を指先でなぞる。

 

「見た事ない文字」

 

 小さく呟いて桐生達に顔を向けたタバサは小さく首を振って見せた。

 

「確かに、見た事ない文字だな。古代の文字とか?」

 

「う~ん…どちらかと言うと、どこか異国の言葉なんじゃないかしら? シエスタのひいおじいちゃんって、東から来たんでしょう?」

 

 ギーシュとキュルケも試しに墓碑銘を眺めるが、見た事のない文字に首を傾げて手を上げて見せる。

 

「そうなんですよね。だから未だにひいおじいちゃんがなんて掘ったのかわからなくて。ねぇ、カズマさん、何かーー」

 

「海軍少尉佐々木武雄、異界ニ眠ル」

 

「えっ?」

 

 シエスタの言葉を遮りスラスラと墓碑銘を読み上げた桐生に、一同は目を丸くする。

 桐生は墓石に手を合わせて黙祷した後、シエスタへと視線を移す。

 黒い髪と黒い瞳。どこか懐かしさを感じさせるその色に、桐生は漸く合点がいった。

 

「シエスタ……お前、その髪と瞳、ひいおじいちゃんに良く似ていると言われないか?」

 

 桐生の言葉に、シエスタは驚いて口元を手で覆う。

 

「ど、どうして……その事を?」

 

 

 再び寺院に戻った桐生は「竜の羽衣」に触れてみた。すると左手のルーンが輝き、中の構造や操縦法がまるでパソコンにインストールされる様に桐生の脳へと入っていく。

 燃料タンクのコックを見つけ、開いて見ると中は空っぽだった。如何に綺麗に原型を留めていようとも、ガス欠では飛ぶ筈がない。恐らく、シエスタの曾祖父はそれを村のみんなに説明したのだろうが、理解されなかったのだろう。

 一体この機体に乗っていた主は、どうやってこのハルケギニアに来たのだろう。そう考えていると、生家に帰っていたシエスタが戻ってきた。

 

「ふぅ。予定よりも二週間も早く帰ってきたから、みんなに驚かれちゃいました」

 

 シエスタは手に持っていた品物を桐生に差し出した。

 それはひびの入った、古ぼけたゴーグルだった。恐らくシエスタの曾祖父が着けていた物なのだろう。

 

「ひいおじいちゃんの形見はこれしかないそうです。日記とかも書いてなかったそうで……ただ、父が遺言を残したと言っていました」

 

「遺言?」

 

「なんでも、あの墓石の言葉が読めた人に、あの「竜の羽衣」を譲る様に言われたそうです」

 

「つまり、俺にあの「竜の羽衣」を受け取る権利があると言う訳か」

 

「はい。それで父と話したんですが、もしカズマさんが宜しければ貰って欲しいとの事です。やっぱり管理とか大変だし、今は正直村でもお荷物みたいなんで」

 

 当然と言えば当然だが、シエスタの曾祖父の事を思うと少し可哀想に感じながら苦笑を浮かべる桐生。

 

「なら、有り難く頂こう」

 

「それと、「竜の羽衣」を受け取る相手にこう伝えて欲しいと言ったそうです」

 

「それは?」

 

「なんとしてもあの「竜の羽衣」を、陛下にお返しして欲しい、との事です。でも陛下って、誰の事なんでしょうか? ひいおじいちゃんは、一体どこの国から来たのか、未だにわからないんです」

 

 桐生は遠い目をして呟く。

 

「俺と同じ国だよ」

 

「カズマさんと? ああ、だからカズマさんはあの墓石の文字が読めたんですね。うわぁ……なんか、運命を感じます。私のひいおじいちゃんとカズマさんが同じ国の人だったなんて」

 

 両手で顔を覆い頬を赤らめて呟いたシエスタは、「竜の羽衣」を見ながら手を下ろした。

 

「ひいおじいちゃんは本当に、この「竜の羽衣」に乗ってタルブの村に来たんですね」

 

「シエスタ……これは「竜の羽衣」って言う物じゃないんだ」

 

 桐生は指先で濃緑色のボディに触れて、そのラインをなぞる様に機体に描かれた日の丸の赤い塗料の箇所へと滑らせた。

 

「じゃあ、カズマさんの国ではなんと呼ぶんですか?」

 

 そう言えば、何故この機体がそう呼ばれたのかは、理由はわからない。

 機体に描かれた白い辰の文字。恐らく部隊を表した記号なのだろう。この機体に乗って、何人の若き命が戦い、散った事だろうか。

 

「ゼロ戦。俺の国の戦闘機だ」

 

「ぜろせん? せんとうき?」

 

 言葉が理解出来ないシエスタはおうむ返しの様に桐生の言葉を繰り返す。

 

「空を飛んで敵と戦う……戦争の道具だ」

 

「戦争の、道具……!」

 

 シエスタが息を飲みながら一歩後退さるのを感じる。

 当然だろう。自分のひいおじいちゃんが持ってきた物が、まさか戦争の道具だなんて思いもしなかっただろうから。

 

「恐らくシエスタのひいおじいさんとやらは、戦争の最中に、何らかの理由でこのタルブの村に来てしまったんだ」

 

「ひいおじいちゃんが、そんな……とても明るくて優しい人だって聞いていたのに。戦争に参加していたなんて……」

 

 口元を押さえながら、瞳からポロポロと涙を零すシエスタ。姿こそ見た事は無い物の、シエスタの中で曾祖父は優しく、汚れのない人だった。それがまさか戦争に、人を殺める立場に立っていたとなれば、それなりのショックは隠せなかった。

 

「戦争とはそう言う物だ。望む望まぬを好まず、国や上の人間達が勝手に決めた戦場に人々を駆り出し戦わせる……本当に、下らねぇ」

 

 吐き捨てる様に言った後、桐生はシエスタに近付いて優しく肩を掴んだ。

 涙に濡れた瞳を桐生へと向けるシエスタの視線に写るのは、優しい笑顔の桐生だった。

 

「だが、シエスタのひいおじいさんはこのタルブの村に来て、タルブの村のみんなのお陰で温かく、安らかに眠る事が出来た。無駄死にする事もなく、一人の人としての幸せの中で亡くなれたと思う。同じ国の人間として、礼を言わせてくれ。ありがとう」

 

 ひいおじいちゃんはこの村の一員。だから、墓を作り、安らかな眠りつく事が出来たのは当たり前の事。

 そんな当たり前だと思っていた事に礼を言われて、何でこんなにも、温かい涙が溢れてくるのだろう。

 

「そんな、私、私達、なんにも……ただ、ただひいおじいちゃんを……」

 

 心の何処かでずっと気になっていた曾祖父の出世や過去。その謎が少し溶けた安堵と、桐生の言葉から伝わる温かい気持ちに、シエスタの涙は止まらなかった。

 桐生はそんなシエスタを抱き寄せ、頭を優しく撫でながら、シエスタの涙が止まるのを待った。

 少しの間、桐生の胸元で泣きじゃくっていたシエスタは漸く顔を上げ、涙を指先で拭った。

 

「今夜は、私の家に泊まっていって下さい。家族にカズマさんや皆さんを紹介したいし、これからお昼ご飯になりますから」

 

 満面の笑顔を浮かべるシエスタに、桐生も笑顔で頷くと、村を散歩していたギーシュ達と合流してシエスタの生家に向かった。

 シエスタの家は父母に兄弟姉妹が大勢と言う大家族だった。シエスタは八人兄弟の長女で、家への仕送りの為に魔法学園で働いているとの事だ。

 シエスタと同年代のギーシュ達の中で桐生の存在は少し特異に見え、シエスタの父母は少し怪訝そうに眺めていたが、シエスタから奉公先でお世話になっている人だと説明を受けると、直ぐに相好を崩して握手を求めてきた。

 

「いや、失礼致しました。私がシエスタの父でございます。娘がいつもお世話になっている様で」

 

「いや、俺の方こそ食事やら何やらでいつもお世話になりっぱなしです。シエスタさんは良い娘さんだ。いつもご家族の為にと頑張っていますよ」

 

「も、もう、カズマさんたら……」

 

 父と握手を交わしながら優しい笑顔を浮かべて自分への褒め言葉を口にする桐生にシエスタが顔を赤らめる。そんなシエスタを姉妹兄弟がからかって慌てた様に怒声が上がった。

 大家族に囲まれて振る舞われたのはヨシェナヴェだった。皿にシチューを盛りながら家族に囲まれ動くシエスタは幸せそうに見える。

 不意に、その光景が「アサガオ」の食事風景と重なった。太一や三雄がふざける中叱りながら食事を運び、幸せそうに笑顔を浮かべていた遥。

 当然ながら、ルイズにもギーシュにもキュルケにも、そしてタバサにも家族がいる。自分にとっての家族と呼べるあの子達は、今頃どうしているのだろうか。

 

 

 昼食を終え、暫くシエスタの兄弟達と戯れてから迎えた夕方、桐生は一人村のそばにある草原へと足を運んだ。

 夕陽が草原の向こうにある山の間に沈みかけて、青いであろう草が茜色に染まっている。所々に咲いている小さな花が、時折吹く風に静かに揺れている。

 桐生は咥えた煙草に火を着けて、ゼロ戦に乗ってこの世界を迷い込んでしまったシエスタの曾祖父に想いを馳せた。

 突然日本からこのハルケギニアに迷い込み、あてもなくさまよっている内にこの草原を見つけ、不時着したのだろう。そして村のみんなに飛んでみろ、と言われ再びエンジンをかけた所でガスが切れてしまい、そのままここに住み着いたと思われる。

 不幸中の幸いだったのは、不時着に成功してからガス欠になった事だ。飛んでいる最中にガスが切れ、墜落等すればまず助からない。それに、もし墜落で亡くなってしまっていたら、シエスタは産まれる事もなかった。人の縁とは、なんとも不思議な物である。

 煙草の先と口元から吐き出される紫煙が風に拐われる中、シエスタが桐生の元へとやって来た。先程まで着ていたメイド服とは違い、茶色のスカートに木の靴、草色の木綿のシャツを身に付けたシエスタは、まるで陽の香りのする、目の前に広がる優しい草原を連想させた。

 

「ここにいらっしゃったんですか」

 

 優しい微笑みを浮かべたシエスタは桐生の隣に立つと、桐生と同じ様に草原を見つめた。吹き抜ける緑の香りを含んだ風が、二人の頬を心地好く撫でる。

 

「この草原、とても綺麗でしょう? 小さい頃からこの草原を前にすると、嫌な事も辛い事も全部忘れられたんです」

 

「確かに……心を洗われる様な、綺麗な景色だ」

 

 桐生が頷きながら言うと、シエスタは口元に手を当てて小さく笑った。

 

「父が言っていました。学園に奉公に行っているから同年代くらいの男の子に囲まれてるんじゃないかと思っていたって。カズマさんを見て、この人がいれば大丈夫だって安心したみたいです」

 

「そうか。まぁ、父親にとって、娘に変な虫が着かないか心配だったんだろうさ。でもいずれ、シエスタの前にも理想の男が現れる時が来る」

 

 美味そうに紫煙を燻らせながら、自分もきっと遥が彼氏を作ったなんて聞いたら、いてもたってもいられなくなるだろうと苦笑を浮かべる桐生。

 するとシエスタは俯いて、指先を弄りながら呟いた。

 

「本当は、もう現れたんです」

 

「ん?」

 

 シエスタの呟きに、桐生は顔を向けながら首を傾げて見せた。

顔を上げたシエスタの頬は、夕陽とは違う赤みに染まっている。

 

「私は……カズマさんが好きです。同年代の男の子にはない、上手く、上手く言えませんけど、強い意志と信念を背負っているカズマさんがとても格好良くて……私は好きです!」

 

「シエスタ……」

 

「厨房からカズマさんの足が遠ざかった時、私、寂しかった。どうしてカズマさんは来てくれないんだろうって。そして、ミス・ヴァリエールにも何度も嫉妬しました。カズマさんをいつも独り占め出来るのは、ミス・ヴァリエールだけ。でも、でもっ! 私がカズマさんを好きって感情は、誰にも負けないっ! ミス・ヴァリエールにもっ! ミス・ツェルプストーにもっ! 絶対にっ!」

 

 呼吸を荒げながら必死の告白をするシエスタに、桐生は何も答えない。ただ黙って、シエスタを真剣な眼差しで見つめていた。

 暫くの沈黙の後、一際強い風が二人の頬を撫でると、シエスタは肩を落として首を振った。

 

「でも、駄目なんですよね。わかってます。私はカズマさんよりもずっと年下だし、美人とは言えないし。それに、カズマさんの目には……他の誰かがずっと写っているんですよね」

 

「他の誰か?」

 

「私、これでもずっとカズマさんを見てきたつもりです。だからわかるんです。カズマさんの視線の先にあるのは、ミス・ヴァリエールでも、ミス・ツェルプストーでもない、別の誰かだって」

 

 寂しそうに言葉を紡ぎながら俯くシエスタに、桐生は正直少し驚いていた。

 視線の先にあるのは、いつでも遥や「アサガオ」のみんなだった。それを、年端も行かぬ目の前の少女は見抜いていたのだ。

 桐生は携帯灰皿に煙草を捩じ込むと、シエスタに本当の事を言おうと決めた。

 

「シエスタ、今から話す俺の言葉が信じられないかもしれないが、聞いてくれるか?」

 

「……はい」

 

 顔を上げたシエスタの頬にある涙の跡が、夕陽に照らされて淡く小さく反射していた。

 桐生はシエスタから視線を夕陽に移すと、ゆっくりと口を開き始めた。

 

「俺も、シエスタのひいおじいさんも、この世界の人間じゃないんだ」

 

「この、世界? 東のロバ・アル・カリイエの生まれじゃないんですか?」

 

「違う。そんな所よりも遥か遠く……いや、そもそも、手の届く場所にはない場所だ」

 

 桐生は夕陽に向かって手を伸ばすと、グッと拳を握り締めた。

 

「俺もそのひいおじいさんも、このハルケギニアの生まれじゃない。別の世界の日本と言う国から、この世界に「召喚」されたんだ」

 

「その世界に……カズマさんを待っている人が、いるんですか?」

 

 シエスタは半ば信じられないと思いながらも、桐生の表情、言葉から冗談を言っているのではないのを悟っていた。

 

「ああ、俺の家族が待っている。血は繋がってはいないが、俺にとってかけがえのない家族が」

 

 そう言って、桐生は再度シエスタに顔を向けると、申し訳なさそうに首を振った。

 

「だから、シエスタだから、じゃない。俺はこの世界で、誰とも一緒にはなれない。だが、どういう訳か、俺には特別な力がある。だから元の世界へ帰るまでの間は、身近な人々をこの力で俺は必ず守ってみせる」

 

 シエスタは桐生の瞳を見つめながら暫く息を飲んだように動かなかったが、やがて溜め息を漏らして小さく微笑んだ。

 

「カズマさんのお話はわかりました」

 

「そうか……」

 

 シエスタにとって、初めての失恋。どんな言葉をかけて良いかはわからない。だが、優しくは出来ない。それは、相手を余計傷付けるだけだと桐生は知っているから。

 

「でも……」

 

 しかしこの少女は、そんな桐生の思惑を遥かに越えた存在だった。

 

「私が、カズマさんを好きでいるのは自由ですよね? だから私、待ちます。カズマさんが頑張って、それでもその、元の世界? に帰る方法がわからなかった時に、改めて私は貴方に告白します」

 

「シエスタ、お前……」

 

「これは、譲りません。どんなに怒鳴られようが、説得されようが、私はカズマさんを諦めません。人が人を好きになるのに理由がない様に、人が好きな人を諦めなきゃいけない理由だってない筈ですから」

 

 戸惑った様に漏らす桐生に、シエスタは満面の笑顔で宣言した。その笑顔はとても穏やかで晴々としていて、見ている者の心を和ませる物だった。

 桐生は溜め息をつきながら頭を掻くと、降参した様に苦笑を浮かべた。

 

「強情な娘だな……勝手にしろ」

 

「はい、勝手にします」

 

 どこか楽しそうに言うシエスタに、桐生も笑みを浮かべて、もう青黒い夜の闇に覆われ、星が瞬く空に飲み込まれかけた夕陽を眺めた。

 

「さぁ、そろそろ戻りましょう。今夜はお母さんと頑張って、美味しい食事をご馳走します」

 

「それは楽しみだな」

 

 桐生とシエスタは並んで歩き、シエスタの生家へと向かった。

 すると、玄関に当たる扉の前でギーシュ達が何やら一枚の紙を睨み付けていた。ギーシュとキュルケは顔を青ざめさせながら肩を震わせ、タバサは興味がなさそうにその紙に視線を落としていた。

 

「何やってんだ、お前等?」

 

 桐生がそう言うと、シエスタも首を傾げながら三人を見ていた。

 するとギーシュがつかつかと桐生に近付き、その紙を差し出してきた。

 紙の上部には、何やら赤い大きな文字が判子で押された様に刻まれており、その下には誰かが書いたと思われる癖のある文字が並んでいた。当然ながら、桐生には読めない。

 

「何だ、この紙は?」

 

「見てわからないのかい!? 警告書だよ! さっき学園から伝書フクロウが飛んで来たんだ!」

 

 青ざめた顔で頭を抱えるギーシュを余所に、桐生はシエスタに解読を頼んだ。

 シエスタによれば、どうやら明日までに学園に帰らなかったら実家へと連絡し、留年もしくは退学の処置を取ると言う物らしい。

 

「あ、私の事も書いてあります」

 

 三枚の紙の一番下には、シエスタはそのままアンリエッタの結婚式終了まで休暇を取って良いとの事が書かれているらしい。

 絶望する二人といつも通りの一人を適当になだめて、桐生達はシエスタの生家に再びお邪魔した。

 夕食は豪勢で、ローストチキンやふっくらとしたパン、タルブの村の特産品を使った料理と、シエスタの父秘蔵のワインが振る舞われた。

 

「三人に相談したい事がある」

 

 食事を終えて、シエスタが兄弟達を寝かし付けている間に、桐生はギーシュ達にあのゼロ戦を学園まで運べないか相談した。

 

「あの大きさとなると、タバサのウィンドドラゴンでも無理があるわ。ちょっと難しいんじゃない?」

 

 キュルケの言葉にタバサは視線を本に向けたままコクりと頷いた。

 なんとかしてあのゼロ戦を学園に持っていきたい桐生。学園に行けば、コルベールが力になってくれる様な気がしているのだ。しかし、今のキュルケの話にもあった通り、タバサのウィンドドラゴンでも運ぶのが難しいとなると、少々厄介だ。

 

「仕方ない……カズマ、何とか運べる様に手配は出来るが、少しばかり値が張っても構わないかい?」

 

 ギーシュが頭を掻きながら桐生に運送の概要を説明した。

 ギーシュの父のコネを使えば、竜騎士を雇って何とか運べそうではあると言う。しかし、竜騎士を雇うのにも、ゼロ戦を運ぶのにも恐らく馬鹿にならない金額がかかってしまうのは間違いない様だ。

 金の工面は少々厄介だが、最悪オスマンと相談して何とかしようと決めた桐生はギーシュの提案を受け入れ、ギーシュは早速とばかりに羽根ペンを取って実家へ竜騎士の手配をお願いする手紙を書いた。

 ギーシュの書いた手紙は外の地面にいたヴェルダンデが明日の朝一番までに届けてくれるらしい。

 明日の起床時間を決めて床に着いた三人と、シエスタを含む兄弟達が眠りに着く中、リビングではシエスタの両親と桐生がワインを片手に談笑していた。

 

「いや、私のじいさんと同じ国のご出身とは……カズマさんとはある意味遠い親戚の様に感じますな」

 

 チビチビとワインを味わいながら上機嫌なシエスタの父が話す。そんなシエスタの父に桐生も笑顔で答えた。

 

「偶然とは恐ろしい物です」

 

 そう言ってワインを呷った桐生を見ると、シエスタの父は立ち上がり、桐生の肩に手を置いた。

 

「カズマさん、ちょっと外にご一緒出来ますかな?」

 

「……構いません」

 

 シエスタの父に促されるまま、桐生は家の外へと出ていった。

 二つの月が照らす中、シエスタの父が真剣な表情で桐生を見据えた。

 

「カズマさん、娘がいつもお世話になっているのは、心から感謝しています。しかし、娘の目を見ていると、貴方へ好意を寄せているのを感じる。まさかとは思いますが……娘に、手を出してはいないでしょうな?」

 

 先程の上機嫌な表情は消し飛び、緊張を感じさせる真剣な眼差しで桐生を見つめながら問い掛けるシエスタの父。

 桐生はその視線を真っ直ぐと見つめ返し、頷いた。

 

「神に誓っても、そんな事はしていない。ただ、今日の夕方、娘さんから告白を受けた」

 

「な、何ですと!?」

 

 驚きの余り声を上げてしまった自分を罰する様に、シエスタの父は首を振って深呼吸をしてから桐生に先を促す様に見つめた。

 

「申し訳ないが、娘さんの想いに応える訳にはいかない理由が俺にはある。丁重に断りは入れさせて貰った。あんないい娘さんは、俺にはもったいない」

 

「そう、ですか……」

 

 安堵と怒り、喜びと憎しみ、様々な感情が宿った目で桐生を見つめていたシエスタの父は、やがてゆっくり桐生に近付くと、握り締めた拳を桐生の顔に打ち付けた。

 何の抵抗もなく殴られた桐生は、そのまま尻餅をついて殴られた頬をさする。

 

「貴方がシエスタの告白を断ってくれた事には正直安堵しています。だが、夕食の下拵え中に泣いていたあの子を思うと、貴方を殴らずにはいられなかった! 娘は、いや、シエスタだけじゃない! 子供達は私にとって何よりも大切な存在なんです! そんなシエスタを、泣かせた……貴方が……!」

 

 肩を震わせ呼吸を荒げながら必死に自分の感情を押さえ込もうとするシエスタの父に、桐生は立ち上がって優しく肩に手を置いた。

 草原での告白を断られたシエスタは、気丈に振る舞ってはいた物の相当辛い思いをしていたに違いない。自分には、シエスタの父を責める資格などないと、桐生は自覚していた。

 

「すみません。つい、感情的に……」

 

「良いんだ。あんたの娘さんが味わった痛みに比べたら安い仕打ちだ」

 

 汗が浮かび上がる額を震える手で押さえるシエスタの父に、桐生は首を振って見せる。

 

「だが、父親の拳とは痛い物だな。想いが乗っていた分、身体の芯まで響いたよ」

 

 口端から伝う血を指先で拭いながら苦笑して見せる桐生に、シエスタの父は頭を下げた。

 

「カズマさん、こんな事をしておいて虫が良すぎるかもしれないが、あの子を……シエスタをこれからも、宜しくお願いします。」

 

「もちろんだ」

 

 シエスタの父の言葉に、桐生は力強く頷いた。

 シエスタにも宣言したのだ。自分が元の世界に帰るその日まで、身近な人々を必ず守ってみせると。


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