激戦を終えた桐生は、ルイズを抱きかかえて歩き出す。
「相棒、どうするんでい?」
ふと、腰に括り付けたデルフリンガーが桐生に話し掛けた。
「俺は勝って、ルイズも取り戻した。ならここに用はねぇ。脱出するまでだ」
「しかしよぉ、どうするよ? 「イーグル」号は出ちまってるし、皇太子のいねぇ軍はもう負けちまうだろ?ここにも敵が来るだろうぜ?」
デルフリンガーの言う通りだ。ここを出る為の唯一の船である「イーグル」号はもう行ってしまった。この城から出るのはほぼ不可能なのである。
桐生はルイズを壁にもたれかけさせて、ルイズの前に立つとデルフリンガーを片手に深呼吸をした。
「どうすんだよ?」
「ルイズを守る」
「つってもよぉ、昨日王様も言ってたろ? 相手は五万なんだぜ? しかも相棒……ボロボロじゃねぇか。そんなんで戦おうなんてーー」
「関係ねぇんだよ」
デルフリンガーのどこか諦めた声を、桐生の力強い声が遮る。
桐生はデルフリンガーの柄をしっかりと握り締め、扉がなくなった礼拝堂の入り口を真っ直ぐ見つめた。
「相手が何人だろうと、誰だろうと、俺はルイズを守る。そしてここを脱出する。来るなら来やがれってんだ……まとめて面倒見てやるぜ!」
力強く、迷いのない声で宣言する桐生に、デルフリンガーはかつての持ち主を思い出した。顔までは覚えていない。しかし、この男と同じ様に力強く、真っ直ぐで、己の信念とブリミルの為に戦った、初代「ガンダールヴ」を。
「そうだ、相棒……!」
デルフリンガーの柄がカタカタと揺れる。それは興奮の震えにも、歓喜の笑いとも取れる震えだった。
「そうともよ、相棒! たかが五万くらい、俺と相棒なら訳はねぇぜ!」
デルフリンガーの言葉に、桐生の口元に笑みが浮かぶ。
そんな風に迫り来るであろう敵の大群を待っていると、桐生の目の前の床がボコッと盛り上がり始めた。
「何だ?」
桐生は訝しげに盛り上がった床を見つめながらデルフリンガーを構えた。
ゆっくりと床石が盛り上がり、ボコンと音を立てて穴が開くと、そこには茶色い巨大なモグラが顔を出してきた。
「お前、確か……」
桐生はそのモグラに見覚えがあった。ギーシュの使い魔、ジャイアントモールのヴェルダンデだ。
ヴェルダンデはのそのそと身体を穴から出すと、ルイズを見つけて鼻っ面でジャケットに包まれた小さな身体をまさぐり始めた。
突然の事に呆気に取られていると、今度は穴からギーシュが顔を出してきた。
「ヴェルダンデ! お前はどこまで穴を掘る気なんだね!? まったく……ん?」
穴から土にまみれた顔と身体を出したギーシュはそこで桐生とルイズの存在に気付いて目を輝かせた。
「おおっ、カズマにルイズ! ここにいたのか!」
「お前……どうしてここに?」
身体の土を手で払うギーシュに桐生が構えを解いて歩み寄る。
「いや、「土くれ」のフーケとの一戦に勝利した僕達は急いで君達の後を追ったんだよ。何せ今回の任務、姫様の名誉がかかっているしね」
「だが、ここは雲の上だぞ? あのモグラが飛べるとは思えないし……どうやって来たんだ?」
「タバサのシルフィードよ。」
ギーシュの代わりに、穴から聞き覚えのある声が答えが返ってきた。
見るとキュルケがギーシュ同様、顔も身体も土にまみらせながら穴から出てきた。
「キュルケ!」
「まったく……突然ギーシュの使い魔が穴を掘り始めたから何事かと思ってついて行ったんだけど。あ~あ、ダーリンにはいつでも「綺麗なあたし」で会いたかったのに。見てよ、これ!」
キュルケは土のせいで薄汚れた制服を指差しながらハンカチで顔についた土を拭った。
件のヴェルダンデは、ルイズの指に嵌められた「水のルビー」を見つけると、そこに鼻を押し当ててふんふんと興奮した様に鼻を鳴らした。それを見たギーシュが納得した様に頷いて見せる。
「なるほど、ルイズの嵌めている指輪の宝石の匂いに釣られてここまで掘ってきたのか。ヴェルダンデはとびきりの宝石が大好きだからね。魔法学園から穴を掘ってここまで来たんだよ、彼は」
桐生は溜め息混じりにデルフリンガーを鞘におさめ、ヴェルダンデの身体を押しのけてルイズの身体を抱きかかえた。
「ともかく、話は後だ。今はここから脱出するぞ。間もなく五万の兵が、ここに攻め入って来るからな」
「な、何だって!? それは大変だ! しかしカズマ、任務はどうなったんだね!? それに、ワルド隊長は!?」
ギーシュの顔が桐生の言葉に青ざめるとすぐさまヴェルダンデを呼び寄せて疑問を投げかけた。
「手紙は手に入れた。ワルドは……裏切り者だったのさ。もうここに用はねぇ。行こう」
「な~んだ、やっぱり裏切り者だったの? 怪しいと思ってたのよね、あたし」
キュルケが知ったような口調で言いながら穴へと再び身体を潜らせた。
桐生もそれに続こうとしたが、ルイズをギーシュに預けてウェールズの元へと駆け寄った。当然ながら、もう息はない。桐生は静かに黙祷した。
「カズマ! 何をやっているだね!? 早く行こう!」
ギーシュの怒鳴り声を背に、桐生はウェールズの身体を弄った。何か、アンリエッタへの形見となる物を探しているのだ。ふと、桐生の目にウェールズの指に嵌められた指輪が写った。
アルビオン王家に伝わる、「風のルビー」だ。
桐生は指輪をウェールズの指から取ると、ポケットにしまい込んだ。
「約束は守るぜ、王子様。あんたの最後は、姫様に伝える」
桐生はウェールズの亡骸に一礼し、そして背を向けた。
「さよならだ、勇敢な王子様」
桐生は急いで穴へと駆け寄ると、中に吸い込まれる様に落ちていった。
そのまま滑り落ちる様に穴を下っていくと、アルビオン大陸の真下にある空へと繋がっていた。勢い良く穴から飛び出し、落下する中ギーシュがルイズを離してしまいパニックになるが、桐生がその小さな身体をキャッチした。
澄み渡る青空の中をダイブする四人と一匹をシルフィードが背中でキャッチし、ヴェルダンデは大きな口で咥えられた。
咥えられた事に対してか、それとも腹を撫でるシルフィードの舌の感触がくすぐったいのか、ヴェルダンデが抗議の声を上げる。
「ああ、ごめんよ、愛しいヴェルダンデ。学園までの辛抱だから我慢しておくれ」
ギーシュはシルフィードの背びれにしがみつきながら申し訳なさそうに言う。
シルフィードの首もとで座るタバサは相変わらずのパジャマ姿で本を読んでいる。が、先日まで見た頭の上のとんがり帽子がない。どうやら風で飛ばされたらしい。
キュルケは慣れた様にシルフィードの背びれに寄りかかり、胸の谷間から出した手鏡で自分の顔についた土をハンカチで拭っている。
桐生はシルフィードの尻尾の付け根部分で座り込むとルイズの身体をしっかりと抱きかかえた。
白い頬についた血と土を指で拭ってやり、ルイズの体温が伝わる事に、桐生は心から安堵した。
ルイズは夢を見ていた。
ラ・ヴァリエール家にある、あの忘れ去られた中庭の池に浮かぶ小船の上で、幼いルイズは寝転がっていた。
ズキリ、と胸が痛む。もうここにワルドは来ない。辛い時、この小船で隠れていればいつでも迎えに来てくれたワルド。優しかったワルド。
もう、そんなワルドはこの世にはいないのだ。いるのは残酷で冷酷な裏切り者。勇気ある皇太子を殺した、裏切り者しか。
ふと、ざぶりと水面に波紋を走らせて、誰かが池の中に入って来た。
怖くなったルイズは身体を丸めて小船の隅っこでうずくまる。
水面を揺らす音はゆっくりと近付き、遂にぎしりと小船に誰かが乗ってきた。
ルイズは恐怖のあまりギュッと目を瞑ると、閉じられた瞼から涙が溢れ出した。
「泣くな、ルイズ」
聞き覚えのある声と、優しく頭を撫でてくれる手の感触。ルイズが瞳を開けると、そこには桐生が優しい笑みを浮かべて座っていた。
「カズマ……!」
嬉しくて、切なくて、堪らなくなったルイズは桐生に抱き付いて思いっ切り泣いた。涙を流し続ける間も、桐生は優しくルイズの頭を撫で続けた。
「大丈夫だ、ルイズ。ワルドの奴は、お前の分までぶっ飛ばしてやったから」
悪戯っぽく言う桐生に、ルイズが顔を上げる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった今の自分は、桐生から見てどう写っているんだろうか。
「だから、もう心配するな。なっ?」
そう言って頬を撫でる桐生の手の感触に、ルイズの視界はぼやけていき、やがて闇へと包まれた。
頬を撫でる風の感触を感じながら、ルイズはゆっくりと瞼を開けた。視界に写るのは青い空と、傍らにいる桐生の顔。桐生の視界はどこか遠くに向けられていて、ルイズが目覚めた事に気付いていない。
身体はそのままに目だけを動かして、自分が桐生の腕に抱かれているのをしるルイズ。もう少し目を動かすと、自分は桐生のジャケットに包まれ、シルフィードの尻尾の付け根の部分にいるのがわかった。 更に、シルフィードの背中の方には、ギーシュにキュルケ、そしてタバサがいる事も。
ああ、自分は助かったんだ。安堵の気持ちが温かくルイズの心に染み渡った。
ワルドの魔法を受けて気絶してしまっていた為どの様な形だったかは知らないが、桐生は勝ったらしい。
しかし、王軍は負けてしまっただろう。ウェールズも……死んでしまった。
助かった喜び、失った悲しみ、様々な感情がルイズの中を駆け巡り、涙が溢れそうになるのを必死にこらえた。
ふわりと、桐生の匂いが鼻をくすぐる。
色々な事があった。ワルドの裏切り、ウェールズの死、暗躍する「レコン・キスタ」……アンリエッタに報告しなければならない事は山とある。
でも今はもう少しだけこの男の、この異世界から来た使い魔の香りに抱かれたまま眠りたいと願うルイズであった。
桐生達がアルビオンから脱出した翌日、ニューカッスルの城は惨状を極めていた。魔法や大砲によって崩れた城壁の下には生き埋めになったり、焼け焦げた死体が手を出している。
メイジのみによって作られた王軍は、「レコン・キスタ」に大打撃を与えはした物の一人、また一人と手に掛けられていった。
しかし、このニューカッスルの戦いで一兵残らず敗れた王軍は、相手に倍以上の損傷を与えたと、後々まで語られる伝説となった。
戦が終わった照りつける太陽の下、羽根帽子を被りトリステインの魔法衛士隊の制服を着た長身の男が戦場を検分していた。ワルドである。
傍らにはフードを被ったフーケが立っていた。
キュルケとのキャットファイトを繰り広げた彼女は燃える「女神の杵」亭の騒ぎに紛れてラ・ローシュから船に乗ってアルビオンにやってきたのである。
周りでは「レコン・キスタ」の兵士達が財宝探しに精を出している。死体から豪華な装飾品や武器を奪い、宝物庫から金貨を見つけては歓声が上がった。
フーケはそんな兵士達を苦々しく見つめては、露骨に不機嫌そうに舌打ちした。
そんなフーケに気付いたワルドが、薄ら笑いを浮かべた。
「どうした、「土くれ」よ。奴等の様に宝を漁らんのか? なに、今回の働きは悪くなかった。いくら持ち去ろうと構わんぞ? 貴族から宝を盗むのが、お前の本来の仕事だろう?」
「はっ! 私をあんな連中と一緒にしないで欲しいわね。死体から宝石を剥ぎ取るほど、落ちぶれちゃいないわ」
フーケは忌々しそうに眉をひそめてヒラヒラと手を振って見せる。
「アルビオンの王党派は貴様の仇だろう? 王家の名の下に、貴様の家名は辱められたのではなかったのか?」
どうにもすっきりしない表情を浮かべるフーケにワルドが嘯く。フーケは俯きながら溜め息を漏らした。
それからワルドの方に視線を向ける。肩からなくなった左腕の服の袖がヒラヒラと風で舞っていた。
「あんたも随分と苦戦したみたいじゃない」
失った左腕を見て、ワルドは小さく頷いた。
「なに、此度の目的はウェールズの暗殺だったからな。腕一本で済んだのなら、安いもんだ」
「それに……ぷっ」
ワルドの左腕から顔へと視線を向けたフーケが思わず小さく吹き出す。
最後の桐生の拳を受けた左頬は赤く腫れ上がり、口元は奇妙な形に歪んでいる。
「随分な一発を貰ったみたいね。いい男が台無しだわ」
「止せ」
からかう様に喋りながら腫れたワルドの頬に手を伸ばすフーケの腕を掴んで止めさせる。まだ痛みは取れてない様だ。
「やっぱり大した奴だね、あの「ガンダールヴ」は。「風」のスクウェアのあんたの腕をぶった切るなんてね」
「ふん……油断大敵と言う奴だな。あれほどの腕とは、思わなんだ」
「言ったろう? 奴は私のゴーレムすら倒したんだ。簡単に殺れるタマじゃないよ」
フーケがそう言うと、ワルドは冷たい笑みを浮かべた。
「確かに奴は強い。それは認めざるを得ない。だが、これだけの兵が相手だったんだ。奴は俺と戦い消耗していた。生き残れる筈がない」
「……そう、だろうね」
ワルドの言葉にどこかつまらない様に返すフーケ。確かにこれだけの兵が相手だったんだ。万全ならともかく、かなり消耗したあの男が勝てる訳がない。しかし、本当にそうだろうか? あの力強い眼差しを持った男が、そう簡単に倒されるとは思えない。
「それで? その大事な手紙とやらはどこにあるの?」
「この辺りだ」
二人は桐生との戦いの場となった、礼拝堂へと足を踏み入れた。崩れ落ちた壁や天井の瓦礫が地面を覆い、床が見えない状態になっていた。
「あのラ・ヴァリエールの小娘……あんたの婚約者のポケットに手紙が入ってるんでしょう?」
「そうだ」
「随分あっさりと答えるわね。愛してなかったの?」
どこか不満そうに言うフーケの言葉に、ワルドは口元にだけ笑みを浮かべた。
「愛するとか愛さないとか……そんな感情は忘れたよ」
感情の籠っていない声でそう返すと、ワルドは杖を引き抜いて呪文を詠唱し、杖を振った。
旋風が巻き起こり、地面を覆っていた瓦礫が吹き飛んで横たわったウェールズの死体が出てきた。が、肝心のルイズ、そしてあの桐生の死体が見当たらない。
「懐かしのウェールズ様は見つかったけど、二人の死体がないじゃないの?」
「そうだな」
ワルドはウェールズの亡骸をつまらなそうに見た後で目を鋭くさせて辺りを見回す。
フーケも同じ様に辺りを見回すと、ふと下から風を感じて視線をそちらへと向ける。すると瓦礫に半分埋まった、人一人くらいが入りそうな穴がぽっかりと開いていた。
「ねぇ、ワルド。この穴、何かしら?」
ワルドを呼んで二人でその穴を見つめる。死体がない所を見ると、恐らく桐生とルイズはここから逃げ出したと思われる。ワルドの顔に赤みが差して、怒りが伺える。
「どうする? 中に入って追いかけてみる?」
「いや、風が通っていると言う事は空に続いているだろう」
ワルドは苦々しく顔を歪めて舌打ちする。そんなワルドを見て、今度はフーケが笑みを浮かべて見せた。
「ふ~ん……あんたもそんな顔するのね。感情のない、人形みたいな奴かと思ってたけど」
ワルドはふんっ、と鼻を鳴らしてフーケに背を向けた。
ふと、そんな二人に遠くから声が掛けられた。活発な、良く通る男の声だ。
「ワルド君! 目的の手紙は見つかったかね!? アンリエッタがウェールズにしたためたという、その……ラヴレター、は!? 同盟を破棄する救世主は!?」
ワルドは首を振って此方に向かってきた男に答えた。
現れた男は、年は三十代の半ばといった感じだった。丸い球帽を被り緑色のローブとマントを身に着けている。一見すると聖職者の様だが、物腰は軽く、軍人の様だった。高い鷲鼻に理知的な碧眼。帽子の裾からはカールしてる金髪が垂れている。
「申し訳ありません、閣下。件の手紙は、どこぞへと風が攫って行ってしまった様です。私のミスです。何なりと罰を……」
ワルドは男の前に跪き、深々と頭を垂れた。
そんなワルドに男は人懐っこそうに笑い、ワルドの肩を優しく叩いた。
「何を言うか、子爵! 君の働きは素晴らしい物だよ! たった一人で敵軍の大将を打ち取ったのだ! そこに倒れているのは親愛なるウェールズ皇太子だろう? 彼は随時と余を嫌っておったが……ふ、死すればみな友達と言う奴かな? 今は友情すら感じるよ」
上機嫌そうに語る上官にも構わず、ワルドは謝罪し続けた。
「しかしながら、閣下の欲していたアンリエッタの手紙を手に入れる事は叶いませんでした。私は、閣下のご期待には添えられなかったのです」
「なに、同盟等ささやかな問題でしかない。大事なのはウェールズ皇太子を確実に仕留める事だったのだ。理想は一歩ずつ、確実に進む者のみが達成出来るのだ」
そう言って緑のローブの男は、フーケへと顔を向けた。
「所で子爵、そちらの見目麗しい女性を世に紹介してくれるかね?未だ僧籍に身を置く余からは女性に声を掛け辛いからね」
フーケは男を見つめた。
ワルドが頭を下げている所を見ると、随分なお偉いさんなのだろう。しかし、ローブの隙間から漂う雰囲気はその笑顔に似合わぬほど禍々しく、邪悪さえ感じるオーラを放っている。
ワルドは立ち上がり、フーケを男に紹介した。
「彼女こそ、かつてトリステインの貴族達を震え上がらせた「土くれ」のフーケにございます」
「おぉっ! 噂はかねがね聞いておるよ! お会い出来て光栄だ、ミス・サウスゴータ!」
かつて捨てた貴族の名を口にされ、フーケは内心驚くも微笑んだ。
「貴方がワルドに私の名を教えたのね?」
「そうとも。余はアルビオン全ての貴族を知っておるのだよ。管区を預かる司教時代に全てを記憶していてね。おっと、ご挨拶が遅れてしまった。普段女性にこんな間近に迫る事も少ないのでね、少々舞い上がってしまったよ」
男は照れ臭そうに笑ってから胸元に手を添えた。
「「レコン・キスタ」総司令官を務めさせて頂いている、オリヴァー・クロムウェルだ。元は一介の司教に過ぎなかったがね。しかしながら、貴族議会の投票により総司令官に任じたからには、尽力を惜しまぬつもりだ。始祖ブリミルに仕える身でありながら「余」と名乗るのを許しておくれよ?軍の行使には信用と権威が必要だ」
「閣下は既にただの総司令官ではありません。今やアルビオンの」
「皇帝だ、子爵」
クロムウェルは笑みを浮かべながら頷いた。
「確かにトリステインとゲルマニアの同盟が破棄されるのは、余の望む所ではある。しかしながら、もっと大事な事がある。何だかわかるかね、子爵?」
「閣下の深いお考えは、凡人の私にはわかりかねます」
ワルドがそう言って頭を下げると、クロムウェルはカッと目を見開いて手を広げた。
「「結束」だよ、子爵! 鉄の「結束」だ! ハルケギニアは我等、選ばれた貴族によって結束し、あの忌々しきエルフ共から「聖地」を取り戻す! それこそが始祖ブリミルから余に与えられた使命なのだ! その使命の為には互いを信用し、揺るぐ事のない「結束」が必要だ! だから子爵、余は君を信用する。ささいな問題など責めはしない」
優しくワルドの肩を叩くクロムウェルに、ワルドは深々と頭を下げる。
「
その偉大な理想の為に、始祖ブリミルは余に力を授けたのだ」
フーケの眉が一瞬ピクンと揺れた。始祖ブリミルが授けた力とは、一体何なのか。
「閣下、宜しければそのお力とやらはどんな物なのか……私に教えて頂けるかしら?」
「ふむ。魔法の四大系統はご存知だろう? ミス・サウスゴータ」
クロムウェルの質問に、フーケは頷いた。
「火、水、土、風……この系統が現代の魔法の基盤となっている。だが、余が使うのはそのどれでもない。真実、根源、万物の源となる零番目の系統だ」
「零番目……まさか、「虚無」?」
フーケの顔が、僅かながら青ざめた。
かつて始祖ブリミルが用いた、失われた系統、「虚無」。その魔法がどんな物だったのか、未だ謎に包まれている。
「余は始祖ブリミルから、その力を授かったのだ。だからこそ議会の諸君は、余を「レコン・キスタ」の総司令官として任命したのだろう」
クロムウェルは横たわったウェールズの死体を指差した。
「ワルド君、彼を我が友人として迎えたい。彼は確かに余を嫌っていたが、死した後にはわだかまりも消えよう。良いかね?」
「閣下の決定に異義などありませぬ」
ワルドの言葉にクロムウェルはにっこりと笑い、腰に差していた杖を引き抜いてフーケを見た。
「ではミス・サウスゴータ。「虚無」の魔法をお見せしよう」
フーケは息を飲んでクロムウェルを見つめた。
小さな詠唱がクロムウェルの口から漏れる。それは聞いた事のない言葉だった。
詠唱が完成し、杖がウェールズの身体に優しく振り下ろされる。すると、ウェールズの眼がパチリと開いて、フーケの背筋が凍りついた。
今さっきまで死んでいた筈のウェールズがゆっくりと起き上がり、青白かった肌に生気が漲っていく。
「おはよう、皇太子」
クロムウェルが言うと、ウェールズは優しく微笑んだ。
「久し振りだね、大司教」
「失礼ながら、今は皇帝なのだ。親愛なる皇太子。」
「ああ、そうか……これは失礼した、閣下」
ウェールズは跪くとクロムウェルに深々と頭を下げた。
「君を余の親衛隊に加えたい。どうかね、ウェールズ君?」
「喜んで、閣下」
ウェールズがクロムウェルの手の甲に口付けるのを見ながら、フーケは小さく呟いた。
「これが、「虚無」? 死者が蘇るなんて……」
そんなフーケにワルドが頷いた。
「「虚無」とは、生命を司る系統……俺にも詳しくはわからんが、閣下が言うのはそうらしい」
息を飲んでフーケが見守る中、クロムウェルはワルドに顔を向けた。
「ワルド君、同盟は結ばれても構わない。どの道トリステインは裸だ。しかし、トリステインは理想の為にも、我が手中に納めぬばならない。あの国には「始祖の祈祷書」が眠っている。「聖地」に赴く際是非とも携えたい」
「御意」
ワルドが頷くと、クロムウェルはウェールズを立ち上がらせてその場から去ろうとした。
その時、一人の兵士が身に着けた鎧をガシャガシャと鳴らしながら此方に走ってきた。
「か、閣下! ご報告があります!」
「何事かね?」
息を切らしながら走ってきた「レコン・キスタ」の兵士はクロムウェルの前に跪き、高々と声を発した。
「はっ! たった今、この城の城門に、「トライデント」を名乗る三人組が現れました!」
その名前に、クロムウェルとワルドの眉が僅かに歪む。
「ふむ……して、用件は?」
「はっ! それが、「「レコン・キスタ」のリーダーに会わせろ」、の一点張りで……」
「その三人は本物なのか?」
ワルドが身を乗り出して兵士に尋ねると、兵士は困った様な表情で首を傾げて見せた。
「お、恐らくは。私自身、噂でしか聞いた事がないので……。ですが不振に思い、三人を囲んだ我が兵が一瞬にして六人、殺されてしまいました!」
兵士の伝令から、「トライデント」の面々が本物であると確信したワルドはクロムウェルに耳打ちした。
「閣下、恐らく彼等は本物でしょう。ここは、彼等の願いを叶えた方が良いかと」
「ふむ……子爵が言うなら間違いないだろう。よし、ここへ通したまえ」
「はっ!」
クロムウェルの言葉に兵士はそそくさと走り去って行った。
「「トライデント」ねぇ……話は良く聞くけど、一体何者なの?」
フーケは頬を掻きながら訝しげにワルドに尋ねた。盗賊となって裏社会を歩いて来て凄腕の殺し屋である事は良く聞くが、それ以外の情報は全く入って来ないのだ。
ワルドは溜め息を漏らしてフーケを見た。
「「トライデント」の語源は知ってるな?」
「ああ……始祖ブリミルに戦いを挑んだ、三柱の悪魔の事でしょう?」
フーケは思い出す様に遠くを見る目で呟いた。
「トライデント」とは、かつて始祖ブリミルと大戦を繰り広げた悪魔の事を差している。
自らの身を食らい、傷付いた身体を癒やしながら三日三晩戦ったと言われる大蛇、「ウロボロス」。
一つの国を乗っ取り、まるで人間の様な戦法を使ってブリミルと弟子達を苦しめた幾億もの鴉の集合体、「レイヴン」。
武術に長け、長き戦いの末にブリミルと差し違えたと言われている悪鬼、「オーガ」。
この悪魔達の名を借りて活動しているのを理由に「トライデント」と名乗っていると言われているのだ。
「確かに凄腕らしいけど……メイジが寄ってたかれば勝てるんじゃないの?」
「俺は奴等の戦いを見た事があってな……そのメイジが三千もの人数で寄ってたかって、たった三人に敗れた」
フーケの疑問をスパッと返した所で、件の三人が連れて来られた。
一人は薄汚れた、袖が破かれ取られた濃紺の胴着の様な服を着て、赤茶けた袴の様なズボンの、変わった格好の大男だ。顔を鼻から上半分を覆う鉛色の仮面の額の突起は鬼を思わせ、恐らくこの男が「オーガ」なのだろう。背中から突き出てる大剣の柄と、左手に握られた布の包みから覗く剣の柄が威圧的に感じる。
もう一人は「オーガ」より少し背の低い男だ。白い生地に蛇があしらわれた服を身に包み、後ろで組まれた手からは長く鋭い鉤爪が覗いている。顔にはまるで蛇の頭を模した白い仮面が着けられており、長く黒い髪を結って後ろに垂らしている。この男が「ウロボロス」なのだろう。
その二人の間で少し背の低い男は、黒いロングコートに黒いズボンと言った、黒ずくめの姿をしている。二人に比べると体格は華奢に見え、唯一武器らしい物を持っていない。ただ、左手には赤茶けた白い布に包まれた何かを持っている。顔を覆うのは黒く鳥の嘴の様な突起がでた仮面。「レイヴン」だ。
「おおっ! 「トライデント」の諸君、お会いできて光栄だ!」
クロムウェルは両手を広げ、人懐っこい笑みを浮かべて三人を歓迎した。が、三人は反応を示さない。仮面のせいで表情が見えず、笑みを浮かべているのか、怒っているのかも読み取れない。
「余がこの「レコン・キスタ」の総司令官、そして今やアルビオンの皇帝となったオリヴァー・クロムウェルだ。君達の噂はかねがね聞いているよ。して、余にどんな用件がおありかな?」
クロムウェルが笑顔で問い掛けると、レイヴンは手に持っていた赤茶けた白い布をクロムウェルの足元に投げた。ゴトリ、と鈍い音が響く。
「話の前に、此方からの「手土産」を開けて貰えるかな? 皇帝殿」
言葉を発したレイヴンの声は若さを感じさせた。
クロムウェルは足元に転がった布を拾い上げて、ゆっくりと包みを開いた。
「うっ!」
布から出された物にフーケが口元を抑えながら顔を背け、ワルドとクロムウェルの顔が歪んだ。
布に包まれていたのは、男の生首だった。年の頃は四十辺りで、ダークグリーンの短い髪がこびり付いた血で固まっている。開かれた目は虚ろで、口端やただれた頬の皮膚からは白く小さな蛆が蠢いている。
クロムウェルとワルドは、その男に見覚えがあった。
「「瞬火」のアルヴァルト……」
ワルドが口にした名に、フーケは聞き覚えがあった。
「瞬火」のアルヴァルト。ゲルマニアでその名を知らぬと言われている「火」のスクウェアクラスのメイジで、荒事専門の何でも屋を営んでいた。二つ名の「瞬火」とは、ファイヤーボール等の下級魔法であれば一瞬にして繰り出し、敵を焼き尽くす事から来ている。ハルケギニア全土を探しても、彼に匹敵するほど素早く魔法を放てるのは十人といないと言われていた。
戸惑いの色を浮かべながらクロムウェルがレイヴンと生首を眺めていると、レイヴンが身体を小さく震わせた。笑っているらしい。
「僕達に仲間になって欲しいと勧誘に来たんだけど、断ったら急に襲いかかって来てね。此方の用件は、おたく等「レコン・キスタ」が僕達に対して宣戦布告をしたと捉えて良いのか、それとも此方の望む物を出して貰って手打ちとするとか……どちらが良いかと思って」
レイヴンがそう言うと、オーガが肩に掛けた大剣の柄を握り締め、ウロボロスがユラリと両手を前に出して鉤爪を露わにさせ始めた。
「……君達の望む物とは、一体何なのかね?」
クロムウェルが苦々しい表情を浮かべて問い掛けると、レイヴンはクロムウェルの後ろに立つウェールズを指差した。
「そこの皇太子……失礼、「元」皇太子か。あんたが持っている「風のルビー」を頂きたい。それを差し出すなら、手打ちで構わないよ」
クロムウェルがウェールズの方を見ると、ウェールズは自分の手元を見てある筈の指輪がない事に気がついた。
「残念だが、「風のルビー」はない。誰かに取られてしまった様だ」
クロムウェルの前に出たウェールズはそう言って両手をレイヴンに見せる。
ウェールズの両手を見てレイヴンは舌打ちした後、クロムウェルに視線を戻した。
「隠してるつもりなら、おたく等をみんな殺して身体検査するけど?」
「始祖ブリミルにかけて誓うが、そんな事はしていない。ワルド君、心当たりはないかね?」
クロムウェルは両手を上げて他意がない事を表しながらワルドへと視線を送る。
ワルドとしても、「トライデント」の面々と戦うのはごめんだ。しかし、最後にウェールズをしとめてから身体には触れていない為、指輪の事はわからない。
「最後にその男と接したのは私だが、指輪の事はわからない」
ワルドはそう言ってから少々苦し紛れながらも、思い付いた事を口にした。
「恐らく、最後にこの部屋にいた男と女が持って行ったと思われるが……」
「その男と女の名は?」
レイヴンの仮面越しから感じる心臓を撃ち抜かんばかりの鋭い視線に生唾を飲むワルド。
声の感じからして自分よりも若いか同年代の様だが、一体どんな人生を送るとこんなにも鋭い視線が出せる様になるのか。
「ひ、一人はラ・ヴァリエール家の三女、ルイズ。もう一人は……カズマと言う男だ。」
「ふ~ん……」
レイヴンは間延びした返事をしながら遠くを見つめる様に何処かへと視線を向けた。
暫くの沈黙の後、レイヴンが手を上げるとオーガとウロボロスが構えを解いた。
「まぁ、それが嘘だとしたらまたおたく等の所に来ればいいか。とりあえずは手打ちにしといてあげるよ。それとも、殺り合う方がいいかな?」
「いや、ご遠慮願おう」
クロムウェルがホッとした表情で首を振って見せると、レイヴン達は踵を返して歩き始めた。
「ああ、そうだ」
少し歩いた所でレイヴンが呟くと、レイヴンだけが振り返ってクロムウェル達を見回した。
「派手に暴れ回るのは構わないけど、せいぜい僕達に誰かから依頼されない様にね。その時は……一人残らず、殺してあげるから」
笑みを含んだその若々しい声は冷たく、クロムウェル達の耳を通して頭の中で反響した。
それだけ言うとレイヴンは満足そうに再び背を向けて歩き出す。
「アイツは始末しなくて良いのか?」
歩きながらオーガがレイヴンに問い掛ける。レイヴンは黙ったまま歩き続けた。
「あのクロムウェルとか言う男、「虚無」の使い手の様だったぞ? 目的の物もなかったし、せめて「虚無」の使い手は始末しといた方が良くないか?」
「今は別にいい」
尚も説得する様にレイヴンに語るオーガに対して、レイヴンは首を振って詰まらそうに言った。
「あんな弱々しいのはいつでも殺せるしね。時が来れば、始末するよ。一人残らず、確実に。この世に「虚無」の使い手は、僕一人で充分だ」