ラ・ロシェールに到着した一行は、この港町一番の宿「女神の杵」亭に泊まる事となった。
宿に着くなり、「桟橋」への乗船の交渉に出掛けたルイズとワルドを待つ為、桐生達は一階の酒場で寛いでいた。流石に一日中馬を走らせた桐生とギーシュには疲れが見えており、ギーシュにいたっては机に突っ伏して既に半分眠りに入っている。
桐生は「女神の杵」亭の中をキョロキョロと見回した。立派な造りだ。テーブルも床もピカピカに磨き上げられており、飾られてる装飾や家具の一つ一つは高級感を醸し出している。
暫くすると、ルイズとワルドが戻ってきた。ワルドは席に着くなり、困った顔で溜め息を漏らした。
「アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないそうだ」
「急ぎの任務なのに……」
ルイズも席に着くと唇を尖らせた。
「あたし、アルビオンに行った事がないからわからないんだけど、どうして明日は船が出せないの?」
キュルケが疑問を口にすると、ワルドが口を開いた。
「明日の夜は月が重なるだろう? 「スヴェル」の月夜だ。その翌日の朝が、アルビオンが最もラ・ロシェールに近付くからさ」
桐生はワルドの話を聞きながら、アサガオの前の浜辺に広がる海を思い出した。今の話が、まるで潮の満ち引きに似ているからだろう。
「さて、今日はそろそろ休もう。二人、特にギーシュはもう限界の様だしね」
机に突っ伏したままピクリとも動かないギーシュを見て、苦笑を浮かべながら鍵束を机に置くワルド。
「キュルケとタバサ、そしてギーシュとカズマ殿が相部屋だ」
桐生の眉がピクリと歪むのを、ワルドは見逃さなかった。
「僕とルイズが相部屋だ。婚約者だからね。当然でしょう?」
ワルドが首を傾げて見せながら桐生に言う。桐生は瞳を閉じて自分とギーシュの部屋の鍵を取った。肯定の意である。
ルイズがハッとなってワルドに振り向いた。
「そんな、駄目よ、ワルド! 私達、まだ結婚してる訳じゃないじゃない!」
ルイズが桐生とワルドを交互に見ながら言うも、ワルドは首を振った。
「大事な話があるんだ。二人だけで話したい」
ワルドの真剣な表情に、ルイズは言葉を詰まらせ黙った。
それを合図ととらえたのか、タバサとキュルケが立ち上がり鍵を拾い上げる。
「それじゃ、邪魔者は退散させて貰うわ。お休み」
キュルケが桐生に投げキッスしてから階段を上がって行く。
桐生も立ち上がり、ギーシュの肩を叩いた。
「行くぞ、ギーシュ」
しかし、ギーシュから返事はない。良く見ると、疲れが限界にきたのか、気絶した様に眠っていた。
「仕方ねぇ奴だ……」
桐生は苦笑した後、ギーシュを担ぎ上げて鍵を拾い上げる。何か言いたげなルイズとワルドの交互にまた明日、と告げるとそのまま階段を上がって行った。
「女神の杵」亭一番の部屋だけあって、ルイズとワルドの部屋はかなり立派で豪華な造りになっていた。ベッドは天蓋付きの広い物で、レースの飾りが高級感を演出している。机や椅子の一つ一つも高級品で、床に敷かれた絨毯は柔らかくフカフカの踏み心地だ。
ワルドはテーブルの席に着くと、用意されていたワインの栓を抜き、陶器のグラスに注いで飲み干した。
「君も一杯やらないか? ルイズ」
ワルドに声を掛けられ、向かいの席に腰掛けたルイズがグラスを取ると、ワルドがワインを酌した。自らのグラスにも注ぎ、赤いワインで満たされたグラスを掲げた。
「二人の再会に」
ルイズも俯きながらグラスを掲げる。カチン、と小気味良い音が響いた。
「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持ってるかい?」
ワルドがワインを軽く
この封書は、一体どんな内容なのだろう? そして、ウェールズから返して欲しいと言う手紙には、どんな内容が書かれているのだろう?
疑問に思いながらも、ルイズにはアンリエッタがウェールズから返して欲しいと言う手紙の内容には当たりがついていた。アンリエッタとは子供の頃、共に過ごした仲だ。彼女がウェールズをどう思っているか、ルイズにはわかる。だから、手紙の内容がどういうものなのかは想像がついた。
考え事をしている自分を見つめているワルドの視線に気付き、ルイズは頷いた。
「ええ、大丈夫……ちゃんと持ってるわ」
「……心配かい? 今回の任務、ウェールズ皇太子から姫殿下の手紙を取り戻すのが成功するのかどうか」
ルイズは少し躊躇う様に言葉を詰まらせた後、可愛らしい眉をへの字に曲げながら頷いた。
「そうね……正直、心配だわ。本当に上手く行くのか、姫様の期待に応えられるかどうか……」
「大丈夫さ、きっと上手く行く。なにせ、この僕がついているからね」
「そうね。貴方がいれば、きっと大丈夫よね。貴方は昔から、とても頼もしかったもの」
少し苦笑を浮かべて言った後、ルイズはワインを一口飲んでグラスを机に置いた。
「それで……大事な話って?」
ルイズの質問に、ワルドは遠くを見る様な目になった。
「覚えているかい? あの日の約束……君の屋敷の中庭で……」
「あの池に浮かんだ小船の事?」
ルイズが言うと、ワルドは頷いた。
「君は良く、お姉さん達と魔法の才能を比べられて、出来が悪いと怒られていたよね」
楽しそうに話すワルドに、ルイズは恥ずかしさに酔いとは違った意味で顔を赤らめた。
「でも、それは間違いだ。君は確かに才能がない様に見える。だが、それは自分の中にある強大な力に気付いていないからさ」
「強大な力?」
「そうさ。君の中にはとてつもない力が秘められている。僕にはわかるんだ。僕も、メイジとしての実力に自信がある。だから、君から感じる一種のオーラの様なものが、僕にそれを伝えてくれる」
「まさか……」
ルイズはグラスを取ってもう一口ワインを飲む。ワルドが酔っているのかと思ったが、その真剣な表情と目つきから素面なのが窺える。
「まさかじゃない。例えば、君の使い魔……」
「カズマの事?」
ルイズの脳裏に桐生の顔が浮かんで心なしか顔が赤らんだ。
「そう。彼が武器を掴んだ時、左手に浮かび上がったルーン……あれはただのルーンじゃない。伝説の使い魔の印さ」
「伝説の使い魔?」
「そうさ。あれは「ガンダールヴ」の印だ。始祖ブリミルが用いた、最強と言われた使い魔さ」
ワルドの目が、まるで子供の様に輝いた。
「ガンダールヴ?」
「誰もが持てる使い魔じゃない。君はそれだけの力を持ったメイジなんだ」
「信じられないわ……」
ルイズは首を振った。
ワルドの言葉は、冗談としか取れなかった。確かに桐生は強い。それこそ武器を使おうと使わなかろうと。しかし、それはあくまで桐生自身の強さだ。自分がたまたま呼んでしまった、異世界の住人。桐生の実力が凄いだけであって、自分の力が強大とは思えない。
まして自分は、「ゼロ」のルイズだ。落ちこぼれ。才能無し。未だに自分を認めてくれているのは、桐生だけだ。
「君は近い将来、偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルの様な、歴史に名を残す程の存在に。僕はそう思っている」
ワルドは立ち上がると、ルイズの背後に立って優しく肩に手を置いた。
「ルイズ……この任務が終わったら、結婚しよう」
「えっ?」
いきなりのプロポーズに驚きながら、ルイズはワルドの顔を見上げた。
「僕は魔法衛士隊隊長で終わる気はない。いずれは国を、トリステインなんて小さなものじゃない。このハルケギニアを動かせる程の貴族になりたいと思っている」
「で、でも……」
「でも、なんだい?」
「私は、その、まだ……」
「心配しなくていい、ルイズ。君はもう子供じゃない。十六になっただろう? 自分の事は自分で決められる年齢だし、お父上も僕が相手ならきっと許して下さるさ」
ワルドはそこで言葉を切り、寂しそうに首を振って見せる。
「確かに……忙しさにかまけて君を放っておいてしまったのは悪かったよ。申し訳なく思う。今更婚約者なんて言われても、君には実感なんてないだろう。でも、僕には君が必要なんだ、ルイズ……」
「ワルド……」
ワルドのプロポーズを聞きながら、何故か、桐生の顔が浮かんだ。もし、ワルドと結婚したら、桐生は自分のそばにはいられないだろう。
ならば、桐生はどうするのだろう?
キュルケか、あの厨房にいるメイドか、誰かしらが世話を焼くだろうか。いや、桐生の事だ。何処へ行ってもきっと逞しく生きてはいけるだろう。
だが、もしそこで、誰かと結婚なんてなってしまったら?
そんなのは嫌だ、とルイズは心の底から思った。少女の我が儘と独占欲が、桐生と離れる事を拒んでいた。そりゃ時々怒るし、口うるさく感じる時だってある。でも、桐生は自分の使い魔なのだ。誰にも渡したくない。
ルイズは困った表情でワルドの瞳を見つめた。
「でも、でもね……」
「でも?」
「あの、私、まだ貴方に釣り合う様な立派なメイジじゃないし……もっともっと修行したいの」
ルイズは俯き、続けた。
「私ね、ずっと子供の頃から思っていたの。立派なメイジになってお父様とお母様に認めて貰うって。それが私にとっての、一人前になった証だと思うの」
ルイズは顔を上げて、肩に置かれたワルドの手に優しく自分の手を重ねた。
「私には、まだそれが出来ていない……」
「そうか……君の心の中に、誰かが住み着いてしまったんだね」
「なっ!? ち、違うわ! そんな事、ない!」
ワルドの指摘に顔を真っ赤に染めながら首を振るルイズ。しかし、言葉と裏腹にルイズの頭の中では桐生の横顔がチラつく。
「いいさ、僕にはわかるよ。わかった、取り消すよ。今すぐ返事をくれなんて言わないよ。でもこの旅が終わったら、君の気持ちは僕に傾く筈さ」
ルイズは頷いた。
「それじゃあ、もう寝ようか。疲れただろう?」
ルイズがそれに答える様に立ち上がると、ワルドが唇を近付けようとした。しかし、ルイズは一瞬身体を強ばらせると、ゆっくりワルドを押し戻した。
「ルイズ?」
「ご、ごめんなさい、あの、その、でも……」
ルイズはしどろもどろに言いながらもじもじしてワルドを見つめる。そんなルイズを見ながらワルドは苦笑を浮かべた。
「大丈夫……急がないよ、僕は」
ルイズは申し訳なさそうに俯いた。
ワルドの事は嫌いじゃない。プロポーズされて嬉しくない訳じゃない。
しかし、心に引っ掛かる何かが、ルイズに答えを留まらせた。
眠るギーシュをベッドに横にしてやると、「女神の杵」亭の庭に当たる場所で、桐生は一人煙草を吸っていた。まだ寝静まろうとしない町の淡い灯りが美しい。
ゴソゴソと、ポケットを漁り中からピンク色の小さな袋を取り出した。遥の御守りである。
暫くジッと見つめた後、御守りをギュッと握り締めた。
「ルイズが結婚、か……」
美味そうに紫煙を吹かしながら呟く。
「遥……もしお前が俺の立場だったら、あいつになんて言うだろうな……」
再度ポケットに御守りをしまうと、肩を軽く叩かれた。振り返ると、キュルケがそこにいた。
「部屋に行ったけどいなかったから……ここにいたのね」
桐生が煙草を咥えたまま優しく笑みを浮かべると、キュルケが隣に立った。
「灯りが綺麗ね……」
「ああ……」
時折吹く強い風がキュルケの赤い髪と煙草の紫煙を揺らした。
「ね? カズマから見てどうなの?」
暫くの沈黙の後、キュルケが桐生に振り向いて問い掛ける。
「ワルドの事か?」
「そう。正直あたしは、ルイズには勿体無いくらいに感じるんだけど、一応使い魔であるカズマの意見も聞きたくてね」
キュルケが灯りの消えたルイズ達の部屋を見上げながら言うと、桐生は煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「そうだな……ワルドの事は詳しくは知らんが、役職についているくらいだから実力は確かだろう」
「まあね。魔法衛士隊なんて言ったら、メイジにとっては憧れの的だもの。男の子なら誰だって目指すものだし、女の子なら自分の彼氏がそうであって欲しいものだしね。まぁ、あたしは格好良ければ誰でも良いけど」
桐生の言葉にキュルケは優雅に髪をかき上げながら笑って言うと、桐生は頷いた。
「ルイズにとってはいい相手なんだろう。まぁ、結婚はあいつの問題だしな。あいつの決めた事にとやかく言う気はねぇよ」
「ふ~ん……意外ね」
「何が?」
桐生が問い掛けると、キュルケは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なんかずっと機嫌悪そうだったから、もしかして嫉妬してるのかと思ったんだけど?」
楽しそうに話すキュルケに対して、桐生の表情が真剣なものに変わった。
「嫉妬……か」
そう呟き、キュルケから顔を背けて再び町へと視線を戻す桐生。そんな桐生にキュルケは首を傾げて見せた。
「ギーシュにも言ったが、そんな簡単な感情なら俺も楽だったんだがな」
「カズマ?」
「確かにこれはルイズの問題だ。でもな……」
桐生はそこで言葉を詰まらせた。まるで、言って良いのか悪いのかを考えている様に。
暫くの沈黙の後、桐生は深い溜め息を漏らした。
「俺はワルドが……あいつが気に入らねぇ」
「今の話を聞く限り、嫉妬から、ではないわよね?」
桐生の漏らした声からただならぬ感情を読み取ったキュルケは、少し桐生に近付き問い掛ける。
「正確に言えば、あいつのルイズを見る目がな」
桐生はそれだけ言うと身体を伸ばしてキュルケに振り向いた。
「そろそろ戻るか。冷えてきたしな」
「……そうね」
もっと桐生の意見を、その言葉の真意を聞きたく思うも、何故か聞いてはいけない気がしたキュルケは素直に頷いて宿に戻った。
翌朝、桐生は目を覚ますと、隣でまだ深い眠りについたままのギーシュを横目にベッドから起き上がった。
洗顔に向かおう扉のドアノブに手をかけると、ノックの音が目の前から響いた。
桐生はポケットに手を入れてメリケンサックを拳に嵌めた。昨日の襲撃もあり、今度は相手からの刺客だった場合を考慮したのだ。
「誰だ?」
そう声をかけると、聞き覚えのある声が返ってきた。
「その声は、カズマ殿ですか? ワルドです」
ワルドの返事に眉はひそめたものの、メリケンサックを外して扉を開ける。
扉の先には、羽根帽子を被ったワルドが立っていた。
「おはようございます、カズマ殿」
にこにこと笑顔を浮かべるワルドに桐生は頷いて見せた。
「ああ、おはよう。どうした? 何か用か?」
「朝早くに申し訳ない。ただ、貴方と少し話したいと思いまして……良ければ少しお付き合い願えますか?」
桐生の問い掛けにワルドがそう言うと、桐生は頷いて壁に立てかけてあったデルフリンガーを掴み部屋の外に出た。
「ありがとうございます。では、此方へ」
ワルドに案内されるままついて行くと、やや広い物置の様な場所に着いた。樽や空き箱が積まれている石の段には苔が生えており、造られてから長い年月が立っているのを感じさせた。
「ここはかつて、修練場だった場所でしてね」
辺りを見回す桐生にワルドが説明した。
「かつて王がまだ力を付けていた頃、貴族同士は互いの誇りをかけてここで魔法をぶつけ合ったんです。自分が誰よりも強い、そう周りに示す様に」
「そんな場所でする話とは……あまり穏やかじゃ無さそうだな」
桐生の言葉に、ワルドは笑みを浮かべた。しかし、目は笑っていない。鷹の様な鋭さを秘めた視線が桐生を射抜いた。
「カズマ殿……貴方は伝説の使い魔、「ガンダールヴ」なんだろう?」
「なに?」
ワルドの言葉に桐生の目が険しくなる。
そんな桐生に、ワルドは首を振って見せた。
「貴方がフーケを捕らえた一件、あれで僕は貴方に興味がありましてね。昨日ルイズに聞きましたが、貴方は異世界からやってきたそうじゃないですか。更に、伝説の使い魔の「ガンダールヴ」でもあるそうじゃないですか」
「どこでその事を知った?」
桐生の瞳に険しさが増し、気の弱い者ならばその視線だけで気絶させられそうな鋭さが宿った。自分が「ガンダールヴ」である事は、周りにはオスマンしかいない筈だ。
「僕は歴史と、歴代の
そう言って笑みを浮かべたワルドは、チラリと横を見てから、桐生にも見る様に顎をしゃくって見せた。
其方に視線を向けると、ルイズが此方に向かって歩いてきた。
「もう、一体どうしたのよ、ワルド。来いって言うから来てみればカズマもいるし……何をするつもりなの?」
少し呆れた様に言うルイズにワルドが微笑みかけると、桐生に顔を向けた。
「カズマ殿、フーケを捕らえた貴方の力、是非試してみたい。此処で、手合わせ願えますか?」
ワルドがそう言って腰に差した杖を引き抜くと、ルイズはギョッとした表情になった。
「ちょ、ちょっと! 馬鹿な事は止めて! 今はそんな事をしてる場合じゃないでしょう!?」
「確かにね。しかし、貴族というのは我が儘な生き物でね。相手に強いか弱いかの興味を抱いてしまうと、試せずにはいられないんだ」
申し訳なさそうにルイズに言いながらも、ワルドは楽しみが隠せない様に笑っている。本当に桐生の実力を試したい様だ。
ルイズは困惑した。桐生の実力はフーケの一件でわかっている。しかし、ワルドだって戦いに置いてはプロだ。どちらが勝つのか、全く想像がつかない。正直に言えば、少しだけ二人の勝負には興味があった。
桐生は腕を組んでワルドを見つめた後、溜め息を漏らして首を振った。
「止めておけ。やるまでもねぇだろ。結果は分かり切っている」
「おや? 僕では相手にならないと?」
桐生の言葉を挑発と捉えたのか、ワルドが首を傾げながら桐生に問い掛ける。
しかし、桐生の口から飛び出して来たのは、ルイズはおろか、ワルドまでも想像していなかった言葉だった。
「その逆だ。俺がお前に勝てる訳ねぇだろ」
「えっ!?」
ルイズが驚いて声を上げ、ワルドも怪訝そうに眉をひそめた。
「ただの殴り合いなら負ける気はしねぇが、お前の魔法はかなり強力なんだろ? 魔法の強さはフーケとの戦いで身に染みてる。なら、俺が勝てる訳ねぇよ」
桐生はそう言うと、ワルドに背を向けて歩き始めた。
戸惑っているルイズを他所に、ワルドは少し小馬鹿にした様に溜め息をついて桐生の背中に言い放つ。
「フーケを捕らえた男がどれ程の者かと思って期待したんだが……思ったよりも臆病者なんですな、カズマ殿。それでルイズが守れるのですか?」
ワルドの言葉に桐生が足を止めて振り向くと、再び腕を組んで笑みを浮かべた。
「ワルド……婚約者の前で良い所を見せたいお前の気持ちもわかるが、あまり年上を苛めるなよ。こいつを本気で守る時は、俺の命に代えても守ってみせるさ」
それだけ言い、桐生は再び歩き出して行ってしまった。
ワルドは構えを解いて杖を鞘に戻すと、残念そうに溜め息を漏らした。
「やれやれ……僕の完敗、かな」
「えっ!?」
今度はワルドの言葉に、ルイズが再び驚きの声を上げた。
「相手の実力を推し量り、素直に退散出来るのは簡単な事じゃないからね。あそこまで見事だと、少し憧れてしまうよ」
「でも、カズマは逃げちゃったのよ? あんな挑発までされたのに……」
納得の出来ていないルイズが食ってかかると、ワルドは悔しそうに苦笑を浮かべて首を振った。
「だから凄いのさ。大抵の人間なら、あんな挑発を受ければ勝てないのがわかっていながらも挑むだろう。多分立場が逆なら、僕だって挑発に乗っていたと思う。でも、カズマ殿はその挑発さえ流した。おまけに僕の下心まで見抜いてね。歴戦の強者じゃなきゃ、辿り着けない境地だよ」
ワルドの言葉に、ルイズは未だに納得出来なかった。それでも、桐生が褒められているのは、心のどこかで嬉しかった。
その夜、桐生は一人、部屋のベランダで煙草を吸っていた。
ギーシュ達は一階の酒場で呑んで騒いでいる。明日のアルビオン出発に向けて英気を養っている様だ。ワルドに朝の事を詫びたいから奢らせて欲しいと誘われたが、丁重に断った。今は酒を呑みたい気分じゃない。
桐生は空を見上げ、満点の星空の中で赤い月と重なり、一つになった青い月を眺めながら紫煙をくゆらせた。
「カズマ……」
不意に声をかけられて桐生が振り返ると、ルイズが心配そうな表情で立っていた。
「ルイズか。どうした? 下でみんなと呑まないのか?」
桐生の質問に答えず、ルイズはツカツカと歩くと桐生の隣に並んだ。
ルイズの真意が見えない桐生は首を傾げたが、視線を再び月に向けた。
青白く淡く光る一つの月。どこか日本にいた頃、アサガオの庭から眺めた満月と重なり、心の中に安心感が生まれた。
「……あんた、変よ」
突然ポツリと、ルイズが月を見ながら呟く様に言ったので、桐生がルイズに顔を向けた。
「何がだ?」
「ワルドが現れてから、あんた、何か変よ。妙に気が張ってるみたいだし、ワルドに対してはずっと素っ気ないし、一体どうしたのよ?」
ルイズが不安そうな表情で振り向いてきたので、桐生は煙草を吹かしながら首を振る。
「別に何もねぇさ。気にするな」
「カズマ、ワルドと仲良くして、とは言わない。けど、今は任務中なのよ。いがみ合ってるとは思わないけど、もうちょっと彼に対して」
「なぁ、ルイズ」
ルイズの言葉を遮り、桐生が煙草を携帯灰皿へ押し込んだ。そして、真剣な表情でルイズの目を見つめる。
「な、何よ?」
突然の桐生の真剣な眼差しに気圧され、ルイズは思わず噛みながら返す。
「お前は……ワルドを愛しているか?」
「はっ!?」
思いもよらない質問が飛んできて、ルイズは顔を真っ赤にしながら後退る。
「な、何よいきなり!? そんな事」
「真剣に聞いてるんだ。どうなんだ?」
慌てふためくルイズを他所に真剣な表情のまま同じ問いを投げかける桐生。
ルイズは少し落ち着きを取り戻し、自分の中で考えを整理してから口を開いた。
「……正直、わからないわ。好き、だとは思うけど……上手く言えない……」
自分なりに出した精一杯の気持ちを口にすると、桐生はルイズの頭に優しく手を乗せた。太くゴツい指が、くしゃりと桃色の髪を撫でる。
「そうか……なら、いい」
桐生は一言それだけ言うと、ベッドに向かって歩き出した。もう休むらしい。
桐生の質問の意図がわからず、再度月を見ようと外に視線を戻したルイズは、
「なっ!?」
小さな悲鳴を上げた。その声に、桐生が振り返る。
ベランダの手すりの向こう側には先程まで見えていた夜空の代わりに、黒茶の岩の塊が立ちはだかっていた。
塊の正体は、岩で出来たゴーレムだ。こんなゴーレムを作れる人間は、桐生もルイズも一人しか知らない。
ふと、ゴーレムの肩に当たる所に女が立っているのに気付いた。長い髪が夜風になびいている。
「フーケ!」
ルイズが怒鳴ると、フーケは嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていてくれたなんて感激ね、ミス・ヴァリエール。いいえ、もうあの学園の職員じゃない訳だし、畏まる必要はないわね」
「あんた、牢屋に入ってたんじゃ!?」
忌々しそうにフーケを睨み付けながらルイズが怒鳴り散らす。その様子を、桐生はポケットに手を突っ込んで眺めていた。
「親切な人がいてね? 私みたいな美人はもっと世に出て活躍すべきだと言ってくれたのよ」
フーケが色っぽく言うと、背後から一人の人間が現れた。白い仮面で顔を隠しているが、どうやら男らしい。見た所、フーケを脱獄させた人物の様だ。
「あんたにお熱を上げるなんて悪趣味な奴がいたもんね! 何しに来たのよ!?」
「何しにって……ねぇ?」
フーケは勿体ぶった言い方をした後、狂的な笑みを浮かべた。
「もちろん、仕返しに来たのよ!」
ゴーレムが動き出し、ルイズが後ろに飛ぶのと同時にベランダが押し砕かれた。バキバキと音を立てて屋根まで剥がされる。
「カズマ!」
急いで逃げようとするルイズを他所に、桐生はゴーレムに向かって歩み寄る。
「ちょっと!? カズマ、何して」
「また会ったな、フーケ」
桐生の行動に理解出来ないルイズがヒステリックに声を上げるが、桐生はそれを無視してフーケに声をかける。
フーケは桐生の存在に気付くと、更に目を吊り上げて高らかに笑った。
「あらあら! 一番仕返ししたい人がこんな所にいるなんて嬉しいわ! 会いたかったわよ、色男!」
復讐に燃える瞳を輝かせて桐生を見つめるフーケ。もうルイズの存在は見えていないのかもしれない。
しかし、そんなフーケとは対照的に、桐生はポケットに手を突っ込んだまま落ち着いた調子で言う。
「そうか。所で、お前に一つ聞きたかった事があるんだが、いいか?」
「あらあら、私に聞きたい事ですって? まぁ、良いわ。冥土の土産に答えてあげようじゃないの」
復讐の対象を見つけたせいか、上機嫌な調子でフーケが笑いながら言う。
桐生はそんなフーケに頷いて見せた。
「なら、聞かせてくれ」
一体桐生はこんな時に何を聞こうと言うのか? 桐生の後ろに立ってルイズも、質問を聞くためかフーケも黙る中、桐生の言葉が響いた。
「お前、誰の為にそんな事してるんだ?」
「っ!?」
余裕だったフーケの表情が一瞬で崩れ去り、戸惑いと焦りの色が浮かび上がった。
「お前を捕らえる時、気絶する寸前に、誰かにごめんねと謝っているのが聞こえたんでな」
桐生はその時の事を思い出しながら言う。
「蓮家閃気掌」を受けて気絶するフーケが最後に呟いた言葉。「……ニア、ごめんね……」と聞こえた言葉がずっと桐生の中で引っかかっていた。
「男か、それとも家族の為か? なんにしても、もしそうならそんな事辞めちまえ。そんな事をして稼いだ金や物でそいつを守っても、そいつは喜んじゃくれねぇよ」
「……あんたに、あんたには関係ないでしょ!?」
言葉を震わせながらフーケが叫ぶ。先程までの威勢は全く感じられない。追い詰められているのがどちらなのかすらわからない程の狼狽振りだ。
だが、
「なぁ、フーケ……」
そんなフーケに、桐生は容赦なく言い放つ。
「お前がそこまで守りたいと思っているそいつは、今のお前の姿を見て、笑ってくれるのか?」
桐生の言葉が、フーケの心を突き刺した。
真っ白に染まる視界の中、フーケの目の前に映ったのは一人の少女。自分を姉と呼び、慕ってくれる少女の笑顔。
そんなあの子が今の自分を見たらどう思うだろう。きっと、悲しみ泣き出すだろう。今目の前に映っているこの顔の様に。
少女の悲しみに染まった顔が見えた次の瞬間、フーケの視界が真っ赤に染まった。身体中が熱い。血が沸騰している様に。
怒りだ。怒りがフーケの身体を支配していた。目を見開き、歯を剥き出しにして、憎悪に染まった表情で桐生を睨み付ける。怒りに震え、歯がカチカチとなっている。
「…………まれ。」
震える声で小さく呟くのを皮切りに、フーケの口から悲鳴にも似た怒声が溢れ出す。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇっ!」
掴んだ杖を強く握り締め、高々と掲げ上げる。それに合わせたかの様に、ゴーレムが右手を振り上げた。
制止しようとする仮面の男を強く払いのけ、フーケが思いっ切り杖を振り下ろす。
「お前にっ! お前なんかに何がわかるっ!」
ゴーレムが岩の拳を桐生目掛けて振り下ろす。
「カズマ! 逃げるわよ!」
ルイズが桐生のジャケットを背中から引っ張るが、桐生はピクリとも動かない。遅いながらゴーレムの拳は桐生に目掛けて近付いていく。
もう駄目だ、とルイズは桐生に抱き付き背中に顔を押し付けてギュッと目を瞑った。桐生はゴーレムの動きに合わせる様に、ポケットから手を出して、
「おらぁっ!」
自分の拳をゴーレムの拳目掛けて打ち付けた。
ガキンッ! と言う金属音が響き、自分の身体に痛みも衝撃も来ない事から、ルイズが恐る恐る顔を桐生の背中から離して目を開いた。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
桐生の拳とゴーレムの拳が重なり、ゴーレムの拳が止まっているのだ。
「な、何で!? どうして!?」
冷静さを取り戻したフーケが驚きの声を上げる。
ルイズは桐生から少し離れて、ゴーレムの拳を受け止めている桐生の拳を見る。すると、見たこともない銀色に輝く何かが拳に嵌められていた。更に、桐生の身体からはいつも見た青いオーラではなく、赤いオーラが迸っていた。
「悪いな、フーケ」
桐生が静かな口調で口を開くと、ゴーレムの拳に亀裂が走った。
「お前が誰かの為にこんな事してるのはわかった。お前にも、守りたい誰かがいるんだろう」
ピシピシと、拳から徐々に腕に走る亀裂の音に混じって桐生の言葉が響く。
「でもな、俺にも、お前と同じくらいに守りたい奴がいるんだよ。そいつを守る為なら……」
ビシビシと悲痛な音を立て、とうとう亀裂はフーケ達の立つ肩まで走った。
「誰だろうと、ぶっ飛ばす!」
バキン! と言う耳障りな金属音を立ててゴーレムの腕が砕け散った。反動でゴーレムが大きく後ろに後退る。
それをチャンスとばかりに、桐生は驚き呆けているルイズの身体を抱きかかえ、部屋から飛び出した。