ゼロの龍   作:九頭龍

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ご主人様の婚約者


第11話

 翌日の早朝、朝靄が立ちこめる中、桐生とギーシュは馬に鞍を付けていた。桐生の腰には、ベルトに紐で括り付けられたデルフリンガーが揺れている。

 ルイズもギーシュも普段と変わらぬ制服姿だが、二人とも乗馬用のブーツを履いていた。どうやらかなりの距離を走るらしい。

 そんな風に出発の準備をしていると、ギーシュが桐生に近付いてきた。

 

「お願いがあるのだが……」

 

「ん? どうした?」

 

 声をかけてきたギーシュに振り返り、桐生は馬の鞍をつける動作を止めて尋ねる。

 

「僕の使い魔も連れて行きたいんだ」

 

「お前も使い魔がいるのか?」

 

「いるさ。当たり前だろう?」

 

 桐生とルイズは互いに顔を見合わせてから頷いて見せた。

 

「なら、連れて行きゃあいいじゃねぇか。どこにいるんだ?」

 

「ここさ」

 

 ギーシュが自分の足下を指差した。しかし、そこには草の覆い茂った地面しか見えない。

 

「いないじゃないの」

 

 ルイズが乗馬鞭で肩を叩きながら溜め息混じりにすました顔で言う。

 ギーシュはにっと笑うと、片足で地面をトンっと叩いた。するとモコモコと地面が盛り上がり、ボコリと茶色い大きな生き物が顔を出した。

 桐生とルイズが突然の事に驚いていると、ギーシュは膝を突いてその生き物を抱き締めた。

 

「ヴェルダンデ! 今日も可愛いよ、ヴェルダンデ!」

 

 一瞬状況の読み込めなかった桐生は頬を掻きながらギーシュに問い掛ける。

 

「それが……お前の使い魔か?」

 

「そうとも。僕の可愛い使い魔、ヴェルダンデだ」

 

「あんたの使い魔って……ジャイアントモールだったの?」

 

 ルイズが変な物を見る目でギーシュを見ながら問い掛ける。

 ボコボコと地面から姿を現したのは、巨大なモグラだった。大きさは小熊程ある。

 

「そうさ。ああヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね」

 

 ギーシュはヴェルダンデと言う巨大モグラを抱き締めて頬摺りしている。まるで小さな子供がプレゼントに貰ったぬいぐるみにする様に。

 

「ねぇ、ギーシュ……駄目よ。その生き物は地面を潜って行くんでしょう?」

 

「そうさ。ヴェルダンデはモグラだからね」

 

「そんなの連れていける訳ないじゃない。私達、馬で行くのよ」

 

 ルイズは呆れながら困った表情を浮かべて言った。

 

「大丈夫さ。ヴェルダンデは地面の中を泳ぐ様に掘り進むんだ。馬の速度くらいなんて事ないさ」

 

 そうだそうだ、とばかりにヴェルダンデが鼻をモグモグ動かして抗議してくる。

 

「あのねぇ……私達これからアルビオンに行くのよ? 地面を掘り進む生き物なんて、連れては行けないわ」

 

 ルイズの一言にやたらと大袈裟に衝撃を受けた様に身体を仰け反らせてから、ギーシュは膝を再び突いてヴェルダンデに抱き付く。

 

「お別れなんて……そんなの辛過ぎるよ、ヴェルダンデ……」

 

 抱き付くギーシュを抱き締め返そうとしたヴェルダンデが、突然動きを止めて鼻をひくつかせた。そしてギーシュから離れて、ノシノシとルイズに近寄って行く。

 

「な、何よ、このモグラ……」

 

 ルイズはヴェルダンデの巨体に気圧された様に後退る。と、ヴェルダンデはいきなりルイズを押し倒して鼻先で身体をまさぐり始めた。

 

「ちょ、ちょっと、何す、きゃあ! どこ触ってんのよ!」

 

 ルイズは身体を鼻でつつかれて地面にのた打ち回る。なんとかヴェルダンデをどかせようと抵抗するものの、その巨体の体重が邪魔をして上手く行かないらしい。

 桐生とギーシュが呆気に取られていると、ヴェルダンデはルイズの右手の薬指に嵌められた指輪のルビーを見つけると、そこに鼻を擦り付けた。

 

「この、無礼なモグラね! 姫様から頂いた指輪に鼻なんか押し付けないでよ!」

 

 ヴェルダンデの行動の意図に気付いてギーシュが納得した様に頷いた。

 

「なるほど、指輪か……ヴェルダンデは宝石が好きだからね」

 

「嫌なモグラだな……」

 

「嫌などとは言わないでくれたまえ。ヴェルダンデは貴重な宝石や鉱石を僕の為に地面の中から見つけてくれるんだ。「土」系統のメイジの僕にとってはこの上ない協力者さ」

 

 得意気に話すギーシュに桐生は額に手をあてがいながら溜め息を漏らす。そんな二人の話を聞いていたルイズが怒声を上げる。

 

「ちょっと! 喋ってないで助けなさいよ!」

 

「あ、ああ……」

 

 ルイズの声にハッとした様に声を漏らしてから桐生がヴェルダンデに近付いたその時。

 突然、突風が吹き付けルイズの上に乗っかっていたヴェルダンデを吹き飛ばした。

 

「誰だ!?」

 

 自分の使い魔を吹き飛ばされて逆上したギーシュが声を張り上げた。

 ギーシュの声に応える様に、朝靄の中から一人の長身の男が現れた。羽根帽子を被ったその姿に、桐生は見覚えがあった。

 

「貴様! 僕のヴェルダンデに何をするんだ!?」

 

 ギーシュは薔薇の造花を取り出したが、まるで居合い抜きの様に男が腰に刺さっている杖を引き抜くと造花は砕け散り、赤い花びらが宙を舞った。

 

「待ってくれ、僕は敵じゃない。姫殿下の命により、君達の同行を頼まれた者さ。隠密の任務だが、君達だけでは心許ないらしい」

 

 長身の男は杖を腰に収め、羽根帽子を取ると一礼した。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」

 

 文句を言おうと開きかけたギーシュの口がゆっくり閉じていく。魔法衛士隊は貴族達にとって憧れの的だ。相手が悪過ぎる。

 落ち込んだ様にうなだれるギーシュを見て、ワルドはギーシュの肩を優しく叩いた。

 

「済まないね。自分の婚約者がモグラに襲われているのを見てはジッとしてられなくてね」

 

 ヴェルダンデがいなくなった事で立ち上がり、乱れた制服を直してからルイズが声を漏らした。

 

「ワルド、様……」

 

「久し振りだね! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべてルイズに駆け寄り、その小さな身体を抱え上げた。その瞬間、桐生が眉をひそめているのをルイズは見逃さなかった。

 

「お久し振りでございます」

 

 桐生の反応は気になったものの、ルイズは頬を赤らめてされるがままワルドに抱きかかえられる。

 

「相変わらず軽いな、君は! まるで羽根の様だ!」

 

「ワ、ワルド様……お恥ずかしいですわ」

 

「おっと、失礼。つい懐かしさにかまけてしまったよ。ルイズ、彼等を紹介してくれないかい?」

 

 桐生とギーシュの視線に気付いたワルドはルイズを地面に下ろすと、羽根帽子のつばを摘んで整えた。

 

「はい。あの……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のカズマです」

 

 ルイズが交互に指差して言うと、ギーシュは深々と頭を下げ、桐生は腕を組んで見せた。

 

「君が……失礼、どうやら僕よりも年上の方の様だ。貴方がルイズの使い魔ですか……人とは思わなかった」

 

 ワルドは気さくな感じで桐生に近付いた。

 

「僕の婚約者がお世話になっています」

 

「……ああ」

 

 ワルドの差し出した手を握り締めながら、桐生は頷いて見せた。

 

「しかし、あの「土くれ」のフーケを捕らえた貴方が味方についてくれるなら、今回の任務はきっと上手く行くでしょうな」

 

「だと、いいがな……」

 

 気さくに話し掛けるワルドとは対照的に、桐生はどこか素っ気ない態度だ。ルイズは思わず内心ハラハラする。別に、桐生にワルドとそこまで仲良くして欲しいとは思わない。しかし、今の桐生はあまりにも露骨に素っ気ないのが気になった。何と言うか……桐生らしくない様に見える。

 ワルドが桐生との挨拶を終えて口笛を吹くと、朝靄の中からグリフォンが現れた。

 ワルドはグリフォンに颯爽と跨がると、ルイズに手招きした。

 

「おいで、ルイズ」

 

 ルイズは顔を真っ赤に染めてから俯き、両手の指先を摺り合わせてモジモジし始めた。チラリと横目で桐生を見ると、自分の馬に跨がっていた。その光景が、ルイズには何だか面白くなかった。

 何よ……ワルド様が来た瞬間に素っ気なくしちゃうし、そうかと思えば私の事なんてなんともないみたいな様子だし……。

 そこでルイズはワルドにも桐生にも、当然ながらギーシュにも気付かれない様にハッとした。

 ひょっとして……カズマ、嫉妬してるの?

 再度チラリと桐生の方を見ると、馬に跨がりながら此方を見ているのが見える。

 ルイズは迷った様に暫くモジモジした後、ワルドの手を取って抱きかかえられた。

 

「では、諸君! 出発だ!」

 

 ワルドが掛け声を上げると、グリフォンが駆け出した。その後を追う様に桐生とギーシュの馬も駆け出した。

 

 

 出発する一行を、アンリエッタが学園長室の窓から見つめていた。胸元でしなやかな指を絡めて手を合わせている。

 

「始祖ブリミルよ、彼女達に神のご加護を……」

 

 祈るアンリエッタの隣、自分の机の椅子に座ってオスマンが分厚い本に目を落としていた。

 アンリエッタは一向に窓に視線をやらないオスマンに振り返った。

 

「見送らないのですか? オールド・オスマン」

 

「ほほ、姫、見ての通りこの老いぼれは今読書に夢中でしてな」

 

 オスマンがそう返すと、学園長室の扉が強く叩かれた。オスマンは指先でページを捲りながら入りなさい、と入室の許可を口にした。

 勢い良く開かれた扉からコルベールが飛び込んできた。禿げ上がった頭が汗に濡れて輝いている。

 

「いいいいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」

 

「君は私の部屋に落ち着いて入る時はないのかね? ミスタ・コルベール」

 

「私が来る時は一大事の報告が多いせいです! それより城からの知らせですぞ! なんと、あのフーケがチェルノボーグの牢獄から脱獄したそうです!」

 

「ほぉ……」

 

 オスマンは本から顔を離してコルベールの顔を見た。

 

「門番の話では、さる貴族を名乗る怪しい人物に「風」の魔法で気絶させられたそうです! 魔法衛士隊が、王女のお供で出払っている時を狙って脱獄の手引きをしたのですぞ! これはつまり、城下に裏切り者がいると言う事です! これはどう考えても一大事でしょう!」

 

 コルベールの言葉に、アンリエッタの顔が蒼白になった。

 そんなアンリエッタの内情を知ったのか、オスマンは手を叩いてコルベールに退出を促した。

 

「わかったわかった。それについてはまた後で聞こうではないか」

 

 まだ何か言いたそうだったコルベールを退出させると、アンリエッタは窓に手をつき嘆かわしいとばかりに深い溜め息を漏らした。

 

「城下に裏切り者がいるなんて……間違いありません! アルビオン貴族の暗躍です!」

 

「そうかもしれませんな」

 

 指先を軽く舐めて次のページを捲りながら言うオスマンに、アンリエッタは呆れの混じった視線を向けた。

 

「この国の、トリステインの未来が掛かっているのですよ? なぜそこまで落ち着いていられるのです?」

 

「ならば、慌てれば状況は良くなりますかな?」

 

 オスマンの言葉に、アンリエッタはグッと言葉を詰まらせる。

 オスマンは本を閉じてアンリエッタに顔を向けると優しく微笑んだ。

 

「既に杖は振られました。私達に出来るのは、彼等の旅の無事と作戦の成功を祈るのみ。違いますかな?」

 

「それは、そうですが……」

 

「なに、彼なら道中でどんな困難があったとしても、乗り越えてくれましょう」

 

「彼、とは? あのギーシュと言うメイジ? それともワルド子爵?」

 

 アンリエッタの質問に、オスマンはゆっくりと首を振って見せた。

 

「ではあの、ルイズの使い魔の男性が? まさか! 彼はただの平民ではありませんか!」

 

「姫は、始祖ブリミルの伝説をご存知ですかな?」

 

「は? はぁ……まぁ、通り一遍の事なら」

 

「では、「ガンダールヴ」のくだりは?」

 

「始祖ブリミルが用いた、最強の使い魔の事でしょう? まさか……彼がそうだと?」

 

 オスマンは喋りすぎたと心の中で後悔した。この姫殿下を疑っている訳ではないが、王室の人間には桐生が「ガンダールヴ」である事を隠しておかなければならないと感じていたからだ。

 アンリエッタの言う通り、「ガンダールヴ」は伝説上の使い魔のなかでも最強の部類に入る。そんな兵器を手に入れたら王室の暇人共はどこか構わず戦争をふっかけるに違いない。

 

「ん、んんっ! ともかく、彼は「ガンダールヴ」並みの使い手と、こう思っとる訳でして。何せ、彼は異世界からきた男ですからな」

 

「異世界?」

 

「そうですじゃ。ハルケギニアではないどこか。「ここ」ではない、どこか。そこからやってきた彼ならばきっと大丈夫と、この老いぼれは信じとるんですよ」

 

「そんな世界があるのですか……」

 

 アンリエッタは窓から、遥か彼方まで続く空を眺め、そして微笑んだ。

 

「ならば……祈りましょう。異世界から吹く風に」

 

 アンリエッタの言葉ににっこりと笑って頷いたオスマンだったが、再び本を開くと険しい表情に変わった。

 

「ありゃ……どこまで読んだかな? ええい、折り目でもつけておけば良かった……!」

 

 

 港町ラ・ロシェールはトリステインから離れる事早馬で二日程の所にあるアルビオンへの玄関口だ。港町と言われているが、狭い峡谷の間に設けられた、小さな街である。

 狭い山道を挟む様にそそり立つ崖の一枚岩を穿ち、旅籠や商店が並んでいる。並ぶ建物は全て同じ岩から削り出されたものであり、「土」系統のスクウェアメイジ達の努力が窺える。

 そんな商店の並ぶ通りの裏路地に、一軒の酒場があった。入り口は羽根扉で、酒樽の形をした看板には「金の酒樽亭」と書かれている。

 しかし、店名の割には小汚く、客も傭兵やならず者達でいっぱいだ。

 店の所々では酔いつぶれて机に突っ伏している者、殴り合いの喧嘩をしてる者、杯を重ねている者等様々だが活気があった。

 そんな店内に、一際武装が目立つ男達がいた。十数人の男達はテーブルをこれでもかと囲って酒を(あお)っている。

 その男達は、アルビオンの王党派についていた傭兵達だった。内戦の中で自分達の主人に見切りをつけ、ラ・ロシェールまで撤退して来たのだ。

 

「しっかしよぉ、アルビオンの王党派も大した野郎がいねぇなぁ……さっさと切り上げて良かったぜ」

 

「全くだ。せっかく守っても、負けの分かりきった野郎につくなんざ、やってられねぇ」

 

「我等の自由に乾杯っ! てか!」

 

 そう笑い、乾杯を繰り返していると、羽根扉がかたんと開き、長身の女が一人酒場に入って来た。目深に被ったフードのせいで口元しか見えないが、顎の線は細く、瑞々しい唇は若さと美貌を窺わせる。更に身体全体を包む様に羽織ったローブから覗くラインがプロポーションの良さを物語っていた。こんな小汚い酒場に現れた女性に店内の男達の視線は一気に集まり、中には口笛を吹く者もいた。

 しかし、女はそんな視線等気にもせず、カウンターに腰掛けてワインと肉料理を注文した。酒と料理が運ばれてくると、女は給士に金貨を手渡した。

 

「こ、こんなに? よ、よろしいんで?」

 

「泊まり賃込みでね。部屋は空いてるかしら?」

 

 上品だが、街の垢を漂わせる物言いで女が言うと、給士は頷いて去っていった。

 幾人かの男が目配せをすると、女を囲む様に席に近付いた。

 

「お嬢さん、こんな店に一人で入るなんざ感心しねぇなぁ」

 

「そうだぜ。おっかねぇ連中もいるからな。俺達が守ってやるよ」

 

 女は男達の言葉に返事をしない。それに構わず下卑た笑いを浮かべて一人の男が女のフードを持ち上げた。

 女は、かなりの美人だった。切れ長の目に細く高い鼻筋。その女は、「土くれ」のフーケだった。

 

「ヒュウッ! こりゃ上玉だ。見ろよ、肌が象牙みてぇじゃねぇか」

 

 男が口笛を吹いてフーケの顎を持ち上げた。が、その手はぴしゃりと叩かれ、はねのけられる。もう一人の男がフーケに近付き、その白く滑らかな頬にナイフの刃を当てた。

 

「何の真似かしら?」

 

「心配すんな、脅すだけだ。こんな綺麗な肌に傷付けちゃあ、楽しみも減るからな。男を漁りに来たんだろ? 俺達が相手してやるよ」

 ナイフに物怖じもせずフーケは小さく笑うと、身体を素早く捻り杖を引き抜き、一瞬で呪文を唱えた。

 突然のフーケの動きに後退った男の手に持たれていたナイフがただの土くれに変わり、ボロボロと床に落ちていく。

 

「き、貴様!」

 

 男達は意気込むも一歩、また一歩と後退った。マントを着けていない為、メイジと気付かなかったのである。

 

「私はメイジだけど、貴族ではないわ。それより、あんた達傭兵でしょ?」

 

 男達は呆気に取られて顔を見合わせた。とりあえず、貴族でない事に安心していた。もし貴族だったら、今頃みんな命が無くなっていただろう。

 

「そ、そうだが……あんたは?」

 

「誰だって良いじゃない。とにかく、あんた達を雇いたいのよ」

 

「俺達を雇う?」

 

 俺達は当惑した顔でフーケを見詰めた。

 

「……何よ? 傭兵を雇うのがそんなにおかしいの?」

 

「そ、そうじゃねぇけど……あんた、金はあるんだろうな?」

 

 フーケは溜め息を漏らした後、金貨の詰まった袋をテーブルに投げ捨てた。中身を確認した男が笑みを浮かべる。

 

「こりゃいい! エキュー金貨だ!」

 

 そんな風にはしゃぐ男達をフーケが見ていると、羽根扉が開いて白い仮面を着けてマントを羽織った男が入って来た。フーケを脱獄させた貴族だ。

 

「あら、早かったわね」

 

 フーケの声に傭兵の男達も入って来た男に視線を向ける。

 

「連中が出発した」

 

「こっちもあんたに言われた通り、人を雇ったよ」

 

 白い仮面の男は、フーケに雇われた男達を見回した。

 

「貴様等、ここに来る前はどこに雇われていた?」

 

 白い仮面の男の質問に、男達は薄ら笑いを浮かべた。

 

「先月までアルビオンの王党派にさ」

 

「だが負ける様な奴にゃあいつまでもついてらんなかったんでね」

 

 傭兵達が笑うと、白い仮面の男も笑った。

 

「金は言い値を払ってやる。だが、忘れるな……俺は甘っちょろい王様とは違う。逃げ出したら、殺す」

 

 白い仮面の男の言いように、冗談ではないのが伝わり傭兵達は生唾を飲んだ。

 

 

 魔法学園を出発させてからワルドはグリフォンを疾駆させっぱなしだった。桐生とギーシュは途中の駅で二回馬を交換せざる得なかったが、ワルドのグリフォンは疲れ知らずに走り続けている。乗り手に似てタフな様だ。

 

「ちょっとペースが早くない?」

 

 抱かれる様な格好でワルドの前に跨がったルイズが砕けた口調でワルドに言う。雑談を交わすうちに昔の口調に戻して欲しいとワルドに頼まれたからだ。

 

「カズマ……はまだ大丈夫そうだけど、ギーシュはへばっているわ」

 

 ワルドは後ろに振り向いた。桐生はまだ姿勢を整えて手綱を握っていたが、表情から流石に疲れが出ているのが窺える。ギーシュは馬にもたれ掛かる様に手綱にしがみついている。今度は馬よりも先に二人がへばってしまいそうだ。

 

「ラ・ロシェールの港町までは止まらずに行きたいのだがね……」

 

「無理よ、普通なら馬で二日の場所なのよ?」

 

「へばったなら、置いていけばいいさ」

 

「そう言う訳にはいかないわ」

 

「どうしてだい?」

 

 ワルドの質問に、ルイズは困った様に言う。

「だって……仲間じゃない。それに、使い魔を置いていくなんて、メイジのする事じゃないわ」

 

「やけにあの二人の肩を持つね。どちらかが……いや、年齢的にカズマ殿は考え難いが、君の恋人かい?」

 

「こ、恋人なんかじゃないわ!」

 

 ワルドの笑った口調の質問にルイズは顔を赤らめて首を振って見せた。

 

「そうか……良かったよ。婚約者に恋人がいるなんて知ったら、僕はショックで死んでしまうよ」

 

 そう言いながらもワルドは笑っている。

 

「お、親が決めた事じゃない」

 

「おや? 僕の小さなルイズ! 君は僕の事が嫌いになったのかい?」

 

 ワルドは昔の様に、おどけた口調で言った。

 

「もう小さくないわ、失礼ね」

 

「僕にとっては未だに小さな女の子だよ」

 ルイズは頬を膨らませて抗議しながら、先日見た夢を思い出していた。

 生まれ故郷のラ・ヴァリエーリの屋敷の中庭。忘れ去られた池に浮かぶ小船。幼い頃、そこで拗ねていると、いつもワルドが迎えに来てくれた。

 親同士が決めた結婚、幼い頃の約束、婚約……。

 まだその意味がわからなかったあの頃、ただ、憧れの人とずっと一緒に居られる。それがなんとなく嬉しかった。

 今なら、その意味が分かる。結婚するのだ、と。

 

「嫌いな訳、ないじゃない」

 

「良かった。じゃあ好きなんだね?」

 

 ワルドは手綱を握る手でルイズの肩を抱いた。

「僕はずっと君の事を忘れなかったよ。僕の父が戦死し、母も早くに亡くした僕にとって、君の存在はとても大きく力になってくれたからね。だから爵位と領地を相続してすぐに街を出た。立派な貴族になりたくてね」

 

「どうして?」

 

「君と婚約した時から決めていたからさ。立派な貴族になって、君を迎えに行くとね」

 

 ワルドは優しい微笑みを浮かべて言った。

 ルイズは顔を赤らめて顔を背けた。

 ワルドの事は、あの夢を見るまで忘れていた。ルイズにとってワルドは婚約者と言うより、憧れの王子様という存在だったのだ。成長していくに連れ、婚約の意味を知れば知る程、まるで夢物語の様な、他人事の様にしか感じられなかった。

 だから、夢を見てすぐにワルドが現れた時、戸惑いが身体を駆け巡った。思い出が現実にやってきて、どうして良いかわからなかったから。

 

「姫殿下には申し訳ないが、今回の旅はいい機会さ」

 

ワルドは落ち着いた口調で言った。

 

「君は、まだ久し振りの僕に戸惑っているのだろう。此方もなかなか会いに行けなかったしね。でもこうして一緒に旅を続ければ、またあの頃の懐かしい気持ちを思い出してくれると信じているよ」

 

 ルイズは思う。ワルドの事が、本当に好きなのか、どうか。嫌いではない。だが、憧れの感情が好きに繋がっているかは疑問だった。

 ルイズはそっと後ろに振り返り桐生を見た。

 手綱を握り締め、駆ける馬をなんとか抑えながら跨がる桐生は、自分とワルドの婚約をどう思うのだろうか。

 

 

 ぐったりした様に馬の首にもたれ掛かりながら、ギーシュは隣を走る桐生に声を掛けた。

 

「もう半日以上も走りっぱなしだ。魔法衛士隊の連中も、君も、化け物か?」

 

「さあな」

 

 桐生は疲れた声で答えながらも、馬の上で姿勢が整っていた。

 しかし、馬に長時間跨がっているのがこんなにも疲労するとは予想外だった。馬の一歩一歩の荒々しい足取りの揺れに振り落とされぬ様手綱を握って体勢を整えるのは思いの外神経と体力を使う。少しでも気を抜けば、ギーシュの様に馬にもたれ掛かってしまいそうだった。

 

「時にカズマ……ちょっと聞きたいんだが」

 

「なんだ?」

 

 ギーシュの問い掛けに、やや苛立った口調で聞き返す桐生。神経を使っている為顔は前を走るグリフォンにむけられたままだ。

 

「君はどうにもあのワルド子爵が現れてから顔が険しいんだが……彼が気に入らないのかね?」

 

「……さあな」

 

 ギーシュの質問に静かな口調で桐生が返すと、ギーシュの顔に笑みが浮かび始めた。

 

「まさか、彼に嫉妬しているのか? 自分の主人が取られたと。はは、カズマ! 君もちゃんとそっちの方にも男らしい所があるんだな!」

 

 力なく笑ってからかうギーシュに桐生は答えない。ギーシュも、あまり無茶なからかいをし過ぎて後で桐生にどやされては堪らないと感じてそれ以上は言うのを止めておいた。

 

「嫉妬、か……」

 

 ギーシュに聞こえぬ様に、桐生は静かに言った。

 

「そんな単純な感情なら、もっと楽なんだがな……」

 

 

 馬を何度も替えて飛ばしたので、桐生達はその比の夜にラ・ロシェールの入り口に着いた。桐生は辺りを見回しながら怪訝そうに眉をひそめた。途中から妙だとは思っていたか、何故港町に向かっていたのにこんな峡谷の山道に来ているのか。

 

「港町と聞いたのに、何故山なんだ?」

 

 桐生の呟きに、ギーシュが呆れた様に首を振る。

 

「カズマ、君はアルビオンを知らないのか?」

 

 疲れはあるもののこれで一息つけると言う安堵からギーシュは饒舌になっていた。

 

「ああ、知らん」

 

「まさか!」

 

 ギーシュは高らかに笑ったが、桐生は表情を変えない。

 

「ここの常識と俺の常識は違うんでな」

 

 そんな会話をしていると、突然桐生達の跨がった馬目掛けて崖の上から松明が何本も投げ込まれた。

 

「な、何だ!?」

 

 ギーシュの怒鳴り声を上げたのと同時に、戦の訓練を受けていない馬はメラメラと燃え上がる松明の灯りに驚き、前足を高々と上げて桐生とギーシュが振り落とされた。そこを狙って何本もの矢が夜風を切り裂いて飛んでくる。

 

「き、奇襲だ!」

 

 ギーシュの喚き声の後、トスッと軽い音を立てて矢が地面に突き刺さる。

 桐生が崖の上を見ると、無数の矢が桐生とギーシュ目掛けて放たれた。

 

「ちっ! ギーシュ! お前のマントを貸せ!」

 

「ま、マント!?」

 

「早くしろ!」

 

 桐生に怒鳴られ、ギーシュは引き剥がす様に自分が着けていたマントを取って桐生差し出す。するとギーシュの手首を掴み、ギーシュごと引き寄せてマントをひったくってから自分の後ろにその細い身体を放り投げる桐生。

 二人目掛けて降り注ぐ無数の矢にギーシュはもう駄目だと目をギュッと瞑る。

 桐生はジッと矢を見つめて十分に引き寄せると、

 

「おおおっ!」

 

 雄叫びを上げながら思いっきりマントを振るった。すると、矢尻がマントを貫くのと同時に絡まり、二人のいる場所だけ矢の被害が無かった。

 

「か、カズマ!」

 

「立て、ギーシュ! ちんたらしてたら殺られるぞ!」

 

 助かった事に安堵した様な声を漏らすギーシュを怒鳴りつけてから、桐生はデルフリンガーを引き抜いた。

 

「いよぉっ、相棒! 寂しかったぜぇ! ずっと鞘に収まり」

 

「大丈夫か!?」

 

 引き抜かれ上機嫌に語るデルフリンガーの言葉を遮ってワルドが二人に叫ぶ。

 桐生はワルドに頷いてから再度崖の上を見た。今度は矢が飛んでこない。

 

「夜盗か山賊の類か?」

 

 ワルドが呟くと、ルイズがハッとした。

 

「もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」

 

「いや、貴族なら弓を使わないだろう」

 

 その時、ばっさばっさと力強く羽ばたく羽根音が聞こえた。ワルド以外は、その音に聞き覚えがあった。

 崖の上から、男達の喚き声が上がった。どうやら頭上から何かが襲いかかって来たらしい。

 崖の上に突然小さな竜巻が巻き起こり、男達を吹き飛ばした。

 

「あれは……「風」の呪文!?」

 

 ルイズが叫び声を上げると、ガラガラと崖の上から男達が転がり落ちてきた。男達は地面に身体を強く打ち、呻きながらのた打ち回っている。

頭上に、月をバックに見慣れた幻獣が姿を現した。それを見てルイズが声を上げる。

 

「シルフィード!」

 

 それは、タバサのウィンドドラゴンだった。地面に降り立つと、赤い髪の少女がウィンドドラゴンから飛び降りて、優雅に髪をかき上げた。

 

「お待たせ」

 

 ルイズはグリフォンから飛び降りると、キュルケに怒鳴った。

 

「お待たせじゃないわよ! なにしに来たのよ!?」

 

「いきなりご挨拶ね、ヴァリエール。助けに来てあげたんじゃない。朝方、窓からあんた達が馬に乗って出掛けたから急いでタバサを叩き起こしてきたのよ」

 

 キュルケが指差す方向には、パジャマ姿でウィンドドラゴンに乗っているタバサがいた。本当に叩き起こされて着替える間もなかったらしい。しかし、タバサは気にした様子もなく、相変わらず本のページを捲っている。

 

「あのねぇ、ツェルプストー……これはお忍びなのよ?」

 

「あら、そうなの? ならそう言いなさいよ。言わなきゃわからないじゃない。とにかく、感謝しなさいよね。あんた達に襲いかかった奴等を捕まえたんだから」

 

 キュルケは倒れた男達を指差した。

 男達は先程まで痛みに耐えながらルイズ達を罵倒していが、今はギーシュの尋問を受けて静かにしていた。

 ルイズは腕を組んでキュルケを睨み付けた。

 

「勘違いしないでよね、ヴァリエール。貴女を助けたわけじゃないの。ねぇ?」

 

 キュルケは色っぽい仕草でワルドににじり寄った。

 

「お髭が素敵ね。貴方、情熱はご存知?」

 

 ワルドは苦笑を浮かべると、キュルケを左手で優しく押しやった。

 

「あらん?」

 

「助けも、君の好意も嬉しいが、それ以上は近寄らないでくれたまえ。僕の婚約者に、いらん誤解を招きたくないのでね」

 

 そう言って、ワルドはルイズに微笑みかけた。ルイズの頬が赤く染まる。

 

「なあに? あんたの婚約者だったの?」

 

 キュルケがつまらなそうに言うと、ワルドが頷いた。

 キュルケはつまらなそうに溜め息を漏らすと、桐生に視線を向けた。

 桐生は、ギーシュのマントに突き刺さった矢を引き抜いていた。

 

「本当はね、ダーリンが心配だったのよ?」

 

 キュルケが後ろから抱きつくと、桐生は振り向いて苦笑を浮かべながらキュルケの頭を撫でた。

 

「そういう事は、嘘でも最初に言える様になった相手に言うんだな」

 

「んっもう! 本当なのにぃ……」

 

 言いながらも嬉しそうに頭を撫でられて笑うキュルケに、ルイズは唇を噛んで怒鳴ろうとするも、ワルドに優しく肩を掴まれてしぶしぶ止めた。

 暫くして、尋問を終えたギーシュがワルドに近付いた。

 

「どうやら、物取りが目当ての夜盗の様です」

 

「ならば、捨て置いても問題ないな」

 

 ワルドは颯爽とグリフォンに跨がり、ルイズを抱き上げた。

 

「今夜はラ・ロシェールの宿に止まり、朝一番の便でアルビオンに向かおう」

 

 そう言って出発した一行の後ろで、ギーシュが馬に跨がったまま、桐生に詰め寄った。

 

「カズマ! 僕のマント、どうしてくれるんだ!?」

 

 矢が突き刺さったマントは当然ながら穴だらけでボロボロだ。桐生は困った表情で頬を掻いた。

 

「悪かった。だが、そのお陰で助かったんだ。帰ったら、ルイズに請求してくれ」

 

 まだ文句がある様にブツブツ呟くギーシュを横目に、まだ幾分か遠くにあるラ・ロシェールの灯りが妖しく光っているのを見ながら、桐生はアルビオンとはどんな国なのかと想いを馳せた。


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