ゼロの龍   作:九頭龍

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王女様の来訪


第10話

 翌朝、教室に入ってきたルイズは、起床してから十数回目となる欠伸をしながら眠たそうに席に着いた。その後ろで桐生が壁に寄りかかる。

 結局、また夢の続きを見てしまうのではと妙な不安に駆られて上手く眠れなかったルイズは、朝から欠伸を繰り返して眠たそうな目を必死に開いていた。

 次々と生徒達が席に着くと、教室の扉が開き、ギトーが現れた。

 長い黒髪に漆黒のマントと言う不気味な出で立ちは、実年齢よりもどこか老けて見える。実際、生徒の間ではその不気味さ故に、あまり人気がない。

 

「では諸君、早速授業を始める。私の二つ名は知っての通り、「疾風」。「疾風」のギトーだ」

 

 生徒の誰もが口を(つぐ)む。そして静寂の中でギトーの言葉が響き渡る。

 

「さて、最強の系統は何かご存知かね? ミス・ツェルプストー」

 

 突然指名を受けたキュルケはつまらなそうに頬杖を突きながら答えた。

 

「「虚無」じゃないんですか?」

 

「生憎伝説の話をしているんじゃない。現実的な答えを聞いているんだが?」

 

 ずいぶんと引っかかる言い方にキュルケは僅かに眉をひそめてから赤髪の毛先を指に絡ませた。

 

「「火」に決まってますわ、ミスタ・ギトー」

 

「ほう? 何故そう思うのかね?」

 

「全てを焼き付くせるのは、いつの時代も炎と情熱。そうじゃございません?」

 

「残念ながらそうではない」

 

 ギトーは腰に差してあった杖を引き抜くと、首を振って見せた。

 

「ならば試しに、この私に君の得意な「火」の魔法をぶつけてみたまえ」

 

 突然の申し出に、キュルケや教室の生徒達はギョッとした表情になった。

 「火」の系統は最も攻撃的な魔法が多く、未熟な者でもその威力はなかなかのものになってしまう事が多いのだ。それを、この教師は生徒にぶつけろと言うのだろうか。

 

「どうしたね? ミス・ツェルプストー。君は確か、「火」系統に自信があるのではないのかね?」

 

 ギトーの言葉には、どこか挑発的な物が含まれており、キュルケの目が細くなった。

 

「火傷じゃ、済みませんわよ?」

 

「構わんから、全力で来たまえ。そのツェルプストーの者の証である赤毛が本物ならばね」

 

 ギトーの挑発に、キュルケの瞳から光が消える。

 キュルケは胸に差してあった杖を引き抜くと詠唱を開始する。杖の先端に生まれた火の玉を自分の胸元に手繰り寄せると、徐々に火の玉が大きくなっていく。その大きさは見る見るうちにバレーボール程まで膨らみ、キュルケのそばの席に座っていた生徒が肌を焦がしかねない程の熱波から逃れようと席を立った。

 キュルケは膨らんだ火の玉を、ギトー目掛けて押しやった。真っ赤に燃え盛る火球が真っ直ぐに宙を進んでいく。

 すると、ギトーが杖を横に振った。瞬間、突風が生まれて火の玉をかき消し、キュルケの身体を吹き飛ばして壁へと打ち付けた。

 

「わかったかね、諸君? 「風」こそ最強の系統なのだ。「風」は「火」だろうと、「土」だろうと、「水」だろうと吹き飛ばす。試した事はないが、「虚無」すらも吹き飛ばす事が出来ると、私は思っている」

 

 壁に打ち付けられ、床に崩れたキュルケが立ち上がって不満たっぷりな視線をギトーに向けながら手を上げる。しかし、ギトーは気にした様子もなく講義を続ける。

 

「目に見えぬ「風」は、諸君等の盾となり、矛となるのだ。そして、「風」が最強たる所以がもう一つ……」

 

 ギトーが杖を立てて何やら呪文を唱えようとした瞬間、教室の扉が開かれる大きな音が響き渡り、みなの視線が一斉に其方に向く。

 入ってきたのはコルベールだった。が、彼は普段とはかけ離れた、奇妙な格好をしていた。

 頭に馬鹿でかい金髪のロールが巻かれたカツラをかぶり、彩り鮮やかな刺繍が施された服を着込んでいる。さながらサーカスの曲芸師の様だ。

 

「ミスタ?」

 

 場違いな格好で絶妙にタイミングの悪いコルベールの登場にギトーは不満を隠さず問いかける。

 

「やや、授業中に失礼致しますぞ! ミスタ・ギトー!」

 

「あなたの目が悪いのは存じているが頭の方まで悪いのは知らなんだ。授業中ですぞ?」

 

 皮肉をたっぷり含んだギトーの言葉が聞こえていないかの様にコルベールはこほん、と咳払いを一つして見せた。

 

「本日の授業は、ただいまをもって中止します!」

 

 コルベールの言葉に、生徒達から歓声が上がる。学生にとって授業が中止になるのが喜ばしいのは全世界共通らしい。

 喜び騒ぐ生徒達に対して静かにする様にコルベールが両手を上げて見せる。

 

「お静かに、皆さん。授業が中止になるのは、それよりも重要な事がこれから起こるからです」

 

 格好に似合わない、重々しい口調で語るコルベールの言葉に生徒達が沈黙する。

 

「恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインの可憐なる一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学園を訪れるとお達しがありました」

 

 生徒達の間にざわめきが広がるのを、桐生は静かな眼差しで眺めていた。

 

「従って、粗相があってはなりません。急な事ですが、今から学園の総力を上げて歓迎式典の準備を行います。諸君等は直ちに正装し、門に整列するように」

 

 生徒達は緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。

 コルベールは満足そうに頷いた後、目を見開いて怒鳴り上げた。

 

「諸君等が立派な貴族に成長した事を、姫殿下にお見せする絶好の機会です! 御覚えが宜しくなる様に、しっかりと杖を磨きなさい! 宜しいですかな!?」

 

「はい! ミスタ・コルベール!」

 

 

 魔法学園に続く街道を、金の冠を御者台の隣につけた四頭立ての馬車が歩いていた。所々に金銀やプラチナの装飾がかたどられ、この上なく豪華な造りになっている。

 その中で聖獣であるユニコーンと水晶の杖が組み合わさった紋章をつけた馬車があった。それこそが、王女の馬車である証だった。馬車を引く馬も普通の馬ではない。額に一本の角を生やして白く美しい身体を持った、紋章に描かれたのと同じユニコーンだ。古くより清き乙女のみをその背に乗せると言われているユニコーンこそ、王女の馬車を引くのに相応しいのだ。

 馬車の窓にはレースのカーテンが下ろされており、残念ながら中を見る事は出来ない。

 王女の後ろの馬車には、今現在のトリステインの政治を握る、マザリーニ枢機卿の馬車が続いていた。王女の馬車よりも立派にあしらわれたその出で立ちは、現在のトリステインの権力を誰が握っているのかを知らしめているかの様だ。

 二台の馬車の四方を固めるは、王室直属の近衛隊、魔法衛士隊の面々である。名門貴族の子弟のみで構成されている魔法衛士隊は、国中の貴族の憧れだ。男の貴族は誰もがその証となる漆黒のマントを羽織りたがり、女の貴族はその花嫁になるのを望んでいる。

 街道には花が咲き乱れ、街道に並んだ平民達が歓喜の声を投げ掛ける。

 

「トリステイン万歳! アンリエッタ姫殿下万歳!」

 

 馬車が前を通る度に湧き上がる歓声に応える様に、馬車の窓のカーテンが上がり、うら若き王女が微笑みを浮かべて手を振って見せる。

その美しい微笑みに、歓声は更に湧き上がった。

 

 

 カーテンを下ろしたアンリエッタ王女は、微笑みを消して深い溜め息を漏らした。その瞳には年相応以上の苦悩と憂いが秘められている。

 アンリエッタ王女は当年で御年十七歳。すらりとした気品のある顔立ちに薄いブルーの瞳、高い鼻が目を引く、まさに完璧に近い美少女だ。細くしなやかな指先で、水晶のついた杖を弄っている。王族である彼女もまた、強力なメイジであった。

 街道の観衆の歓声も、彩る花々も、彼女の心を明るくは出来ない。悩める乙女は深い深い、政治と恋の悩みでいっぱいなのだ。

 隣に座るマザリーニ枢機卿が、口髭を弄りながらそんな王女を見つめていた。丸い帽子に灰色のローブで痩せぎすの身体を纏った四十男だ。髪も髭も白く、伸びた指は骨ばり実年齢よりも十は上に見える。先帝亡き後、トリステインの政治を一手に握った事で、外交や内政の激務が彼を老人に変えてしまった。

 彼は先程自分の馬車から王女の馬車へと移っていた。政治の話をする為であったが、肝心姫殿下は溜め息ばかりで要領を得ない。

 

「これで本日十三回目ですぞ、殿下」

 

「何がですの?」

 

 マザリーニの困った様な声にアンリエッタは振り返って首を傾げる。

 

「溜め息です。王族がそんなに溜め息を漏らすものではありませぬぞ」

 

「王族? トリステインの王様は貴方でしょう? 枢機卿。結婚だって、貴方の言いつけ通りにすれば良いのでしょう?」

 

 アンリエッタのやや投げやりな言葉に、マザリーニは頬を掻いて言葉を詰まらせる。

 

「私は貴方の言いつけ通り、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐのですから。溜め息くらい、見逃して欲しいですわ」

 

「仕方ありませぬ。目下、ゲルマニアとの同盟は、我がトリステインにとって急務なのです」

 

 望まぬ結婚を無理強いしてしまう事に多少残酷である事を承知しながらも、マザリーニは言い放つ。

 

「それくらい、私だって知ってますわ」

 

「ならば殿下もご存知でしょう? かの「白の国」アルビオンの阿呆共が行っている「革命」とやらを。きゃつらには、ハルケギニアに王権と言うものが存在するのが我慢出来ないらしい様です」

 

 マザリーニの言葉にアンリエッタの美しい眉が歪み、眉間に皺を寄せながら言い放った。

 

「礼儀知らずの野蛮人達! 可愛そうな王様を捕まえて、縛り首にしようだなんて! この世の全ての人々があの愚かな行為を許そうとも、私と始祖ブリミルは絶対に赦しません! 絶対に!」

 

「然りに。しかしながらアルビオンの貴族共は強力です。アルビオン王家ももう保ちますまい。始祖ブリミルが授けし三本の王権の一本が失われてしまう。もっとも、内憂を払えぬ王家に存在価値等ないでしょうが」

 

「枢機卿」

 

 ふと、マザリーニが顔を向けると、アンリエッタが自分を睨みつけているのに気付いた。が、マザリーニはその瞳を真っ直ぐ見つめ返しながら、アンリエッタの次の言葉を待った。

 

「アルビオン王家の人々は、ゲルマニアの成り上がりと違って私達の親戚なのですよ? いくら貴方が枢機卿と言えど、今の言葉は聞き捨てなりません」

 

「これは失礼を。ですが、私は本当の事しか、殿下には伝えたくありませんので」

 

 マザリーニの言葉に、アンリエッタは悲しそうに首を振った。

 

「風の噂が真実(まこと)ならば、奴らはハルケギニアを統一するとか夢物語を吹いております。ならば自分達の王家を亡き者にした後、当然矛先は我等に向けられるでしょう。そうなってからでは遅いのです」

 

 重々しい口調で語るマザリーニをよそに、アンリエッタはつまらなそうに頬杖を付き、カーテンから覗く街道を眺めている。

 

「政治とは、チェスの様に先を読み、一手ずつ確実に打つものなのですよ、殿下。ゲルマニアと同盟を組み、近いうちに生まれるであろう新勢力への対抗の駒を用意せぬば、この小国トリステインは、直ぐにでも制圧(チェックメイト)されるでしょう」

 

 しかし、この様な大切な話がまるで聞こえていないかの様に、アンリエッタはただ溜め息を漏らすばかり。

 マザリーニもアンリエッタに聞こえぬ様溜め息を漏らすと、窓のカーテンをずらした。そこには、腹心の部下がいた。

 羽根帽子に長い口髭が凛々しい、精悍な顔立ちの若い貴族だ。黒いマントの胸元には、グリフォンをかたどった刺繍が施されている。その刺繍の理由は、彼の跨がっている幻獣だ。鷲の頭と翼と前足、獅子の胴体と後ろ足を持ったグリフォンそのものだった。

 三つの魔法衛士隊の一つ、グリフォン隊隊長のワルド子爵である。彼の率いるグリフォン隊は魔法衛士隊の中でも、枢機卿の覚えが良い部隊である。

 選りすぐりの貴族で構成された魔法衛士隊は、それぞれ隊の象徴となる幻獣に跨がっている。

 

「お呼びですか? 猊下」

 

 ワルドは枢機卿の視線に気付くと、グリフォンを窓に近付けた。すると、窓が開かれ枢機卿が顔を覗かせた。

 

「ワルド君、殿下のご機嫌が麗しくない。何か気晴らしになる物を探してきてくれ」

 

「御意」

 

 ワルドは頷くと、街道を鷹の目の様に鋭い眼差しで見つめた。才気煥発な彼はすぐさま目当ての物を見つけると、そこに向かってグリフォンを走らせた。

 腰に差したレイピアの様な長い杖を引き抜くとルーンを唱えて振るう。すると数本の花が旋風で摘まれ、ワルドの手元にやってきた。

 目的の物を手に入れたワルドは急ぎ馬車に戻ると、枢機卿にそれを手渡そうとした。しかし、枢機卿は首を振って見せた。

 

「ワルド君、御手ずから殿下が受け取って下さるそうだ」

 

「光栄でございます」

 

 ワルドは一礼し、すぐさま反対側の窓へとグリフォンを走らせる。スルスルと窓が開かれアンリエッタが手を伸ばす。ワルドから花を受け取ると、今度は左手を差し出した。

 ワルドは感動した面持ちでアンリエッタの手を取り、その手の甲に口付けた。

 憂いの籠もった声で、アンリエッタが問い掛ける。

 

「お名前は?」

 

「殿下をお守りする魔法衛士隊、グリフォン隊隊長ワルド子爵でございます」

 

 恭しくワルドが一礼する。

 

「貴方は、貴族の鑑の様な立派な方ですね」

 

「勿体無きお言葉……殿下の卑しき(しもべ)に過ぎませぬ」

 

「最近はその様な物言いをする貴族も少なくなりました。かつて、あの偉大なるフィリップ三世の治下には、貴族はみなその様な態度を取ったものですわ」

 

「悲しき時代になった物です、殿下」

 

「貴方の忠誠には、期待しても宜しいのでしょうか? 私が困った時には……!」

 

「その様な際には戦の中だろうが、空の上だろうが、なにを置いてでも駆け付ける所存でございます」

 

 アンリエッタが頷くと、ワルドは再度一礼し馬車から離れていった。

「あの貴族は、使えるのですか?」

 

 アンリエッタはマザリーニに問い掛けた。

 

「ワルド子爵。二つ名は「閃光」。彼に匹敵する貴族は、アルビオンにもそうはおりますまい」

 

「ワルド……聞き覚えのある地名ですわ」

 

 顎に手を当てながら考えるアンリエッタに、そう言えばと思い出した様にマザリーニが口を開く。

 

「確かラ・ヴァリエール公爵領の近くだったと存じます」

 

「ラ・ヴァリエール?」

 

 その名前が、幼き頃の記憶が紐解かれる。確か、これから向かう魔法学園には……。

 

「枢機卿、「土くれ」のフーケを捕らえた、貴族の名はご存知ですか?」

 

「忘れましたな」

 

「その者達に、爵位を授けるのではないのですか?」

 

 アンリエッタが怪訝そうな顔で見つめてくるのも構わず、マザリーニは興味なさそうに言った。

 

「「シュヴァリエ」の授与条件が変わりましてな。従軍が必須になりました。盗賊を捕まえた程度で授与する訳にはいきません。これから戦になるかもしれんと言う時に、王家に忠誠を誓っている貴族達にいらん嫉妬をさせたくありませんしな」

 

「私達の知らない所でいろんな事が決まっていくのね」

 

 マザリーニは黙っていた。そんなマザリーニとは裏腹に、アンリエッタは盗賊を捕まえた貴族の中にラ・ヴァリエールの名前があった事を思い出した。

 自分の中にある憂いがどうにかなるかもしれない。アンリエッタは密かに安堵した。

 

「殿下、最近宮廷と一部の貴族の間で、不穏な動きが確認されております」

 

 マザリーニの言葉に、アンリエッタの身体がビクッと跳ねた。

 

「殿下の目出度きご婚礼をないがしろにして、トリステインとゲルマニアの同盟を阻止しようとするアルビオンの貴族共の暗躍があるとか……」

 

 アンリエッタの額から、嫌な汗が一筋流れた。

 

「よもや、その様な者達に漬け込まれる様な隙はありませんな? 殿下」

 

 暫しの沈黙の後、アンリエッタが苦しそうに言葉を絞り出した。

 

「……………ありませんわ」

 

「その言葉、信じますぞ?」

 

「私は王女です、嘘はつきません」

 

 それからアンリエッタは再び溜め息を漏らした。

 

「やれやれ……十四回目ですぞ、殿下」

 

「心配事があれば誰だって溜め息が出るものでしょう」

 

「王族たるもの、お心の平穏より、国の平穏を考える物ですぞ」

 

「私は……常にそうしております」

 

 手の中の花を指先で撫でながら、つまらなそうにアンリエッタは呟いた。

 

 

 魔法学園の正門を潜り抜け、王女の一行が現れると整列した生徒達が一斉に杖を掲げる。しゃんっ! と小気味良く杖の音が重なった。

 正門を潜った先に、本塔の玄関があった。そこで王女の一行を迎え入れるのは、学園長のオスマンである。

 馬車が止まると召使い達が駆け寄り、火毛氈(かもうせん)の絨毯を敷き始めた。

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな~り~!」

 

 衛士の言葉と同時に馬車の中からアンリエッタが現れ、生徒達の間に歓声が上がる。

 アンリエッタは火毛氈の絨毯の上を歩きながら、咲き誇る薔薇の様な美しい微笑みを浮かべて手を振った。

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃない。ねぇ、ダーリンもそう思うでしょ?」

 

 アンリエッタの姿を見て鼻を鳴らしたキュルケは桐生の腕に絡みつきながら甘える少女の様に問い掛ける。

 

「そうだな……色気ならキュルケ、気品ならあのお姫様、って所か」

 

「んもうっ! 手厳しいわね!」

 

 桐生の笑みの混じった言葉にキュルケも笑顔になって答える。

 桐生はルイズの方に視線を向ける。真面目な顔で絨毯の上を歩くアンリエッタを見つめている。

 突然、ルイズの顔に驚きの表情が現れ、顔を赤らめながらうっとりとした表情へと変わった。

 ルイズの視線を辿ると、羽根帽子を被った凛々しい貴族の男が見えた。鷲の頭と獅子の身体を持つ幻獣に跨がり堂々としている。どうやらルイズのタイプらしい。

 ふと、隣に立っていたキュルケも静かになったのでどうしたのか見ると、ルイズ同様、羽根帽子の男に見とれている。

 ああいう男がモテるのかと思いながら列から離れると、タバサが木の下に座って本を読んでるのを見つけた。

 

「お前は行かないのか?」

 

 桐生が声をかけると、タバサは視線を本から外さずに頷いた。

 桐生も歓迎式典に興味がない為、タバサの隣で煙草を吹かし始めた。

 

 

 無事に式典が終わりを告げ、夕食の時間になったので、生徒達は食堂へと向かいそれぞれの席に着いた。

 相変わらず豪華な食事が並ぶテーブルは豪勢だった。桐生の前菜となるスープとパンも、最近はシエスタがこっそりいい物に変えてくれている。

 何時もの祈りが始まり、桐生もまた始祖や女王やらではなく、厨房のマルトー親父を筆頭にしたコック達に感謝を込めて合掌する。ふと、ここで何時もなら聞こえるルイズの祈りの声が聞こえないので思わず顔を向ける。

 ルイズはどこかぼうっとした様な、呆けた顔のまま虚空を見つめていた。

 みんなの祈りが終わりフォークやナイフの食器の音が響き始め、桐生もスープとパンを食べ始めた。

 あっと言う間に平らげてしまい、ルイズに何か料理を取って貰おうと再度顔を上げると、桐生は一瞬自分の目を疑った。

 ルイズはフォークを動かして料理を刺しては口に運ぶのだが、心此処に有らずと言った感じでボロボロとこぼしながら食べている。呆けた表情から美味いのか不味いのかもわからない、はっきり言って下品な食べ方だった。

 

「ルイズ」

 

 声を掛けるが、ルイズは此方に気付いてない。虚空を見つめながらまるでロボットの様にフォークを料理に刺しては口に運ぶ動きを続けている。

 

「……おい、ルイズ!」

 

 少し強めの口調で声を掛けるもやはりルイズは気付いていない。

 桐生は舌打ちをして立ち上がり、ルイズに歩み寄ると、

 

「痛っ!?」

 

 突然ルイズのフォークを持つ手を叩いた。痛みを訴えるルイズの声と、フォークが食器に落ちたカチャンッ! という乾いた音が食堂に響き、みんなの視線がルイズに向かう。

 

「い、痛いわね! 何するーーっ!?」

 

 叩かれた手をさすりながら桐生に顔を向けると文句を言おうと紡いだ言葉が引っ込められる。

 桐生の目は怒りに染まっており、眉間に皺が寄った鋭い眼光がルイズの瞳を射抜いたのだ。

 

「いい加減な気持ちでフォークを扱うな。食べる時は食べる事に集中しろ。それが出来ないなら、とっとと部屋に戻れ。飯なんか食うな」

 

 静かな口調だが、言葉から相当桐生が怒っているのが伝わってくる。

 ルイズは一瞬生唾を飲んだ後、うなだれて、

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 と小さな声で呟いた。あのフーケの一件で怒られて以来、ルイズは桐生に叱られると逆らえなくなった事が増えた。それは桐生に対して恐怖心ではなく、子が親に対して抱く感情と同じものだった。

 

「いい子だ」

 

 桐生はルイズの頭に手を乗せると、優しく頭を撫でてやる。それを皮切りに、食堂には再び活気が戻った。

 叱られた事でルイズも普段通りの食事を始め、それを満足そうに桐生は眺めていた。

 

 

 食事を終え、部屋に戻って着替えたルイズはどうにも落ち着きがない。突然枕を抱き締めながら立ち上がったかと思えば座り込み、また暫くしては立ち上がるのを繰り返している。明らかに挙動不審なルイズを桐生は椅子に座り、首を傾げながら眺めていた。

 ふと、突然ドアがノックされた。

 桐生とルイズの視線が、ドアへと向けられた。ノックは規則正しく、始めに長く二回、短く三回とされた。

 ルイズの表情が変わり、ブラウスを羽織って扉を開く。

 扉の外には、真っ黒な頭巾を被った少女が立っていた。少女は開かれた扉にそそくさと入り、後ろ手に扉を閉めた。

 

「……貴女は?」

 

 ルイズが怪訝そうに言うのと同時に、桐生がポケットに手を突っ込み、メリケンサックを拳に嵌める。何時でも突撃出来る様、僅かに上体を前に出した。

 少女は静かにと言わんばかりに口元に指をあてがうと、身体を包んでいる漆黒のマントから杖を取り出して軽く振るい、同時にルーンを唱える。すると、光の粉が部屋の中を舞った。

 

「これは……」

 

ディテクト(探知)マジック?」

 

 桐生の驚きの呟きに続く様にルイズが呟く。

 少女は静かに頷いた。

 

「どこに耳があり、目が光っているかわかりませんから」

 

 光の粉はまるで粉雪の様にゆっくりと消え、どこにも目も耳もないのを確かめると、少女は頭巾を取った。

 桐生はその顔に見覚えがあった。確か、この少女は……。

 

「姫殿下!」

 

 ルイズが慌てて跪くのを見て、桐生も思い出した。そう、確かトリステイン王国王女、アンリエッタだ。

 桐生はとりあえず椅子に座ったまま二人を見つめていた。

 アンリエッタは頭巾で崩れた髪を梳く様にかき上げてから優しく微笑んだ。

 

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 ルイズが深々と頭を下げると、突然アンリエッタがルイズの身体を抱き締めた。

 

「ああ、ルイズ! 懐かしいわ!」

 

「ひ、姫殿下、いけません! この様な下賤な場所へお越しになるなんて……!」

 

 ルイズは戸惑いの混じったかしこまった口調で告げた。

 

「ああ、ルイズ! そんな堅苦しい行儀なんてやめてちょうだい! 私と貴方はお友達なのよ?」

 

「勿体無いお言葉です、姫殿下」

 

 些か緊張の色を感じるルイズの声を聞きながら、桐生は二人の少女の包容を眺めていた。

 

「やめてったら、ルイズ! ここには枢機卿も、お母様も、あの上辺だけの友達もいない、私の本当の友達の貴女しかいないのよ! せめてこの場でくらい、あの頃のままでいさせて……」

 

「……姫様……」

 

 ルイズは弱々しくアンリエッタの身体を抱き締め、懐かしき友人の感触を確かめる様に、徐々に強くアンリエッタの身体を抱き締めた。

 

「すまん、ルイズ……彼女とはどんな知り合いだ?」

 

 二人の世界に浸っているのを邪魔するのも悪く思ったが、このままでは何時までも自分が宙ぶらりんな気がして問い掛ける。

 

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせて頂いたのよ」

 

 そう懐かしそうに呟いてから、ルイズは身体を離し、アンリエッタに向き直った。

 

「でも光栄です。私の様な者を覚えていて下さったなんて……もう、お忘れになられておられたかと思いました」

 

「忘れたりなんかしないわ。あの頃は本当に毎日幸せだったもの……」

 

 憂いの籠もった声が、ルイズの言葉に答えた。そんな声を漏らすアンリエッタの顔を、ルイズが心配そうに覗き込む。

 

「貴女が羨ましいわ……自由って素敵ね、ルイズ」

 

「何を仰いますの。貴女はお姫様ではありませんか」

 

 ルイズの言葉に、アンリエッタは寂しそうに首を振って見せる。

 

「一国の姫なんて、捕らわれの鳥同然よ。飼い主の機嫌一つで何時でも飛び立たなければならないのだから」

 

 アンリエッタは窓の外に佇む、二つの月を眺めながら呟くと、ルイズの手を取って微笑んだ。

 

「結婚するのよ、私」

 

「それは……おめでとうございます」

 

 アンリエッタの言葉から感じる悲しみに、ルイズは沈んだ声で答えた。

 ふと、アンリエッタは椅子の上に座り、此方を眺めている桐生に気付いた。

 

「あら……ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら?」

 

「お邪魔? 何故ですか?」

 

「だって、そこの彼、貴女の恋人でしょう? 嫌だわ、私ったら……懐かしさにかまけてとんだ粗相をしてしまったわね」

 

「はぁ!? ち、違います! あれは、私の使い魔です! 恋人なんかじゃありません!」

 

 ルイズは顔を真っ赤にしながら思いっきり首を振った。

 

「使い魔?」

 

 アンリエッタは桐生をまじまじと見つめた。

 

「確かに、貴女の恋人にしてはかなりお年を召してらっしゃるとは思うけど……使い魔って、人にしか見えませんが?」

 

「正真正銘、人間ですよ、お姫様」

 

 アンリエッタの疑問に桐生が頭を下げて答える。

 

「そう、そうなのね、ルイズ。貴女は昔からどこか変わっていたけれでも、相変わらずね」

 

「いえ……まぁ」

 

 ルイズが戸惑いがちに答えると、アンリエッタが深い溜め息を漏らした。

 

「姫様……何かあったのですか?」

 

「……いえ、ごめんなさい。何でもないわ……貴女に話しても、迷惑でしかないのに……私ってば」

 

「仰って下さい。あんなに明るかった姫様が、そんな風に溜め息を漏らすなんて、何か悩みがあるのでしょう?」

 

「……いえ、話せません。ごめんなさい、ルイズ。悩みがあるなんて、忘れてちょうだい」

 

「いけません! 私をお友達と呼んで下さったのは姫様です! 友達を放っておくなんて、私には出来ません! 仰って下さい!」

 

 ルイズの強い口調に、アンリエッタは嬉しそうに微笑みを浮かべた。

 

「私をまだお友達と呼んでくれるのね。嬉しいわ、ルイズ」

 

 アンリエッタは決心した様に頷いてから、桐生に視線を向けた。

 

「外すか?」

 

 桐生がそう言って椅子から立ち上がろうとしたのを、アンリエッタが手で静止する。

 

「いえ、メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由はありません」

 

 そして物悲しい調子で、アンリエッタは語り始めた。

 

「私は、ゲルマニアの皇帝の下に嫁ぐ事になったのですが……」

 

「ゲルマニアですって!」

 

 ゲルマニア嫌いのルイズが声を荒げた。

 

「あんな成り上がりの国なんかに!」

 

「そうね……でも、仕方がないの。同盟を結ぶ為ですから」

 

 アンリエッタはハルケギニアの政治情勢をルイズに説明した。

 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、王室が敗れそうな事。反乱軍の次の狙いはトリステインである事。

 それに対抗するには、ゲルマニアと同盟を結ぶしかない事。そして、その同盟を組むには、アンリエッタがゲルマニア皇帝に嫁ぐ事も。

 

「そんな事が……」

 

 ルイズは沈んだ声で答えた。アンリエッタがその結婚を望んでないのは、口調からして明らかだったからだ。

 

「いいのよ、ルイズ。好きな殿方と結ばれるなんて、物心ついた時から諦めていたから」

 

「姫様……」

 

「アルビオンの貴族達は、当然ながらトリステインとゲルマニアの同盟を望んではいません。矢は、一本ずつの方が折れやすいですから」

 

 アンリエッタは憂いを込めて呟いた。

 

「ですから、今アルビオンの貴族達は、私とゲルマニア皇帝との婚姻の妨げになる材料を血眼で探しています」

 

 アンリエッタの説明を聞きながら、桐生は此方の情勢がイマイチわからない為要領を得られない。しかし、この国に今一大事が訪れているのは、何となく把握してきた。

 

「もしかして、姫様はその材料に心当たりが……?」

 

 顔を蒼くして尋ねるルイズに、アンリエッタは両手で顔を覆う。

 

「おお、始祖ブリミルよ! この愚かな姫をお許し下さい!」

 

「言って! 姫様! 一体姫様の婚姻を妨げる材料とは何なのですか!?」

 

 ルイズがアンリエッタの肩を掴み、強い口調で問い詰める。アンリエッタは顔を俯かせたままポツリと呟いた。

 

「……私が以前したためた、一通の手紙です」

 

「手紙?」

 

「そうです。それがアルビオンの貴族の手に渡れば、すぐにゲルマニアに報告されるでしょう」

 

「その手紙には、一体何が?」

 

「……それは、言えません。ですが、手紙の内容を知れば、ゲルマニア皇帝は私を許さないでしょう。そうなればこの国は……破滅です」

 

 力無く肩を震わせながら苦しそうに言葉を紡ぐアンリエッタの姿に、ルイズの胸は酷く痛んだ。

 

「姫様! その手紙は何処にあるのです!? この国を破滅に導いてしまう、その手紙は!?」

 

 アンリエッタの身体がピクッと反応したかと思うと、重々しく首を振った。

 

「それが……手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

 

「アルビオン!? と言う事は、もう既に敵の手に!?」

 

「いえ……その手紙を持っているのは、今アルビオンの貴族達と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子です」

 

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの、凛々しき王子様が?」

 

 ルイズの問いに頷いた後、アンリエッタは身体を仰け反らせ、ベッドに倒れ込んだ。

 

「ああ! 破滅です! 遅かれ早かれ、ウェールズ皇太子は反乱軍に敗れてしまいます! そうなればあの手紙は明るみに! そうなれば連盟は反故! たった一国であのアルビオンと対峙しなければなりません!」

 

 絶望し叫ぶアンリエッタを見て、ルイズが息を飲んだ。

 

「では、姫様が私に頼みたい事と言うのは……」

 

「無理よ、ルイズ! 考えてみれば、王家と反乱軍が戦を繰り広げる戦地に、貴女を送るなんて出来ないわ! 危険過ぎる!」

 

「何を仰います! 姫様の御為とあらば、このラ・ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズは地獄の釜だろうと、屍が歩く地獄だろうと向かいます! 姫様とこのトリステインの危機を、見過ごす訳にはいきません!」

 

 ルイズは再度跪き、恭しく頭を下げた。

 

「「土くれ」のフーケを捕らえたこの私めに、その一件、是非ともお任せ下さいますよう!」

 

「私の力になってくれると言うの!? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしきお友達!」

 

「勿論ですわ、姫様!」

 

 ルイズがアンリエッタの手を優しく取って熱した声で言うと、アンリエッタの瞳からボロボロと涙が零れた。

 

「姫様! このルイズ・フランソワーズ、は何時までも姫様のお友達であり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れ

たりはしません!」

 

「これぞ、これぞ誠の友情と忠誠です! 私は貴女との友情を忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 

 きつく抱き締め合う二人の少女を、桐生はただ黙って見ていた。今は、まだ。

 

「アルビオンに赴きウェールズ皇太子を探して、手紙を取り戻してくればいいのですね? 姫様」

 

「その通りです。「土くれ」のフーケを捕まえた貴女達なら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると思います」

 

「一命に変えましても。急ぎの任務なのですか?」

 

「アルビオンの貴族達は、王党派を国の隅まで追い詰めていると聞いています。敗北も、時間の問題でしょう」

 

 ルイズは深く頷いた。

 

「早速、明日の早朝に発ちます」

 

 ルイズはそれだけ言うと、さっきからずっと黙っている桐生に振り返った。

 

「カズマ、そう言う訳だけど、わかった?」

 

「お前とそこのお姫様の話で大体の事情はわかった」

 

「それなら話が早いわ。それじゃあ」

 

「ああ、そのアルビオンとやらに行くのはお断りだ」

 

 ルイズの言葉を遮って桐生の放った一言は、ルイズとアンリエッタの心を強く抉った。

 

「何で……どうしてよ!? カズマ!」

 

 桐生に歩み寄って怒りを露わにするルイズに、桐生は首を振る。

 

「戦場で危険ってわかってる所に、わざわざお前を連れて行く訳にはいかねぇ」

 

「危険なのは承知しているし、命をかける覚悟だってあるわ! それにこれは、この国の一大事なのよ!」

 

「関係ねぇな。俺が守るのは「お前」であって、この「国」じゃねぇ。第一そこのお姫さんの尻拭いの為に、お前が使いに出されるって事自体気に入らねぇ」

 

 桐生はアンリエッタを見てから再びルイズを見る。

 桐生が冗談でこんな事を言っていない事は目でわかる。しかし、今回ばかりはルイズも引けない。友人でアンリエッタの頼みであり、この国の存亡がかかっているのだ。

 

「いい加減にしてカズマ! これはご主人様の命令よ! 私の使い魔なら」

 

「お前こそいい加減にしろ!」

 

「「っ!?」」

 

 苛立ちを隠せず怒鳴り散らすルイズを、机を強く叩いて桐生が怒鳴り返す。その気迫と声に、ルイズとアンリエッタの身体がビクッと跳ねる。

 

「命をかける覚悟がある? ふざけんじゃねぇよ……戦争も殺し合いもロクに知らねぇ餓鬼が、軽々しく口にするんじゃねぇ!」

 

 桐生がもっとも怒りを覚えたのは、ルイズのその一言だった。幾つもの死線をさまよい、殺し合いが生む残酷さを知っている桐生にとって、ルイズからその様な一言は聞きたくなかった。

 ルイズは暫く黙った後、更に桐生に近付き瞳を真っ直ぐと見返す。その瞳には、迷いはなく、怯えも感じられかった。

 

「確かに私は、あんたの言う通り、戦争の事はよくわからない。殺し合いだって知りたいとも思わない。今のあんたの一言で、どれだけ私を心配してくれてるかは伝わったわ」

 

 でもね、とルイズは一旦瞳を閉じ、深呼吸をしてから力強く目を見開いた。

 

「私にとって、姫様は全てなの! 何よりも大切な、友達なの! その姫様が、私を頼ってくれた! 誰からも馬鹿にされてる、この私を! 私はその想いに応えたい!」

 

 目をギュッと瞑り、ルイズが桐生に深々と頭を下げて続ける。

 

「お願い、カズマ! この任務は私一人じゃ達成出来ない! あんたの力を私に貸して!」

 

 ありったけの思いを言葉に変えて、ルイズが桐生に懇願する。普通なら、使い魔に頭を下げる主人等、あり得ない光景ではあるが今のルイズはそんな事も気にする余裕はない。恥も外聞もなく、ただアンリエッタの為に、という思いだけで桐生に頭を下げている。

 桐生はそんなルイズの頭を見つめていた。

 暫くの沈黙の後、桐生が一言ルイズに問い掛ける。

 

「絶対に無理はしない、退く時は退く……約束出来るか?」

 

 フーケのゴーレムの時の一件を言っているのだろう。ルイズは頭を上げて、頷いて見せる。

 

「それが守れるなら、行ってやる。俺は、お前の使い魔だしな」

 

 ルイズの頭を優しく撫でながら笑みを浮かべる。なんだかんだ、自分は本当に困った子供を見ると放っておけないタチらしい。

 

「ありがとう……カズマ……」

 

 思いが届いた事に安堵したのか、ルイズの瞳に涙が溜まっていく。

 二人の様子を眺めていたアンリエッタはゆっくりと桐生に近付くと微笑みかけた。

 

「私の大切なお友達を、宜しくお願いします」

 

 そう言って、左手の甲を差し出すアンリエッタに、ルイズが慌てた様に言う。

 

「姫様! 使い魔にお手を許すなど……!」

 

「いいえ。例え使い魔であったとしても、忠誠には報いなければなりません」

 

 その左手を見て桐生は昔観た映画を思い出す。確か、ご婦人に手をこの様に差し出された時、手の甲にキスするのだ。それが忠誠の証だと、映画の中で言っていた様な気がする。

 桐生は椅子から立ち上がって跪き、アンリエッタの左手を取ると、そっと手を戻させた。

 

「えっ?」

 

 今までにない行動を取られ、アンリエッタは戸惑いに声を漏らす。

 

「上に立つ人間なら、忠誠を誓っているかを見極めてから手を差し出した方がいい。安易に差し出すと、付け入れられかねないからな」

 

 そう言って、桐生は立ち上がり、優しい微笑みを浮かべて見せた。

 と、突然ドアが開かれ、思わず三人とも身構えるが、入ってきた人物に目が点になる。

 

「カズマ、やはり君は素晴らしい男だ!」

 

 入ってきたのは、ギーシュだった。薔薇の造花を指先で弄りながら部屋に入るなり、アンリエッタに一礼した。

 

「姫殿下! お話は聞かせていただきました! このギーシュ・ド・グラモンも、姫殿下のお力になりたく存じ上げます!」

 

「あんた! 今までの話聞いてたの!?」

 

 ディテクトマジックにも引っかからぬ様話を聞くとは、ストーカーならかなりの強者になりかねないギーシュにルイズが額を手で押さえながら言う。

 

「見目麗しい姫殿下の姿を追っていたら君の部屋に入って行ったもんだからね。立ち聞きさせて貰ったよ」

 

 黒い頭巾にマントまで羽織った変装まで見抜く所を見ると、このギーシュ、やはりただ者ではない。主に危ない方向で。

 しかし、ギーシュの名を聞いたアンリエッタが首を傾げてみせた。

 

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

 

「息子です、姫殿下!」

 

 アンリエッタの疑問にギーシュは恭しく頭を下げる。

 

「では、貴方も私の力になってくださるのですね? 宜しくお願いします、ギーシュさん!」

 

 アンリエッタの優しい微笑みにギーシュは何やら喚きながら部屋から飛び出していった。

 

「大丈夫か、あいつ?」

 

 少し不安を覚えながらも、桐生は早速デルフリンガーを掴んで点検を始める。

 そんな二人を放っておいて、ルイズがアンリエッタに向き直る。

 

「では明日の朝、アルビオンに向かって出発します」

 

「ウェールズ皇太子はアルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞いてます」

 

「了解しました。以前、姉達とアルビオンへ遠征に行った事がありますので地理にはそれなりに自信がございます」

 

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は貴女達を止めようと躍起になってくるでしょう」

 

 アンリエッタはマントの中から、封蝋がなされ花押(かおう)()された手紙をルイズに手渡した。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡して下さい。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

 そしてアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜いてルイズに手渡す。

 

「母君から授かった「水のルビー」です。御守りですが、もしもお金に困ったら売り払い、旅賃に当ててください」

 

 ルイズは今一度跪き、深々と頭を下げた。

 

「この任務には、トリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンの猛き風から、貴女方を守ります様に」


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