相転移の「魔術」により、上帝が活動できない領域が復活し、拡大を続けた。
同時に三大技術も復活した。
タイムワープも可能となったが、残念ながら破局の期間を飛び越えることはできなかった。
〈月〉の五千万人は生き延び、人類の歴史は未来に繋がった。
信仰者達はそれぞれの信じる者に感謝を捧げ、そうでない者も生きていることに喜びを見出した。
変わらないと思っていた物が変わり得ることを人々は思い出した。
探査艦イストリアは引き続き銀河を上帝から解放すべく相転移の「魔術」をもって活動を続けていく。
〈月〉の銀河保安機構は、レイ達と協力しながら変わり果てた銀河の中で人類の復興を進めていくことになった。
しかし、一方で。
「本当に行くのかい」
「ええ。私はお父さん、お母さんの望みを叶えたい。それに、自分自身のためにも」
ユリアンの会話の相手は生身の脳を機械の体に移植し、サイボーグとなったユリアンの娘、ベアテだった。
ベアテは、精神旅行で過去に跳ぼうとしていた。
「僕の望みには君の幸せも入っているんだよ」
娘がレディ・Sの一部となることをユリアンは望んでいるわけではなかった。
「私自身はここに残るのよ。私の分身がレディ・Sの人格の一部となるだけよ」
相転移の「魔術」と同時に入手した時間知識によれば、歴史改変が行われても元の歴史は一度発生すれば分岐として残っていくということである。
例外は、アッシュビーが生存した歴史のように、その歴史の存在自体が何らかの理由で不安定である場合だけであった。
ベアテは上帝に死滅させられた人類四百億人の生存のために、そして自分自身の運命を変えるために精神旅行を行うのだった。
「今までとは違うわ。私は希望を持って過去に跳ぶのよ」
化学的記憶移植処置が行われ、レディ・Sの人格と記憶がベアテに移植された。
今までと異なり跳躍先には一定の指向性を持たせることができた。
「若い頃のお父さんに会ってくるわ」
ベアテは笑顔で過去に跳んだ。
宇宙暦805年
ヤンやユリアン達によって行われたレディ・S、トリューニヒトへの事情聴取に時は遡る。
「滅びる運命だとしても、最期の時まで諦めたりはしません」
ユリアンの宣言の直後、レディ・Sは頭をかき回されるような感覚に襲われた。それは何度も経験した感覚であり、ある意味では初めての感覚でもあった。
「レディ?」
レディ・Sの様子の変化に最初に気づいたのは、トリューニヒトだった。
レディ・Sは理解した。
「大丈夫よ。この時点に辿り着いたのね」
「辿り着く?」
レディ・Sは声の先に怪訝な顔をしたユリアンを見つけた。ユリアンからすれば話を途中で遮られた形である。
二十万年後と変わらぬその顔に、かつてベアテであった彼女は愛おしさを覚えた。とはいえ、今の彼女はレディ・Sだった。それでよかった。
レディ・Sとなった彼女だからこそ、ユリアンとマルガレータにしてやれることがあった。
「おめでとう。ユリアン・フォン・ミンツ。あなたの決意と苦闘は実を結んだわ。二十万年先の未来から上帝に対する武器を持ってきたわ」
人類、そしてユリアンは、運命から解放された。
…………
〈蛇〉は、人類との共闘を通じて新たな世界の存在を知った。
「魔術」の源泉にして、過去とも言えず未来とも言えない世界〈裏面世界〉。
その領域に入ることで〈蛇〉は、より高次の存在になれるという期待を抱いた。
それによって、〈蛇〉は時すら自由に操り、新たな世界すら創造できるようになるだろう。
手にするであろう力は圧倒的なものだったが、それを旧敵たる人類に対して行使する気にはならなかった。
余計な手出しをして同じ力に気づいている人類からしっぺ返しを喰らう危険を冒す必要はなかったし、共闘を続けた二十万年の間に、種族としての人類への復讐の念は薄れていた。何よりユリアンをはじめとした多数の人類と混交したことで、〈蛇〉は以前とは大きく異なる存在に変貌していた。
あるいは、裏面世界に入り込んだ〈蛇〉に、いずれかの歴史で人類の側から接触してくることがあるのかもしれないが、それはその時に考えればよいことだった。
かつてユリアンであった存在は、既に〈蛇〉の全体精神の中に溶け込んでしまっていた。人類だった時の記憶もいまだに存在し、それが全体精神の表層に浮かび上がることもあったが、それに縛られることはなかった。人類の生存を喜ぶ気持ちは、あったにしても僅かなものだった。
〈蛇〉は新たな可能性への歓喜に打ち震えながら、裏面世界へと飛び込んでいった。
〈蛇〉と、かつてユリアンだった存在は、新たな運命に取り込まれた。