時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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94話 永遠の夜のなかで その17 春の魔術

 

 

スクリーンでは、トリューニヒトが優しげな笑顔を振りまいていた。

「こちら深宇宙探査艦イストリア3764932号、帰還した。ユリアン、元気そうで何よりだ。お互い何をもって元気とするかわからない身の上だが」

 

背後に隠れていたヤンが、トリューニヒトを押しのけるように前に出て来た。

「ユリアン、人類を守ってくれてありがとう。この辺りの上帝は無力化された。時間はかかったけど我々は相転移の手段の入手に成功したんだ」

 

 

それはユリアンの頭に浮かんだ疑問から始まった。

 

上帝が宇宙の法則を変えることができるなら、人類にもそれができるのではないか?

 

ヤンはその疑問からさらに一つの疑念を生じさせた。

 

歴史に造詣の深いヤンは知っていた。

ワープ航法、重力制御、慣性制御の三大技術は、人類の歴史に不自然なまでにいきなり登場した。

それまでの科学の主流はそれらの技術的可能性を支持していなかった。それが急に可能となったのだ。まるで宇宙の法則が切り換わったかのように。

 

何者かが何らかの目的で宇宙の法則を変えてしまったのではないか?

それがヤンの疑念だった。

 

ユリアン達は、破局前に地球アーカイブから過去の歴史資料を掘り起こしたが、その目的は末期戦研究だけではなかった。

宇宙の法則を切り替える、つまり相転移がそれが行われた痕跡やその方法の記録がないか、探ろうとしたのだ。

人類がその方法を手に入れれば現行宇宙の中では機能できないという弱点を持つ上帝に対して、決定的な武器となるからである。

それは最早科学の領分ではなく、魔術とでも言うべきものを探る試みだった。

 

各種科学技術論文の動向から、西暦1982年にその転換が一度起きたことが推測された。

それからはその周辺の情報を探る試みが行われた。変わり果てた地球にも調査チームが派遣された。

 

その結果、一冊の本の存在が浮かび上がった。

「聖蛇霊への連祷の書」

それがその書籍の名前だった。

そこには裏面世界と呼ばれるものと現実世界を混じり合わせ、世界を法則から新しく作り直す方法が書かれていることがわかった。

しかしながらその本は失われていた。手に入ったのは実行したと思われる者のごく僅かなメモのみだった。

 

 

相転移の術は存在していたとしても永久に失われたかに見えた。

そもそも、「聖蛇霊への連祷の書」自体が妄想の産物という可能性の方が高かった。

 

皆途方に暮れた。

あるいは、レディ・Sが巨大電子頭脳の呪縛を逃れることができれば、精神旅行によってその術をいつかは見いだすことができるのかもしれない。しかしそれはこの歴史を諦めるということでもあった。

 

マルガレータがそのタイミングで提案した。

人類の領域にないのであれば、外部にそれを求めるべきではないか、と。

 

銀河系のどこかにその知識があるかもしれない。あるいはさらなる深宇宙に。

 

上帝対策チーム、そして銀河首脳は、最終的に通常の対策と並行して、その可能性に賭けてみることにした。

 

深宇宙探査艦イストリアが建造された。

これは旗艦級戦艦ほどの大きさの、ワープ航法/光速航行両用艦ではあったが、一つ特殊な機能を持っていた。

自己複製機能である。

 

深宇宙探査は予期できない危険を伴い、長距離、長期間になればなるほど帰還率はゼロに近づく。

しかし、搭乗員ごと自己複製できる艦であれば、増殖したいずれかの艦が目的を達成し、帰還できればよいことになる。

 

搭乗員も複製可能な存在である、アンドロイドとなった。

 

既にアンドロイドとなっていたトリューニヒトが立候補した。レディ・Sもその複製体が同行することになった。

トリューニヒトはヤンに同行を求めた。危険を伴う深宇宙探査には自らの交渉力とともに、ヤンの知略が必要だとトリューニヒトは考えていた。

 

トリューニヒトと同行すること自体を嫌がったヤンであったが、人類、そして、テオやユリアンやマルガレータのことを考え、最終的には承諾することになった。

妻であるローザもそれを認めた。

ヤンは死んで、アンドロイドとなった。

 

その他、数十名のアンドロイド将兵と通信役の〈蛇〉がイストリアには乗り込んだ。

 

イストリアは自己複製を繰り返しつつ旅を続けた。

〈鳥〉の領域に入り、さらに遠方へと探査の領域を広げた。

様々な知的種族と出会い、時に争いになり、破壊された艦も出た。

銀河の1/4ほどをいずれかの艦が回った頃に破局が訪れた。

ワープ航法は使用不能となったが、イストリアは旅を続けた。

旅の情報は〈蛇〉の通信ネットワークによって全ての艦で共有された。

その中で探査艦イストリアの複製艦10563号が、旅の途中で〈竜〉と通称されていた宇宙生物と遭遇した。

彼らは破局によって超常の力の殆どを失い、人類と同じく上帝の脅威に晒されていた。

彼らは人類ともかつて関わりがある存在であり、「聖蛇霊への連祷の書」についても僅かながら知識を持っていた。また、西暦1982年に限らず相転移は何度か起きていると考えられることもわかった。

これによって相転移の術の存在の信憑性が高まることになった。

10563号もやがて上帝に捕捉され破壊されたが、その知識は別の艦に共有された。

 

上帝によってイストリア各号は破壊され続け、複製速度は破壊される速度に追いつかなくなった。艦がまばらになるにつれ、〈蛇〉の通信ネットワークも機能不全に陥った。

 

人類領域で上帝と戦うユリアン達銀河保安機構とイストリアの連絡も途絶えた。

 

銀河保安機構は戦い続け、その間にイストリアは探査を続けた。銀河を離れ、その先へと。

 

長い時が流れた。

 

ついに、銀河系の伴銀河の一つでユリアン達はそれを見つけた。

 

その場所も上帝の脅威に晒されていたが、細々と生き残っていた複数の種族が持っていた知識を結びつけることで、ついに相転移の「魔術」の復元に成功したのである。

 

 

相転移は万能ではなく、効果範囲も広がる速度も制限されていた。

しかし、物理法則の変更によって上帝の活動は停止した。

 

イストリア3764932号は相転移の広がる速度の制限を受けながらも、ワープ航法を用いて銀河系に帰還し、人類の運命が決まる戦いになんとか間に合ったのだった。

 

報告を受けたレディ・Sの心には様々な感情が渦巻いたが、言葉にしたのは一言だけだった。

「アーレ、あなたの言った通りになったわね」

 

長かった夜は今明けようとしていた。

 

 


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