破局の前後を問わず、人類の戦闘は亜光速の領域において頻繁に行われてきた。
破局以後の戦闘が以前と異なるのは、相対論的効果を三大技術によって軽減されることなく受ける点である。
光速に近い速度で移動する物体の時間は極度に引き延ばされ、相対的に遅くなる。
その影響は人類であれ、計算機であれ、上帝であれ同じだった。
その状況ではリアルタイムの判断というものは意味をなさなくなる。敵が自らより遅い速度域にある場合は特に。
結果、亜光速戦闘は事前にプログラムされた攻撃・防御・機動・回避アルゴリズムに基づいて主に行われることになる。
そこに人類の狙い目があった。
ほぼ光速で四方から迫る上帝に対して、〈月〉を意図的に減速させ、各方面の上帝との遭遇までに時間差をつけて対処を容易にするとともに、主観時間においても上帝に対して優位に立った。
〈月〉から見れば、より光速に近い上帝の機体の経過時間は非常にゆっくりしたものとなった。
その状態で、銀河保安機構軍は〈月〉周囲に配置した小型ブラックホールに対して降着円盤を構築し、宇宙ジェットを上帝の軍勢の予測位置に向けて放出した。かつてのヴェガ星域における会戦で神聖銀河帝国が用いたのと同じものである。
また、互いに周囲を回る一組の小型ブラックホールを射出した。ブラックホールは上帝の軍勢の只中で衝突し、膨大な重力波を放出した。
いずれの攻撃も上帝に見せるのは今回が初めてのことであり、上帝に回避の術はなかった。
この二つの攻撃によって広範囲にわたって多数の機体が破壊されたが、上帝の軍勢はなおも膨大だった。
推定破壊機体数一億。これは今回〈月〉に対して上帝が投入した戦力の0.01%程度だった。
引き続き攻撃が行われ、多数の戦力が破壊されたが、上帝は戦術を変えなかった。数に任せて接近を図るのみである。
ユリアンは歯噛みする思いだった。
ここまでのキルレシオは人類側の圧倒的優勢だった。
にも関わらず上帝が戦術を変えないのは、そうせずとも勝てるからである。これまでと同様に。
大した敵と思われていない。そしてそれは事実である。そのことにユリアンは今更ながら怒りと悔しさを覚えた。
一方で多少気にかかることもあった。上帝がこの〈月〉の破壊にかけるエネルギーは、回収できるエネルギーと比較してあまりにも割りに合わない。
それゆえにユリアンは上帝が〈月〉を見逃す可能性があるのではないかと考えていた。
しかし、上帝の判断は異なり、人類にとっての最終決戦を迎えることになってしまった。
上帝が気にかける何かが人類にあるのか?それとも費用対効果など考えていないだけなのか?
頭に浮かんだ疑問も目の前の情勢を前に消え去ることになった。
上帝の軍勢が、ブラックホール攻撃をすり抜け、遂に〈月〉に近づいてきたのである。
〈月〉の硬X線レーザー砲が作動し、艦隊も迎撃に入った。
〈蛇〉が敵を観測し、その情報を超光速の精神波通信で銀河保安機構艦隊に伝える。艦隊はその情報をもとに敵の未来位置に向けて砲撃を実施する。
上帝に対する通信速度の優位を活かした迎撃方法である。二十万年前に確立されたこの戦法はいまだに上帝に対して有効であり、同時に無意味だった。
次第に取りこぼしが発生するようになった。取りこぼした敵は、背面に回り込み、艦隊の戦力を削り始めた。
保安機構側も対応は行なったが、それは正面の敵に割ける戦力が減少することを同時に意味した。
人類側は小型ブラックホールを盾にして抵抗を続けたが、戦力は次第に減少し、指揮官たるアンドロイド達も次々に斃れていった。
戦闘は20日間続き、艦隊戦力は二万隻にまで減少した。
上帝の機体は〈月〉にまで取り付くようになっていた。
今はまだ水際での排除に成功していたが、誰の目にも限界が来ていることは明らかだった。
〈月〉の司令室でユリアンはマルガレータと顔を見合わせていた。
艦隊指揮に当たっていた最後のマルガレータ・アンドロイドが消滅した連絡が入ったところだった。
二人は互いの瞳に絶望の影を見た。
「勝手に絶望しないでよ」
二人は同時に振り向いた。
そこにはカーテローゼが不機嫌そうな顔で突っ立っていた。
「みんなあなた達が諦めないからこそ、ここにいるのよ。マシュンゴ少佐だって、私だって。絶望する暇があったら早く指示の一つでも出しなさいよ」
カーテローゼの言葉に気を奮い立たせ、二人は状況を改善すべく各艦隊司令官と連絡を取り始めた。
ライアル・アッシュビーのアンドロイド体も残り一体となっていた。
彼は艦隊の指揮を継続しつつも、目の前の状況に何か決断をしかねているようだった。
同じくアンドロイド体となっていたフレデリカは、変わらずライアルの副官を務めていた。彼女はライアルの様子を見かねて声をかけた。
「あなた、試してみたいことがあるのではなくて?」
「ある。あるが……その場しのぎに過ぎないだろうな」
「やってみて。私の知っているライアル・アッシュビーはいつも行動の男だったわ」
「……確かに。英雄はどんな状況でも期待には応えないとな」
ライアルは意を決して、ユリアンと連絡を取った。
「戦力を俺に預けてくれ。アッシュビー・スパークを仕掛ける。それで少なくとも一息はつけるはずだ」
アッシュビー幻の超必勝戦術の名をユリアンは久々に聞いた。
「きまれば数万倍の敵をも打ち破れるというあのアッシュビー・スパークですか!?上帝との戦いでも有効だったんですね!」
ライアルは話が膨らんでいることに戸惑いながらも表面上は不敵に笑った。
「勿論。三大技術が使えない程度で無効になるようなら超必勝戦術とは呼べないからな」
「それならお願いします」
「頼まれた。任せろ」
お互いにわかっていた。アッシュビー・スパークが成功するにしろ、失敗するにしろ、これが最後の通信となるだろうということを。
ライアルは、残された二万隻の戦力を自由に使える状態となった。
彼は戦闘を継続させながら二万隻のうち一万隻を紡錘状に再編し、その時を待った。それはさながら引き絞られる弓矢のようだった。
残る一万隻が敵を支えきれなくなった瞬間、ライアルは命じた。
「今こそ披露しよう。これがアッシュビー超必勝戦術、アッシュビー・スパークだ!!!」
その瞬間、何かがずれるような感覚が人々を襲った。それとともに上帝軍の動きが乱れた。慣性によりその場に止まることはなかったが、〈月〉の周囲に展開していた上帝の機体群は行動を停止していた。
フレデリカが震える声で呟いた。
「すごい……これがアッシュビー・スパーク……まるで魔術を見ているようだわ」
妻から賛嘆の眼差しで見つめられたライアルの目は泳いでいた。
「いや、その、まだ何もやっていないんだが……」
その時、ユリアンやアッシュビー達に向けて通信が入った。
通信に出た彼らがスクリーンに見たのは、多くの人に安心感を与える笑顔だった。
「やあ、諸君。ご無沙汰だったね。私だ。ヨブ・トリューニヒトだよ」
ユリアンの後ろでカーテローゼが呟いた。
「鳥たちが帰ってきたのね」
この瞬間、ユリアンは自らが賭けに勝ったことを知った。