最後の戦いを迎えるにあたっての人類の戦力は以下の通りだった。
銀河保安機構の保持する艦隊戦力は自動化艦艇大小20万隻である。
それを三千隻程の小艦隊に分けた上で以下のアンドロイド650体に統率させていた。
エルウィン・ヨーゼフ・アッシュビー……100体
カール・フランツ・ケンプ……50体
ダスティ・アッテンボロー……35体
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト……55体
ファウスト・フォン・オーベルシュタイン……60体
マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー……125体
エルマー・フォン・クロプシュトック……25体
ウィレム・ホーランド……50体
ライアル・アッシュビー……150体
ユリアンを含めた各将兵のアンドロイド体はそれぞれ多数生産され、上帝と戦い、また、最終的にはすべて滅びることになったものの各地で人類の救援に努めた。
アンドロイド達は長い時間の中で破壊され、残っているのが先に挙げられた彼らであった。
また、拝蛇教徒約千人と、一万隻ほどに相当する〈蛇〉も人類側の戦力だった。〈蛇〉も各地で上帝に殲滅され、残るのはこの〈月〉要塞に拠る者達のみだった。
〈月〉はこの他に、いくつかの防衛システムを備えていた。
月要塞にかつて存在した防衛システム「アルテミス」を発展させた大射程硬X線レーザーシステム。その射程・威力は共に上帝のガンナークラスを上回るものだった。
また、〈月〉の周囲にはブラックホール発生装置で生成された多数の小型ブラックホールが配置されていた。小型ブラックホールは〈月〉にとっての強力な盾であり、武器だった。
ユリアン達は約20万年前、上帝襲来以前にメッゲンドルファーの協力によりヴェガ星域においてメッゲンドルファー考案の小型ブラックホール発生装置のエネルギー源となっていたカー・ニューマンブラックホールを回収していた。
膨大なエネルギーの発生源であり保管庫であるそれは人類の貴重な資源であり武器であった。
ユリアン達はカー・ニューマンブラックホールを推進装置に転用した宇宙船を構築し、亜光速で太陽系に向かわせた。
太陽系に到着したカー・ニューマンブラックホールは電場のコントロールを受けつつ月内部に設置し直され、月のエネルギー源かつ推進源となった。月の質量を食いつぶしながら。
小型ブラックホールもこのエネルギーを転用して生み出されていた。
月は緩やかな加速を続けて亜光速に達した。光速の制限を受ける上帝に対して、さらに光速近くまで加速してしまえば捕まえられずに逃げ切ることができるというのがユリアン達の算段だった。
しかし、そうなる前に月は上帝に捕捉されていた。
上帝が月に攻撃をかける態勢を整えるまでには、長い時間がかかったが、それは実行された。
ユリアン達は一度目の襲来は多大な犠牲の末に切り抜けることができた。
上帝への攻撃と逃げるためのエネルギー、人類が滅んだと錯覚させるための目くらましのために月の質量の大半が使われた。
しかし、それは結局のところ次の襲来までのインターバルを手に入れたに過ぎなかった。
上帝の軍勢が亜光速で動く〈月〉に再び追いつくまでに長い時を要した。それは〈月〉内部の主観時間で約十万年に相当した。
〈月〉は銀河系の最外縁に到達していたが、そこもまだ上帝の領域だった。
今回の襲来を切り抜ければ人類が生き延びられる可能性が生まれるのも確かだったが、
その望みは薄かった。
上帝は〈月〉を完全に包囲する体制を整えていることを、索敵を担当する〈蛇〉が精神波通信で連絡して来ていた。
少なくともシミュレーション上は人類生き残りの可能性はゼロであった。
レイ・フォン・ラウエは長老達に諮りつつ、事態への対応を進めた。
十歳を超える年齢となった者に順次真実を教えた。
上帝の来襲、銀河保安機構が抵抗を試みる予定であるが撃退できる可能性は低いこと。
今後の身の振り方を考えてもらうためにである。
自暴自棄な行動に出る者もいたが、機械による監視システムが整ったこの時代の社会では人に迷惑をかけることも自らを害することも難しかった。
それでも自らの選択としての死は認められていた。カウンセリングを経て五万人が公共の自己選択施設で死を迎えた。
再生地球教徒は地球に祈った。
アッシュビー教徒は自らの主神たる伝説の英雄キャプテン・アッシュビーの再臨を願った。
オーディン教徒は、主神ルドルフに縋った。
レイ・フォン・ラウエは、人心の安定のためにライアル・アッシュビーとエルウィン・ヨーゼフ・アッシュビーに頼った。
銀河保安機構からアンドロイドがそれぞれ一体派遣され、キャプテン・アッシュビー、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムとして振舞った。
アッシュビー教徒とオーディン教徒は狂喜し、そうでない人々も未来に多少の望みを持った。
上帝の襲来が予定される前日、レイ・フォン・ラウエは始めて〈月〉の外に出た。
この頃には〈月〉と呼んでいた天体の大きさが、直径わずか300km、長さ300km程度の円筒型の岩塊に過ぎないことをレイは知っていた。
体感していた重力も〈月〉の多層化した球殻のそれぞれの回転によって生じていたに過ぎなかった。
外に出てレイはさらに驚いた。
亜光速で動いている〈月〉からは相対論的ドップラー効果で星々が様々なスペクトルで煌びやかに光り輝いているはずだとレイは思っていた。
しかし、そのようなものは殆ど存在しなかった。知識として知っていた天の川は消えていた。
頭上に気を取られていたレイは、慣れぬ宇宙服の扱いに失敗し、思わずよろめいた。
彼を支えたのはカーテローゼだった。
「大丈夫ですか?」
レイと違い、彼女は宇宙服を着ていなかった。可憐な美人である彼女がユリアンと同じく二十万年の時を経たアンドロイドであることを今のレイは既に知っていたが、そのギャップにはなかなか慣れることができなかった。
「大丈夫です。ありがとう」
決まりの悪さを覚えながらレイはそれだけ返事をした。
ユリアンはレイの様子に、穴に落ちて農夫に皮肉を言われる天文学者の故事と、今ここに存在しないヤンのことを思い出さずにはいられなかった。
評判によればレイもヤンと同類のようである。
ユリアンはレイの中に生じているだろう疑問に答えることにした。
「驚いたかい?星なんてものは殆ど姿を消してしまっているんだよ」
「……これもすべて上帝の仕業ですか?」
「その通り。銀河系の殆どの星は解体されるか、ダイソン球殻で覆われてしまった」
「上帝は宇宙をつくりかえているのですね。自分達のために」
「我々もその材料としか見なされていないわけだ」
「こんなちっぽけな岩塊ぐらい見逃してくれてもいいでしょうに」
「まったくだよ」
レイはユリアンの過ごしてきた歳月を想像してみた。
「あなたはこんな途方もない敵とずっと戦ってきたんですね。よく放り投げる気になりませんでしたね」
「……約束があったからね」
「約束?」
「遠い昔の約束だよ。多くの人々に銀河人類のことを頼まれたんだ。とにかく滅びるまでは僕は足掻き続けるよ」
ユリアンは宇宙を眺めた。
ユリアンの拡張された視力には、宇宙が、背景放射と亜光速の影響で、まるで血のように赤く染まって見えていた。
上帝の軍勢は今この時も四方八方から〈月〉に向かってきていた。
レイと別れたユリアンは、一つの部屋に移動した。
そこには大きな培養槽と、レディ・Sがいた。
レディ・Sは培養槽に手を触れながらユリアンに尋ねた。
「覚悟は決まった?ユリアン?」
ユリアンは培養槽を見た。
そこには、人間の脳が浮かんでいた。冷凍保存状態から復活させられたそれは、ユリアンとマルガレータの娘であるベアテのものだった。
生身の人間が十万年単位の時を生き延びるのはいまだに不可能だった。しかし、脳だけの長期保存は可能となっていた。
エンダー・スクールにおけるアッシュビークローンの脳を用いた人体実験の結果が、そこには活かされていた。
それゆえに精神旅行及びレディ・Sの器としての「適合者」であるベアテは、本人の同意の上で脳だけを取り出され冷凍保存されていた。生身の脳でなければ精神旅行は不可能だったから。
人類滅亡の時が迫った今、彼女は解凍され、過去への跳躍の時を待っていた。
「お父さん、ごめんね。私のことで苦しまないで」
冷凍保存される前、最後にユリアンにそう語ったベアテのことを思うと、ユリアンは今でも無力感に苛まれるのだった。彼女はユリアンが既にアンドロイドとなっていることを知りつつ、父親として接してくれた。
「まだです。まだ諦めません」
ユリアンは娘のためにも諦めるわけにはいかなかった。父親として何も為さないまま、彼女にレディ・Sの人格の一部として永遠の責め苦を与えるわけにはいかなかった。今の状態ですら煉獄にいさせているようなものだということは承知していながらも。
永遠の中に閉じ込められた存在であるレディ・Sは、苦笑いを示した。
「頑固者。あなたらしいけど」
それは二人の間で何度も繰り返されたやり取りだった。
「せいぜい頑張ってね。私は最後の時までベアテのお守りをしているから。あなたが来てくれたことをベアテも喜んでいるわ」
レディ・Sは脳だけとなったベアテと微弱な精神波通信でコミュニケーションを取ることができた。
「ベアテに言葉をかけてやらないの?」
「なんと言えばいいのか」
彼女を人類のために犠牲にしようとしている自分が父親として接していいのか、ユリアンはいまだにわからなかった。もしかしたら自分の父親も、同じ気持ちでいたのかもしれないと今のユリアンは思ってもいた。だとすれば、かつて残される立場であったユリアンとしてはベアテに、少なくとも父親としての言葉を残しておくべきだった。
「……行ってくるよ、ベアテ。愛している」
「伝えておくわ」
ユリアンはベアテをもう一度だけ眺めて、それから立ち去ろうとした。
「……ユリアン」
「何でしょうか」
ユリアンは振り向いたが、レディ・Sは培養槽の方を向いたままだった。
「マルガレータやカーテローゼが最後までいてくれてよかったわね。それだけは他の歴史にはなかったことよ」
「本当に、彼女達には感謝するしかないですよ」
「本人達に言ってやりなさいね。……最後なんだから」
「ええ、そのつもりです。あと、レディ・S」
「何?」
「ありがとうございます。あなたもいてくれてよかった。みんないなくなってしまったのに」
ヤンもトリューニヒトも。
「私はベアテがここにいるから居続けているだけよ」
「それでもありがとうございます」
「そういう優しい言葉は二人のために取っておきなさい。私なんかじゃなくて」
その表情はユリアンからは見えなかった。
通路を歩いていると、ユリアンの耳に透き通るような歌声が聴こえてきた。
いとしい者よ、あなたは私を愛するか
ええ、私は愛します
生命の終わりまで
冬の女王が鈴を鳴らすと
樹も草も枯れはてて
太陽さえも眠りに落ちた
カーテローゼだった。
悲しいことがあると、彼女が一人その歌を歌うことをユリアンは知っていた。
「ユリアン」
カーテローゼはユリアンに気づき、バツが悪くなったのか歌をやめてしまった。
「カリン……」
「どうしたの?戦闘準備で忙しいんでしょう?……その様子だとベアテに会って来た帰りというところね」
「そうだよ」
ユリアンはカーテローゼには敵わないと思った。この二十万年ずっと思っていた。
「元気出しなさいよ。誰もあなたが沈んでいるところなんて見たくないんだから」
「カリン、ここまで付いてきてくれてありがとう」
カーテローゼは急に口に出された感謝に、少し驚いた様子を見せたが、すぐに不満げな表情に変わった。
「何よ、これが最後みたいに。私は諦めていないからね」
本来自分が言わなければならないことを言われてしまったとユリアンは思った。
カーテローゼはユリアンの心にいつも刺激を与えてくれた。そのことをユリアンはずっと感謝していた。
だから彼女に少しでも安心してもらいたくて、笑顔でユリアンは言った。
「そうだね。僕も諦めていないよ。だから見ていて」
カーテローゼは顔を背けた。それが照れ隠しだとユリアンがわかるようになって長い時間が経っていた。
「言われなくても、ずっと見ているわ。ずっとね」
当日となった。
ユリアンとマルガレータ、そのアンドロイドの一体は共に〈月〉の司令室に並び立っていた。全体の指揮を執るために。
後ろにはカーテローゼとマシュンゴが控えていた。
言葉はなかった。
既に前日に語り尽くしたし、言葉に出さなくともお互いの考えはわかっていた。二十万年とはそれだけの歳月だった。
そのうち、マルガレータが一言呟いた。
「来たな」
ユリアンも返した。
「来たね」
上帝と人類の最後の戦いが始まった。