時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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89話 永遠の夜のなかで その12 アスターテの戦い

宇宙暦845年2月5日 10時

アスターテ星域に侵入した上帝の軍勢を、銀河保安機構軍は恒星アスターテ近傍の宙域で迎え撃つ予定であった。

 

総勢40万隻、総司令官はマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー元帥である。

殆どの艦艇は自動化されて無人だったが、それを統括するために、カール・フランツ・ケンプ上級大将以下約5000名の将兵及び伝令役の拝蛇教徒が戦いに参加していた。

 

艦数という点ではこの歴史においてこれだけの戦力が一会戦のために集まることは初めてだった。

長距離光速航行用の改修が済んでいない旧式艦艇もその中には多く含まれていた。

それらは破局前にアスターテ星域に運び込まれ、この時まで整備を受けながら待機していたのだった。

事前に上帝の来襲地の情報が存在したからこそ実現できた事だった。

 

対する上帝軍は一千万体を数え、さらに後続が存在することも既に確認されていた。

 

 

マルガレータは既に六十歳を越えていたが、若々しい外見を維持していた。

彼女は自らの容姿が将兵の指揮統率にプラスに働くことを十分に理解していた。

 

銀河保安機構軍総旗艦であるモルゲンロート(夜明け)の艦橋でマルガレータは星の大海を眺めていた。

深淵にちりばめられた無数の光点。この光景がもうすぐ見納めとなることを彼女は知っていた。

 

マルガレータに通信要員が近づいて来た。

〈蛇〉と人との融合存在、拝蛇教徒である。既に個々の人格も意味をなさなくなってはいたが、性別を当てはめるなら女性ではあった。

拝蛇教徒が近づいてくる時は遠方からの精神波通信を受け取った時である。

拝蛇教徒はマルガレータの前で跪いた。伝言ではなく、直接通話であった。

彼女は拝蛇教徒の肩に手を触れた。直後、マルガレータは自らに向けられた言葉を感知した。

"メグ"

接触して来たのはユリアンだった。

感情を伴わない通話信号だったが、死を覚悟した戦いの前では、お互いにその方が都合が良い部分があった。

 

"準備はどう?"

 

"万端だ"

 

"それならいいのだけど"

 

"心配するな、というのも無理だろうが、何とかやってみるさ"

 

"……勝てる?"

 

"わかっているだろうに。負けないのが関の山だ"

 

"ごめん、そうだね。でもできることなら死なないで欲しい"

 

"それを言うのは大分遅かったかもな。お互いに"

 

"そうだね"

 

"善処はするさ"

 

"ありがとう"

 

"すまない"

 

通信に少しの間が空いた。

 

"メグ、恒星アスターテの名前の由来を知っている?"

 

"古代の神の名前だろう?それ以上は知らない"

 

"古代に信奉された偉大な女神だよ。豊穣神でもあれば月の女神でもある。愛と美の女神でもあり、破壊と再生を司ることもあれば、戦いと勝利の象徴でもあった"

 

"それは、縁起がいいのかな"

 

"そう思いたいね。それに、まるで君のようだと思ったんだ。僕にとって君はアスターテのような存在なんだ"

 

"恥ずかしいことを言うなあ"

 

"恥ずかしいついでに言うけど、メグ、愛している。今までもこれからも"

 

"ありがとう、ユリアン。私も愛している"

 

"ありがとう"

 

"ユリアン"

 

"私を……いや、何でもない"

 

"忘れないよ"

 

"ありがとう。戦いの前にお前と話せてよかった"

 

"僕もだよ"

 

"……それじゃあな。生きていたら戦いの後で"

 

"わかった。それじゃあね"

 

マルガレータは拝蛇教徒から手を離した。

 

繋がりは途切れたはずだが、ユリアンの言葉は自分の中にまだ留まっているように感じた。

最後にユリアンと話せたことで、圧倒的な戦力の敵にも臆せずに挑めそうだった。

 

マルガレータは再度拝蛇教徒に手を触れた。

「艦隊全将兵に繋いでくれ」

 

程なく、各艦隊の拝蛇教徒を介して艦隊全将兵との通信が確立した。

 

同時に、各艦隊司令官から艦隊の状況が伝えられた。兵士達の一部に動揺や恐れ、諦観が見られることも。

 

マルガレータは演説を始めた。絶望的な戦いに将兵を臨ませるにあたっての総司令官の義務でもあった。

 

"諸君。ついにこの日がやって来た。皆、様々な思いをいだいていることだろう"

 

"だが、理解して欲しい。この戦いは人類と上帝の長きに渡る抗争の試金石である"

 

"ここで負けるならば、人類はすぐにでも滅亡してしまうだろう。逆に、負けさえしなければ、我々の同胞は生きながらえることが出来るのだ!"

 

"我々の同胞に、家族に、子供に、安息の日々を!我々はそのために戦おう!"

 

"わが師、不敗の名将ヤン・ウェンリーに倣って、私も宣言しよう"

 

"心配するな。私の命令に従えば負けはしない!"

 

型破りな不敗の名将ヤン・ウェンリーがアルタイルで発した言葉は数十年後にも伝わっていた。

高揚、信奉、苦笑……艦隊司令官は兵士達が陽性の反応を示したことを伝えて来た。

ヤンのように、「助かる」とは言わなかったことも理解した上で。

 

マルガレータは続けた。

"だから、あなた達が力を貸してくれる限り、人類は滅びない!征こう!人類の防人達よ!"

 

「金色の女提督」「勝利の女神」マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの発する言葉には、将兵にそうさせるだけの重みがあった。かつてのヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムのように。

数十年の間にそれだけの実績を彼女は積み上げてきていた。

帝国、同盟で同時に起きた守旧派軍人によるクーデターの鎮圧。新銀河連邦の方針に反して上帝への恭順を目指す勢力との人類最後の大規模艦隊戦における勝利。破局後に放棄された辺境星系に潜んだ宇宙海賊集団の一斉制圧作戦の成功……彼女は関わったすべての作戦を成功させて来た。

 

 

宇宙暦845年2月5日15時、上帝の軍勢が戦場に到着した。

宇宙を埋め尽くす敵というものをこの歴史の人類はこの時初めて見た。

 

2時間後、戦端が開かれた。

 

上帝の軍勢の構成と戦術は非常に単純だった。

上帝の軍は二種類の機体から構成されていた。

一つがグラップラークラスと呼称される近接戦闘機体である。

大きさは人類における駆逐艦程度で、巨大な腕と顎のような衝角を持っていた。サイズに比して大規模なエンジンを、推進力と防御に振り向けていた。遠距離攻撃能力は一切持たず、高速で接近し、巨大な腕で艦を捕捉し、顎で咀嚼するように破砕するのである。

半端なビーム攻撃は、重厚な中和力場によって跳ね返されてしまう。

数多の歴史の中で人類の軍勢を最も屠ってきた存在だった。

 

 

それに対して銀河保安機構軍の新造艦艇はすべてグラップラークラスの防御力を突破できるビーム出力が確保されていた。

本会戦に多数参加している旧式艦艇は、砲撃の一点集中によってグラップラークラスの防御を破った。

ビームの防壁から漏れて接近して来た敵は、無人戦闘艇と、浮遊機雷、指向性/拡散性ゼッフル粒子の罠によって破壊された。

すべてはレディ・Sによってもたらされた別の歴史における教訓を活かしたものだった。

 

銀河保安機構軍は、恒星アスターテを背に、接近する上帝軍を跳ね返し続けた。

 

 

暫くすると、上帝軍の動きに変化が見られた。

 

グラップラークラスの隊列に穴が生じたのである。

その穴を通る形で、大出力レーザーの攻撃が保安機構軍に向けて放たれた。

威力は人類側の要塞砲を凌駕し、射程はより長大だった。

 

もう一種類の敵機体、通称ガンナークラスによる攻撃である。

ガンナークラスは、数十kmの巨体に大出力レーザーを搭載していた。

 

これについても保安機構軍は事前に情報を得ていた。

レディ・Sの情報から、保安機構軍はグラップラークラスの動きから敵のレーザーの射線を予測し、事前に回避行動を取るアルゴリズムを開発し、艦艇に搭載していた。これによって被害は最小限に抑えられた。

 

また、ガンナークラスを破壊するための方策も整えていた。

移動と攻撃力を両立するためにその防御は薄かった。

しかしながら遠方にいるガンナークラスを攻撃するにはグラップラークラスが邪魔だった。

銀河保安機構軍はこれを強引な方法で解決した。

 

高速航行と回避に特化した自動化小型艦艇を多数ガンナークラスに向かわせた。

そのうち99%は途中でグラップラークラスに囲まれて破壊されたが、残り1%はガンナークラスにまで届いた。

その1%は、敵に対して直接衝突した。自らを実体弾と化してガンナークラスの主砲発射口を破壊したのである。

 

別の歴史では追い詰められた人類は、有人艦艇を用いてこの自殺的な強襲を行なっていた。

自動化の進んだこの歴史では、同じ行為を犠牲を気にせずに実行できた。

 

ここまで保安機構軍は、圧倒的な数の上帝に対して概ね善戦していたと言える。

 

しかし、入れ替わりで攻撃をかける敵に対しては補給が追い付かず、徐々に押し込まれていった。

 

恒星アスターテとの距離がある程度近づいたところで、人類は次の手を打った。

 

艦艇の移動により、保安機構軍の艦列に穴が生じた。

その穴をめがけて上帝軍は殺到した。

しかし、これは意図的なものだった。

 

突如として恒星アスターテから極大規模のフレアが発生し、穴に向けて殺到していたグラップラークラスを飲み込んだのである。

 

フレアは遠方まで広がり、上帝の軍勢を削り取った。

 

フレアの発生は一度や二度ではなかった。

これは意図的に引き起こされたものだった。

かつて異なる歴史において人類が滅びる要因となった人工フレア発生器を保安機構軍は上帝に対して用いたのである。

 

上帝軍一千万体の過半がこの攻撃で喪失した。

 

上帝軍は一旦後退を始めた。

 

保安機構軍の残存艦艇数は25万隻。

損害は膨大であったものの、緒戦は人類の勝利に終わった。

 

しかし、それが前哨戦に過ぎなかったことを数日後に人類は思い知ることになった。

 

宇宙暦845年2月10日、上帝の増援がアスターテに現れた。

 

その数はおよそ三億体。

 

先に現れた上帝軍は斥候に過ぎなかったのである。

 

表面上は先の戦いと同じ展開が繰り返された。

押し込まれた人類は人工フレアによって反撃したが、今回は数が違った。

自らが逆に全滅しないためには人工フレアの発生回数と規模には自ずと限界があった。

 

損害を恐れず殺到する上帝軍に、保安機構軍は急速に削られていった。

 

それでも、保安機構軍は数千万体の敵を破壊し、10日間耐え抜いた。

彼女でなければ無理だったと思わせる指揮だった。

その日のうちに、さらに上帝軍の増援が現れた。

その数、百億体。

 

「これまでか」

 

人気の少ない艦橋でマルガレータは独り言ちた。

既に保安機構軍は二万隻にまで磨り減っていた。副将たるカール・フランツ・ケンプ上級大将も既に戦死していた。

完全に包囲され、恒星アスターテ至近に押し込められていた。これ以上の後退はできず、また、突破も無理だった。

 

マルガレータは、拝蛇教徒を呼び寄せ通信を行なった。

 

"諸君、圧倒的優勢の敵にここまで戦えたのは諸君らのお陰である"

 

"我々はここで全滅することになる。諸君らは覚悟していただろうが、この責任はすべて私にある。あの世というものが我々にあるならばその時は好きに罵ってくれて構わない。ただ、今はここまで付き合ってくれてありがとうと言わせて欲しい"

 

受容、諦め、満足、反応は様々だった。

 

"我々の戦訓は、今後の戦いに活かされる。だから我々は胸を張って最後の攻勢に臨もう!"

 

 

保安機構軍は雄々しく戦った。しかしそれだけだった。

エネルギーの切れた艦から破壊されて行き、ついには旗艦以下数百隻にまで磨り減らされた。

艦隊司令官もコンラート・フォン・モーデル中将の戦死によってマルガレータ本人だけとなった。

 

旗艦モルゲンロートにもグラップラークラスが迫る状況の中、マルガレータは拝蛇教徒に声をかけた。

「これまでの戦況の伝達は済んだか?」

 

拝蛇教徒は淡々と返した。

「はい。閣下達の戦いは、人類のこれからの戦いに活かされることになるでしょう」

 

マルガレータは嘆息した。

ならばこの辺りが潮時だと。

 

「この艦ももう終わりだ。貴官には最後まで付き合ってもらうことになるが問題はないか?」

あくまで念のための確認だった。

 

「ありません。我々拝蛇教徒の精神は不滅ですから」

 

「そうか。それはよかった」

 

「……閣下も拝蛇教徒になればよかったのです」

 

マルガレータはその言葉が誰からのものであるのか、少しだけ戸惑った。

ここにいる彼女個人の言葉なのか……

「そうだったのかもしれない。しかし今更この体では無理だよ」

 

拝蛇教徒は感情の見えない瞳でマルガレータを見ながら呟いた。

「残念です」

 

「そう言ってもらえるだけでありがたい」

マルガレータには拝蛇教徒の感情は分からなかった。だが、副官のように働いてくれた彼女にはマルガレータ自身は相応に親しみを感じていた。自分がそう思っているだけでよかろう、とも思っていた。

 

 

「そうだ、一言伝言してもらってもいいか?」

 

「何でしょう?そして、どなたに」

 

「ユリアンとみんなに。頑張ってみたがこれが限界だった。後のことは頼む、と」

 

「承知しました」

 

旗艦に衝撃が走った。グラップラークラスについに取り付かれたのである。

 

グラップラークラスはモルゲンロートのエンジンをその顎で破砕した。

 

爆発が起こり、艦全体を包んだ。

 

消え去る瞬間にマルガレータは思った。

最後にもう一度だけユリアンや娘と話したかったかな、と。

 

 

旗艦の消滅と時を同じくして、重力変動がアスターテ星系全域に広がった。

 

恒星アスターテが超新星化を開始したのである。

別の歴史で開発された恒星破壊砲が旗艦の破壊によって作動した形である。

 

次に膨大なエネルギーをはらんだ衝撃波が星域全体に広がっていった。

上帝の軍勢はそれに巻き込まれ、破壊された。

 

 

アスターテに来襲した上帝軍、百億余機は全滅した。

これは、上帝の推定戦力の10の16乗分の1に相当した。

 

人類が払った代償は、保安機構軍四十万隻の全滅だった。これは、数の上では人類戦力の三分の一に相当した。

 

そのような犠牲の末にアスターテ星系への侵攻はかろうじて防がれた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

「ユリアン」

 

月都市で執務を行なっていたユリアンに、マルガレータは声をかけた。

 

「何?マルガレータ?」

応じながらも報告の内容には想像がついていた。

 

「アスターテで私が……第128号が死んだ」

 

ユリアンは言葉に詰まった。第128号とは戦いの直前、十数日前に言葉を交わしたきりだった。

彼女とは、もはや話すこともできないという事実に、ユリアンは自分でも思いの外衝撃を受けていた。

多数存在するマルガレータ・アンドロイドのうちの一体に過ぎないというのに。

 

マルガレータは破局後に自らをアンドロイド化していた。

慣性制御技術を失った人類が亜光速での戦闘を行うには急激な加減速によるGへの対応が必要になった。

拝蛇教徒は、既に肉体を捨てて再生力の高い〈蛇〉の一部となっていたから問題はなかったが、そうでない者達は別の対処法を考える必要があった。

 

そのための手段がアンドロイド化だった。電子頭脳に人格を移すにあたっては生身の脳は不可逆的に破壊される。それはこの時代においても変わりなかった。

このため、生身のマルガレータは既に自ら選んで死んでいた。

アスターテの戦いに参加していた将兵達もすべて。

 

マルガレータの人格を持ったアンドロイド体は多数生産された。

マルガレータはこの時代においてかつてのヤン・ウェンリーにも比肩する軍司令官と目されており、その実力を、光速の限界で隔てられた各地の戦場で最大限に活用するためである。人類の多数の領域において、また、長きにわたって。

 

アンドロイド体が他に何体もいることを知りつつも、ユリアンは動揺せざるを得なかった。マルガレータが今また死を迎えたことに変わりはなかったから。

これからユリアンは何度もマルガレータのアンドロイド体の死について報告を受けることになる。

愛する者が何度も何度も死を迎え続けることを想像して、ユリアンは気が遠くなりかけた。

 

死してなお戦わされる。マルガレータにとって、アンドロイドとなった数多の将兵にとってこの宇宙はヴァルハラそのものであったと言えるのかもしれない。あるいは、地獄か。

 

 

かつてであれば、マルガレータの運命に思いを致したことを引き金に、発作が起きたかもしれない。あり得た宇宙における数多の絶望的な戦いの記憶が、残響となって襲うのである。

しかし、ユリアンは自らもまたアンドロイドとなっていた。永きに渡って続く上帝との戦いに関わり続けるために。

ユリアン、正確にはユリアン・アンドロイド第1号は、自らに発作がやって来ないことに気づいていた。

それは、自らが本質的に「ユリアン」とは違う存在だということではないか。そのような思いも生じていた。

かつてレディ・Sにそのことを相談したら鼻で笑われてしまったが。

「あなたが何者か、より、あなたが何のために生み出されたかを考えなさい」と。

 

ユリアン第1号は額にあたる手の存在に気づいた。

マルガレータ第3号の手だった。ユリアンの心は次第に落ち着きを取り戻した。

ユリアンも、マルガレータも、その生身の死体は月都市の奥深くで眠っているが、ここには自らのことをユリアンだと考えてくれる存在がいてくれた。

 

マルガレータ第3号の声は穏やかだった。

「私のことを考えてくれたのだろう?大丈夫だ。皆死ぬのは一回だ。気にするな」

 

いつかはマルガレータの繰り返される死に何も感じなくなる時もあるかもしれない。

そのこと自体も今のユリアンにとっては恐怖であったのだが。

 

ユリアンは無理矢理心を人類全体のことに向け、問い返した。

「状況はどうなの?」

 

「全滅と引き換えに、百億機以上の敵を全滅させたそうだ。アスターテ方面から侵攻を図る敵の第一陣のほぼ全軍だ。我々の抵抗の程度に応じて、誘引される敵の数が増えるというのは我々の仮説の通りだったな」

 

ユリアンは瞑目し、再び開いて言った。

「戦訓は得られ、上帝の侵攻スケジュールは大幅に遅れた。マルガレータ……128号は仕事を果たしたんだね」

 

「そうだな。後のことは頼むと伝言されたよ」

 

「君らしい……かな。僕には何か?」

 

「ない。伝言などしたら、生真面目なお前の心にさらに負担になるだけだと考えたんだ。私のことだからわかるさ」

 

ユリアンは128号が戦いの前に言いかけたことを思い出した。

私を……。おそらくは忘れないでと言いたくなってやめたのだろう。

忘れないよ、とユリアンは心の中で思った。

 

二人の話は次なる戦いのことに移っていった。

 

 

 

…………

人類と〈蛇〉の仲介者にして、〈蛇〉自身の中核的存在でもある拝蛇教宗主もまずは結果に満足していた。

 

マルガレータを初めとした将兵の死を悼む気持ちは薄かった。既に心は〈蛇〉と不可分となり、人間であった時の感情は薄れつつあった。

〈蛇〉としては、今回の結果が自らの延命に繋がったことを単純に喜ぶだけの話だった。

〈蛇〉は、人類への敵愾心を失ったわけではない。今はさらに強大な敵に対抗するために協力しているだけである。人類が上帝と効率的に戦って死んでくれるのならそれが最も望ましいことである。そのための協力ならば惜しむつもりはなかった。

 

マルガレータ第3号が次なる戦いの準備のために、遠方の同位存在との接触を求めて精神ネットワークに接触して来た。

 

精神ネットワーク、つまり〈蛇〉の精神圏を介して行われるやり取りを、拝蛇教宗主、かつてユリアンだった存在は眺め続けた。

傘下の拝蛇教徒と宇宙空間の〈蛇〉達を上帝との戦いに動かすの情報を読み取るために。

 

 

ユリアンもまた自らをアンドロイドと化していたが、彼がマルガレータと違ったのは、彼が生身の死の際に、〈蛇〉との融合を同時に図っていたことである。

ユリアンの「死」によってその精神は〈蛇〉の中に解放された。

 

これによってユリアンはアンドロイドとしてだけでなく、〈蛇〉との融合体としても現世に存在することになった。

すべては上帝との戦いに〈蛇〉を最大限活用するためだった。

〈蛇〉と融合したユリアンは拝蛇教の宗主となり、拝蛇教徒を統率し、〈蛇〉の精神の一部として彼らを動かす役割を果たした。

これによって〈蛇〉は人類の戦いに積極的に協力するようになった。代償は融合したユリアンの人間としての要素が刻々と失われていくことだけだった。

 

マルガレータもユリアンも、その他の将兵達も、人類のために自らの人間としての要素を犠牲にしたのである。

 

銀河保安機構軍が再び人類領域外縁で上帝の軍勢と対峙するのはこれから20年後のことだった。




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