最後の方若干の暴力描写ご注意
マルガレータは超光速通信で一通りの指示を出し終えた後、ユリアンを探した。
彼女はユリアンに一言謝りたかった。彼のことを信じられなくて申し訳なかった、と。
マルガレータは会議が続いていることを知り、それが終わるまで待つことにした。
「ヘルクスハイマー中佐」
佇んでいる彼女を見つけて、ユリアンは声をかけた。
「ミンツ総書記」
振り返ったマルガレータの瞳は揺らいでいた。
彼女はユリアンに頭を下げた。
「申し訳ありません。私はあなたを信じきれませんでした。あなたの話をきちんと聞くべきだったのにそれをしなかった。だから、申し訳ありません」
ユリアンは呆気にとられた。彼の方にこそ謝るべきことがあったのに。
「ヘルクスハイマー中佐、君は約束通りのことをしてくれた。僕はそれが嬉しかった」
マルガレータは顔を上げた。
間近に見たユリアンの顔は優しく微笑んでいた。
マルガレータの頰がわずかに赤くなったのにユリアンは気づかなかった。
「僕の方こそ君に謝らないといけないことがある」
ヤンは説明しておくと言っていたが、ユリアンは自分の口からマルガレータに説明したくなったのだ。
彼は先ほどの一件を丁寧に説明した。
マルガレータの顔は百面相のように変わった。
驚愕したり、深刻な顔になったり、ユリアンを睨んだり、考え込んだり。
「うーん。人類がゲノム改変を受けていた。実害はなかった。罰する法律もない。ミンツ総書記も反省している。だから、いいのか……?本当にいいのか……?」
自らのためにマルガレータが真剣に悩んでくれていることがユリアンには何より嬉しかった。だから彼は言った。
「マルガレータ」
唐突に名前を呼ばれて彼女は動揺した。
「な、何じゃ、何ですか?ユ、ユリアン」
「真銀河帝国の一件の時、僕は君にとてもえらそうなことを言った。そのことがずっと気になっていたんだ。今回の一件でも僕は自分の未熟さを思い知らされた。君にえらそうなことを言える立場ではなかった。だから、ごめん」
マルガレータは驚いた。ユリアンは気にしていてくれたのか、と。
「いや、別に気にしていません。大丈夫ですよ」
ユリアンは少し寂しげな表情になった。
「こういう時にまで別に僕に敬語なんて使わなくていいよ」
マルガレータは少し迷った。だが、確かに敬語では伝えられないこともあるように思えた。だから彼女は繰り返した。
「……わかった。大丈夫だ、ユリアン。気になんかしていない」
本当はとても気にしていたのだが、もはやどうでもよくなっていた。彼の名を呼ぶだけで彼女は幸せな気分になっていた。
ユリアンはそんなマルガレータに微笑みながら頼んだ。
「マルガレータ、僕は何をしでかすか、自分でもわからない。だから何かあったら止めて欲しい。今回のようなことがあれば、殺してでも止めて欲しい。トリューニヒトさんも、ヤン長官も、アッシュビー保安官も皆僕に優しすぎるんだ。だから、君にしか頼めない」
その言葉は、春の陽射しの中にあったマルガレータの心を凍てつく吹雪の中に立ち戻らせた。
ユリアンには残酷なことを頼んでいるという自覚がなかった。自らの価値をまったく信じていなかったから。
マルガレータはユリアンのことを思った。彼は心に怪物を飼っている。彼の善良な部分とは関係なく、いや、善良だからこそ、それはかえって暴れ回るのだ。誰かが彼のことを止めなければ、改めてそう思った。彼のためにも。
だが、彼を殺すことを思うと、心が張り裂けそうだった。
それでもマルガレータは答えた。
「前にも約束したじゃないか。任せてほしい」
ユリアンは嬉しそうに、それでいて寂しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
マルガレータはここに来て自覚した。
正しいとか間違っているとか関係ない。悪人か善人かも関係ない。たとえ人として何かが狂っているのだとしても。
マルガレータはただユリアンという人間のことが好きなのだと。
だけど……
ユリアンは今回の一件で、とても気落ちしているようだった。マルガレータはできることなら彼を慰めてやりたかった。
しかしそれはマルガレータの役目ではない。彼女は月にいる三人娘のことを思った。ユリアンは彼女達には気を許していた。自分はユリアンのため、銀河のため、別の役目を果たさねばならない。だから、ユリアンの心を支えるのは彼女たちの役目なのだと思った。そう、自らに言い聞かせた。
……恋心はこのまま自分の中だけに隠して生きていこう。
「ユリアン。私はこの後、メテオールに乗ってディッケル少佐達と合流する。だけどその前に月に寄ってあなたを降ろすぐらいの時間はある。だから乗っていくといい。メテオールは銀河で2番目ぐらいには速いから」
「ありがたいけど、いいの?」
「ああ。たまにはあの三人娘の誰かに弱いところを見せて慰めてもらうといい。彼女達もその方が喜ぶだろう。頼るばかりでなく頼られたいと思っているだろうし」
ユリアンは少し考えてから返事をした。
「そうかもしれないね。それじゃあお願いするよ」
その返事に感じた痛みを努めて無視して、マルガレータは笑ってみせた。
「任せてくれ」
マルガレータにとって二度目の失恋は、はっきりとした自覚を伴って彼女に訪れたのだった。
ユリアンが月への帰路についた頃、月地下都市の奥深くで一人の男が、灰色のローブを着て仮面を着けた集団に追い詰められていた。
仮面の人物の一人が声を発した。それは仮面の機能なのか声を変えられていたが、明らかに女性の声だった。
「せっかくユリアン君が大任を与えていたのに、それを裏切るような真似をして。許されると思っているのですか?フェルデベルト課長?」
名を呼ばれた人物、地球財団の輸出課長フェルデベルトは怯えながらも反論した。
「な、何を言っているんだ!私は銀河保安機構に、銀河の平和のために協力したまでだ!」
「違うでしょう?あなたがユリアン君のことを陰で亜麻色の髪の孺子と呼んで、彼が重職を務めていることに不満を漏らしていたのは知っています。あなたは今回の件でユリアン君が不利な立場になればいいと思っていたようですね」
「そんなことはない!」
フェルデベルトは明らかに動揺していた。ごく限られた人間にしか漏らしていないことを何故こいつらは知っているのか?
「あなたはヘルクスハイマー中佐にユリアン君が生命卿であることだけを伝えた。あなたが聞いていた通り生命水がビタミンD入りの水であることを彼女に伝えていれば、話はもっと単純で済んだと思うのですが。ヘルクスハイマー中佐はショックで泣いていましたよ。可哀想に」
「言い忘れていただけだ!」
そこにいる誰の目にもその主張には無理があるように感じられた。
仮面の女性が溜息をついた。
「別に、あなたの言い訳が聞きたいわけではありません」
そして集団に合図をした。
仮面の集団はフェルデベルトを取り押さえた。
「何をする!?」
「ユリアン君は優しいからあなたみたいな人でも消えたら悲しむでしょうね。だから今日のところは警告です。腕一本もらいますね」
集団の数人がフェルデベルトの腕に力を込めた。
嫌な音とともに彼の腕が変な方向に曲がった。
「ぎゃあああ」
両腕とも。
「連携が悪くてごめんなさい。一本のつもりが二本になってしまいました。皆さん、離してあげてください」
フェルデベルトは失禁していた。
「いいですか?あなたが生きているのはユリアン君の優しさのおかげ。次にまたユリアン君の優しさを踏みにじるようなことがあれば、その時はわかりますね?……聞いてます?」
「ぎゃあ!」
折れた腕を蹴られたフェルデベルトは痛みで言葉を出せず、代わりに首を縦に何度も振った。
女性はその返事に満足したようだった。
「じゃあ、今日のところは帰っていいですよ。腕は、まあ、幽霊に驚いて階段から落ちたということにでもしておいてください」
フェルデベルトは逃げ去った。バランスを崩して何度か転けて、その度に悲鳴を上げながら。
仮面の集団も解散した。
仮面の代表と思しき女性が一人残った。
「地下は暑いですね」
そう呟きながら仮面を取り、ローブを脱いだ。
現れたのは銀河保安機構アウロラ・クリスチアン少佐だった。
「ユリアン君を遠くから見守る会」
一見唯のユリアンファンクラブであるこの組織は、所属者のうち、ごく一部の者しか知らない別の側面を持っていた。
ユリアン非公認の親衛隊である。
今回のように地球財団内のユリアンに対する不満分子をユリアン自身にも気づかれないまま排除していたのだ。
アウロラ・クリスチアン少佐は、かつて同盟において自らの養父がリーダーを務めていたトリューニヒトの親衛たる組織にその範を求めていた。
「守りたい人の平和は力によってのみ保たれる。その人のための武器となれ」
「その人が望まずとも、その人のためになると思えば迷わずやるべきだ」
彼女は7年も前からユリアンのファンだった。彼女はこの1年、ユリアンのために養父の言葉の通りに行動していた。無論ユリアン自身には知られていないし、知らせるつもりもなかった。
「私は遠くから見ているだけでいい。それでもこの私がユリアン君を守ります。必要であれば誰を排除してでも」
彼女は保安機構内でユリアンの敵となりうる者の名前を思い浮かべた。オーベルシュタイン中将、それに、あまり気は進まないがヘルクスハイマー中佐もだろうか。
そのための組織をつくったその女性は、薄く微笑みながら月の地下から歩き去っていった。