「地球統一政府」による混乱がようやく収まりを見せつつあった宇宙暦805年4月1日、新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの死が公表された。
「地球統一政府」に恭順したように見せて、銀河保安機構に彼らの重要情報を流し、それに気づかれて殺害されたというのが公式の発表だった。
隠された情報はあるが、概ね事実の通りではあった。
初代主席の葬儀は新銀河連邦主宰で執り行われた。
銀河四国の協議により二代目主席にはフェザーン自治国主ルパート・ケッセルリンクが就任することとなった。
事前に了解されていた既定路線であり、その予定が早まった形である。
フェザーン自治国主には補佐官を務めていたワレンコフが就任した。
トリューニヒト前主席の秘書官だったリリー・シンプソンは暫定的にケッセルリンクの秘書官を務めることになった。
〈蛇〉による混乱を招いたことに対するユリアンの処分も決定された。
銀河保安機構が情報を伝えるのが遅くなったことが一因であったが、組織の代表者として銀河規模の混乱を生じさせた責任を取る必要はあった。
ユリアンは地球自治区長を退任し、地球財団総書記から総書記代理に降格となった。
後任は地球自治区長をネグロポンティ、地球財団総書記をアイランズが務めた。
しかしながらいずれも力量不足は自他共に認めるところであり、ユリアンが重要な指示を出す状況に変化はなかった。
ユリアンの処分の軽さに対して反対の声はそれほど大きくはなかった。「地球統一政府」による被害の方が遥かに大きく、人々の関心事となっていたからである。
銀河各国の首脳は他のことに頭を悩ませていた。トリューニヒトとレディ・S、上帝の情報を知らされ、その対応を考える必要があったからである。
事は一国で対処できる問題ではないと各国首脳はすぐに判断せざるを得なかった。
上帝への対応方法は、各国から選抜された者達で極秘に話し合われることになった。その中にはユリアンやマルガレータも含まれていた。
ヤン・ウェンリーも一連の混乱を防げなかった責任を取って辞めようとしたが、周囲の反対の声が大きく、結局果たせなかった。
各国首脳からすればここで引退などとんでもない話だった。
オーベルシュタインは怪我の後遺症が酷く、長期療養に入ることになった。
人類未踏領域開拓地の人々は、派遣されたアッンボローの艦隊によってその無事が確認された。既に未踏領域の〈蛇〉達は何処かに去った後だった。
既知領域の〈蛇〉はその殆どが駆逐された。一部天体で〈蛇〉が増殖を続けていることも確認されたが、ひとまずは監視するに留めることになった。
問題は〈蛇〉と融合していた人々だった。彼らの一部は〈蛇〉を人類を導く者と考え、崇拝の対象とするようになっていた。
信教の自由は基本的にいずれの国、領域でも認められるところではあった。彼らは拝蛇教徒と呼ばれるようになった。
宇宙暦805年10月、当初の予定より遅れながらも、ユリアンはマルガレータ、カーテローゼ、エリザベート、サビーネの四人と結婚した。
翌宇宙暦806年1月、新銀河連邦の下での銀河四国の統合を段階的に進めるとの発表があった。最終的には四国の枠組みは維持したまま軍や警察機構、いくつかの行政機構の統合が行われる予定であった。
各国首脳がそのことに合意した裏には上帝という絶望的な脅威の存在があった。この時点でもまだ一般人民はそのことを知らされていなかったが。
宇宙暦806年3月、未踏領域において人類以外の知的種族と接触したとの報告があった。
有翼のその知的種族は、人類に既視感と嫌悪感を同時に生じさせる外見をしていた。多くの宗教が廃れても、「悪の象徴」のイメージはこの時代にまで伝わっていた。
彼らの名は人類は発音不能であり通称名が必要だったが、とはいえ、誰もが思いつくその名で呼ぶのは憚られた。
彼らには無難な「鳥」という通称が与えられた。一般には内密であったが、それはレディ・Sやサクマが用いていた通称であった。
新銀河連邦は彼らが敵対的な種族であり、万一の事態の為に軍備増強を進めると発表した。
実際には彼らは完全に友好的とまでは言えないまでも、人類と利害調整を行うことが可能な種族であった。それでも敢えて敵対的という発表を行なったのは、上帝の侵略を見据えて防備を整える建前をつくるためだった。〈鳥〉も上帝の情報を知った上で了解していた。
別の歴史でレディ・Sは彼らと交渉したことがあり、その経験を活かす形で話はスムーズにまとまった。
表向きは〈鳥〉に対して、実際は上帝に対しての防衛力の拡充が進められた。
それがたとえ焼け石に水であったとしても。
宇宙暦810年、ユリアン・フォン・ミンツが地球財団総書記兼地球自治区長に復帰した。また、あわせて銀河保安機構長官補佐に任じられた。オーベルシュタインの後任だった。
不安に思う者もいたが、歓迎する者の方がより多かった。この数年ユリアンが銀河に混乱を招いたことはなかったし、与えられた職責を全うする人物であることは皆が以前から認めるところだったからである。むしろ、大方の人間は彼が見かけ上自由な立場に置かれたままで再び謀反気を持つことを不安視していたのだ。
同時にヤン・ウェンリーが保安機構長官の職を退任した。後任はナイトハルト・ミュラーだった。
ミュラーはユリアン、アッンボロー、その他各国から選抜された者達と共に対上帝の防衛計画を秘密裏に詰めていった。
人類の歴史から数々の絶望的な戦いや国家総力戦、末期戦の情報が掘り起こされ、参考にされた。
ペルシア戦争、モンゴル帝国に対する諸民族の抵抗、オスマン・東ローマ戦争、七年戦争、明清戦争、インディアン戦争、ボーア戦争、第一次地球大戦、第二次地球大戦、北方再編戦争、地球統一戦争、そして、シリウス戦役……
絶望的な戦いの果てに殆どの国が滅びたことを知りながらも。
引退したヤンもこの試みに参加した。ヤンはこの試みに場違いなほど嬉々としているように見えた。あたかも祭の準備でもしているかのように。
事実、祭だったのかもしれない。人類という存在のすべてを賭した……
ユリアンは後に思った。上帝という絶望が迫り、極秘の仕事で多忙を極めていたものの、この頃が幸せのひとかけらが存在した最後の日々だったのではないかと。
宇宙暦815年。
この年、エルウィン・ヨーゼフが釈放された。10年以上の収容所生活にも関わらず、彼は立派な偉丈夫に成長していた。
エルウィン・ヨーゼフはライアルとフレデリカ夫妻の養子となり、名前をエルウィン・ヨーゼフ・アッシュビーと改めることになった。
同年、収容所においてレムシャイド侯が死んだ。エルウィン・ヨーゼフが釈放されて安心したかのように。
宇宙暦818年。
この年、ヤン・ウェンリーが死んだ。
型破りな英雄の突然の死を銀河の多くの人が悼んだ。
奇しくも息子テオの年齢は16歳、ヤンが父親を亡くした時と同じだった。違うのは母親が存命であったこと、他にも頼れる者達がいたことである。
ヤンは死ぬ前に「この銀河のことはユリアンに任せた」と言っていたという。
ユリアンは以降テオ・フォン・ラウエに対し父親の代わりのように接することになる。
この年には他にも前連合盟主クラインゲルト伯と元同盟議長サンフォードが死んでいた。人々は何らかの時代の節目を感じざるを得なかった。
宇宙暦820年、新銀河連邦は来るべき破局と、世界破壊者たる上帝の情報を一般人民に公開した。
パニックが起こり、自暴自棄な行動に出た者も多かったが、高齢の者を中心に冷静に受け止めた人々も意外に多かった。
政府の動き、軍の動き、新銀河連邦の動き、各所で容易ならぬ雰囲気というものを感じ取っていたためである。かつての終わりなき戦争の時代と同様に。
しかしながら上向き始めていた出生率は再び減少に転じた。宗教を信じる人々の数は増加した。それらは人々の絶望を示すものだったと言えるだろう。
以降、水面下で準備されていた対破局、対上帝の計画が急速に進められていくことになった。
一連の計画にマルガレータも深く関わっていた。
マルガレータはオリオン連邦帝国軍に移籍し、大将となっていた。
マルガレータを右腕として期待するオリオン王ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの後押しがあったことも否定はできないが、彼女自身の才幹によるところが大きかった。
彼女は軍組織の銀河保安機構への統合に合わせて上級大将に昇進し、対上帝防衛計画を指導する立場となった。
軍だけでなく、社会全体が対破局、対上帝のために急速に作り変えられていった。
多数の星系が事前に放棄され、人々は疎開し、社会機能は特定の星系に集約されることになった。
戦争の記憶を持った世代が未だ社会の多数派を占めていたからこそ出来たことでもあった。
15年が経過した。
宇宙暦835年、破局がやって来た。
人類は超光速航法を含めた三大技術を喪失した。