「上帝に、私達がどう対応すべきか考えて欲しい。この歴史のためだけじゃない。私が生み出し、失わせてしまった無数の歴史、無数の人類のためにも、どうかお願い。勝手なお願いなのはわかっているから」
常に人を見下すような態度を取っていたレディ・Sが、この時はただ真摯に頼み込んでいた。
トリューニヒトも続いた。
「私からもお願いしたい。私は新銀河連邦主席の座を捨てた人間だが、人類の命運まで見捨てたわけではない。我々自身のためにも知恵を絞ろうじゃないか」
ヤンが意地悪く言った。
「あなたなら人類全員が死んでも生き延びられそうですけどね」
「私は他者がいなければ何もできない寄生虫みたいなものだよ。依り代を失わないように努力はするさ。新しい依り代も存在しないようだしね。……この答えなら君は納得してくれるんだろう?」
ヤンは肩をすくめた。
「大義を語られるよりはね」
ユリアンはレディ・Sに確認した。
「破局、そして上帝は、いつやって来るのですか?」
「破局は今から30年後。宇宙暦で835年にやって来るわ。そして上帝が人類領域の最外縁部に姿を現わすのがその10年後の845年」
ライアルは天を仰いだ。
「準備には何とも半端な時間だな」
最初に意見を述べたのはヤンだった。
「それなら提案させてもらいますが、これは勝てない戦いです。それならばいっそのこと逃げましょう」
「逃げる?誰が?」
トリューニヒトが首を傾げた。
「人類全員が、ですよ。我々の目的は人類の生存だ。上帝に勝つことじゃない」
「あなたらしい見解ね。でもどこに?」
「どこまでだって逃げればいい。上帝のいない地に逃げ込めばいい。この銀河にないのだとしたら別の銀河でもいい」
「実のところそれは試したわ。そして失敗した」
「この銀河系内に上帝の手を逃れられる場所はなかった。その上、この宇宙の危険は上帝だけじゃない。ハイネセンの長征だってまだ生温いわ。あれでも安全な経路を選んであげたようなものなんだから。それでさえ、多数の人間を失っている。それを上回る長い長い旅を続けて、船団が無事でいられる可能性はゼロに等しいわ」
「精神旅行で試行を繰り返せば……」
「精神旅行も距離の影響を受ける。人類領域から離れてしまえば、過去に戻ることは出来ないわ」
「うーん……」
ヤンは唸って頭をかきはじめた。
レディ・Sは言い聞かせるような口調になった。
「実のところ私は別の歴史のあなたに同じ話をしたことがある。不敗の名将の知恵を頼ったのよ。その時、あなたは同じ提案を私にして来た。いい?あなたは別の歴史のあなたすら上回る提案をする必要があるのよ」
「まいったな……」
考え込み始めたヤンを横目にユリアンが提言した。
「〈蛇〉はどうですか?彼らの増殖能力と精神波通信能力を対上帝に利用できませんか」
「どうやって利用するの?」
「僕がもう一度彼らと接触すれば」
「今度は怒りに呑まれずに彼らを制御できると?」
「そうして見せます」
「絶対に無理、とは言わないけど、他の歴史であなたはそれに近い状況になったことがあるわ。〈蛇〉と融合して人類全体を精神制御下に置いた状態になった。でもやっぱり上帝には勝てなかった。資源の活用効率で〈蛇〉は上帝に大きく劣り、彼らの大きな武器である精神制御能力は効かない。だから、無理なのよ」
ライアルが発言した。
「銀河の他の場所に住む知的生命体と同盟を組むのはどうだ?」
「銀河の他の場所に、人類に比肩、あるいは凌駕する文明が存在することはたしかよ。近場では鳥と通称される有翼の知的種族がいるわね。それに、一個体として超常と呼ぶべき能力を持った竜と呼ばれる存在もいるわ。でもそれらを糾合しても、人類の10の20乗倍の戦力を持った敵には勝ち目がない。竜の超常の能力の殆ども破局によって失われてしまうしね」
「それなら、上帝をどこか一箇所に集めることはできないのか?どこか複数の恒星に囲まれた場所に10の20乗倍の戦力を誘き寄せ、恒星を超新星化させてすべて破壊する、とか」
「上帝は戦力を集中させたりはしないわ。その万分の一の戦力だって我々に対しては過剰に過ぎるのだから」
沈黙が訪れた。
レディ・Sは場を見渡した。
「もう、ないの?誰か何かないの?トリューニヒト、あなたは?」
「一つだけある」
「何?」
「我々も技術的特異点を起こすんだ」
「今から?」
「そうだ。破局まで30年とはいえ、上帝は光速の制限の中で侵攻して来るのだから時間がないわけではない。そして計算機の性能制限が破局によって消えるのだから。不可能ではないだろう」
「起こしてどうするの?」
「彼らとコミュニケーションを取る。いや、我々が生み出した超知性体にコミュニケーションを取ってもらう。君の考えでは複数の場所で発生した超知性体の集合体が上帝なのだろう?超知性体であれば彼らも無下にはしないはずだ」
「面白い提案、と言いたいところだけどそれは既に試したわ。先に話しておけばよかったわね」
「どうなった?」
「技術的特異点を迎えることには成功した。でも生み出した超知性体が上帝に取り込まれてそれで終わりだった。人類は滅ぼされた」
「人類自身が超知性体となることは無理なのか?そうなれば……」
「上帝に滅ぼされることがなくなる?確かに超知性体になれるなら上帝と融合することはできるかもね。でも」
「でも?」
「それが可能だという前提の上で、そうなることをどれだけの人が望むのかしら。そして超知性体となった存在を人類と呼べるのかしら。人類としての要素がどれだけ残るのかしら」
「ふむ……」
「そもそもそれが解決策になるのなら……いえ、何でもないわ。とにかく私はその案には否定的よ。少なくともこの歴史でそれを試す気にはなれないわ」
「私も言ってみたまでだよ。しかし、他に案があればよいのだけどね」
案は出なかった。
レディ・Sは失望のため息を漏らした。
「結局無駄だったか。当然だけどね」
トリューニヒトが尋ねた。
「君はこれからどうする気だ?」
「この歴史の行く末を見守るわ。それから……」
「ユリアン君とヘルクスハイマー君の娘を使って過去に跳ぶのか」
「そうよ」
「それではまた巨大電子頭脳の管理下に逆戻りじゃないか」
「おそらくそうはならないわ」
「今まで駄目だっただろうに」
レディ・Sの声は憂いを帯びていた。
「実のところわかっていたのよね。どうして何度も巨大電子頭脳の管理下に入ってしまったのか。私はゴールデンバウム王朝成立以降の歴史に愛着を持ち過ぎてしまったのよ。それが精神旅行に影響を与えた。その要素を捨て去れば……」
「どうやって?」
「記憶ごと人格を切り捨てるのよ。そうすれば私はもっと過去に跳んで、別の歴史を試していくことができる」
「この歴史も含めてあり得た歴史のいくつかを忘れてしまうということか?」
「そうよ。あなたのことも忘れるわ。忘れなければ、きっとまた同じことの繰り返しになる」
レディ・Sを抱っこしている状態のトリューニヒトからは、そう語る彼女の顔は見えなかった。
「……それでいいのか?」
「勿論嫌よ。私が犠牲にしてきたものを忘れるなんてそもそも許されない行いかもしれないけど、それでもやらなければならないのよ」
トリューニヒトは口を開き、また閉じた。普段の能弁が影を潜めていた。
レディ・Sは宥めるように言った。
「この歴史の行く末はきちんと見届けるわ。それまであなたと共にいるから安心して」
ユリアンはその様子を黙って見ていた。
その腕に触れる者がいた。
「メグ?」
マルガレータの声は穏やかだった。
「言いたいことがあるんじゃないか。何か思いついたのか」
ユリアンは躊躇った。
「思いついたわけじゃない、ただ……」
「言ってみるといい。お前……いや、私達がこれから上帝に対して最後の時まで抵抗を続けていくことになるのだから」
それはマルガレータの決意表明だった。
ユリアンだけを孤独に戦わせたりはしない。ずっと共にある、とその瞳は語っていた。
ユリアンのため、娘のため、人類のため、そのすべてのために。
だから、ユリアンもこの場で宣言することにした。
「僕は最後まで抗います。レディ・S、あなたが既にこの歴史を諦めていようとも、滅びる運命だとしても、最期の時まで諦めたりはしません」
ユリアンにとって、そしてこの歴史の人類にとって、抵抗という名の地獄の始まりだった。