「私は歴史への干渉と同時に
「対策を立てられるようになった?」
「いいえ。正直絶望したわ」
ライアル・アッシュビーが口を挟んだ。
「絶望?一つ確認だが、敵はタイムワープや精神旅行を使えないんだろう?……そうだよな?」
「彼らが時間遡行した形跡はないし、おそらくできないはずよ」
「それなら何を絶望する必要があるんだ?お前さんには過去に戻るという、反則的な手段があるじゃないか」
「そう。それが私の、そして人類の、上帝に対する唯一の優位点なのだけど」
「上帝の本拠地を調べて先行して陥とす。恒星破壊砲でも何でも使ったらいい。あるいは、敵の戦略、戦術を知った上で、精神旅行で一度過去に戻り、歴史をやり直して、最適と思われる行動を試す。それを繰り返せばいい。常人には耐えられないだろうが、お前さんならできるんだろう?」
ライアルは情報の価値を知悉しており、その認識に基づいた提案であり、疑問だった。
レディ・Sは溜息をついた。
「常識的な提案をするのね。ライアル・アッシュビー」
ライアルは多少の憤りを覚えた。
「しかし、有効なはずだ」
「まず第一に、敵の本拠地というものはないわ。本当はあるのかもしれないけれど、敵の機能は完全に分散している。そして、第二の提案だけど、あなたならそれでどれだけの戦力差をひっくり返せるの?10倍?そういえばヤン・ウェンリーは別の歴史で10倍近い敵と互角に戦っていたわね。あなたなら100倍はいける?」
ライアルは愕然とした。
「まさか、敵は1000倍以上だとでも言うのか?」
「我々が用意できる戦力が戦闘艦艇百万隻だとしたら、その、少なくとも10の17乗倍、おそらくは10の20乗倍以上よ」
ライアルの返事は一拍遅れた。
「は?」
「10の20乗倍。イースタン式だと、1
「馬鹿な、いや、しかし……」
ライアルは沈黙した。
レディ・Sは、ヤンに尋ねた。
「あなたは1垓倍の敵に勝てる?」
不敗の名将は首を横に振った。
「勝てない。話は戦略、戦術の枠を超えている。もはや、どう負けるか、負けた上で人類が生き延びる方策を考えるべきだ。先方に我々を生き残らせる気があれば、だが」
戦う前から敗北を認めるその発言は皆の心に重くのしかかった。
レディ・Sも落胆したようだった。
「やっぱりこの世界でもあなたはそう答えるのね。上帝は、我々を皆殺しにするし、それをやめさせようにもコミュニケーションがとれない。降伏は無理よ」
ユリアンが発言した。その顔色は悪かった。
「まだ、敵の正体を聞いていません。話はそれからではないですか?」
レディ・Sはそれを聞き、急に話題を変えた。
「人類の領域を取り囲むように存在する、ワープ不能宙域、あるいは航行不能宙域と呼ばれる場所があるわね。でも人類はその正体を理解していない。でしょう?ユリアン」
「ええ、何しろワープ不能ですから。調査しようと思ったら膨大な時間とコストがかかりますからね。それが何か?」
「上帝はそこからやって来た」
「まさか!?」
それはこの時代の常識外の話だった。
「航行不能宙域と一括りにしているけど、実のところそれには複数の種類があるわ。単純に、大質量の恒星がひしめき合っていてワープには危険な宙域もそう呼ばれるけど、私が話したいのは空間としてそもそもワープが不可能な宙域のことよ」
理由は不明ながらもワープが不可能な宙域というものは確かに存在していた。
「法則的にワープ不能な宙域と我々の通常宙域の境界には、殆どの場合高密度のエネルギー溜まりが壁のように存在しているから光速航行の艦艇でも調査は難しかった」
多くの者はイゼルローン回廊、フェザーン回廊を覆っているエネルギーの壁を思い出した。
「それでも不可能というわけではなかった。多数の歴史を繰り返す中で試行錯誤の末に私は協力者を得て、ワープ不能宙域用の探査機を構築したわ。一方通行ながら高密度のエネルギーの壁を踏破できる探査機をね。上帝がやって来た方向にはワープ不能宙域があったから何かしら関係があると思って。そして光速の制限下で数十年、数百年かけて情報を収集したのよ」
「何を発見したんですか?」
「宙域に無数に蠢く機械の群れを。上帝の軍は機械よ。そこに我々のような形態の生命が発見されなかった。念のためにいうとストーンのような鉱物生命もね」
皆、黙ってレディ・Sの話を聞いていた。
「私達は複数の歴史で、複数の宙域に探査機を飛ばした。その全てに上帝の機械群を発見した。先ほどの1垓倍というのは機械群の密度に基づく推定値よ」
沈黙を破ったのはマルガレータだった。
「レディ・S、念のため確認させて欲しい」
「何?」
「あなたの言を皆、事実として受け取っているようだから。私もあなたが嘘をついているとは思っていない。しかし、三大技術が使用不可能となり、1垓倍の敵がやって来るというのはあまりに荒唐無稽な話だ。
一方で今から裏付けを取るにもワープ不能となればすぐには無理だ。あなたの言葉だけではなく、何か客観的な証拠はないのか?」
「ありがとう。マルガレータ。いつ尋ねてくれるのかと思っていたわ。敵だった私の言葉だけじゃ判断できないだろうから、ちゃんと用意しているわ。そうよね、フレデリカ?」
皆の視線がフレデリカに集中した。
「ええ。私とライアルは六十年前にレディ・Sから探査機の設計図を受け取っていました。そして彼女の依頼に基づいて、この時代に光速航行で帰還する前に探査機をワープ不能宙域に飛ばしました。探査機はワープ不能宙域内部に10光年ほど進入した地点で消息を絶ちましたが、直前に光速通信で映像を送って来ました」
映っていたのは無数にひしめき合う機械の群れだった。
レディ・Sの言葉の通りだった。
皆、信じざるを得なかった。
上帝と、人類に待ち受ける運命の存在を。
突然、ユリアンが胸を抑えて倒れ込んだ。
マルガレータが駆け寄った。
「ユリアン!?」
ユリアンは答えられる状態になかった。
手足を失っていて自分で動けないレディ・Sは、トリューニヒトに自分を持ち上げさせて、ユリアンとマルガレータの前に来た。
「ユリアンの顔を上げさせて。マルガレータ、ごめんなさいね。手があればよかったのだけど」
レディ・Sはユリアンと自らの額を接触させた。
マルガレータは顔が引き攣りかけたが、何とか我慢した。
そのうちに、ユリアンの脈拍や呼吸が落ち着いてきた。
「もう大丈夫ね。ヨブ、離していいわ」
マルガレータはユリアンに尋ねた。
「大丈夫か?」
「もう大丈夫だよ」
顔はまだ青白かったが、返事はしっかりしていた。
マルガレータはレディ・Sに胡乱な目を向けた。
「レディ・S、何をやったんだ?」
「微弱な精神波を流したのよ。洗脳ではないから安心して」
レディ・Sはユリアンに対して笑みを向けた。慈愛に満ちた、と表現できるような笑みだった。
「さっきからずっと苦しさを我慢していたのね。今日だけのことじゃない。あなた、前から時折感じていたんでしょう。何処かで誰かが人類の運命を握っている、と」
それは、まさしくユリアンが感じていたことを言い当てていた。ユリアンはその感覚と同時に無性に焦りや怒りが湧いて来るのだった。ユリアンはこれまでそれをその時々の敵対者に対しての怒りだと認識していたのだが。
「レディ・S、あなたはこの感覚の正体を知っているんですか?」
「ええ。それは上帝の記憶に由来するものよ」
「記憶?僕の記憶に何故、上帝が関係するんですか?」
「未来の記憶というべきね。人は宇宙に出ても内宇宙である自らの精神のことを理解していない。人は誰しもあり得た歴史の記憶を僅かながらに持ち得る。ここにいる何人かは心当たりがあるわよね」
フレデリカとヤンは、特に覚えがあった。
「それは過去だけの話ではないの。未来、それに、あり得た未来の記憶までも、人の精神は感じ取ってしまう。殆どの人は意識すらできないレベルだけど。でも、そこのマシュンゴと、ユリアンは特別ね」
「マシュンゴは、どこかの歴史における未来の誰かの記憶を持っているようね。終末において私と会った記憶を」
「そうだったのですか……」
マシュンゴは、自らの人生を縛っていた幻視の正体を初めて知ることになった。
「僕は……?」
ユリアンの問いかけにもレディ・Sは答えた。
「多くの歴史で、人類は
「僕がですか!?」
「ええ、あなたよ。世界破壊者たる上帝に対して、人々は多くの歴史で、希望を込めてあなたのことをこう呼んだ。
「……」
「それでも、あなたは最後の瞬間まで人類の希望であり続けた。でもそれはあなたの精神に多大な負担を強いた。あり得た多数の未来の記憶が多重の残響となって、今のあなたの精神を苛んでいるのよ。……多分これから更にその感覚は頻度を増して発作のようにあなたを襲うわ」
レディ・Sの話が正しいのだとすれば、ユリアンの人生はずっと上帝に振り回されて来たことになる。
黙ってしまったユリアンだったが、その手をそっと握る者がいた。マルガレータだった。ユリアンを見つめるその瞳には、ユリアンを支えるという強い意志が垣間見えた。
レディ・Sの話は続いていた。
「それから、この銀河の人々があなたに向ける過剰とも言える期待と警戒。これにも、未来の記憶の影響があるわ」
それもユリアンには覚えのあることだった。他者からの大きな期待は、必要とされることに飢えていたこれまでのユリアンにとっては生きるために不可欠のものでもあった。
「あなたは、未来において人類の抵抗の象徴だった。しかし、それは滅びのイメージと共にあるということでもある。人々は無意識のうちにその両方を感じ取っていて、あなたに対して期待し、一方で警戒しているのよ」
「……そうだったのですね」
俄かには信じ難かったが、それによってユリアンが感じていたことの多くが説明がつくことも確かだった。
「まあ、上帝の出現前からあなたは何らかの勢力の指導者となっていることが多かったから、その時の味方からの期待と敵からの警戒も反映されているかもしれないけどね」
マルガレータが別の問いかけを行なった。
「あなたとユリアンの関係は?」
レディ・Sは首を傾げた。
「関係?」
「あなたはユリアンに何らかの感情を抱いている。それが何かまではわからないが、容姿も含めてユリアンと何らかの関係があるのは確かだろう?」
「そうね。最早隠す必要もないか」
レディ・Sはユリアンの方に向き直った。
「私は多くの歴史であなたの抵抗運動に協力したわ。それだけではなくて、あなたの血縁には私の適合者が出現することが多かった。私はレディ・Sになる前に、あなたの娘だったこともあったし、あなたの孫だったことも、ひ孫だったこともある。そして、あなたの姉だったことも」
「姉だって?そんな馬鹿な」
ユリアンは自分に姉が居たなどということは聞いたことがなかった。天涯孤独のはずだった。
「この歴史ではそうね。でも、別の歴史ではあなたに姉がいたこともあった。殆どの場合は流産になってしまっていたけど、産まれて来ることのできた歴史もあった。あなたの姉は私の適合者だった」
「……」
レディ・Sは黙り込んだユリアンに微笑みかけた。
「血縁であるよりは関係が薄い歴史の方が遥かに多かったけど、それでも私はあなたを赤の他人だとは思えないでいる」
「どうして……」
ユリアンの方は理不尽な思いを口に出しそうになっていた。
「どうしてもっと早く会いに来てくれなかったのか、辛い時になぜ助けてくれなかったのか。そう思っているんでしょう?」
ユリアンは思案を言い当てられて動揺した。
「一度だけそうして見たことがあるわ。幼いあなたに、生き別れの姉だと言って近づいて。その結果がどうなったか想像してくれれば、今まで会うべきではなかった理由がわかるでしょう?」
ユリアンには想像がついた。姉だと主張する人物が現れたら自分はきっと疑いもせずに信じたし、依存していただろうと。弱いユリアンはレディ・Sの望むところではないのだ。
レディ・Sには使命があったし、あくまで姉の人格の一部を有しているに過ぎない。仮に姉であったとしても、もし姉に果たすべきことがあるなら、それを応援したいと思ったことだろう。
ユリアンは傍のマルガレータを見た。
ユリアンは割り切ることにした。そうできるだけのものをユリアンは既に得ていた。
「そうですね。すみません。取り乱しました」
レディ・Sが少し寂しそうに見えたのはマルガレータの気のせいだっただろうか。
レディ・Sはユリアンに一つ頷いて、話を戻した。