レディ・Sは、ゴールデンバウム朝銀河帝国成立後に干渉の時期を集中することにした。
巨大電子頭脳の支配下で可能な範囲では、これまで干渉で生み出した他の歴史よりもその歴史の方が、まだしも可能性があるように思えたからである。
レディ・Sは、時に自らの意思で、時に巨大電子頭脳からの指示で、様々な干渉を行なった。
例えば、流血帝アウグスト二世による帝国の混乱を最小限に留めるべく行動した。干渉前の歴史では、二億人もの犠牲者が発生し、長期的に帝国は混乱に見舞われるはずであったが、レディ・Sは止血帝エーリッヒ二世の出現を促し、犠牲者を六百万人に留めることに成功した。
巨大電子頭脳には、エーリッヒ二世への影響力獲得を目的と説明したが、実際は帝国の国力低下阻止が目的だった。
一方では、地球教団を隠れ蓑にしてアーレ・ハイネセンの脱出行を手助けした。
サジタリウス腕に、巨大電子頭脳の傀儡国家を構築するためである。
今回は地球統一政府と繋がりのある立場となったため、以前の試行のようにアルマリック・シムスンの力を借りることはできなかった。
ハイネセン一行のために造船工廠を用意する必要を生じた巨大電子頭脳は、レディ・Sに命じて仇敵たるシリウス星系にそのための秘密基地を構築した。
地球の仇敵たるシリウスの地であれば、銀河帝国がその存在に気づいたとしても容易には地球に辿り着くことはないだろうというのが巨大電子頭脳の考えである。また、地球教団の秘密基地という扱いにしており、巨大電子頭脳にとっては二重の隠れ蓑を設けていたことになる。
巨大電子頭脳から指示を受けた彼女は一時的に地球教団の所属となって実務を取り仕切ったが、この歴史でもシリウスにいるはずのアルマリック・シムスンに気づかれないよう、一方でアルマリック・シムスンの存在を巨大電子頭脳に知られないよう動くことに腐心した。
ユニークな存在であるアルマリック・シムスンの力が、先々において必要になる可能性があったからだが、同じアンドロイド体であり、別の歴史で交流のあった彼とは不必要に対立したくないという思いも僅かにはあった。
ハイネセンの長征には、地球教団の主教、司祭が同行した。教団の殆どの者は背後に隠れる巨大電子頭脳の存在を知らなかったが、彼らからの指示を受けた者も数名含まれていた。
この歴史においてもハイネセンはほぼ同じタイミングで事故死した。ハイネセンと共に死んだ者達の中に教団幹部が多数含まれていたことを彼女は後に知ることになった。
それが偶然でないとしたら、ハイネセンは自らの理想が汚されようとしていることを察し、自らの犠牲を前提に彼らの一掃を図ったのかもしれない。
真相はともかく、結果として自由惑星同盟は巨大電子頭脳が目論んだような宗教国家にはならなかった。
レディ・Sは帝位継承権保持者を使って帝国を乗っ取ることも試みた。新無憂宮の地下迷宮を彷徨っていたアルベルト大公を確保してその洗脳を行なった。
次に、29代皇帝ウィルヘルム二世を暗殺し、30代皇帝コルネリアス二世の即位後に、皇太后等邪魔な者達を排除した。
そして、コルネリアス二世が病に倒れ、後継者の不在に帝国が揺れたタイミングで、アルベルト大公を復帰させた。レディ・Sはアルベルト大公の侍女として同行した。
コルネリアス二世にアルベルト大公が弟であることを認めさせたことで、次の皇帝は彼に事実上決まった。
レディ・Sと巨大電子頭脳はアルベルト大公を傀儡にして帝国を支配できるはずであった。
しかし、アルベルト大公は帝位継承者の立場を利用して豪遊した後、何処かへと再度失踪した。
レディ・Sは過去に戻り再度歴史をやり直して失踪を阻止しようとしたが、どうしてもそれは叶わなかった。彼女にしろ誰にしろ、帝位継承者たる彼の行動を制限するには限度があり、最終的には逃げられてしまうのである。
帝国の現実を知り、帝位継承に嫌気がさしたのか。それとも最初から予定通りの行動だったのか。
彼に対しての洗脳の効果が薄かったことはレディ・Sも認めざるを得なかったが、アルベルト大公が結局何を考えていたかはわからずじまいだった。
そもそも、地下迷宮で確保した少年は本当にアルベルト大公本人であったのか?そのような疑問まで生じた。
レディ・Sや巨大電子頭脳すら、最初から手のひらの上で弄ぶつもりだったのか。
レディ・Sはアルベルト大公の方が上手だったとして、その試みを諦めざるを得なかった。
レディ・Sにとっては、ただの人間に上手を行かれることは新鮮な経験であり、繰り返す歴史の中でも何度もアルベルト大公の侍女となり、この事件を好んで経験するようになった。
巨大電子頭脳の指示によって、歴史の改変に繋がらないようなことを実施したこともあった。
例えばマンフレート二世の暗殺である。以前の歴史では地球教団に属する者が実施したことであったが、今回はレディ・Sが実行することになった。
レディ・Sは今までの試行も含めて歴史の動きに一定の収束性が存在することを認識していた。
殆どの干渉は、結局は歴史の流れに吸収され、大筋の歴史は変わらなかった。
一度は大きく乖離したように見える歴史も、最終的な到達点が同じになることもあった。
例えば、レディ・Sの干渉によって皇帝が別の人間になったこともあったが、その後の歴史は結局大筋で変わらなかった。
反乱の時期が変わったり、ある人物の存在しなくなったり、その逆となったこともあったが、結局は同様の歴史を辿った。
人類が上帝に滅ぼされることも、その例の一つと言えるのかもしれない。
レディ・Sは、このように考えたこともあった。
世界はあり得た歴史も含めて一つの計算機上の演算であり、計算資源を節約するために歴史の収束性が存在するのではないか。
とはいえ、証明できる話でもなく、無駄な考えだと、頭を切り替えることにした。
干渉によって大きく歴史が変化することも確かにあった。
レディ・Sはアンネローゼ・フォン・ミューゼルの代わりに寵姫として後宮に入り、フリードリヒ四世の死期を早めた。ラインハルトは幼年学校に入らず、二十歳で元帥となることはなかった。銀河帝国には早期に内乱が起こった。自由惑星同盟は、その歴史において存在したイゼルローン要塞を内乱のタイミングで陥落させ、帝国領に大挙してなだれ込んだ。
帝国は壊滅的な打撃を受け、領土の半分を自由惑星同盟に占領され、さらに残りを後継を主張する二人の女帝が治めることになった。
同盟は新領土の統治コストに耐えられず、サジタリウス腕の統治能力すら低下させた。
それでも、曲がりなりにも自由惑星同盟の覇権の元で、人類は破局と上帝の侵略を迎えることになったが、その結果は新銀河帝国におけるそれよりも酷いものとなった。
レディ・Sは、地球教による銀河統治も試みた。
帝国に希望を持たない皇帝、フリードリヒ四世に寵姫となって接触し、地球教による帝国の乗っ取りを認めさせた。
フリードリヒ四世の勅命により、地球教徒の艦隊が出現した。
直轄地の警備部隊に宇宙艦隊の一部艦隊を合わせた一個艦隊程度の集団である。
その司令官には上級大将に昇進したメルカッツが据えられた。
リヒテンラーデ侯は危うんだものの、多くの者は、皇帝の道楽と捉えた。
三年ほどの訓練期間を経て、その矛先は同盟ではなく、内部に向けられた。
ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの二大実力者を含む、複数の貴族が捕縛され、私領艦隊は地球教艦隊に降伏した。
地球教艦隊には、皇帝の近衛艦隊と地球教が月要塞に秘匿していた艦隊までもが合流しており、三個艦隊以上の規模に膨れ上がっていた。
貴族や軍人の一部は各地で反乱を起こしたが、既に大貴族が捕らえられており、連携を欠いたまま鎮圧されていった。
フリードリヒ四世は勅令で、反乱貴族の私有財産の没収と地球教の国教化を発表した。
ここに、神聖銀河帝国が誕生した。
この時期、イゼルローン回廊の要塞を堕としていた同盟は、帝国の状況を後期と判断し、帝国領侵攻を開始した。
しかし、帝国の混乱は収束に向かいつつあった。状況に戸惑っていたミュッケンベルガー司令長官も、同盟軍の侵攻の前にフリードリヒ四世の勅令に従うことを決意した。
帝国領深くまで入り込んだ同盟は壊滅的な打撃を受けて撤退した。
改善した財政と、サイオキシン麻薬によって死を恐れぬ軍隊によって神聖銀河帝国は自由惑星同盟に勝利した。
神聖銀河帝国は、人々に地球教で思想統制し、軍備の拡張を続け、上帝の侵略に備えた。
その時がやって来た。神聖銀河帝国は、一時的に持ちこたえたが、最終的には敗北を喫した。
サイオキシン麻薬に支配された軍隊は、複雑な戦術を駆使することは難しく、どうしても物量頼りとなる。
物量で遥かに勝る上帝に勝利することは無理な話だったのだ。
レディ・Sはそれでも何度も何度も試行を繰り返した。諦めることは許されなかった。
何度も何度も……
「ちょっといいかな?」
ヤン・ウェンリーが口を挟んだ。
他の者達はレディ・Sの物語に圧倒されていたが、急に現実に引き戻された形になった。
「何?」
「君の戦っている相手、上帝というものがわからない。我々とどれだけ隔絶した相手なんだ?」
「丁度いいタイミングね。この後の話をする前に上帝の正体についてお話しするわ」
レディ・Sは、上帝について語り始めた。
それは更なる絶望への入り口だった。