時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

83 / 105
81話 永遠の夜のなかで その4 機関のエージェント

 

 

レディ・Sが出現したのはシリウス戦役の初期だった。

地球統一政府宇宙軍が特殊作戦用に製造したアンドロイド数体の一体の電子頭脳の中にレディ・Sは出現していた。

事態を把握できないレディ・Sは、自らの正体を隠して他のアンドロイド同様に振る舞った。

 

アンドロイドに与えられていた任務は、反地球統一戦線への潜入工作だった。

 

エージェント888サクマに関する失敗への対策として、アンドロイドは感情を持たず、地球統一政府の機関からその挙動を通信で常に監視されていた。

しかし、電子頭脳に関しては一度解体して詳細に解析されない限りはブラックボックスであり、思考まで常時観測されているわけではなかった。

 

その任務の性格から、レディ・Sには地球統一政府の監視を逃れられるタイミングがあった。

その機を利用してレディ・Sは準備を行い、地球統一政府が敗北した混乱のタイミングで、事前に目星をつけていた適合者を使って精神旅行を敢行した。

その人物の同意を得ないまま、強行したことだったが、背に腹は代えられなかった。

 

精神旅行でレディ・Sが辿り着いたのは、またしても地球統一政府の管理下にあるアンドロイドだった。

 

何度繰り返しても、適合者を変えても、それは同じだった。

 

レディ・Sの跳躍先はそのアンドロイドに固定されてしまっていた。

その原因を解明できるほど時間と精神に関してレディ・Sの理解は及んでいなかった。

 

レディ・Sは事態を受け入れた。地球統一政府の管理の下で歴史改変を進めることにしたのだ。

 

多数回の試行の中で、地球統一政府及びその残党、その真の支配者である巨大電子頭脳の性質を見極め、ついに彼らに接触することにした。

レディ・Sは自らが未来からアンドロイドに転移した存在であること、上帝の脅威について巨大電子頭脳に情報を伝えた。

 

彼らははじめは半信半疑だったが、彼女が未来に起こる事象を正確に予知できることを確認した後は信じざるを得なかった。

 

レディ・Sはアンドロイドの記憶領域にブロックをかけ、自らの知識を交渉材料として、一定の裁量の確保に成功した。

 

その代わりにレディ・Sに求められたのは、地球統一政府、正確にはそれを操る者達が再び人類を支配できるようにすること。その上で上帝に対抗する手段を検討することだった。

地球統一政府を操る者達、つまり彼らの統合体である巨大電子頭脳は自ら動くつもりがなかった。

どうしようもない事態にならない限り、一定の方針を示した上で、実働は他の者に任せるのが彼らのやり方だった。

レディ・Sは、彼らの代行者、エージェントとなったのだった。

彼女はアンドロイド体を改変し、レディ・Sを構成することになった女性達の姿を重ね合わせたものとした。

偶然か、何らかの理由があるのか、適合者の多くは亜麻色の髪を持っていたため、アンドロイドにも同色の髪を持たせることにした。

 

 

自分達が人類を指導することを当然のこととして考え、犠牲となる者達のことを顧みない巨大電子頭脳は、レディ・Sにとって醜悪極まる存在だった。

とはいえ、人類生存のためにそれぞれの歴史の人々を犠牲にして来たレディ・Sに、彼らを批判する資格がないことは彼女自身がよくわかっていた。同族嫌悪。鏡のように、自らの醜悪な有り様を見せつけられることが苦痛だったのだ。

 

忍従の日々が始まった。

 

彼女は、試行の回ごとに、自らの正体を巨大電子頭脳に知らせる時期を変え、そのエージェントとしてその後の歴史に様々な形で干渉した。

 

最も早期の歴史改変は、地球統一政府を、シリウス戦役に勝たせることだった。

しかし、地球統一政府は元々衰退期にあり、戦争の負担でその衰退は早まってしまっていた。

地球統一政府は再度の反乱を防ぐために植民地星系への統制を強めた。

地球統一政府は、宗教として体系化が進んでいた地球への慕情、信仰をも統治に利用した。

 

……地球こそが生命の源流であり、宇宙の中心である。

人々よ天の頂きたる月に参集して仰ぎ見よ。

地球は我が故郷、地球を我が手に。

 

地球統一政府は宗教国家となった。人々は内向きになり、太陽系、地球を目指すようになった。

 

植民地星系のいくつかが無人となるに及んで、地球統一政府はついに植民地星系の段階的な放棄を決定した。

 

全ての人類を太陽系に戻す。現時点ですら人口の2/3を占める太陽系と地球こそが人類社会の中心であり、主要部である。

それだけが無事でさえあれば、人類の永続性と自分達の支配は保障される。それが地球統一政府の考えであり、決定だった。

地球統一政府、それを支配する巨大電子頭脳は太陽系に引きこもることで上帝をやり過ごすことに決めたのだった。

 

レディ・Sは兎も角も、この歴史の帰結を確認することにした。

 

破局が訪れた。

 

結果から言えば地球統一政府の考えは甘かった。

 

上帝は太陽系を見逃すことはなかった。

 

巨大電子頭脳は、人々を捨て置いて月に潜んでいたが無駄だった。

上帝は太陽系の惑星、衛生、各種天体、そのすべてを破壊し始めた。

 

巨大電子頭脳とて抵抗を試みたが、かつて彼らが持っていた特異な力の殆どは破局の訪れとともに失われていた。

彼らが怨嗟に満ちた雄叫びあるいは悲鳴をあげる中、レディ・Sは、確保していた適合者を使って過去に跳んだ。

 

次の試みとして、レディ・Sはタウンゼントを生き残らせることにした。

ラグラングループの他のメンバーを排除して指導者となったタウンゼントは極低周波ロケット弾で何者かに暗殺された。

彼女はそれを阻止した。

暗殺を実行しようとしたのは、かつて巨大電子頭脳の天敵であった者達の係累だった。

タウンゼントは汎人類評議会を汎人類統合体という名の統一政体に発展させた。

その上で統合体の本部となったシリウスに地球の資本を集中させて経済力による統治を進めた。

その中心となったのは巨大電子頭脳の息がかかった巨大企業群、ビッグシスターズだった。

汎人類統合体は、経済的に大きく発展し、その経済規模は地球時代を大きく凌駕した。しかしその中で貧富の差は拡大し、星系間でも格差が拡大した。

やがて、貧困を理由としたテロが続発するようになった。武力による弾圧はさらなる反発を招いた。

混乱が引き起こされた。

そのうちにかつて地球上で消え去ったはずの「幽霊」が復活した。

革命が起こった。

 

汎人類統合体は打ち倒された。集産主義、人民の真の幸福を標榜する汎人類集産体なるものが出現した。

その背後には巨大電子頭脳があった。巨大電子頭脳はタウンゼントがつくった汎人類統合体を見限り、より管理的な社会を革命によって出現させたのである。

 

レディ・Sは計画経済によって人類の生産力、技術力が持続的に向上していくことを期待した。

だが、彼女の期待は過去の多くの人と同様に裏切られた。

人々は計画通りに動かなかった。

課せられた生産ノルマを達成したように見せかけるために、数字は粉飾され、さらに計画は狂っていった。

経済は縮小し、終わりなき停滞が訪れた。

レディ・Sは溜息を一つ残して、再び過去に跳んだ。

 

レディ・Sは、次にカーレ・パルムグレンを生存させた。

巨大電子頭脳のエージェントの一人であったタウンゼントにレディ・Sは接触した。

名目はタウンゼントの監視と支援であったが、実際は違った。

レディ・Sはこの試行において自らの精神波技術を巨大電子頭脳に対して秘匿した。

レディ・Sは精神波を操ることができた。それは非常に微弱なものだったが、相手と物理的に接触すればその精神に影響を与えることができた。

タウンゼントは、自らに指示を出す者達に対して不満を持っていた。

レディ・Sはタウンゼントの愛人となり、その不満を増幅させ、反抗させ、自滅させた。

タウンゼントは、パルムグレンの暗殺を画策していたが、タウンゼントが先に死ぬことによって、パルムグレンは生存することができた。

 

程なくパルムグレンを指導者として汎人類同盟なる統一政体が出現した。

パルムグレンはその首都をシリウスではなく、地球からもシリウスからも遠方のアルデバラン星系のテオリアに置いた。

支配者が地球からシリウスに置き換わるだけではないのかという、各植民星系の不安を払拭したかったのだ。

かつてラグラングループが集まったプロセルピナに首都を、という声もあったが彼がその意見を採用することはなかった。

あえて人類領域の重心と離れた辺境と言うべき新興の星系に首都を置いたのは、人類の拡大と発展を目指していくというパルムグレンの意思表明でもあった。

 

巨大電子頭脳は、自らが支配している巨大企業連合群ビッグシスターズにパルムグレンへの協力を命じた。

性急な策は避け、時間をかけて汎人類連合を侵食し、乗っとる方針に切り替えたのだ。

 

ひとまずは全てが追い風となった。人類の黄金期が生まれた。

別の歴史における銀河連邦の繁栄が、百年早く実現された。

 

レディ・Sは発展の持続に期待した。

しかし、パルムグレンが死に、三百年程が経過した頃には汎人類同盟にも中世的停滞が訪れた。

汎人類同盟の民主政治は自浄能力を失った。技術の進歩は停滞した。辺境の開拓は止まり、多数の開拓地がそのまま放棄された。

 

レディ・Sは、この歴史におけるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに相当する人物の出現に期待した。

巨大電子頭脳にも独裁者を通じた人類社会の支配計画を提案し、認められた。

レディ・Sは、独裁者を生み出そうと干渉を行い、目星をつけた人材を後押しした。

 

しかし、実現しなかった。

独裁者たる資質を持つと思われた者は皆、政治家達に警戒され、政争の中で潰され、あるいは暗殺された。

汎人類同盟は、そのまま混乱期に突入し、ついには瓦解した。

人類領域は、多数の地方政権が割拠する状況に陥り、技術水準を緩やかに衰退させて行った。まさに暗黒時代と言うべきだった。

その中から新たな統一勢力が生まれる可能性はあったが、人類には時間が足りなかった。

人類は暗黒時代のまま、破局と上帝の侵略を迎え、そのまま滅んだ。

 

レディ・Sは過去に戻り、歴史を繰り返したが、何度試してもルドルフのような成功者は出現しなかった。

 

ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムという存在の特異性を認識させられることになった。

 

レディ・Sはパルムグレンの死後にタウンゼントを自滅させ、黒旗軍総司令官のフランクールに覇権を握らせることも試してみた。しかし、フランクールの教条的な反地球主義は、行き過ぎた親地球派狩りに結びつき、各植民地星系の反発を招いた。それを黒旗軍の力で抑えつけようとしたフランクールだったが、ラグラングループ最後の一人であるチャオに諭され、自らの行いが地球のそれと変わらぬことに気づかされた。

彼は失意のうちに引退するに至った。

混乱は収拾せず、黒旗軍は分裂し、植民地星系はそれぞれの道を歩み始めた。その混乱から統一政体が生み出されるには、百年よりも長い年月を必要としていた。

 

レディ・Sは、ついに自らが独裁者となって人類の発展を加速させる道を選ぶことにした。

 

カーレ・パルムグレンを生存させる歴史を採用し、出現した汎人類同盟において、未来知識と、永劫とも言える時を生きた経験、精神干渉能力を駆使して、レディ・Sはついに汎人類連合の頂点に登り詰め、ついにはあらゆる権力をその手のうちに収め、終身執政官となり、ついには神聖にして不可侵の女帝になりおおせた。

 

巨大電子頭脳の監視の下ではあったものの、レディ・Sは強権を振るい、人類の持つすべてを、軍事力の拡大に注ぎ込んだ。

来るべき上帝との戦いに備えて。

巨大軍事国家、汎人類帝国の出現だった。

 

レディ・Sは女帝として振舞った。

人々の多くは美しき独裁者に魅了された。

一部の者は反抗を企てたが、社会秩序維持局及び憲兵隊に弾圧された。共和主義者とされた人々は、辺境の惑星に追いやられ、奴隷的な労働に従事させられた。

別の歴史では、皇妃として人々を慈しんだこともある彼女だったが、この歴史ではその余裕はなかった。最終的に人類を滅亡から救うことだけを優先していた。

 

当時公称していた年齢が60を超えた時、彼女は禅譲を発表した。

相手は精神旅行、化学的記憶移植措置の適合者である女性であった。

レディ・Sは彼女に自らの記憶と人格を移し、次代の皇帝とした。それを何代も続けた。

 

これによって苛烈ながらも優れた統治が続くことになった。

 

途中、さらなる軍事力強化のために一部共和主義勢力をあえて見逃し、対抗勢力を築かせることも行なった。

出現した共和主義勢力の国家、「独立星系連合」と汎人類帝国の戦いは百年に及んだが、最終的には帝国の勝利に終わった。その後も残党は残った。帝国に必要な外敵として敢えて残したのである。汎人類帝国軍は彼らの鎮圧に力を尽くすことになった。

 

戦いの結果、帝国の軍事力はさらなる拡大を遂げた。将帥の能力を別とすれば、質量ともに別の歴史の新銀河帝国のそれを遥かに凌駕するものとなった。

 

レディ・Sは自らの分身である女帝に統治を続けさせながら銀河の状況を観察していた。彼女は、上帝に対抗し得るという手応えを感じ始めていた。はじめからこうしておけばよかったとさえ思った。

 

しかし……

彼女の帝国は終わりを迎えた。

 

当時の女帝の弟にあたる人物が簒奪を企てたのである。

彼は自らの姉が、別人格になっていることに気づいていた。

正確には以前の人格が消えたわけではなく、複数の人格が統合されただけなのだが、彼にとっては同じだった。

彼は友人とともに、軍人としての階梯を駆け上がり、若くして元帥にまで登り詰めた。

そして、元帥杖授与の場で、彼は自らの姉であるはずの女帝を捕縛し、帝位の簒奪を宣言した。

電撃的なクーデターであり、簒奪劇だった。

 

レディ・Sはこの事態を一旦静観することにした。簒奪者が、別の歴史におけるラインハルト・フォン・ローエングラムのように彼女の強大な帝国を引き継いでくれるなら、それも良しと考えたのだ。

 

彼女の期待は裏切られた。簒奪者は、能力に比して繊細な心の持ち主だった。姉を奪還した後、彼は姉の人格が元に戻らないことを知った。囚われの女帝が人格の一部として姉が生きていると主張しても、彼には慰めにならなかった。

彼は帝国の統治を放棄し、女帝を道連れに自殺した。

彼の友が後継者となったが、帝国は大小の反乱が続発するようになった。女帝が死んだ今となっては、力以外に後継たることを示すものはなかった。

巨大過ぎる軍事力が仇となり、地方軍閥が出現し、争いを始めた。

帝国は自壊し、後には文明レベルの低下した中世的な暗黒時代が訪れた。

 

レディ・Sは歴史を途中からやり直した。簒奪者となる者を途中で失脚させ、帝国を継続させた。しかし、その後には別の簒奪者が現れた。その簒奪者も結局帝国を維持できず、同様の状況が出現した。

レディ・Sは再び過去に戻り、第二の簒奪者を抹殺した。それでも再び簒奪者は現れ、帝国は自壊した。きりがなかった。

何度も試行を繰り返し、レディ・Sは自らの帝国に限界が来ていたことを悟らざるを得なかった。過剰な軍事力は内乱や簒奪の下地となってしまっていたのだ。

レディ・Sは、長期にわたって外敵もなく強大な軍事力を統一国家として保持し続けられた銀河帝国、それを作り上げたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと、その帝国を簒奪してさらに強大な国家として生まれ変わらせたラインハルト・フォン・ローエングラムの特異性を認識せざるを得なかった。

 

その後も試行を繰り返したが、すべて失敗に終わった。

 

レディ・Sの心は、かつて試した、ゴールデンバウム朝銀河帝国が生まれた歴史に再び向くことになった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。