時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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75話 もう地球人では…… その16 一度だけなら

話は約60年前の宇宙暦748年、大解放戦争に遡る。

 

ハードラックの艦上で銃撃されたライアル・アッシュビーが、意識を取り戻した時に見たのは白い天井だった。

 

頭も手足もろくに動かせず、自分の身体ではないようだった。

 

ライアルは思った。

アッシュビーはシャンタウで死ぬ運命のはずだ。だとしたらここは地獄か?それともヴァルハラというやつか?

 

時間の感覚もわからぬまま寝ていると、彼の顔を覗き込んで来た者がいた。一瞬、天使が迎えに来たのかとも錯覚したが、それはライアルの妻、フレデリカだった。

 

まさか、フレデリカは俺の後を追って?

 

そんな思いに囚われかけたライアルだったが、すぐに考えを改めた。

 

フレデリカは、そんなことをするぐらいなら俺を現世に引き戻す方法を考える女だ。

俺はまだ生きている。

はてさてどんな魔法を使ったのやら……

 

 

 

 

ヤン達がタイムワープした宇宙暦745年。その年の第二次ティアマト会戦で起きてしまった本物のブルース・アッシュビーの予期せぬ死。

ライアルは、歴史を変えないために残りの人生をブルース・アッシュビーとして生き、史実の通り、シャンタウの会戦で死ぬことを決意した。

 

フレデリカは、ライアルのその決意を聞いた後、ユリアンに相談を持ちかけていた。

ユリアンとフレデリカが第二次ティアマトからの帰路に話をしていた理由は、マルガレータとのデートの相談だけではなかったのだ。

 

ライアルが生きのびる道はないものか?

 

フレデリカの問いかけに対するユリアンの答えは、歴史を騙すことだった。

史実の通り、記録に残る形で彼がアッシュビーとして死んだ後に「死体」となった彼を回収して蘇生させることができれば、歴史を変えることなく、彼を生存させることができる。

それはフレデリカにはない発想だった。

とはいえ、具体策についてはユリアンも提示することができなかった。

 

フレデリカはヤンにも相談した。

ヤンも、ライアルの蘇生法については具体策を提供することはできなかったが、一方で復活後の現代への帰還法を教えることはできた。

ヤンは光速航行によるウラシマ効果を使って、短い時間経過で現代に帰還することをフレデリカに提案した。

 

ここまでがヤン達がフレデリカとライアルを残して現代に帰還するまでに起きたことであった。

 

宇宙暦746年に残ったフレデリカは、ユリアンやヤンが与えてくれたヒントを基に具体策を考えようとした。

例えば、アッシュビーを銃撃することになる兵士を特定し、その銃を非殺傷性のものとすり替えた上で泳がせて、ライアルの服に血糊を仕込み、その場では死んだことにするという案も考えた。しかし、ブルース・アッシュビーが致命傷を負ったことは艦橋の複数の人間がその場で確認したことに未来に残っていた記録上はなっており、露見するリスクが高かった。

それに、兵士が銃を入手した経路は未来においても判明していなかったから、すり替えに失敗するリスクもあった。

 

打つ手に困ったフレデリカの元を一人の人物が訪れた。

それが亜麻色の髪の女性、レディ・Sだった。

フレデリカは、レディ・Sの容姿にまず戸惑い、次に自身の正体を知っていることに警戒したが、結局は話を聞かざるを得なかった。

 

レディ・Sはフレデリカに、ライアル・アッシュビーを蘇生させるための具体策と、光速航行用に既存艦艇を改修するための設計図を与えた。

一方で、レディ・Sがフレデリカに求めたのは、宇宙暦805年の指定の期日に太陽系にライアルと共に戻ってくること、そこで行われているはずの戦いにおいて銀河保安機構側に味方すること、それともう一つだけだった。

 

レディ・Sの意図を訝しみつつも、フレデリカは取引に応じた。

愛する者を救えるのであれば宇宙が滅んでしまってもいい。フレデリカは、実のところそのような過激な考えの持ち主だった。

加えて、今回の取引は、レディ・Sの裏の意図はどうあれ、少なくともフレデリカや彼女の身近な存在にとって不利になるようなことはないはずだった。

そうなれば、断る選択肢はフレデリカにとって無いも同然だった。

 

 

レディ・Sがフレデリカに教えた蘇生法は禁忌技術である「脳移植」だった。

ある人物の脳を別の人物の身体に移植する試みは西暦時代、地球統一政府成立以前に既に成功していたと伝えられている。

しかし、問題はそれが禁忌であることと、他者の身体を用いることによる成功率の低さだった。

 

生命倫理などフレデリカにとってはライアルの命以上に重要ではなかったが、成功率の低さは問題だった。

レディ・Sはそれに関して情報部第四課が回収し、低温保存しているアッシュビークローンの死体を用いることを提案した。

色事目的で過去にやって来たアッシュビークローン。彼に対して音波を作用させて殺したのはレディ・Sだった。

その死体は、脳は死んでいたものの、それ以外の部位は殆ど無傷のままだった。多少の処置は必要だったが、「脳」さえ無事なものに入れ替えられるのならば「蘇生」することは可能な状態であった。

ライアル・アッシュビーが銃撃を受けるのは胸部のはずだった。

軍医に死亡を確認させた後に、脳をアッシュビークローンの死体に移植すればライアル・アッシュビーは生き返ることができる。しかも、自分自身の身体に移植するようなものであり、脳移植の成功率は格段に向上することが期待できた。

 

フレデリカはレディ・Sの名前を伏せ、「50年後の知識」として「脳移植」と「光速航行用艦艇の用意」をジークマイスターとローザスに提案し、同意を得た。医師も、四課が用意することとなった。

二人としても、できることならアッシュビーの死とそれによる喪失感を二度も味わいたくはなかったのである。

 

ライアル・アッシュビー本人が知らぬまま事は準備され、実行された。

銃撃されたライアルは、医療区画に運び込まれ四課の用意した医師によって事実通りに死亡を確認された。

その後、その医師によって遺体からライアルの脳は取り出された。

遺体には代わりにアッシュビークローン(色事師)の脳が入れられた。

ライアルの脳は、低温状態で四課の用意した別艦艇に急ぎ輸送され、そこでクローンの体に移植された。

このようにしてライアルは、ブルース・アッシュビーとして死に、ライアル・アッシュビーとして復活することになった。

 

 

ライアル・アッシュビーは寝たきりの状態でフレデリカから経緯を説明された。

 

ライアルは呂律の回らない口で答えた。

「黙っていたなんてひどいじゃないか」

 

フレデリカは平然と答えた。

「私を一人にしようとした罰よ」

 

ライアルはその回答にフレデリカの自分への怒りを感じ、慌てて話題を変えた。

「するとこれはあの見境なしの体なのか。変な病気に罹っていたりしないだろうな」

 

「それは検査済みよ。まあ、夫が色事師になったという事実は妻としては正直許せませんけど」

 

「俺のせいじゃないぞ!」

 

フレデリカからの返答はなかった。

代わりに、ライアルの顔に冷たいものが落ちてきた。

 

フレデリカの涙だった。

 

「フレデリカ?」

 

フレデリカは寝たままのライアルを抱きしめ、我慢していた感情を爆発させた。

「愛する人を、この歴史では黄泉の国から連れ戻してやったわ!死神がいるならざまあみろよ!誰が渡してやるもんですか!」

 

それが、別の歴史におけるヤンの死を踏まえての発言であることをライアルは理解していた。死ななくてよかった、フレデリカに未亡人にせずに済んでよかったと、心から思った。

 

「すまなかった、フレデリカ。ありがとう」

普段泣くことのない男が、この時は妻と共に涙を流していた。

 

 

ローザスは一度だけライアルの元に姿を現し、その無事を確認して僅かに救われた表情を見せた。

「約束は守る」

彼はそれだけを言い残して去って行った。

 

アルフレッド・ローザスは40年後、ヤン・ウェンリーがエルランゲンで英雄となったことを聞き及び、歴史が繋がっていたことを確認した後、自殺同然の死を遂げることになった。死に顔は安らかなものであったと、彼の孫娘が証言している。

 

 

その後二人は、用意された光速航行用艦艇、「オッドラック」に少数の協力者と共に搭乗し、六十年後に向けて出発した。

航行の途中で銀河帝国軍に発見され、攻撃されることを避けるため、オッドラックは彗星にカモフラージュすることになった。

 

そうして二人は、主観時間では数ヶ月、外部時間で六十年近い時をかけ、現代への帰還を果たしたのだった。

 

ユリアンは感慨深げに呟いた。

「ヤン長官はお二人が現代に戻ってくることまで提案していたんですね」

 

「ああ。だけど、成功したのかどうか、確信はなかった。何か手紙でも出して教えてくれればよかったのに」

ヤンのぼやきは、フレデリカも気にしていたことだった。

「ごめんなさい。このタイミングまで連絡を入れないことも、レディ・Sとの約束だったから」

 

「やれやれ、レディ・Sは、今回の戦いにおける隠し球として君達を用意したんだね」

ヤンにも、名将フランクールの電子頭脳の出現は予想外だった。

ライアル・アッシュビーの来援と奇襲がなければ勝敗もどうなっていたことか。

 

「それだけだったらよかったんだけどな」

 

「どういうことだい?」

 

ライアルは渋い顔をしていた。

「俺もすべて把握できているわけじゃないからな。レディ・Sとやらから説明があるんだろ?それでわかるさ」

 

レディ・Sとの話し合いにはライアルとフレデリカも同席することになった。

 

「ところで」

話が一段落したため、ユリアンは、先ほどから気になっていることを尋ねることにした。

「そろそろ、そこにいる仮面の……少年?彼のことを説明してもらえませんか」

 

部屋の端に、仮面を被った人物が座っていた。ライアルと同質の赤い髪を持っていたが、背は低く、まだ少年であると推察された。

ライアルとフレデリカが、話の前に連れて来ていたのである。

 

ライアルは渋い顔を維持したまま答えた。

立体TV(ソリビジョン)のキャプテン・アッシュビーでもいただろう?もう一人の730年マフィアという扱いで、キャプテンに憧れてついてくる小僧が。こいつはそれだ」

 

その仮面の人物は自ら訂正を入れた。

「そんな雑な紹介があるかよ。僕はあんたに憧れてもいないし」

 

それから歩いて行き、ユリアンの前に立って仮面を取り、手を差し出した。

仮面の下の顔は、ライアルによく似ていた。しかしそれよりも紅顔の美少年という表現が似つかわしい風貌だった。

変声期前なのだろう高い声が響いた。

「僕はラスト。ラスト・アッシュビー。アッシュビー・クローン、最後の一人さ」

 

ユリアンの表情から疑問を汲み取り、ラストは続けた。

「ライアルが成功したことで、僕達の年代を最後にクローン計画は中止された。最後のクローン集団で最優秀だった僕だけが処分を免れ、成長期の途中で冷凍睡眠処置を施されたんだ」

 

考えてみれば当然だった。

ライアル・アッシュビーの後にもクローンは順次つくられていたはずで、成人前のクローンがいてもおかしくはなかった。

 

ユリアンは出された手を握った。華奢に見えたが、握り返す力は強かった。

ラスト、Last。

同盟公用語では単に「最後」という意味だが、帝国公用語では「お荷物、厄介者」という意味である。そこまで考えて付けられた名前なのかどうかはわからないが、容易ならぬ人生を送ってきたことは確かである。

 

ライアルが面白くもなさそうな顔で補足した。

「ユリアン、こいつはお前さんに興味があるんだとよ。今のところあまり表立って連れて歩けないので、今回の機会に同席させたんだ。

 

ラストはユリアンの顔を無遠慮に眺めた。

「思っていたより、優男だね。以後お見知り置きを。僕はそのうち、あなたや、そこのヤン・ウェンリーを超える英雄になってみせるから」

 

ラストの挑戦的な発言は、ユリアンにはあまり響かなかった。

「英雄?僕なんて、キャプテン・アッシュビーだったら、世の中を乱す悪役の一人というところがせいぜいじゃないかな」

 

ユリアンの自嘲に対して、ラストは返答に困った。

 

ライアルは助け船を出した。

「ユリアンは自己評価が低いからな。世の中を乱すだけの力があるだけで、良かれ悪しかれ英雄と呼ばれる資格はある筈なんだが」

 

ラストは拍子抜けした様子だった。

「思っていたのとは大分違うなあ」

 

「おい、気をつけろよ。こいつを侮ると怪我どころじゃすまんぞ」

 

「わかっているよ。少なくとも侮れるほど今の僕に実力があるとは思っていないから」

 

 

フレデリカはその間にヤンと話をしていた。

「今回連れてきたのは、ヤン長官にはお知らせしておこうと思ったからでもあります。ブルース・アッシュビーの遠縁ということにして、我々の養子扱いにしようかと……」

 

ヤンは少しだけ考えて返事をした。

「クローンだなんてことは表に出せないか。かといって閉じ込めておくなんてことできないし、するつもりもないし。私からも関係各所に調整しておくよ」

ヤンはキャゼルヌに対応を投げるつもりだった。

 

「ありがとうございます」

 

「ああ、フレデリカ」

 

「はい」

 

「ライアルは私と違って甲斐性があったようだね。君のために生き返ってくれて本当によかった」

 

「あなたと違って自分の意志で死のうとした大馬鹿ですけどね」

言葉に反してフレデリカの笑顔が明るいものであったのを見て、ヤンは多少の寂しさと、それよりも大きな満足を抱いたのだった。

 

ひとまず話し合いは終わった。

 

この頃には各地で昏倒状態からの回復が進み、被害状況も判明していた。

健常者は、体力の消耗こそ激しかったが多くの者が無事であったが、高齢者、乳児、先天性代謝疾患の持ち主などに死者や重篤な障害が残る者が続出していた。

また、危険な作業に従事している途中に意識を失った者もおり、大きな事故に繋がって多数の死者を出した例も存在した。

最悪のケースでは核融合炉の暴走で、惑星の半分が吹き飛んだ事例すらあった。

 

未だ概算になるが、死者数は全銀河で3億人にも及んだ。

仮に地球統一政府が勝利していれば、死者と生者の数が逆転していただろうことを考えれば少ない被害と言えたのかもしれないが、死者とその関係者には無論そのような理屈は通じるものではなかった。

 

なお、不幸中の幸いで、銀河各国のユリアンやヤンの知人の多くは軽い怪我や栄養失調などのレベルで済んでいた。

 

ただ、同盟軍宇宙艦隊の前司令長官であるビュコック退役元帥は、今回の災厄の中で死亡していた。

高齢であったことがその原因の一つであったのだろうと推測された。

 

 

レディ・Sが今回のような事態を引き起こしてまで何をしようとしているのか。その説明が待たれたが、ひとまずは当面の対応が優先され、話し合いは数日後に設定されることになった。




脳移植は、田中芳樹初期短篇集所収の「白い顔」に出てきますね。
今回の初登場の最後のアッシュビー・クローン、ラスト・アッシュビー。彼の物語も実は考えているのですが、番外編扱い、あるいは書かない可能性も高いです。

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