トリューニヒトを慕うリリーに、悲しませるのを承知でその死を伝えなくてはならない。
トリューニヒトがアンドロイドとなったことは隠しつつ。
罪悪感を感じずにはいられない仕事だった。できることなら他の人に任せたかった。
しかし、ヤンの妙な誤解はともかくとして、これはトリューニヒトを助けるとリリーに約束しながら果たせなかった自分の義務だと、ユリアンは悩みながらもリリーの部屋に向かった。
自室にユリアンの訪問を受けたリリーは迷惑そうな顔をしていた。
「あなたとの間に妙な噂が立っていて困っています。それなのに部屋を訪ねて来るなんて…」」
「すみません、しかし内密の話がありまして」
リリーは察した。
「トリューニヒト先生のことですか?」
「そうです」
少しの逡巡の後、リリーはユリアンを部屋に招き入れた。
ユリアンは、トリューニヒトが死んだことをリリーに伝えた。
リリーは目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。
「いやだ。いやだ。トリューニヒト先生……いやだ。置いていかないで!!」
「リリーさん!?落ち着いてください!」
リリーは自分を心配そうに見つめている目の前の男の様子に急に怒りが湧いて来た。
……この男はトリューニヒト先生が死んだというのにどうして平然としているの?
私の苦しみを理解してくれる人だと思っていたのに。そうじゃなかったの?
一人は嫌だ。嫌だ。誰か……誰か……
ユリアンは再度呼びかけた。
「リリーさん!?」
ユリアンを見ているうちに、リリーの中に昏くドロリとした感情が生まれていた。
ああ。
そうだ。
この男をトリューニヒト先生の身代わりにしよう。
それでこの男が不幸になったとしても構いやしない。
私だって不幸なのだから。
この男が今苦しんでいないのならそれでもいい。
これから嫌でも一緒に苦しんでもらうから。
リリーはユリアンに近づき、その胸に顔をうずめた。
「何を!?」
驚くユリアンに、リリーは妙に落ち着いた声で囁いた。
「少しだけ、こうさせてください」
ユリアンはリリーの雰囲気に只ならぬものを感じたが、その悲しみを思うと拒絶できなかった。
ユリアンの胸を借りてリリーは泣いた。
ひとしきり泣いた後、リリーはユリアンの顔を見上げた。
普段のリリーとは別人のようだった。
その蠱惑的な瞳からユリアンは目を離せなくなった。
「あなたは私との約束を破ったんですね。先生を必ず助けると、そう約束したじゃないですか」
その言葉はユリアンの心に刺さった。
もし、アンドロイドとしてでもトリューニヒトがこの世に残っていてくれていなければ、刺さるどころではなかっただろう。
真実を知らないリリーの気持ちは、今のユリアンには察するに余りあるものだった。
「申し訳ありません」
ユリアンはそれしか言えなかった。
リリーはこの機を逃すつもりはなかった。
「責任を……取っていただけませんか?」
「責任?」
先程からユリアンの脳裏で警鐘が鳴り続けていた。
リリーは取り乱している。しかも真実を知らないままに……
ユリアンは状況と目の前の女性に圧倒され、どうすべきかわからなくなっていた。
「私を一人にした責任です」
ユリアンは後ずさった。
「どう取れば?」
リリーはユリアンが退がった分だけ前に出た。
「わかるでしょう?」
リリーの潤んだ瞳が、唇が、ユリアンの顔に近づいて行き……
ユリアンは土壇場でマルガレータの言葉を思い出した。
咄嗟にリリーを引き離し、早口に語った。
「リリーさん、トリューニヒトさんはまだこの世にいます!」
少しの沈黙の後、リリーは口を開いた。
「え……今なんて言いました?」
ユリアンは、独断でリリーに真実を打ち明けることにした。トリューニヒトの指示を必ずしも守る必要はないというマルガレータの助言がなければユリアンは決断できなかっただろう。
ユリアンの説明を聞いたリリーは頭を抱えた。
「死んだけど生きている?生きているけど死んでしまった。どう考えればいいの?」
「……」
先ほどまでの怪しげな雰囲気は消え去っていた。
リリーは顔を上げた。
「少なくとも、またトリューニヒト先生に会えるのですね」
「おそらくは……」
「わかりました。いえ、よくわかってはいないのですけど、あとは直接先生に訊きます」
「それがいいですね」
「……ミンツさん」
「はい」
リリーは言い淀んだ。幾分か冷静になった今では自分がとんでもないことをしようとしていたことに気づいていた。
「身勝手ですみませんが、先程までのことは忘れて頂けませんか」
ユリアンとしてもぜひそうして欲しかった。
「勿論です!そうしましょう!」
「ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんてそんな。僕も、裏の真実を知っていなければきっと同じでしたから」
リリーはユリアンをお人好しだと思った。そんな彼を利用しようとした自分を嫌悪した。
「もう私には関わらない方がいいですよ」
「いきなりどうしてそんなことを?」
「私、面倒な女ですから。今回のことで自分でもよくわかりました」
ユリアンは首をかしげた。
「面倒?どこがですか?そうは思いませんけど」
ユリアンは本気でそう思っている様子だった。
リリーはユリアンの周囲の女性達のことを考えた。色々と察するところがあった。
「ミンツさん、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます……?」
ユリアンは何らかの危機を回避した……はずだった。
しかし、結局面倒ごとは起きた。
ユリアンがリリーの部屋に入って長時間出てこなかったことが噂になった。巡り巡ってそれが婚約者達の耳に入り、ユリアンはその釈明に追われることになったのだった。
しかしそれはしばらく後のことである。
ユリアンが艦橋に戻るとそこにはライアル・アッシュビーとフレデリカがいた。
ビッテンフェルトとホーランドが地球系に到着し、それに合わせてライアル達もやって来たのだ。
「ライアルさん、フレデリカさん!」
ユリアンは再会を喜んだ。
「よお、ユリアン!待っていたぞ。俺たちがいない間に、またいろいろ騒動があったらしいな」
「久しぶりね、ユリアン」
ユリアンの見たところ、ライアル・アッシュビーは変わらず自信に満ちた面構えだったし、フレデリカも変わりなく綺麗だった。
「また会えてとても嬉しいです。まさかこんな形でとは思っていませんでしたけど」
ライアルは言葉を濁した。
「まあな」
ヤンが口を挟んだ。
「ユリアン、そんなに驚いていないみたいだね」
「驚いています。でも、ヤン提督と同じですよ。多分」
ヤンは納得した。
「そうか……その辺りのことは少し場所を変えて話そうか」
ユリアンとヤンは、臨時に設けられたヤンの執務室でライアルとフレデリカの話を聞くことになった。
「その前に、ちょっといい?ユリアン」
フレデリカがユリアンを呼び止めた。
「何でしょうか?フレデリカさん」
フレデリカは小声になった。
「胸元のシミ……どうにかした方がいいわよ」