シェーンコップ率いる陸戦隊は、月地下都市の入り口から進めない状態になっていた。
都市入り口から、光沢のあるチョコレート色の表面と触手を持った虫のようなものが無数に出現してきたのである。
外見はまるでゴキブリのようであったが、そのサイズは小さいものでもその5倍はあった。
宇宙仕様の装甲服に身を包んだ彼らは出てくる虫達を火炎放射器で焼き払っていたがキリがなかった。
陸戦隊員は手を休めず対処していたが、この状況に少なからず動揺していた。
「巨大頭脳とかいうやつは停止したんじゃなかったのか!?」
同行していたアルマリック・シムスンはシェーンコップに伝えた。
「このままでは誰も内部に行けません。私だけでも先行します」
「無茶はするなよ」
「無茶するためのこの身体ですよ」
アルマリックは全身に高電圧を流すことで虫除けとしながら、そのアンドロイドの身体で出せる最高速で内部に侵入していった。
宇宙空間でも異変が起きていた。
シェーンコップ達が遭遇したものと同様の「虫」達が艦艇に向かって飛翔してきたのである。
形状は同じだったが、そのサイズはより巨大だった。
艦艇の1/2から大きいものでは5倍ほどのサイズのそれは月の重力圏を離脱し、艦艇に向けて接近し、触手を伸ばしてきた。
流星旗部隊は回避で精一杯となった。
通信室では、ローザ率いる特殊部隊が虫の侵入を防いでいた。
レディ・Sに意識があれば、その虫の正体をマルガレータ達に説明できたかもしれない。
それは、地球統一政府を裏で支配していた者達が、遥か昔に入手していた宇宙生物のサンプルから、独自に復元し、品種改良を行なった代物だった。
その宇宙生物に付けられた名は、「
銀月王は地下深くから解放され、一定のコントロールを受けながら上へ上へと移動しつつ、エネルギー源にできる存在を求めて手近な動く物体に殺到していた。
地球統一政府は月面内の銀月王のコントロールに音波を使用していた。それには音楽のように精妙な周波数変化が必要であり、そのことは通信室内のマルガレータ達を音波で昏倒させることができなかった理由にもなっていた。
銀月王はその名のごとく月の支配者のように振舞っていた。とんでもない暴君であったが。
この時、黒色槍騎兵艦隊とホーランドが指揮する銀河保安機構艦隊は、いまだに小惑星要塞群と戦っていた。
巨大電子頭脳の一時的な活動停止によって出現が収まっていたのだが、活動再開によって再び現れ始めており、その対処に追われていた。
その状況はヤン達にも伝わっていた。
「これはまずいな。ユリアン、何か打開策は思いつくかい?」
ヤンとしては再度の時空震攻撃を考えたいところだったが、銀月王が出現によってそれも難しくなっていた。
後背で停止していた敵部隊も地球統一政府からの指示によって再び動き始めており、一転して危機に陥っていたと言える。
ユリアンは進言した。
「あの虫達、いくらかは地球統一政府のコントロールを受けているようですが、それでも襲う敵の区別がつくようには思えません。一旦後背の敵部隊の懐に潜り込み、あの虫達を押し付けるのがよいかと思います。そのうちに小惑星要塞を片付けたビッテンフェルト提督とホーランド提督が駆けつけるでしょうから我々に関してはそれでよいでしょうが……」
ヤンはユリアンの策を採用し、急ぎ部隊に指示を出した。
その上でユリアンが言い淀んだ内容に関して話を続けた。
「月都市の市民達と陸戦部隊に関しては打つ手がない、か……」
「はい……」
時間さえかければビッテンフェルト提督、ホーランド提督と連携して銀月王を一掃し、その後に再度の時空震攻撃によって巨大電子頭脳を今度こそ沈黙させることも可能ではあった。
しかしその時には月の市民達は銀月王の暴威によって全滅している可能性が高かった。マルガレータ達についても同様である。
勝利のために彼らを見捨てるつもりには、ヤンもユリアンもなれなかった。
ヤンは自分の髪の毛をかき回した。
「やれやれ私もヤキが回ったなあ」
最終的な勝利は得られるにしても、それに対して大きな代償を支払うことになる。その予感がヤン達を支配しようとしていた時、月内部から通信が入った。
それはシェーンコップ達と別れ、月内部に先行したアルマリック・シムスンからのものだった。
「僕が何とかしますのでもう少し待っていてください」
「どういうことだ?」
ヤンの問いにアルマリックは決然として答えた。
「僕が巨大電子頭脳を破壊します」
「何が待ち受けているかもわからないのに一人では危険だ!」
ヤンの人のよい発言にアルマリックは内心苦笑した。
「九百年も生きていますからそろそろ死んでもいい頃でしょう。いや、そもそも九百年前に既に死んでいるのですけどね」
アルマリックの下手な冗談に笑うものはいなかった。
ヤンは気づいた。
「もしかして死ぬつもりなのかい?」
「死ぬと決めた訳ではありませんよ。しかし、そうですね。ユリアン君」
「何でしょうか」
アルマリックに声をかけられた理由が、ユリアンにはわからなかった。特に深い関係を持っていたわけではなかったから。
「エルウィン・ヨーゼフ君に謝っておいてもらえないか。君も含めて三人で語り合う約束をしていたんだが、果たせないかもしれないから」
「そんな約束を……。わかりました」
「それから、君にも一言。この一週間ぐらいで僕は今までの無為を取り戻せた気がする。その何割かは善かれ悪しかれ君のおかげだ」
「それは何と言っていいか……」
ユリアンが〈蛇〉に取り込まれたことも、アルマリックの発言には含まれていた。
「僕も君の救出に一役買ったからね。助けてよかったと思えるような生き方をしてくれよ」
ユリアンは通信越しながら居住まいを正して答えた。
「あなたに助けられたことには感謝しています。ありがとうございました。今自分がここにいられる理由をよく考えて、生きていきたいと思っています」
「……えらそうなことを言える立場でもないのにすまなかったね。僕には難しかったけど、君は悔いのない人生を送ってくれよ」
「……はい」
10代にしてその後の人生を失った者の言葉を、ユリアンは重く受け止めた。
「よかった。そろそろ巨大電子頭脳の座標に着くから通信を終えるよ。皆さん、ありがとうございました。短い時間ながらよい時間を過ごせました。万一生き残ることがあればその時はまたお会いしましょう。それでは」
通信を終えたアルマリックの目の前には巨大な金属の扉が出現していた。
座標情報からすればこの扉の後ろに巨大電子頭脳が存在するはずだった。