時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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69話 もう地球人では…… その10 Star trail to Luna

レディ・Sは銀河保安機構総旗艦ヒューベリオンの位置を正確に捉えていた。

 

通信妨害によって、以前試したような工作は難しかったが、それでも位置を捉える程度のことは造作もなかった。

そのように超光速通信ネットワークを介して事前に仕込みを行なっていたからである。

実のところヒューベリオンだけでなく、シリウス星系に集結していた艦艇の殆どは、この仕込みによって位置が地球統一政府に筒抜けになっていた。

 

彼女はそれだけに困惑も覚えていた。

ヒューベリオンは木星系に陣取って動いていなかったのである。

 

無論総司令官であるヤンが前線に出る必要はないが、それでも従来は自ら前線に出て陣頭指揮を務めていたはずであり、違和感があるように感じられたのだった。

 

その疑問はすぐに解消されることとなった。

 

地球統一政府が地球系周辺にばら撒いた監視衛星が、不自然な軌道で接近してくる氷塊を検知したのである。

 

当初は天頂、天底それぞれの戦いのために射出された氷塊が流れ弾となったものだと考えられた。

また、神聖銀河帝国との戦いの際にヤンが放った氷塊の一部も、いまだに彗星となって太陽の周囲を巡っており、その一部であることも考えられた。

実際そうであるものも多いようだったが、その中に地球系を目指す軌道を描くものが複数存在することを知るに至っては考えを変えざるを得なかった。

確率的に不自然過ぎたからである。

 

ライアル・アッシュビーが行なったように氷塊に擬態した艦艇である可能性が高いように思えた。しかしそうだとすれば、レディ・Sが艦艇の位置を探知できていなかったことが奇妙だった。

 

コンピュータ上の仕掛けを発見された?

この時代の技術力でこの短期間で?

そんなはずは……

 

レディ・Sの疑問はすぐに解消された。

 

地球系近傍まで接近した氷塊から、二十隻程の艦艇が躍り出て来た。

 

その艦艇の形状は現代のどの国の艦艇とも異なるものだったが、レディ・Sにはその正体がわかった。

 

「黒旗軍の……シリウス宇宙艦隊の戦闘艦!どこからそんな代物を!?」

彼女はそう叫びながらも一つの名前を思い出していた。

 

アルマリック・シムスン。

 

 

ヤン・ウェンリーが地球統一政府と戦うに当たっての懸念は、制電子権とでもいうべきものを相手に押さえられていることだった。

懸念は先に受けたような直接的な損害に限らなかった。

自らの艦隊の情報が筒抜けになっている可能性があるだけで作戦は著しく制限されてしまうのだった。

 

それに対して解決手段を提供したのがアルマリック・シムスンだった。

 

シリウス議会議長の遺児にして、人格を電子頭脳に移されたアンドロイドであるアルマリック・シムスンは、無人の地となったシリウスで、数十隻程度の少数の宇宙艦艇を維持し続けていた。

朽ちないその体と、遺棄された地下工場群と整備ロボットの力によって。

本来は地球統一政府残党への対策や、シリウス復興の一助とすることを考えての行動であったが、残念ながら規模が小規模過ぎ、活躍の機会は訪れなかった。

 

あるいは、アルマリックが地球教団の動きを早期に察知していればシリウス星系内に秘密基地をつくられるのを阻止するために活動できたかもしれない。

しかし、地球教団の活動が明るみとなるまでは協力者も作らず隠遁者のように生きてきたアルマリックにそれは難しかった。

 

それでもアルマリックは九百年間整備だけは欠かさずにいたのだった。

 

その宇宙艦艇群を活用することをアルマリックはヤンに進言した。

 

シリウス製の宇宙艦艇は現代とは異なる仕様の計算機、通信アルゴリズム、ネットワークセキュリティシステムを備えており、地球統一政府による仕掛けを懸念する必要がなかった。

それはヤンの求めるところと一致していた。この艦艇群を対地球統一政府のための切り札とすることにしたのである。

 

こうしてシリウス戦役を経験した艦艇達が、再び「地球統一政府」と戦うために現代に蘇った。

 

ヤン、ユリアン、アルマリック達は旗艦級の艦艇に乗り、この部隊の指揮を執ることになった。

 

ヤンは部隊の命名をアルマリックに一任した。アルマリックは「黒旗部隊」や「シリウス部隊」などの呼称も考えたが、しっくり来なかった。

 

アルマリックは艦艇に描かれたシリウス政府の旗、「シリウスを中心に伸びゆく流星」と、部隊が参加する作戦の内容から「流星旗」部隊と名付けることにした。

 

 

レディ・Sは、遅まきながらも月の防衛に残していた艦艇に出撃を命じ、それから呟いた。

「少数の骨董品で何ができるというの?一撃で終わってしまうでしょうに」

 

 

 

 

オペレーターがヤンに報告した。

「流星旗部隊全艦、月から20光秒の地点に到達しました」

 

ヤンは傍らのユリアンに声をかけた。

「君の予想通り、今回は超長距離射撃はないようだね」

 

ヤンは神聖銀河帝国が月に構築した複数の大出力X線レーザーと反射衛星を用いた長距離大出力砲撃のことを言っていた。

それが復活していたら、今のように余裕を見せることはできなかっただろう。

 

ユリアンは落ち着いた様子で返した。

「ええ。あのシステムを再構築するには時間が足りないでしょう。しかし、流石にそろそろ迎撃が始まると思いますよ」

 

ユリアンの言葉を待っていたかのように、再度オペレーターから報告が入った。

「月からも百隻ほどの部隊が迎撃に現れました!」

 

ヤンは指示を出した。

「よし、作戦通り前進を続けてくれ。敵艦艇が近づいたところで急速前進だ」

 

 

流星旗部隊の艦艇の加速性能は高いものではなかった。そのため地球統一政府に壊された現代の艦艇からエンジンを抜き出し、使い捨ての追加装備としていた。

 

これによって流星旗部隊は射程圏内に入ったタイミングで急加速し、地球統一政府の部隊をすり抜けたのである。

 

反転して追撃しようとした地球統一政府の部隊だったが、彼らの動きは流星旗部隊と並行して流れて来ていた氷塊が全て爆発したことで阻害された。

 

その隙に、ヤン達は月の至近にまで近づき、分散して月を取り囲んだのだった。

 

 

レディ・Sは苛立っていた。

「何がやりたいの?近づいたからといって、そんな少数じゃあ何もできないでしょうに!地球統一政府の巨大電子頭脳は月の奥深くにあるのよ!白兵戦を挑むつもりにしても人数が少な過ぎる!」

 

トリューニヒトがレディ・Sに尋ねた。

「我々は時空震連続発生装置を使わないのかな?そうすればヤン君達を昏倒させられると思うが」

 

レディ・Sは叫んだ。

「使ったらヨブまで昏倒するじゃない!そんなことできない!」

 

「落ち着いて、レディ。私のことは気にしなくていいさ。それだけで死ぬわけでもなし」

 

レディ・Sはトリューニヒトの言葉に冷静になった。

「ごめんなさい。ヨブ。でもそれは無意味よ。流石に先方もそれは対策済みよ。時空震連続発生装置は向こうにもあるから逆位相の波を発生させれば簡単に無効化できてしまうのよ。試す必要もないわ」

レディ・Sの言葉はトリューニヒトに向けてだけのものではなかった。月の深部に潜む自らの上役の巨大電子頭脳に向けてのものでもあった。

 

「じゃあどうするんだい?相手はヤン君だ。放置しておくと何かしら仕掛けてくると思うが」

 

「勿論放置なんてしない。既に手は打ってあるわ」

 

 

 

 

オペレーターがヤンに異変を報告した。

「異常事態です。月の重力分布に異変!いや、我々との間のみに非常に強い重力が発生しています。このままでは引っ張り込まれます!」

 

 

それは、通称「トラクタービーム」、かつては「幌金神縄」という名で呼ばれたこともある地球統一政府の秘匿兵器、指向性重力発生装置の作用だった。

 

レディ・Sは流星旗部隊をトラクタービームで月の防衛火器群の射程圏に引きずり込み、その上で混乱から立ち直った自軍艦艇部隊との間で挟み撃ちにしようとしていたのである。

 

トラクタービームは、流星旗部隊をあと数十秒で月の防衛火器の射程に入ろうかというところまで連れて来た。

 

レディ・Sは溜息をついた。

「これで終わりね」

その声には何故か残念そうな響きがあった。

 

 

その時、ヤンは流星旗部隊の旗艦から部隊全体に向けて指示を出していた。

「敵さんが指定距離まで引っ張ってくれたおかげで楽ができた。始めてくれ」

 

 

月の大深部に設置された巨大電子頭脳。銀河人類を救うにはトリューニヒトの情報に従えばこれを壊す必要があった。

 

しかし、月の分厚い地層を貫いて大深部を攻撃することは難しかった。

攻撃自体は不可能ではない。

例えば直径数十kmの小惑星を月にぶつければ、いかに大深部にあろうとも巨大電子頭脳は無傷ではないだろう。

しかし、それを行なってしまえば、地下浅くにある月都市の被害の方が甚大となってしまう。

人質と化した数千万人の月の住人を殺害することになってしまうのだ。

あるいはオーベルシュタインであればそれも許容するかもしれないが、ヤンにはできないことだった。

では、月内部に人員を送り込んで破壊工作を行うとしたらどうか?

それも実際のところ時間と兵力の両面で不可能だった。

 

数千万人の月の民が地球統一政府の支配下にある現状では、それを排除して深部にまで進むのは難しかった。

時間制限がある現状ではなおさらである。

 

それではどうするのか?

 

 

よくあるクイズがある。

 

・ある家の中心で火が燃え盛っていて家を失う前にこれを消したい。

・家には窓が多数設けられており、そこから水を送り込むこと自体はできるが、いずれも小さい。

・一つの窓を介して水を内部に放出しても水量的に火を消すことはできない。

・家は壊せない(それだと本末転倒である)

この条件でどうにかして火を消せないか?

 

回答:複数の窓のそれぞれから家の中心に届くように水を送り込む。家の中心に届く水量は火を消すのに十分なものとなる。

 

人類史においてこの回答は形を変えて度々利用された。

アルキメデスの集光兵器、放射線治療、それにアルテミスの弓まで……

 

ヤンの月大深部の巨大電子頭脳破壊のための回答もこのアナロジーだった。

 

ヤンの号令に従って、月を取り囲む十数隻の艦艇にそれぞれ設置された時空震連続発生装置から、同時に時空震が発生した。

時空震は一定の指向性を持って月に殺到した。

 

通常、時空震には指向性はない。

地球統一政府の時空震連続発生装置も指向性を持たせることはできていなかったがメッゲンドルファーの天才は、それを可能にしていた。

その原理は奇しくも重力に指向性を持たせたトラクタービームのそれと類似していたが。

 

指向性を持った時空震はそれぞれ単独では月の構造物を破壊するには弱かった。

しかしいずれの時空震もトリューニヒトがリリー・シンプソンを通じて伝えて来た巨大電子頭脳の座標を指向していた。

時空震が集中することになったその座標は、激しい震動現象に見舞われることになった。

それは内部構造を破壊するのに十分過ぎる程の強度だった。

 

ヤンは月都市全体には大きな被害を与えることなく「患部」のみを除去しようとしたのである。

 

 

通信室にいる者達も、部屋が震動するのを感じていた。

立っていられないほどの強さではあったが、手足を拘束されて床に座らされているマルガレータ達にはあまり関係がなかった。

 

とはいえ、急な震動現象に驚いて悲鳴を上げるそれぞれの母親をエリザベート、サビーネは、気丈にも宥めていた。

 

レディ・Sは転倒しそうになったトリューニヒトを支えながら、状況を分析した。

「月震?いや……これは、時空震!」

 

彼女の明敏な頭脳は、銀河保安機構の艦艇配置を思い出し事態を悟った。

 

震動が収まった時、レディ・Sは彼女を常に監視し、管理していた巨大電子頭脳からの通信が途絶えていることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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