時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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68話 もう地球人では…… その9 電子頭脳の憂歌

 

太陽系天底方面における戦いは膠着状態に陥ったかに見えた。

 

守りを固めるエルウィン・ヨーゼフに対して、フランクール・ゼロは半包囲の態勢に移行しようとしていた。

 

それに対してエルウィン・ヨーゼフはゆっくりと後退を続け、包囲殲滅の危険を回避しようとしていた。

 

その間にも局所レベルの駆け引きは間断なく行われていた。

疲れを知らぬ電子頭脳のフランクール・ゼロに、エルウィン・ヨーゼフは若さとルドルフ譲りの体力によって追随した。

 

しかしその裏でフランクール・ゼロは、エルウィン・ヨーゼフに罠を仕掛けるべく周到な準備を行なっていた。

 

その罠が発動した時こそ、黒色槍騎兵艦隊の最期となるのかもしれなかった。

 

 

その間にも木星系からの氷塊攻撃は続けられていたが、この戦場においては焼け石に水という程度の効果しか示していなかった。

フランクール・ゼロは実効性の低いその攻撃を無視し続けた。

 

だから、彼は気づけなかった。

艦列の間をすり抜けていく氷塊群の中に異物が紛れ込んでいたことを。

 

それは、エルウィン・ヨーゼフすらも知らないことだった。

 

突如、地球統一政府艦隊の内部に入り込んだ氷塊の一つから一隻の特異な構造の艦艇が出現し、閃光を迸らせた。

熱線砲の一撃であったそれは、フランクール・ゼロ搭載艦を背後から襲い、爆散させた。

 

その影響はすぐに現れた。

地球統一政府艦隊の動きが精彩を欠くようになったのである。

敵艦隊の異変を前にして、エルウィン・ヨーゼフとビッテンフェルトは戸惑っていた。これは何かの罠なのかと。

 

そこに通信が入った。

 

スクリーンに映し出された人物に、彼らは驚愕することになった。

 

赤い髪に不敵な面構え、その見慣れた顔はライアル・アッシュビーのものだった。

 

ビッテンフェルトは露骨に狼狽えて叫んだ。

「げぇっ!ライアル・アッシュビー!死んだんじゃなかったのか!?」

 

一般には長期の休職と伝えられていたが、ライアル・アッシュビーは死んだというのが専らの噂だったし、保安機構の上層部もその噂を否定しようとしていなかった。

 

そのライアル・アッシュビーが、このタイミングで太陽系に姿を現したのである。

 

ビッテンフェルトは、ライアル・アッシュビーと一戦交えて散々に打ちのめされた経験があった。

その時からの苦手意識が先の発言に繋がっていた。

 

ライアル・アッシュビーは顔をしかめて怒鳴りかえした。

「死んでないからここにいるんだ。それより旗艦を沈めたんだ。敵が混乱しているうちに早く突撃しろ!突撃しか能がないんだから、ここしか活躍の場はないぞ!」

 

死んだと思われたライアル・アッシュビーがこの場に現れた経緯は別に説明することとする。

ライアル・アッシュビーがこの戦場でやったことは以下の通りだった。

彼は戦場を横切る彗星に艦艇をカモフラージュした上で、敵に気づかれることなくその重心、すなわち旗艦の位置を観察した。その上で旗艦の至近まで彗星を装って接近し、これを撃沈したのだった。

 

エルウィン・ヨーゼフの対応は迅速だった。

「ビッテンフェルト提督、指揮権を返還する。ここからは卿が本領を発揮してくれ」

 

ビッテンフェルトは我に返って、艦隊に命じた。

「卿ら、待たせたな!前進!力戦!敢闘!奮励!突撃だあ!!」

 

この時、旗艦にあたるフランクール・ゼロ搭載艦を失った地球統一政府艦隊は、予備として用意していたフランクール・ゼロを起動していた。

しかし、フランクール・ゼロが自らの置かれた状況を理解し、指揮を執り始めるまでにはタイムラグが存在した。

 

ビッテンフェルトの突撃はそのタイムラグを埋めることを許さなかった。

 

黒色槍騎兵艦隊は今までの鬱憤を晴らすかのように暴れ回った。

 

予備のフランクール・ゼロ搭載艦は火球に変えられ、さらに別の予備も同様の運命を辿った。

 

ライアル・アッシュビーはその様をライアル専用艦「オッドラック(奇運)」の艦橋からフレデリカと共に眺めながら、名もわからぬ敵将のことを思って呟いた。

「こんなヤンのペテンみたいなやり方じゃなくて、できれば正面から戦ってみたかったな」

 

ライアルは敵の力量が自らに匹敵するか、場合によってはそれ以上のものであることを察していた。

だからこそ確実に勝つ為にペテンじみた方法を採用したのだった。

 

フレデリカがライアルを宥めた。

「名将の言葉にもあるじゃないですか、楽して勝てる方法が一番、だと」

 

「……それ、ヤン・ウェンリーの言葉だろう?わかるぞ」

 

「……」

 

地球統一政府艦隊が完全に壊滅するのはそれから1時間後のことだった。

 

シリウス戦役の英雄の亡霊は、エルウィン・ヨーゼフ、ライアル・アッシュビー、ビッテンフェルトの三人によって再び歴史の中に消え去ることになった。

 

 

予想外の闖入者によって天底方面の戦いが敗北に終わっても、レディ・Sもトリューニヒトも落ち着いた様子だった。

 

マルガレータは不審に思った。

「驚いていないようだが……」

 

レディ・Sは冗談めかして答えた。

「そんなことないわよ。驚いて言葉もないわ」

 

その様子にマルガレータの不審はますます募った。

 

レディ・Sはマルガレータの様子に気づき、付け加えた。

「艦隊は敗北したけど、小惑星要塞はまだ十分に存在するわ。それを振り向ければ済むことよ。先方も無傷ではないしね。銀河人類が死に絶えるまでの間に月にあの艦隊が近づくことはないと思うわ」

 

「しかし、小惑星要塞が来ても氷塊の餌食になるだけだろう?」

 

「その氷塊攻撃、気前よく行なっているけど、本当にいいのかしら。いつまで方向を間違えている無駄弾も多いようだし。私達がシリウスに備蓄されていたラムジェットエンジンのことを知らないと思って?その数に余裕がないこともね」

 

「……」

マルガレータはそれに回答できる情報を持ち合わせていなかった。しかし、ラムジェットエンジンのコストと銀河保安機構の予算を考えれば自ずと用意できる量は想像できた。それを思えば今の氷塊攻撃の頻度がいつまでも続くとは思えなかった。

 

同時に、マルガレータは思った。

果たしてユリアンとヤンが意味もなく非効率的なことをやるのだろうか?

 

黙り込んだマルガレータを見てレディ・Sは憫笑した。

「ヤン・ウェンリーお得意のペテンに期待したらどうかしら。ペテンの種がまだ枯渇していなければだけど」

 

マルガレータは反論したくなった。

「ヤン長官のペテンは伊達じゃないぞ」

 

「……それはわかっているつもりだったけど、やっぱりあなた達にもペテンと思われているのね」

 

「……」

 

タイムリミットが近づく中で、情勢は未だに混沌としていた。


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