太陽系円盤の天頂側でホーランドが「三提督の城」と戦っていた頃、天底側でも動きがあった。
ビッテンフェルト提督率いるオリオン連邦帝国艦隊二千隻がワープアウトし、こちらも地球へと接近しつつあったのである。
仮にこちら側にも小惑星要塞群が出現した場合、天頂側と同様に氷塊攻撃が行われる手筈であったが、3天文単位のラインを越えようとしても小惑星要塞は現れなかった。
代わりに出現したのが、二千隻程度の艦隊だった。
これは銀河保安機構月支部にもともと所属していた警備艦隊と〈蛇〉に対する防衛のために臨時で派遣されていた銀河保安機構宇宙艦隊の部隊を地球統一政府が接収したものであった。
「同数の艦隊など、我ら黒色槍騎兵艦隊の敵ではありません!」
「その通り!」
息巻く幕僚達に同調するビッテンフェルトであったが、だからといって油断をしているわけではなかった。
ビッテンフェルトは木星系のアッテンボロー、フィッシャーに連絡を入れ、氷塊攻撃を実施させた。
直接的な戦果は期待していないが、これによって敵の艦列が乱れたところに突撃をかける方針だった。
氷塊は対峙する敵艦隊を襲った。薄く展開する敵に直接的な損害はほぼ発生しなかったものの、回避のために艦列に乱れが生じたように見えた。
その瞬間をビッテンフェルトは見逃さなかった。
「全艦突撃!」
敵の半数程度が、攻撃を受ける前から逃げまどい始めた。
必勝パターンとも言える展開にビッテンフェルトは勝利を確信した。
しかし……
「なんだこれは!?」
参謀長のグレーブナーは、目の前の展開が信じられなかった。
逃げにかかったと思われた敵がその実いくつかの集団に分かれ、突撃をかけた黒色槍騎兵艦隊の側面をすり抜けて背後を取ってみせたのである。
ビッテンフェルトは悔しがった。
「これはヤン・ウェンリーのペテンと同じではないか!先帝陛下の教訓を生かせぬとは、申し訳が立たぬ!」
副参謀長のオイゲンがビッテンフェルトの注意を喚起した。
「どうなさいます?回頭しますか?」
「馬鹿か貴様!急速前進!時計方向に進路を変えてこちらも敵の背後を取れ!急げぇ!」
しかしその後も、ビッテンフェルトは敵に主導権を握られ続けることになるのだった。
「やっぱり別働隊を用意してたのね。でもあの醜態、噂の黒色槍騎兵艦隊も大したことないわね」
マルガレータは衝撃を受けていた。
「一体誰が?あのビッテンフェルト提督を手玉に取れる者など、生者ではヤン長官、ユリアン、エルウィン・ヨーゼフ、ジークフリード帝、ミッターマイヤー提督、ホーランド提督、ミュラー提督……それなりにいる、のか」
何人かがずっこけた。
マルガレータは慌てて付け加えた。
「いや、しかし、あそこまで簡単にビッテンフェルト提督をあしらえるなど、ヤン長官やライアル・アッシュビー保安官ぐらいのものだろう!そんなレベルの提督が地球統一政府にいたのか!?」
「見ての通り、いたのよ。そのレベル……いや、それ以上か。何者かわかる?」
マルガレータは少し考えてみたが答えは出なかった。
最初の戦法はヤンの戦法に似ていると思ったが、今目の前で展開されているそれはマルガレータの知るどの提督の戦術とも異なっていた。
「……いや、わからない」
レディ・Sは得意げにその名前を口にした。
「ジョリオ・フランクール」
その場にいた、人類史をかじったことのある者は皆、その名を知っていた。
九百年前のシリウス戦役において、圧倒的な兵力を持ち、優秀な三提督に率いられた地球統一政府宇宙軍。それを悉く打ち破った男。
一代で黒旗軍を組織し、常に優勢な敵に戦勝を重ね、時には八千隻の艦隊で六万隻にさえ勝利してみせたその偉業は、九百年の時を越えて語り継がれていた。
カーレ・パルムグレン、ウィンスロー・ケネス・タウンゼント、チャオ・ユイルンと並ぶ地球統一政府打倒の立役者、ラグラン・グループの一人。
人類史上最高の軍事司令官を議論する場合に間違いなく名前の上がる人物。
その名は国家の枠と時代を越えて、人類史に燦然と輝くものだった。
「彼が生きているわけが……いや、生きていたとしても、彼が地球統一政府に味方する訳がない!」
「電子頭脳にして細工したのよ。それも、三提督のような劣化コピーではなく、本物の人格をコピーした、ね」
「どこでそんなものを……」
「本人を生かしたままコピーすることはできないから勿論死んだ時に、よ」
「しかし、シリウス戦役終結後、フランクールはタウンゼントとの主導権争いに敗れて死んだはずだし、その時地球統一政府にフランクールの脳を入手できるような余裕があったはずは……」
「地球統一政府には、ね。しかしタウンゼントにはその余裕があった。そして、タウンゼントは我々と繋がっていたのよ」
その発言はマルガレータの理解を超えていた。
「何を言っているんだ?地球統一政府を滅ぼした相手と地球統一政府が繋がっていた?」
「そもそも、我々をかつての「地球統一政府」そのものと同一視していること自体が間違いなのよ。我々の正体は「地球統一政府」の裏にいた者達。そして我々は、限界の見え始めた地球統一政府に見切りをつけ、人類を統べる新たな統治機構を生み出そうとしていた。すなわちシリウス、それに汎人類評議会よ。そしてウィンスロー・ケネス・タウンゼントこそが我々のエージェントだった」
今目の前で語られている人類史の暗部にマルガレータは目眩を覚えた。
「本来なら我々としても、もう少しだけ穏やかに統治機構の交代を行いたかったのだけど、〈蛇〉のこともあったから戦争は激烈なものになってしまったのよね。
ともかくも、人類はシリウスの統治するところとなり、タウンゼントはパルムグレンを「病死」させ、フランクールも殺害した。フランクールの卓越した能力は、我々も、タウンゼント自身も注目していたから、殺した直後に電子頭脳にその人格をコピーしたの。将来において大規模反乱が起きた時に我々の側の勝利を確実とする尖兵とするために」
「地球統一政府の裏にいた者達とは、お前達は一体何なんだ?」
レディ・Sは笑みを深くした。
「どうせだから教えてあげる。我々はシスターズの……」
急にレディ・Sが頭を押さえて蹲った。
トリューニヒトは慌てて彼女に駆け寄った。
「ダニエラ!いや、レディ・S!」
レディ・Sは普段の不敵な様子を失い、無表情のままに呟いていた。
「はい、はい。承知しております。余計なことは申しません」
少ししてからレディ・Sは立ち上がった。
「ありがとう、ヨブ。もう大丈夫。ごめんなさいね、マルガレータさん。話せない内容だったわ。今までの話で察して下さる?」
「それはわかったが……本当に大丈夫なのか?」
レディ・Sはマルガレータのお人好しに呆れた。
「……私の心配より自分の心配をして。とにかく、我々はタウンゼントを使って、人類支配を試みた。タウンゼントがラグラングループの他の三人を始末したところまではよかった。しかしそのタウンゼントが極低周波ミサイルによるテロで殺されたことで、我々の目論見は無に帰した。誰がそんなことをしたのか、これも話せない内容の一つになるわ」
訊きたいことはいくつもあった。しかし、まずは確認すべきことがあった。
「フランクールの電子頭脳はどうなったんだ?」
「我々が回収したわ。その電子頭脳には細工が施され、本人は訓練生相手に艦隊シミュレーションを戦っているつもりになっているのよ。しかも、現代の艦隊戦の条件でフランクールの電子頭脳のコピー同士を延々と戦わせることでその戦術はさらに進化しているわ。人類の領域を離れて進化するフランクール。さしずめフランクール・ゼロというところね。生身の人間で勝てる存在はいないんじゃないかしら。ここで黒色槍騎兵艦隊を打ち破ったら、彼は、天頂で『三提督の城』と戯れている艦隊の撃破に向かうわ。理想的な各個撃破ね。ヤン・ウェンリー達はフランクール・ゼロを相手にどうするのかしらね」
マルガレータは落ち着いて返事をしてみせた。内心はともかく、その場の者達を安心させるために。
「どうだろうな。勝つのではなく、負けない戦いなら出来るかもしれないが」
マルガレータはそれが出来そうな者の顔を思い浮かべた。それは必ずしも一人ではなかった。
そのような会話が月でなされていた頃、ビッテンフェルトは焦燥感に駆られていた。守勢に弱いという欠点をさらけ出し、対応は常に後手に回っていた。状況は加速度的に悪くなっていった。
不意に少年の声が艦橋に響いた。
「ヤン・ウェンリーはどこまで想定していたんだろうな」
その声の持ち主は、かつて銀河帝国に所属している者であれば意識せずにはいられない存在だった。
ビッテンフェルトは呻くようにその名前を呼んだ
「エルウィン・ヨーゼフ……陛下!」
「まだ余を陛下と呼んでくれるか。余の顔など見忘れたかと思っていたぞ」
エルウィン・ヨーゼフから発せられる帝王の威厳とでもいうべきものを前に、ビッテンフェルトは身を固まらせた。かつては軽んじていたはずの存在に、まるでラインハルトから感じていたものと同質のものを感じてさえいた。
「陛下の顔を忘れるなど、あり得ません。しかし今は危急の時、会話を交わしている余裕は」
エルウィン・ヨーゼフはビッテンフェルトの言葉を遮った。
「危急だから出てきたのだ。簡潔に言うが、指揮権を一時的に委譲してくれ」
ビッテンフェルトは屈辱的な要求に身を震わせた。
「それは無理というものです」
「余が何故ここに配置されたか忘れたのか?卿を補佐するためだ。そして敵はヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムすら上回る……かもしれぬレベル。そして、卿が守勢に弱いのは卿自身が認めるところだろう?今の状況では余が指揮した方がまだマシというものだ。銀河人類のためだ。頼む」
ビッテンフェルトはそれでも渋った。理性ではそうすべきことを理解できたが、感情が納得を妨げていた。
「頭を下げて頼めというなら、そうするが」
ビッテンフェルトはその言葉に焦った。エルウィン・ヨーゼフをいつの間にか現役の皇帝、自らの主君のように扱ってしまっていることにも気付いていなかった。
「い、いや、陛下にそんなことはさせられません!ええい、わかりました。あくまで一時的にですが、この黒色槍騎兵艦隊を陛下にお任せします!」
ビッテンフェルトの承諾の言葉にエルウィン・ヨーゼフは笑顔を見せた。
「感謝する」
エルウィン・ヨーゼフが指揮を取ることで黒色槍騎兵艦隊は動きに精彩を取り戻した。
エルウィン・ヨーゼフの用兵は、以前から卓越したものであったが、ヤン・ウェンリー、ジークフリード帝との戦いを経てさらにそのレベルを上げていた。
結果、フランクール・ゼロの猛攻の中で何とか態勢を立て直すことに成功したのだった。
対応が後手に回ることも少なくなっていた。
しかし、エルウィン・ヨーゼフは憮然としていた。
「不味いな」
「何が不味いのです。ここまで立て直したではないですか」
ビッテンフェルトはまるで参謀か副官になったかのようにエルウィン・ヨーゼフに問い返した。
「勝ち筋がない」
ここに至るまでに黒色槍騎兵艦隊は五百隻もの艦艇を喪失していた。
一方でフランクール・ゼロの艦隊はほぼ無傷だった。
その上で敵に隙が見えなかった。
「それではどうされるのですか!?」
「この局所的な戦い、知っての通り勝つ必要はない。今も別に動いているヤン長官が結果を出すその時まで負けなければよいのだ。だから、負けない戦いに徹する」
「成る程……」
ビッテンフェルトは、自分なら突撃を仕掛けるところだが、という思いを抑えて、そう返した。
エルウィン・ヨーゼフの考えが妥当であることはビッテンフェルトにもわかっていた。その上でここで自分が反発すれば、幕僚達も同調して収拾がつかなくなる恐れがあることに気づいていたからである。
エルウィン・ヨーゼフは考えていた。
もっとも、司令官に似て守勢に弱い黒色槍騎兵艦隊だ。かつての臣民達を生きて帰らせることができるかどうか……
かつてフランクールであった存在、フランクール・ゼロは仮想空間に構築された戦略戦術シミュレーション装置の中で黒旗軍の訓練生と戦っていた。
途中で相手の行動パターンが大きく変化し、急に手強くなって戸惑ったが、訓練生が途中で交代したと考えれば説明はついた。ルール違反だが、可能なことではあった。
新しい相手は戦力的な不利から負けないことに徹しているようだった。
しかしフランクール・ゼロは徐々に相手の癖を把握しつつあった。
戦術レベルでは自分の後継候補に考えられるぐらいに優秀な訓練生だが、まだ隙がある。
それがその訓練生に対する評価だった。
地球統一政府宇宙軍の残党はまだ存在する。自分が死んでも奴らが復讐戦を挑んで来た時に対抗できるように次代の軍人にはしっかりしてもらわなければならない。
今後の成長に期待して教訓を与えてやろう。
そう思考して、フランクール・ゼロは相手を殲滅すべく準備を始めた。
自分がいったいいつから訓練生相手のシミュレーションを始めたのか?何故総司令官自らそれを行なっているのか?
そのような疑問はフランクール・ゼロの思考には存在しなかった。