リリー・シンプソンがもたらした情報は驚くべきものだった。
彼女は開口一番にこう言った。
「トリューニヒト先生は新銀河連邦を裏切っていません!」
ヤン達は半信半疑ながらも彼女の話を聞くことになった。
彼女の話は宇宙暦780年にまで遡った。
当時、トリューニヒトは政治家への野心を持った警察官僚だった。
トリューニヒトは一人の女性と出会った。
それが、レディ・Sだった。
今の容姿のままで、当時は「ダニエラ・ソレル」と名乗っていた。
トリューニヒトには初対面とは思えなかったという。
まるで十億年前から知っているかのような感覚に陥った。
それは、「ダニエラ・ソレル」も同様だったらしい。
二人はすぐに恋におちた。
「ダニエラ・ソレル」は補給艦勤めの女性兵士だった。
軍務でハイネセンを離れていることも多かったが、二人は愛を深めあった。
「ダニエラ・ソレル」が銀河帝国との戦いで「戦死」するまでの間。
トリューニヒトの政治家志望は以前からだったが、彼が国防族を志向したことには彼女の戦死の影響がないとは言えなかった。
その後、若手の国防委員として頭角を現しつつあったトリューニヒトは、エンダー・スクールの視察の際にユリアン・ミンツと出会った。
トリューニヒトが当初ユリアン・ミンツに関心を持った理由は「ダニエラ・ソレル」を彷彿とさせる容姿だったことは想像に難くない。その後、目をかけ続けることになったのは、ユリアンの才能ゆえのことだったとしても。
「ダニエラ・ソレル、レディ・Sがいなければ、あなたがトリューニヒト先生と関わることはなかったかもしれないわね」
リリー・シンプソンはユリアンに試すように言葉をかけた。
トリューニヒトに見出された少年少女、トリューニヒト・フォーの一人であるリリー・シンプソンは、他の三人同様にトリューニヒトによるユリアンの特別扱いが内心面白くなかったのだ。
「そうかもしれませんね」
ユリアンの返事は素っ気なかった。
期待した反応を得られなかったのか、リリー・シンプソンは面白くなさそうに説明に戻った。
死んだはずの「ダニエラ・ソレル」、レディ・Sとトリューニヒトが再会したのは、トリューニヒトが新銀河連邦の主席となってからだった。
二人はトリューニヒトの私邸で密会を繰り返すようになった。
リリー・シンプソンは、その密会を偽装するために「トリューニヒトの愛人」という噂を立てられることになった。
レディ・Sは地球統一政府のエージェントだった。
だがトリューニヒトは、単純に地球統一政府に協力したわけでもなかった。
トリューニヒトはレディ・Sから地球統一政府の情報を入手し、それをリリー・シンプソンに伝えていた。
・地球統一政府の本体は月に設置された巨大電子頭脳「マザーマシン」であること
・かつての地球統一政府の為政者達はシリウス戦役における敗戦の際に「マザーマシン」に自らの人格を転写したこと
・その人格群も長い年月の末に個別の人格を失い、地球を捨てた銀河人類への恨みのみで動いていること
・「マザーマシン」は月面地下大深部の座標**.**.**に設置されていること
・月の民は、ある種の化学物質の存在下で地球統一政府の命令に従うように、銀河人類とは別種のゲノム改変を施されていること。そのために現在は地球統一政府の指揮下にあること。
・月の民以外の地球財団職員、銀河保安機構月支部員、その他月都市市民は拘束されて一箇所に集められている(だろう)こと。
・銀河保安機構所属の警備艦隊は地球統一政府に掌握されていること
・詳細不明ながら太陽系には別に防衛の備えがあること
・銀河人類を昏睡させている音波は「マザーマシン」の指令で出されており、「マザーマシン」さえ破壊すれば止まること
いずれも現在のヤン達には貴重な情報だった。
また、地球財団職員が地球統一政府に従っているように見えた理由もこれによって判明した。地球財団職員の主要構成員である月の民が操られていたのである。
ユリアンとしては、裏切られたわけではないことが確認できて安堵する一方、地球統一政府の人々の自由意志を無視した行いに改めて怒りが湧いてきていた。
アルマリック・シムスンは、敵も電子頭脳であったことに不思議な感慨を覚えていた。そして、自分も敵も亡霊のようなもの、いつまでも現世に関わり続けるべきではない、とも。
副官のスールズカリッター大佐がヤンに尋ねた。
「トリューニヒト元主席からの情報、信用できるのですか?」
「正直確証はない。しかし、ずっと不思議だった。私がトリューニヒトやレディ・Sの立場だったら、我々に反抗の機会など与えずとっくに我々を殲滅しているだろう」
「そんな……」
スールズカリッター中佐だけでなく、多くの者にとってそれは受け入れ難い事実だった。
「なんせ、我々は今回のことに関して全く対応できていなかったのだから。そうなっていないこと自体が、トリューニヒトが地球統一政府と別に、何らかの意図を持って動いていることの傍証に思える。それに、地球統一政府に黙従するのと、地球統一政府と我々を両天秤にかけるのと、どちらがトリューニヒトらしい行動かというと……」
「確かにあの御仁なら、我々と地球統一政府の両方を利用することぐらいやりかねませんな」
そう応じたのはシェーンコップだった。
「何を考えているかまではわかりかねるけどね。シンプソン秘書官、何か聞いているかい?」
「一言だけ『ヤン君、ユリアン君、上手くやれるものならやってみたまえ』とのことでした。しかし、トリューニヒト先生は銀河のために行動されています!それは間違いありません」
その言葉に少しでも肯定的な反応を示したのはユリアンだけだったが。
ヤンは溜息をついた。
「まあ、我々が勝ってトリューニヒト「元」主席を問いつめる機会が得られたらわかることさ」
「それで、新しい情報を元に、勝てる算段は整ったのか?」
エルウィン・ヨーゼフが改めてヤンに質問した。
ヤンはベレー帽をクシャクシャと潰しながら答えた。
「まだ、いくつか、足りないものがあります。一つは情報です。ちょうど相談させて頂きたかったところです。ユリアン、君も来てくれ。あと……シムスンさんも」
三人を集めたヤンは、相談を始めた。
「地球統一政府の備えがわからない。流石に無策のまま突っ込むわけにはいかない。これに関して何か心当たりはありませんか?」
ユリアンはエルウィン・ヨーゼフの顔を見た。エルウィン・ヨーゼフはユリアンに一つ頷きを返した。
ユリアンは答えた。
「一つ、心当たりがあります」
「何だい?」
「小惑星帯です」
「小惑星帯?」
「かつてのシリウス戦役の際に、地球統一政府は小惑星帯を最後の防衛線としていたのはご存知ですよね?」
「もちろん」
「太陽系の小惑星帯が最終防衛線に必ずしも適していないのは、太陽系で戦ったことのあるヤン提督もご存知の通りです」
太陽系の小惑星帯とは、第四惑星火星と第五惑星木星の間に広がる数百万個の小惑星群のことを指す。
しかし、宇宙空間の広大さと比較すれば、小惑星の密度は非常に低く、例えば待ち伏せを行うにもあまり適しているとは言えなかった。また、その多くが太陽系円盤上に集積しているため、別の方向から地球に向かえば、小惑星帯を気にせず地球侵攻を果たすことも可能だった。
実際、神聖銀河帝国戦争時にはヤンもそうしていた。
では、そのような小惑星帯が何故地球統一政府宇宙軍の最終防衛線となり得たのか?
アルマリック・シムスンが呟いた。
「太陽系の小惑星帯に要塞群が構築されていたと聞いたことがある」
ユリアンは頷いた。
「その通りです。しかも、機動要塞です。と言っても、ファルケンルスト要塞やガイエスブルク要塞程の規模のものではありませんが。サイズ的にはアルテミスシステムが近いでしょう。手頃なサイズの小惑星を利用することで、小型の機動要塞を地球統一政府宇宙軍は無数に用意したのです。船体が不要な分、艦艇より安上がりだったかもしれません」
航行機能とワープ機能を搭載した、見かけは小惑星と区別がつかない無数の要塞群。黒旗軍が地球を扼すべく侵入してくれば、要塞群は移動して、艦隊と連携してこれを防いだ。これによって小惑星帯は地球統一政府の最終防衛線たり得たのである。
「実際、神聖銀河帝国にも小惑星帯に機動要塞群を構築する計画があり、準備も進んでいました。ヤン提督の侵攻が早過ぎたので戦力とするには間に合いませんでしたが」
「機動要塞か……」
「その際、ある程度構築の進んでいた要塞については取り決めに従い、爆破したはずだったのですが、遠隔で行なったため、もしかしたら……」
ユリアンはいつ爆破の指令を出したかについてはあえて言わなかった。
ユリアンとしては、木星における講和が失敗した際には、小惑星帯に構築した要塞に拠ってゲリラ戦を行うことも考えていた。講和が無事に成立したことでその必要もなくなり、そのタイミングで爆破の指令を出していた。
「爆破が地球統一政府によって阻止され、さらに準備が進められた可能性もある、か」
それは、地球統一政府が一から準備を進めていたと考えるよりは余程現実味があった。
ヤンも腑に落ちたようだった。
「ありがとう。細かいところは後で詰めるとしても、これで一つ解決した。残る問題は、無い物ねだりと言うべきかもしれないのだけど……」
「それについては私が協力できるかもしれません」
そう発言したのは、アルマリック・シムスンだった。
アルマリックの説明を聞くにつれ、ヤンの顔に笑みが浮かんできた。
「よし、これでなんとかなるかもしれない!」
銀河人類を救うための算段がここに整った。
その通りに進むかどうかは、未だ人の知るところではなかった。