時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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62話 もう地球人では…… その3 矢は放たれた

「決まっているだろう?状況が絶望的だとわからせた上で、降伏勧告を行うためさ」

 

トリューニヒトの答えにヤンは問いを重ねた。

「降伏?そうしたら四百億人を助けてくれるんですか」

それが条件ならばヤンの考慮にも値したが、そうではなかった。

 

「それは無理だな。しかし我々も人類全員を完全に滅ぼすつもりではない。月と各地で生き残った者達を統合するために武力は必要だ。我々に降伏して協力するというなら、悪いようにはしない」

 

ヤンは即断した。

「お断りします。死にかけている四百億の人々を見殺しにはできない」

 

「この絶望的な状況でも?ヤン君、私に頭を下げたくないのはわかるが、君の部下達の為だ。悪いことは言わない。降伏したまえ」

 

「……降伏はしません」

部下のことを持ちだされて、ヤンにも多少の迷いは生じた。しかし、四百億人を救えるものなら救うべく足掻きたかった。

 

トリューニヒトはあっさりと矛先を変えた。

「では、ユリアン君はどうかな?」

 

ユリアンは今更何故自分が声をかけられたのかわからなかった。しかし、いくら敬愛するトリューニヒトの願いとはいえ、拒絶以外の選択肢はないように思えた。

 

それを察したのかトリューニヒトは、口を開こうとするユリアンを制止した。

「ああ、返事は少し待ってくれたまえ」

 

トリューニヒトは合図をした。

 

地球財団の制服を着た者達が、一人の女性を連れてきた。病院服を着たその女性は手枷をつけられながらも、腕で赤ん坊を抱いていた。

通常であれば、地球財団の人間が彼らに協力していることにユリアンは衝撃を受けていただろう。しかし、それどころではなかった。

 

ユリアンは思わず涙が溢れてきた。

「メグ!」

 

「ユリアン」

その女性、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは憔悴した様子だったが、ユリアンに気づき、微笑んで見せた。

 

トリューニヒトも微笑んでいた。

「ご覧の通りさ。今や月は地球統一政府の統治するところだ。彼女をはじめ、君の婚約者達は我々が保護している。君の子供もだ。わかるだろう?あとは君の判断次第だ」

 

ユリアンは、どう答えるべきかわからなくなった。

四百億人を殺そうとしている彼らが正しいとは到底思えなかった。しかし一方で、婚約者と子供を人質にとられていては、簡単に拒絶することもできなかった。

 

悩むユリアンにヤンが声をかけた。

「君がどう答えようと責めたりはしないよ」

 

「ヤン長官……」

それでも決断できないユリアンに対して、マルガレータが声をかけた。

 

「拒否するんだ、ユリアン」

 

「メグ。でも……」

 

レディ・Sが口を挟んだ。

「いいの?あなたの子供の安全が関わっているのよ?」

 

マルガレータはユリアンに語りかけた。

「ユリアン、安心しろ。何かあったら、私が子供も他の者達も守るから」

 

ユリアンは叫んだ。

「そんなの危険だよ!」

 

マルガレータは不愉快げに眉を動かした。

「違うだろう?いつものように言えばいいじゃないか」

 

「いつもって?」

 

「私のことをいつも散々煽ってくれていただろう?」

 

「いや、でも今の君は……」

 

「ユリアン、私はお前の何だ?」

 

「僕の伴侶だよ。僕が守りたい存在だ」

 

マルガレータはユリアンを睨んだ。

「ユリアン、怒るぞ。私は守られるだけの存在になるつもりはない。お前と対等に並び立てる存在になりたいんだ」

そこまで言ってマルガレータは表情を緩めた。

「だから。な?こちらのことは私に任せてくれ。頼む」

 

レディ・Sは呆れたように首を振っていた。

「難産の後なのに、この娘は……」

 

ユリアンは迷った。しかし、結局はマルガレータの望みを叶えたいと思った。ユリアンが恋い焦がれたのは強く真っ直ぐな彼女の姿だったから。

「わかった。そこまで言うなら、君が口だけじゃないことを見せてよ」

 

マルガレータは、満面の笑みを浮かべた。ユリアンに煽られて喜ぶ日が来ようとは、彼女も思っていなかった。

「勿論だとも」

 

「ねえ、痴話喧嘩か惚気話なのか知らないけど、勝手に話を進めないでよ」

放っておかれたレディ・Sは不機嫌になっていた。

 

「レディ・S、それにトリューニヒトさん」

ユリアンは決意した。

 

「僕は、あなた方には従えない。最後まで抗わせて頂きます」

 

トリューニヒトは興味深げにユリアンを見つめた。

「本当にいいのかね?待っているのは絶望だぞ?」

 

「はい。決めました」

 

「そうか。それならばせいぜい頑張りたまえ」

状況にも関わらず、トリューニヒトの視線は優しげでさえあった。

 

ユリアンは思わず呼びかけた。

「トリューニヒトさん!」

 

「何だね?」

ユリアンに向けられたその声音もその表情も、幼い頃から見慣れた、敬慕してきた人のそれだった。

 

だからユリアンは尋ねた。

「なぜ、こんな事をしたのですか?」

 

「扇動政治家がいかに危険か。民主共和政の健全な発展を促すべくあえて反面教師役を務めようかなと思ってね」

 

「まさか、そんな意図が……」

 

「……無論そんなわけはない」

 

「では、どうして!?」

 

トリューニヒトはわざとらしく笑みを深くした。

「決まっているじゃないか、自分自身の福祉のためだよ」

 

「そんなはずはない!あなたはそんな人ではないはずです。きっと何か事情があるのでしょう!?」

ユリアンの心からの叫びにも、賛同の声は上がらなかった。

今の状況になってまでトリューニヒトを信じられる者は少なかった。

 

「さようなら、ユリアン君。君の幸運を願っているよ」

最後に、そう言い置いてトリューニヒトは姿を消した。

 

マルガレータも連行された。

彼女が気丈な表情を見せていたこと、赤ん坊が安らかに眠っていたことがユリアンにとっては僅かな救いだった。

 

最後にレディ・Sが残った。

「それじゃあ、時間もそれなりに稼げたことだし、最後にプレゼントよ。オーベルシュタイン中将」

 

声をかけられたオーベルシュタインは短く答えた。

「何だ?」

 

「私達の活動をあなたは把握できなかった。不思議に思っていることでしょうね」

 

「……」

 

「返事は別にいいわ。答えはね、こういうことよ。『永遠の夜の中で、明ける時を待ちながら飲む一杯のコーヒー』」

 

その瞬間、シリウス星域に集まっていた艦艇の9割において、ネットワークに接続された機器に何らかの障害が発生した。

 

ある艦では下水設備に不具合が発生し、艦内が汚水まみれとなった。

ある艦では対空砲が勝手に作動し、隣の艦を傷つけた。

エンジンが暴走し爆発した艦も出現した。

 

ヒューベリオンも被害を免れなかった。

空調設備に障害が発生し、一方で複数の武装が動作不能となった。

艦橋においても事件が起こった。

オーベルシュタインの義眼が突如高熱を発し、爆発したのである。

 

「不用意に電子の世界に飛び込んで来た報いよ」

オーベルシュタインはその義眼をネットワークに接続していた。それによって各所のコンピュータや監視カメラにアクセスするなど、ネットワークを利用した情報収集を人知れず実施していた。

そのことを、地球統一政府に利用された形だった。

 

「情報通信技術の発展浸透の初期にはセキュリティ技術の開発がどうしても後手に回ることになる。地球統一政府の技術を承継する我々にとって、今のような発展期は付け入るのに最適なのよ。そうなるように我々も仕向けていたんだけど」

 

レディ・Sはクスッと笑った。

「まあ、要するに、オーベルシュタイン中将の諜報活動はかなりの部分筒抜けだったというわけよ。残念だったわね」

 

殆どの者は事態の収拾のために動いており、彼女の話を聞いている余裕はなかった。

 

そのことに気づき、レディ・Sは肩を竦めた。

「それじゃあ半壊した艦隊で我々にどう立ち向かうのか、頑張って考えて頂戴ね」

 

通信が切れた。

 

銀河保安機構及び各国軍に残された戦闘可能艦艇は、僅かに四千隻程だった。





少し忙しくて再度投稿遅くなりました。

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