オーベルシュタインはユリアンを伴って、ヒューベリオンの艦橋に戻った。
艦橋にはエルウィン・ヨーゼフやポプラン、シェーンコップ、アルマリック・シムスンも来ていた。
ユリアンはエルウィン・ヨーゼフと目があった。
エルウィン・ヨーゼフはユリアンの様子を確認して一つ頷きを返した。
情報局員がオーベルシュタインに報告した。
「殆どの惑星、艦隊と連絡が取れない状況となっています。新銀河連邦だけではありません。銀河全体が、です」
オーベルシュタインはユリアンを見た。
ユリアンは即座に首を横に振った。
「〈蛇〉として計画していた中にこんな事態をもたらすものはありませんでした。……勿論、僕個人としてもです」
技術局より報告があった。
「各地の支部にある一部無人艦艇と通信できました。無人艦艇を通じて惑星の地表を確認したのですが、人々は皆意識を失って倒れているようなのです。いずれの惑星もです」
長官付きの参謀の一人が尋ねた。
「有人艦艇の方はどうなんです?」
「内部の様子を確認できたのはごく一部ですが、同様に昏睡状態に陥っているようです。実は無事な有人艦艇もあったのですが、偵察のため居住星域に向かわせるとすべて通信途絶となりました。乗員が昏睡状態に陥ったものと思われます」
「全銀河で同時に昏睡が起きた……?」
何か思い当たるものがあるように感じたが、ユリアンには先に確認しておくべきことがあった。
「月はどうなのですか!?」
「保安機構の月支部も地球財団も、他の有人惑星と同様に連絡は取れておりません」
「そんな……」
その時、オペレーターが注意を喚起した。
「超光速通信を受信!発信元は月です」
「月?」
ユリアンはその通信が、地球財団からのものであることを期待した。
だが、艦橋の多くの者は警戒感を抱いていた。この状況で何故月から連絡が来るのか?
ヤンがオペレーターに告げた。
「繋いでくれ」
通信は、ヒューベリオンを通じて銀河各国軍の旗艦にも中継された。
スクリーンに映ったのは二人だった。
「やあ、諸君。私だ」
一人はトリューニヒト主席だった。
多くの者はもう一人の方、その隣の人物の容姿に目を奪われていたかもしれない。
亜麻色の髪の美しい少女だった。
だが、目を奪われた理由は、その美しさよりも、少女がユリアンに似ていたからだった。
よくよく見れば瞳の色も異なるし、顔貌も瓜二つと言うほどではない。
それでも血縁を思わせるほどには似ていた。
ユリアン自身も同じ思いを抱いた。
「お祖母様?いや、違う。でも……」
ポプランが声をあげた。
「月の幽霊騒ぎの時に見かけたことがあるぞ!やっぱり幽霊じゃなかったんだな」
ユリアンは幽霊騒ぎの際に、ポプランからお姉さんがいるのかと訊かれたことを思い出した。ポプランがその際に彼女を見かけていたのだとしたら、血縁者だと考えるのは当然のようにユリアンは思えた。
少女はユリアンを視認した。
「元気そうね。ユリアン・ミンツ。いえ、今はユリアン・フォン・ミンツか」
ユリアンがその少女と顔を合わせるのは、これが初めてのはずだった。
「あなたは誰ですか?ミンツ家の血縁者なんですか?」
「私のことはレディ・Sと呼んでもらえるかしら」
レディ・Sと名乗った少女は、悪戯っぽい表情を見せた。
「その上で、私が何者かという本質的な問いに答えてあげられるかどうかは、あなたのこれからの行動次第よ。ユリアン・フォン・ミンツ」
「どういう意味ですか?」
「盛り上がっているところ悪いが、そろそろ本題に入ろうか」
話に割って入ったのはトリューニヒトだった。
「突然だが、私、ヨブ・トリューニヒトは今この時をもって新銀河連邦主席の職を辞す」
艦橋が騒然となった。
「はあ!?」
「どういうことですか!?」
「この非常時に!?」
ヤンは思わず呟いた。
「私に対する嫌がらせの一環かな?」
トリューニヒトは、ヤンが長官就任後に何度も辞表を握りつぶしてきた張本人だったから。
そのトリューニヒトが先に辞めると言い出したことに対してヤンは複雑な気持ちになった。
トリューニヒトは、ヤンの場違いな呟きに反応した。
「勿論個人的な嫌がらせなどではないさ」
ヤンはトリューニヒトを睨んだ。
「今、新銀河連邦、いや銀河全体が緊急事態に陥っていることはご存知ですよね。無責任過ぎませんか?」
「知っているとも。今、銀河の人々の殆どが昏睡状態に陥っている。そしてだからこそ私は辞めるのだよ」
「では、どうして?」
トリューニヒトは笑みを崩さなかった。
「この事態を引き起こした組織に味方するつもりだからだ」
「組織?」
怪訝な表情のヤンに対してトリューニヒトは説明を続けた。
「私の新たな役職を紹介させてもらおう。地球統一政府高等参事官だ」
「「地球統一政府!?」」
再び艦橋が大きくざわめいた。
初めて人類を統一した存在として人類史に残るその名前。で、ありながら、あえて忘れられてしまった存在。かつての地球教団ですら復活させなかった、忌み名に等しきその名前が歴史に再び浮かび上がってきた瞬間だった。
ユリアンもエルウィン・ヨーゼフも、トリューニヒトが何故今更そんな名前を持ち出してきたのかわからなかった。
あるいは、ド・ヴィリエの警告と関係があるのか……。
トリューニヒトは作り物じみた笑みを深くした。
「そうとも。私が新しく属するのは人類の正統なる統治機構、地球統一政府だ。地球統一政府は今に至るまで存在し続けていたのだ。地球教団なる集団は、目くらましのピエロに過ぎなかったのだよ」
ユリアンは、心が波立つのを感じ、動揺した。
方向性はともかく、地球教団のメンバーは皆真面目に地球の復興を考えていた。それをピエロの一言で片付けられたことに、怒りが湧いてきたのだ。
そして、そのような感情を父親とも思っているトリューニヒトに対して抱いてしまったことの方にユリアンは動揺していた。
〈蛇〉の一件がなければ、ユリアンは自らの感情に振り回されることになっていたかもしれない。
アルマリック・シムスンも愕然としていた。
「馬鹿な。地球統一政府が残っていたなんて……」
トリューニヒトがスクリーンを介して、アルマリックを見た。
「驚くことかな?あなたは地球教団の陰謀さえ、ごく最近まで把握できていなかったではないか。それに、シリウスの亡霊であるあなたが現存するのだ。地球統一政府が残っていていけない道理はなかろうよ」
「なんてことだ……」
それは、アルマリック・シムスンにとって九世紀近くを無為に過ごして来たと言われているに等しいことだった。
アルマリックは苦悩に沈んだ。
レディ・Sはその様子を興味深そうに眺めていたが、やがて厳かに宣言した。
「地球統一政府九百年の計、人類四百億人安楽死計画『
ビッテンフェルトが怒鳴った。
「人類の安楽死だと!?ふざけたことをぬかすな!」
ビッテンフェルトの言葉にも少女は臆する様子を見せず、むしろ怒りを抱いたようだった。
「大真面目よ。私がどれだけ気を遣ったか、わかっているの?痛みもなく、夢見心地で死んでいけることを、銀河人類は私に感謝すべきなのよ」
「人を小馬鹿にするのも大概にしろ!この、大人ぶった小娘が!」
ビッテンフェルトはその後も罵倒を続けていたが、レディ・Sは無視することに決めたようだった。
彼女は片手を上げた。
「地球統一政府の代理人として、私はここに宣言する。母なる星を捨て、銀河系に広がった罪深い人類を淘汰する。八世紀にわたる誤った歴史、人類が地球を捨てていた時代の歴史を消滅させる」
レディ・Sは、一呼吸おき、微笑んだ。
蠱惑的な笑みだった。
「そう、人類の歴史は再び地球から始まるのよ」
ユリアンは、時折感じていた。
どこかで誰かが、自分を含めた数百億人の運命をその指先に乗せている、と。
その妙な感覚の正体がわかった気がした。