「新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ」
……宮沢賢治、「生徒諸君に寄せる」より
「運命は年老いた魔女のように意地の悪い顔をしている」
……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉
人類未踏領域にありながら、精神ネットワークを介してグリルパルツァーはユリアンの敗北を知覚した。
彼は心の中で舌打ちをした。
ユリアン・フォン・ミンツが敗北した今、やがて人類の追求の手が未踏領域まで伸びるのは必然と言えた。
グリルパルツァー=〈蛇〉は逃亡を決意した。
惑星エオスで確保した人員は捨ておくことにした。探査隊の人員も、既知領域に係累のいる者達はエオスに残した。
人類による追跡の可能性を極力下げるためである。
残る探査隊員とグリルパルツァー、探査艦隊の残存艦艇三千隻、それに、エオス開拓船団の各種輸送艦、工作艦、資材が〈蛇〉に加わった。
ユリアン・フォン・ミンツの数々の着想、特に、〈蛇〉にヒトの形を模らせ、労働力かつ戦力とするそれはグリルパルツァーにとっても参考になった。
グリルパルツァーは清々しい気持ちでさえあった。
彼はこれを逃避行とは考えていなかった。
これから〈蛇〉とともにさらなる未知の世界へと乗り出して行くのだから。
彼は、かつて帝国地理博物協会誌で読んだ古代の詩を思い出していた。
「そうとも、俺は、俺/俺達/〈蛇〉は銀河系空間の外にも至って、透明に深く正しい地史と増訂された生物学を獲得するのだ」
まだ見ぬ星々、銀河の深奥が自らを待ち受けていると思うと、狂おしいほどの歓喜さえ沸き起こってくる。
事実上不死であり、あらゆる生命を取り込むことが可能な〈蛇〉の能力は、グリルパルツァーの望む未知世界の探査には非常に有用だった。
予期される未知の知的生命体との接触に際しても、それは有効に働くだろう。
そのためにグリルパルツァーは〈蛇〉と出会ったのではないかとさえ思えた。
……いずれ人類は〈蛇〉を研究し、そのあり方の素晴らしさを理解するようになるだろう。人類は、やがて自ら〈蛇〉と一体となることを望むだろう。
その時、俺は既に遠くに行っているだろうが。
そうとも、この宇宙は、未来は、俺/俺達/〈蛇〉のものなのだ!
準備を整えたグリルパルツァー=〈蛇〉は、星々と未来に知己を求め、さらに先へ、さらに遠くへ、限り無き天の涯てへと進み出した。
状況が落ち着いた頃、ヤンはオーベルシュタインに苦言を呈した。
「情報局はいつの間にヘルクスハイマー大佐の身柄を確保していたんだい?正直助かったのは確かなんだけど、事前に教えてくれていたらありがたかったな」
オーベルシュタインは答えを返さなかった。頭の中で考えを整理しているようだった。いつもの彼であれば、そのような質問に対する答えなど、事前に用意しているだろうに。
「どうした?オーベルシュタイン中将?」
オーベルシュタインはようやく答えた。
「情報局はヘルクスハイマー大佐を発見できておりません。小官は、閣下が私を信用せずに独自にヘルクスハイマー大佐を救出されたのだと考えておりました」
「まさか。いや、私も全く動いていなかったわけではないが、ヘルクスハイマー大佐は発見できていなかったよ」
オーベルシュタインは、オペレーション・ローレライの実施を管理していた技術局に問い合わせた。
その結果わかったことは、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーからの通信は正規のものではなく、割り込みをかけられたものだった。通信は何重にも中継されており、発信源は特定できなかった。
ヤンとオーベルシュタインは顔を見合わせた。
「あまり勘というものには頼りたくないんだが、なんだか嫌な予感がするな」
「同感です」
人知れぬ、闇に覆われた場所で。
二人の人物の周囲に、仮面を被ったローブ姿の者達が倒れ伏していた。
二人のうち一人は新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトだった。
もう一人は、亜麻色の長い髪を持った少女だった。
トリューニヒトは少女に微笑みかけた。
「救出してくれてありがとう」
「別に無理やり拉致されていたわけでもないのによく言うわね」
容姿にそぐわぬ妖艶さが漂わせて少女は笑った。
「まあね。しかし、君がここに来たということは、準備はすべて整ったということかな?」
少女は笑みを深めた。
「そうよ。人類の運命を決するための準備がね」
仮面の者達の中でただ一人だけがいまだに意識を保っていた。顔につけていた仮面は、頭部に受けた衝撃で半ばまで砕かれ、その素顔が露わになっていた。
「ユリアン君を遠くから見守る会」の会長、銀河保安機構月支部のアウロラ・クリスチアンだった。
彼女はなんとか上体を起こし、トリューニヒトの名前を呼んだ。
「トリューニヒト……どういうこと?裏切ったの?」
トリューニヒトはその笑顔をアウロラに向けた。
「裏切る?違うな。ユリアン救出に関しては利害が一致していたから協力していただけのこと。それ以上でもそれ以下でもないよ」
亜麻色の髪の少女が、アウロラの元に歩みを向けながら、声をかけた。
「まだ意識があったのね。でも、大人しく寝ていた方が身のためよ」
アウロラは彼女を睨んだ。
「お前は何なの?どうしてユリアン君に似ている?ユリアン君の家族なの?」
アウロラも、他の「ユリアン君を遠くから見守る会」の武闘派メンバーも、不意をつかれたとはいえ、彼女がユリアンを思わせる容姿をしていなければ、ここまでの不覚はとっていなかっただろう。
それとは別に、少女自身の技量と身体能力も人とは思えぬものだったが。
少女は意外にも歩みを止めて考え込んだ。
「家族?家族……ね。どうなのかしらね。あなたが気にすることじゃあないわね」
「ユリアン君をどうする気?」
「それも、あなたごときが気にしなくていいことよ。でも、まあ、あなたの執着も異常よね」
「ユリアン君を好きで何がいけない?」
少女は婉然と笑った。
「いけなくはないわ。私の愛しのヨブのことを好きと言われるより余程いいわ。でもね……」
「何?」
「不思議に思わない?みんな、ユリアン・フォン・ミンツに執着し過ぎよね。好意を持つにせよ、警戒するにせよ、嫌うにせよ。まあ、あなたに、あなた達にわかるわけないか」
「何を言って……」
「喋りすぎたわ。そろそろ寝てなさい」
アウロラに近寄った少女は、彼女の頭を蹴りあげた。
アウロラの体が高く舞い上がり、遠くに落ちた。動く様子はなかった。
トリューニヒトがとがめた。
「おいおい、いちおう知り合いなんだ。殺さないでくれよ」
「死にはしないわ。……多分ね」
少女はトリューニヒトの方に体を向けた。
「それよりも今後の事を語り合いましょう。人類を待ち受ける運命のことを。ね?愛しのヨブ」
「もちろんだとも。
二人は暗い闇の中で歩み寄り、口づけをかわした。
その姿は、本当に愛し合っている者同士の睦みあいのように見えた。