宇宙暦803年 6月 新銀河連邦直轄地
とある開拓惑星の気が滅入るような曇天の下で、二人の男が向き合っていた。
それぞれが数人の部下を従えていた。
彼らの前で大量の箱と、何個かのアタッシュケースが交換された。
一方の男が口を開いた。
「はい、今回は全部で十万本、確かに受け取りました。それが約束のお金です」
もう一人の男はケースの中身を確認して頷いた。
「色をつけておきましたので、これからもなにとぞよしなに、ジーベル殿。
瓶を受け取った人間はどうやら商人であるようだった。
ジーベルと呼ばれた男は鷹揚に返事をした。
「ああ。生命卿も良い取引ができてお喜びだ」
商人と思われる男はにやっと笑った。
「では、我々はこれで。これからこれを売りさばきに行きますので」
彼らが帰った後、ジーベルは一人ほくそ笑んでいた。
「せっせと我々に貢ぐがいい。豚ども。すべては生命卿の操るところだ」
法の網をすり抜ける回生の妙薬「生命水」。
それが、彼の扱う商品だった。
彼の名はジン・ジーベル。
かつての名をクリストフ・フォン・バーゼルと言った。
地球教団、そして神聖銀河帝国においてサイオキシン流通の元締めだった男。
彼はサイオキシンを失った今、その代替物をもって再びその金銭欲と野心を満たそうと考えていた。
宇宙暦803年 7月 新銀河連邦直轄地
貨客船トライアンフは、新銀河連邦直轄地、開拓惑星キールから連合領リューゲンに向かう乗客を乗せ、1回目のワープを終えたところだった。
ここからはしばらく通常航行となる。
船長カーレ・ウィロックは、乗組員に海賊への警戒を指示した。保安機構の活動により、ようやく海賊の脅威も減りつつある昨今だが、辺境航路はやはり最も狙われやすいのだ。
とはいえ、指示を出した以上、船長としてやるべきこともなく、休憩に入ろうかと思っていた矢先、
「いやああああ!」
乗客のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。
何事かと客室に向かったウィロックと数名の乗組員は、隅で震える数名の乗客と、何の反応も示さない十数名の乗客を見つけたのだった。
その十数名が死人であることを確認するのに大して時間はかからなかった。
ウィロックは生き残った乗客から話を聞いた。彼らによると、ワープ前は皆元気に生きていて会話もしていたのだという。それがワープが終わると、眠ったような状態になり、いつの間にか死んでいたのだ。
一体何が起きたのか?
この事件はワープ集団怪死事件として全銀河に知れ渡ることになった。
そして、同様の事件が新銀河連邦の複数の場所で立て続けに起こったのである。
多くの場合、乗客の相当数が死亡。ひどいケースでは乗組員含めて全滅していた場合もあった。
ワープをすると死ぬ。
全銀河の人々が恐怖に震えた。
星系間の交通量が大幅に減少し、それが経済活動を阻害し、銀河、特にオリオン腕は短期間のうちに全面的な不況に陥った。
人々は怪死事件の原因を様々に噂しあった。
曰く、殺人鬼集団が活動しているのだ。
曰く、神聖銀河帝国残党の仕業だ。
曰く、超空間に怪物が潜んでいる。
曰く、同盟の新兵器実験だ。被害がオリオン腕に偏っているのがその証拠だ。
無責任な噂が恐怖を増大させ、相互不信を煽った。
宇宙暦803年 9月 銀河保安機構アルタイル本部
銀河保安機構は、この事件を解決するための秘密会合を持った。
参加者は、ヤン長官、オーベルシュタイン長官補佐、アッシュビー首席独立保安官、マルガレータ独立保安官、それにユリアンだった。
ヤンがユリアンに尋ねた。
「怪死事件のことは聞いているね」
ユリアンはわずかに微笑をたたえて答えた。
「はい」
「まずは捜査状況の共有から行なう。後で君の見解も聞くからそれまでは楽に聞いてくれ」
「わかりました」
アッシュビーが、マルガレータを促した。
「それではマルガレータ中佐、説明をお願いする」
「はい」
マルガレータは席を立ち淡々と説明を始めた。
「小官と、ディッケル少佐、イセカワ少佐、三人の独立保安官が本件を担当しました。その結果を説明します。
まず、乗客の死因ですが、イセカワ少佐率いる検死チームによる分析結果が出ております。
先に申しますが、ワープ直後に人が死ぬという事例はこれまでも皆無ではありませんでした。何千万人という人が日々恒星間航行をおこなっているのですから当然ではあります。
今回の特殊性はそれが集団で起こっていることです。
従って、今回の検死は二人以上が同時に死んでいたケースに限って行われました。
それによると、ワープ後に死んだ乗客は心筋その他複数の組織に壊死が見られました。多臓器不全の状態です。直接の死因は心臓や肺機能の停止になります」
ヤンが尋ねた。
「外傷はなかったんだね?」
「ありませんでした。例えば、薬物を注射されたというような痕跡もありません。さらに言えば血中から既知の薬物が検出されることもありませんでした。これはいま少し詳細な分析を進めていますが」
既にユリアン以外には報告書の形で情報が回っていたからヤンの質問もあくまで確認であった。
他に質問も出ないのを見てマルガレータは説明を続けた。
「我々は死亡者の共通点を探しました。しかし、病歴、性別、年齢、人種傾向、殆どがバラバラでした。事件が起きた船に共通して乗っていた人間というのもおりません」
アッシュビーは今回の事件に関して、かつて暗殺者紛いなことをしようとしていたコクラン少将のことを思い出し、密かに問い合わせを行なっていた。コクランの一族以外にも局所的に化学反応を操れる人間、ケミカルエスパーがいるのか、と。
コクランは、知る限りはいないし、いたら自分が妙なことをする必要もなかっただろうと答えた。
完全には否定できないものの、そのような人間が大人数同じ目的で活動している可能性は限りなく低いように思われた。
マルガレータの説明は続いていた。
「唯一共通していたのが、殆どの死亡者が新銀河連邦直轄地内の再開拓惑星の住人あるいはその関係者ということです。無論、新銀河連邦内の殆どの有人惑星が再開拓中の惑星ではあるのですが。
船に関しても共通点を探しました。そちらも、ほとんどの船が新銀河連邦の再開拓惑星からの貨客船であるという以外に共通点はありません。船籍、船歴、運営会社、船の規模、製造元、メンテナンス会社、船体部品の製造元に至るまで共通点がなく、バラバラでした」
マルガレータは息を継いで見回した。皆、マルガレータの話に耳を傾けていた。ユリアンと目が合いそうになって慌てて目を逸らした。
「我々は唯一の共通点、新銀河連邦内の再開拓惑星であるというところに注目せざるを得ませんでした。その数は十以上に及びましたが、現在再開拓が進む惑星の数は百以上あります。ワープ後の怪死が起きた惑星のみの共通点を探しました。しかし、共通点はあまり多くありませんでした。
日光量の少ない惑星が比較的多かったのですが、すべてではありません。惑星の場所も辺境に偏ってはいますが、これもすべてではありません。
調査は難航しました。しかし、ディッケル少佐がようやく共通点を探し出しました。とある液体が事件の起きた再開拓惑星群には広く出回っていたのです。その液体の名は「生命水」」
ここに至ってマルガレータは初めてユリアンを見据えた。
「ミンツ総書記、ジン・ジーベルという名を聞いたことはありませんか?」
ユリアンは表情を変えずに答えた。
「たぶんありませんね」
一瞬、体が強張ったように見えたのはマルガレータの気のせいだろうか?
「では、
「……おそらくありません」
「……わかりました。そのジン・ジーベルと名乗る人物が、生命水を「若返りの妙薬」などと騙って広めているようなのです。しかしその組成も、実際の効能も、まったく正体不明の代物です。
さらに、それを製造してジン・ジーベルに渡している存在がいるようでした。その者が生命卿と呼ばれていたのです」
ユリアンは無反応だった。
「我々はヤン長官経由で新銀河連邦行政局に掛け合い、生命水の流通をストップさせました。その結果、現在新しいワープ怪死事件は起きておりません」
ヤンはマルガレータに確認した。
「つまり、ヘルクスハイマー中佐はその生命水なるものがこの事件の原因と見ているのだね」
「はい。メカニズムは不明ですが、状況証拠的にはその可能性が高いだろうと思われます」
「わかった。それで、そのジン・ジーベル氏はどうなった?」
「ジン・ジーベルは既に逃走してしまっていました。しかし、ディッケル少佐は彼の部下の一人を拘束しました。その部下から我々はいくつかの情報を得ることに成功しました」
「何がわかった?」
「わかったのは、ジン・ジーベルを名乗る男が、かつてサイオキシン・マフィアを牛耳っていた男、クリストフ・フォン・バーゼルであること」
皆がユリアンを見たが、彼はこれにも無反応だった。
「さらには、ジン・ジーベル、つまりクリストフ・フォン・バーゼルが生命水を手に入れるにあたっては地球財団の職員と接触していたこともわかりました」
ユリアンは初めて明確な反応を示した。
「それは……」
マルガレータはユリアンに続きを言わせなかった。
「ミンツ総書記には知らせておりませんでしたが、その職員とは小官の方で既に接触させて頂いております」
ユリアンは立ち上がった。
「それは自治権の侵害でしょう」
マルガレータは動じなかった。
「落ち着いてください。お話を伺っただけです。逮捕した訳でも何でもありません。自治区の方で外部の者と話をしてはいけないという法律を設けているわけではないのでしょう?」
その通りだったので、ユリアンも引き下がらざるを得なかった。
「それで、お話を伺った結果ですが、生命卿の正体がわかりました」
ユリアンは尋ねた。
「一体誰だったのですか?」
マルガレータは感情を込めないように努力しながら、答えた。
「ユリアン・フォン・ミンツ。あなたです。あなたがその生命卿です」
マルガレータは正直信じたくなかった。ユリアンが大量殺人に関わっていたなど。神聖銀河帝国の時は戦争で軍人同士の戦いだった。しかし今回は民間人に対する明らかな虐殺行為だ。
マルガレータはディッケルに何度も確認した。自らも反証あるいは裏付けを得ようと動いた。しかし出てくるのはユリアンが生命卿であるという証拠のみだった。
だが、それでもマルガレータはわずかな可能性に縋った。
そのためにヤンに頼んで今回の機会をつくってもらったのだ。
ユリアンの口から否定してもらうために。
叫びそうになる自分を抑えて、マルガレータはユリアンを促した。
「違うなら違うとちゃんと言ってください」
しかし、彼女の淡い期待は裏切られた。
「いいえ、お見事。僕が生命卿です」
ユリアンはあっさりと自ら認めたのだった。