時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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本日投稿二話目です。


56話 輝く星々のかなたより その13 オペレーション・ローレライ

 

「ことばでは伝わらないものが、たしかにある。だけど、それはことばを使いつくした人だけが言えることだ」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

 

 

「オペレーション・ローレライ!技術局に準備させていたユリアン救出のための奥の手だよ!」

 

ヤンの真の奥の手もまた、味方に対して秘匿されていた。

 

ヤンはユリアンが〈蛇〉に操られている限り、救出は難しいと考えていた。

ユリアンの精神が〈蛇〉全体に拡散する事態を予測していたわけではなかったが、救出前に自殺を強いられる事態もあり得るとは考えていた。

しかし、逆に言えばユリアンに一時的にでも正気を取り戻させることができれば、救出の目はあるとも考えていた。

 

それでは、どうやって正気を取り戻させるか?それが課題だった。

 

ユリアンの場合もそうだったが、人の声によって、〈蛇〉に取り込まれた人物が一時的に正気を取り戻す事例は確認されていた。

それを考えれば声を聞かせることができればユリアンが正気を取り戻す可能性は存在した。

しかし、ユリアンが自らの動揺を誘うような通信を受け入れるとは思えなかった。

 

衛星に待機していたアルマリック・シムスンを、ユリアンがエルウィン・ヨーゼフだと誤断して自らの元に連れて行くような事態となれば、アルマリック・シムスンに持たせた通信機を介して会話することも可能であった。あるいは物理的にユリアンを救出することも可能だったかもしれない。

それは成功率が低いと考えられながらも、実際に試みられたが、ユリアンが即座にエルウィン・ヨーゼフではないことに気づいてしまったため、うまくいかなかった。

 

それではどうしたらよいか?

その解決策は、意外なところから出てきた。技術局の預かりとなっていたメッゲンドルファーが構築した、用途不明の装置であったはずの時空震連続発生装置、これが課題の解決に役立ったのである。

 

音が振動であり、宇宙空間においては振動を伝えるための媒介物が存在しないために伝わらないことは周知の事実である。

かつて地球上では行われていた音を使った士気の鼓舞や敵の威圧が、宇宙空間での戦闘において行われないこともそれが理由である。

 

それでもどうにかして宇宙空間でも声を伝えることができないか?

それがヤンの思案したところであり、技術局リンクス技術大佐がメッゲンドルファーの装置の使い途を見出したところであった。

 

時空震は空間自体が震動する現象である。任意の振動数で空間を連続して揺らすことができれば、どうなるか?

空間が震え、艦の装甲も震え、艦内の空気も任意の振動数で震えることになる。

つまり、空気のない宇宙空間でも音声を伝えることができるのである。

しかも、時空震は光速の制限を受けないため、音声を超光速で広範囲に伝えることが可能という利点もあった。

 

技術局と連携した情報局は、ユリアンの知己と連絡を取り、ユリアンに対してメッセージをお願いした。

彼らは超光速通信を介してユリアンに音声メッセージを届けた。

 

〈蛇〉による通信妨害は一つの障害となっていたが、数を減じた今となっては、長距離の通信も再び可能となっていた。

 

音声メッセージは輸送艦で運んで来た複数の時空震連続発生装置によって、時空震に変換し、惑星ロンドリーナ周辺の広い範囲に響くことになった。

〈蛇〉に取り込まれたユリアンだけでなく、銀河保安機構軍、同盟、連合、帝国の各艦隊の将兵が等しくその声を聞いていた。

 

音量の調整が難しいことがこの技術の難点だったが、割れんばかりの大音声もこの場合はプラスに作用した。

ユリアンが耳を塞いでも、仮に鼓膜を破いたとしても身体自体に振動が伝わることで音が聴こえるため、防ぎようがないのである。

 

 

呼びかけは続いていた。

「ユリアン・フォン・ミンツ!目を覚ませ!お前は余の臣下ではなかったのか!?余以外のものに従属することを許した覚えはないぞ!」

エルウィン・ヨーゼフだった。

 

ユリアンは動揺を強めた。

「エルウィン……陛下!」

 

「ユリアン・フォン・ミンツ!お前、何をやっているんだ!早く戻って来てマルガレータを探すのを手伝え!」

「そうよ!何やってるのよ!」

クリストフ・ディッケルとイセカワ・サキだった。

 

「ミンツ総書記、戻って来てください!」

「人が運命に逆らえるところを見せてください!」

「みんな待ってますよ!」

「ミンツ総書記!」

「我々を見捨てないで!」

「これからどうしたらいいんですか!?」

「ずっと好きでした!結婚されるなんて悲しいです!」

「えっ!?誰!?抜け駆けずるい!」

「私とも結婚してください!」

シュトライトやマシュンゴ、地球財団職員の面々からのメッセージだった。

 

「また紅茶を淹れてくれる約束、守ってくれよ!」

ヤンもユリアンに声をかけた。

 

「ヘル・ミンツ!カーテローゼ嬢を不幸にする気ですか!?」

ミュラーだった。ミュラーは、カーテローゼがユリアンと結婚すると聞いて、少しだけ気落ちしていた。

 

「ユリアン君、悲しんでいる人がいるのをわかっているの!?」

「今度うちに遊びに来てくれるはずだっただろう!」

メルカッツ夫妻だった。

 

「ユリアン君、君のいるべき場所はそこではないはずだ!目を覚ましてくれ!」

自由惑星同盟軍時代のかつての上官、パエッタ退役中将だった。

 

「ユリアン、君が同盟に戻ってくる日を待っているぞ!」

かつてユリアンの下で第13艦隊旗艦シヴァの艦長を務めたニルソンの言葉だった。

 

 

「地球を美しく青い星に戻すのではなかったのか?」

ド・ヴィリエだった。

情報局はモールゲンの収監者にも通信を繋いでいた。

 

「皇女達のことをどうする気だ!?帝国貴族としての義務を果たせ!」

レムシャイド侯だった。

 

「〈蛇〉とやらに詩情を解する心はあるのですか?」

「人外に取り込まれるとは帝国貴族の面汚しめ!早く戻って来い!」

ランズベルク伯とフレーゲル男爵だった。

 

「みんな……」

ユリアンは、彼らのことを思い出した。

銀河各地でユリアンと関わりを持った人達。

ユリアンが人として生きた証。蓄積。

ユリアンが御し難い憎悪の炎を胸に抱きつつも、一線を越えずにいられたのは彼らがいるおかげだった。

今、彼らの言葉は、人類の領域を外れようとしているユリアンを引き留める強い力となった。

 

しかし……

〈蛇〉もまたユリアンの精神に深く根を下ろしており、ユリアンが人類の元に戻るのを押しとどめていた。

 

同盟から、帝国から、フェザーンから、連合から。

各地から呼びかけは続いていた。

 

ユリアンの中で〈蛇〉と人類、両者の働きかけは拮抗していた。

ユリアンは動けなくなった。

そのことを理解した〈蛇〉は、自らの本能とわずかな知能に基づき動くことにした。

 

ヤンは艦橋から〈蛇〉の動きを観察していた。

時空震連続発生装置によって発生させた音声による呼びかけが効いていることは〈蛇〉の動きが止まったことからも推測することができた。

 

しかし、〈蛇〉は再び動き出してしまった。

包囲を続ける銀河保安機構軍に対して前進を始めたのである。

 

このまま前進を許せばそのうち突破されることになる。しかし、砲撃によって〈蛇〉を殲滅してしまってはユリアンを救出することはできない。ユリアンの乗る〈蛇〉の場所も特定できていない状況ではなおさらだった。

 

ヤンは〈蛇〉を押しとどめる為に砲撃を続行することを指示したが、内心焦りにかられていた。

音声による働きかけでは不十分なほどユリアンが深く〈蛇〉に取り込まれている可能性についてはヤンの頭にもあった。

それでもユリアン救出のためにヤンはこの作戦に賭けていた。

分の悪い賭けであり、他のことであればヤンはこの策を採用しなかっただろう。

しかし、ヤンはユリアンを助けたいという私情を優先してしまっていた。

司令官として失格であることは認識しており、この戦いが終われば辞表を提出するつもりだった。……提出する度にトリューニヒトからは笑顔で突き返されて来たのであるが。

 

ヤンは状況から次善の策に移行することを検討し始めた。

〈蛇〉を惑星ロンドリーナの地表に叩き落とす当初の作戦である。

その過程でユリアンが命を失う可能性は十分にあったが、銀河保安機構の長としてここで〈蛇〉の主力を取り逃がすリスクを犯すわけにはいかなかった。

ヤンは、ユリアンの死によりその精神が〈蛇〉の中に拡散し、さらに強大な敵を生み出すことになる事態をこの時想定できていない。ヤンの人としての限界と言えた。

 

ヤンがついに作戦の変更を命じようとした時、その音が宇宙に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

それは生命の始原の音だった。

それは人類の始まりを告げる音だった。

人々の心を等しく波立たせる音だった。

生命を持つものであれば反応せざるを得ない音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンギャー!オンギャー!オンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

 

 

 

生命の誕生を告げる原初の音が、時空の震動となって宇宙の虚空に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「アンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

〈蛇〉を含めたすべてのものが束の間、行動を停止した。

 

 

 

 

 

「オンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

それは、生まれたばかりの赤ん坊の泣き声だった。

 

 

 

 

鳴り響く産声の中に、別の声が混ざった。

 

「おーい!ユリアーン!産まれたぞー!早く戻って来ーい!」

 

 

行方不明となったはずのマルガレータの声だった。


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