「正々堂々と戦って百万人の血を流すことと、最低限の犠牲で平和と統一を達成することと、どちらがより歴史に貢献するのか」
……とある命題
「私のような人間が権力をにぎって、他人にたいする生殺与奪をほしいままにする。これが民主共和政治の欠陥でなくてなんだというのですか」
……いつかどこかで、とある政治家の言葉
銀河保安機構では〈蛇〉に対する対策会議が開かれていた。
現時点で新銀河連邦は直轄地の広範な領域で〈蛇〉の跳梁を許している状況であり、これを打開する必要があった。
バグダッシュが現時点までに判明した情報を報告した。
「エルウィン・ヨーゼフとの会話から、ユリアン・フォン・ミンツは〈蛇〉の影響を受けつつも本人としての自我を保っていると思われます。これはアルマリック・シムスン氏の情報とも矛盾しません。〈蛇〉を構成するスウェル、ストーンのいずれにも艦隊運用を行えるレベルの知能は存在しないため、自らの生存のために、取り込んだ人間の思考を誘導して利用しているということなのでしょう」
ヤンが尋ねた。
「ユリアンを説得できる可能性もあるということかな?」
「ユリアン・フォン・ミンツはエルウィン・ヨーゼフの言葉に動揺していました。また、カーテローゼ・フォン・クロイツェル嬢の言葉によっても一時的に正気を取り戻したそうです。アルマリック・シムスン氏によると、どうやら人の声は〈蛇〉による精神制御とは別に作用するらしく、それによって〈蛇〉の影響を一時的にせよ脱することがあるそうです」
「では、説得は可能なんだね?」
ヤンの声には願望が滲んでいたかもしれない。
バグダッシュは首を横に振った。
「エルウィン・ヨーゼフとの会話の際には、彼はすぐに通信を切ってしまいました。彼を拘束して無理やり話を聞かせるというような状況でない限り、説得は無理でしょう」
「そうか……」
考え込み始めたヤンをおいて、バグダッシュは話を続けた。
「撃破した〈蛇〉の残骸を確認した結果、艦艇には殆ど人員が乗っていないことがわかりました。ユリアン・フォン・ミンツは、乗っ取った艦艇の人員をどこかに降ろした上で、船だけを〈蛇〉として自らの指示だけで運用していたものと見られます」
「ヘル・ミンツは民間人を戦いに巻き込むことを避けたということでしょうか?」
ミュラーの問いはユリアンが人間的な判断をしたのではないかという希望だった。
バグダッシュは否定的だった。
「残念ながらそうではないかもしれません。実は最近撃破した〈蛇〉の中に、一部奇妙なものが混じっていました。ワープエンジンと通常型エンジンだけを持った〈蛇〉です。船体はありません。いや、〈蛇〉が船体の代わりとなっていると言っていいでしょう。ユリアン・フォン・ミンツは工廠を襲った際に数十名のエンジン技師を工作艦ごと連れ去っています。そして、乗っ取られた民間船の大量の物資と人員も行方不明。これは一つ恐ろしい可能性を意味します」
ヤンは気づいた。
「ユリアンは、我々の把握していない場所でエンジンだけを量産する態勢を整えた。確かにエンジンさえあれば船体は不要だ。ハイネセンはドライアイスで船体を作ったが、ユリアンはそれを〈蛇〉でやろうとしているのか」
バグダッシュは頷いた。
「民間船の往来を止めれば〈蛇〉の増殖は止まると我々は考えていましたが、浅はかでした。このままでは〈蛇〉が際限なく増え続ける可能性があります。早急に何らかの手を打つべきでしょう」
恒星間航行可能な存在として〈蛇〉が存在するにはこれまで人類の作り出した宇宙船が必要だった。その点で増殖には制限があったのだが、自らワープエンジンを作り出すことができるようになったことで、〈蛇〉が無制限に増殖する可能性が出てきたのだ。
ヤンは嘆息した。
やはりユリアンを敵に回すと厄介だ、と。
バグダッシュは説明に戻った。
「〈蛇〉の精神ネットワークによる通信は光速の制限を受けませんが精度には問題があり、〈蛇〉の群れに統制された艦隊行動をとらせるには、指揮官を務める少なくとも同じ星域内からコントロールする必要があります。
このことも、アルマリック・シムスン氏からの情報提供と、蛇の制御下から解放されたチャールズ・ボーローグ氏への聴取からわかったことです」
バグダッシュはオーベルシュタインの顔を一度確認した。自らの直属の上司が頷くのを見て話を続けた。
「以上のことから、情報局としては次のような作戦を提案します」
ミュラー、シェーンコップ、アッテンボロー等、会議参加者は驚きの表情でバグダッシュを見た。
この会議では情報局による情報整理の後に銀河保安機構としての方針をどうするか協議するはずだったからだ。それがいきなり作戦案の説明に入ろうとしていたのだ。
抗議の声が上がる前にオーベルシュタインが諸将を制した。
「保安機構の方針としては早期の〈蛇〉鎮圧、それ以外になかろう。だから、それが可能な作戦案を提示しようとしているのだ。説明を続けさせてもよろしいですかな。ヤン長官?」
皆がヤン・ウェンリーを見た。
ヤンはため息を一つついた後に答えた。
「貴官の独断専行には言いたいことがあるが、まずは聞いてみようじゃないか」
バグダッシュは自分の腹をさすった。オーベルシュタインの部下となってから胃痛を患うようになっていた。バグダッシュも自分の胃がそこまで繊細だとは思っていなかったのだが彼の前任者が3ヶ月で入院したことを思えば
これから彼が説明しなくてはならない作戦案も彼の胃を痛めるのには十分な内容だった。
バグダッシュによる説明が進むにつれ、諸将の顔には当惑が広がった。
情報局の作戦案は要約すると以下の通りだった。
・エルウィン・ヨーゼフに対する死刑執行を銀河全土に通知する。
・死刑執行場所は特定の惑星の軌道上の人工衛星とする。
・エルウィン・ヨーゼフの死刑はあくまで欺瞞であり、〈蛇〉と共にユリアンがエルウィン・ヨーゼフの救出に現れた際には、エルウィン・ヨーゼフの乗る人工衛星は大気圏に突入して難を逃れる。〈蛇〉は自らの精神波を撹乱するスレイヴのいる惑星には降りられないため軌道上に留まらざるを得ない。
・軌道上に集まった〈蛇〉をユリアン諸共フェザーン開発の拡散性ゼッフル粒子で殲滅する。
成功の見込みは十分にありそうではあったが、いくつか看過し得ない点があった。
まず、ミュラーが指摘した。
「エルウィン・ヨーゼフの協力が得られることが前提ですが、彼は納得するのですか?」
「エルウィン・ヨーゼフからはヤン長官に対して協力するとの連絡がありました。そうですな?ヤン長官」
諸将の視線が再度ヤンに集中した。
「確かにあった。貴官には伝えていなかったはずなのだけどな。エルウィン・ヨーゼフが協力すると言ったのは、ユリアンの救出だよ」
ミュラーもその点を気にしていた。
「ミンツ総書記の救出依頼が地球財団からも上がっています。それを無下にするわけにはいかないでしょう」
オーベルシュタインは首を横に振った
「ユリアン・フォン・ミンツを救うのは実際上無理でしょう。仮にエルウィン・ヨーゼフの解放を条件にユリアン・フォン・ミンツの〈蛇〉からの離脱を促したとしても、彼自身はともかく〈蛇〉がそれを許さない。協力と引き換えにエルウィン・ヨーゼフに説得の機会ぐらいは与えてもよいとは思うが、まず無駄に終わるでしょうな」
シェーンコップが指摘した。
「思うんだが、エルウィン・ヨーゼフの惑星への退避は上手くいくのか?退避が早過ぎればユリアンは状況を察して逃げるだろう。どうしても、〈蛇〉にエルウィン・ヨーゼフが捕捉されるリスクが高くなると思うが」
「おそらく、エルウィン・ヨーゼフは〈蛇〉に捕まるでしょうな」
「ならば失敗の可能性が高いということではないか」
「失敗?エルウィン・ヨーゼフが捕まったら彼もろとも〈蛇〉を殲滅すればよい」
オーベルシュタインがエルウィン・ヨーゼフの犠牲を前提として作戦を立案したのは明らかだった。
「おいおい。エルウィン・ヨーゼフが納得すると思うのか?」
「納得してもらう。小官が説得しよう」
シェーンコップは、ふん、と鼻を鳴らした。
「貴官のことだ。何かを交換条件にするつもりだろうな。神聖銀河帝国参加者が今後不利益を被らないようにする、とか」
オーベルシュタインは答えなかった。
「で、結局、ユリアン・フォン・ミンツとエルウィン・ヨーゼフの二人が死ぬ前提の作戦というわけだ」
「最低限の犠牲で銀河に平和が回復するのだ。冷静に考えれば何を重視すべきなのかは明らかだろう」
「お前さんの落ち度のツケを二人に払わせるつもりなんだな?」
オーベルシュタインが〈蛇〉の情報がユリアンに伝わるのを遅らせた形になったことをシェーンコップは言っていた。
オーベルシュタインは表情も変えなかった。
「否定はしない。しかしだからと言って作戦案が変わるわけでもない」
「結局のところ二人を殺したいだけなんじゃないのか」
「銀河の安定のためにはその方がよいとおもっていることは確かだ。今二人を殺すことで、我々は殺人者の汚名を着ることになるかもしれない。しかしこれまでに若くして彼らがしたことを思えば、今彼らが消えることで今後彼らの犠牲になるはずだった数億、いや数十億の人々の命を救うことになるのではないか」
「彼らが人類の救世主になる可能性だって十分にあるだろうよ」
オーベルシュタインはその義眼でシェーンコップを冷たく見据えた。
「卿こそ、私情でユリアン・フォン・ミンツを救いたいだけなのではないか?」
シェーンコップは肩をすくめた。
「別にそれも否定はしないが、それよりも卿が他人を犠牲にしてそれでよしとしているところが気に食わん。……もしかして、マルガレータ嬢が失踪していなければ、彼女とその子供をユリアンに対する人質としていたんじゃないか?」
「たしかに、有用な策であっただろうな」
顔色一つ変えずにオーベルシュタインは言い放った。
流石のシェーンコップも鼻白んだ。
「いっそのこと、卿がエルウィン・ヨーゼフと共に死刑台でユリアンを待ったらどうだ?ユリアンも卿を殺しに喜んでやって来るだろうよ」
オーベルシュタインは即座に答えた。
「そうしなければ皆が納得しないというなら、それでも構わないが」
ならやってもらおうじゃないか、と言いかけたシェーンコップをヤンが止めた。
「二人とも落ち着いてくれ。オーベルシュタイン中将、エルウィン・ヨーゼフを犠牲にする策は取れない」
「あくまで死ぬ可能性があるだけのこと。軍事行動に協力するというのですからそのぐらいの危険は受け入れてもらうべきでしょう」
「いや、認められない」
「ヤン長官、あなたは甘い。いや、ユリアン・フォン・ミンツ一人に心を寄せ過ぎている。為政者としてあるまじき姿だ。少数の犠牲で多数の幸福が確保できるのです。私情で判断を誤るべきではない」
オーベルシュタインによるヤンへの明確な批判だった。
ヤンは目を伏せた。
「かもしれない。しかしそれでも私は……」
オーベルシュタインは失望のため息をついた。
「決断できないのならば、私が全責任を負いましょう」
このまま話が進めば結論がどうなったかはわからない。しかし、会議はここで中断せざるを得なくなった。
会議室に伝令役が駆け込んで来たからである。
「新銀河連邦主席からの緊急通信です!」
スクリーンに映し出されたのは、笑顔のヨブ・トリューニヒトだった。
皆、この非常時にトリューニヒトは今までどこで何をしていたのかという思いに囚われたが、彼の周りにいる者達に気づいて考えを修正せざるを得なかった。
灰色のローブに白い仮面を被った者達がトリューニヒトに銃を突きつけていた。
「皆、久しぶりだね。申し訳ないが、こんな状況なんだ」
トリューニヒトが何者かに囚われているのは明らかだった。
シェーンコップがトリューニヒトの代理として会議の場に来ていた秘書官のリリー・シンプソンに小声で尋ねた。
「トリューニヒト主席はいつから誘拐されていたんです?」
「ユリアン・フォン・ミンツが〈蛇〉に取り込まれて3日後のことです。トリューニヒト閣下は私邸で彼らに襲われました。私は彼らに、秘密にしなければ主席の命はないと言われました。その後も閣下とは定期的に連絡を取れたので、最低限の指示を受けることはできたのですが……」
「私邸ね。秘書官殿もそこに居合わせたのですかな?」
「はい」
「ふうん」
トリューニヒトの秘書官は思わせぶりな反応を示した相手を睨んだ。
「何か?」
シェーンコップは飄々と答えた。
「いえ、小官もあなたのような美人を自宅に招きたいものだと思ってね」
「……何を想像されているのか知りませんが、トリューニヒト閣下は私などに関心はありませんよ」
リリー・シンプソンは悔しそうに唇を噛み締めていた。
「いや、まさか……」
予想外の反応にシェーンコップは揶揄の言葉を途中で引っ込めた。
シェーンコップとリリー・シンプソンがやりあっている間にも話は進んでいた。
ヤンがトリューニヒトに尋ねた。
「トリューニヒト主席、彼らは一体?」
「ああ、この人達か。ええと……何という団体名だったかな?」
白い仮面を被った一人が答えた。変声器を使っていると思われる妙な声だった。
「我々はユ……」
そこで言葉は途切れた。
まさか「ユリアン君を遠くから見守る会」だと名乗ることはできなかった。ユリアンに不利益が及んでしまうだろうから。
彼らは、ユリアンのために活動していた。彼らとしてはできればユリアンを〈蛇〉から解放させたかったが、それに拘泥して銀河保安機構が〈蛇〉に負けても、ユリアンが死ぬよりははるかにマシだと考えていた。
「ユ?」
皆、続きを待った。
「ユ……ゆ……そう!憂銀騎士団だ!」
どこかで聞いたような名前に、皆どう反応してよいのかわからなかった。
白仮面は声を張り上げた。
「我々は銀河の将来を憂うものである!我々は銀河の将来に必要な人材であるユリアン・フォン・ミンツが見殺しにされようとしているとの情報を知り、新銀河連邦主席と話し合いの席を持った。その結果、我々は合意に至った」
白仮面はトリューニヒトを促した。
トリューニヒトは笑顔で銀河保安機構の面々に告げた。
「そういうわけで、ユリアン・フォン・ミンツは銀河にとって得難い人材である。救出に全力を注ぐように」
「それは命令ですか?」
それはヤンからの問いかけだった。
トリューニヒトはスクリーン越しにヤンを見た。
「その通り。これは主席命令だ」
「あなたの意思なのですね」
「ああ。もちろん私の意思だとも」
トリューニヒトとヤンは視線を交換した。
ヤンにはわかっていた。トリューニヒト自身がユリアンの救出を望んでいることを。しかし、新銀河連邦主席としては全市民よりユリアンを優先するような命令は出しにくい。ヤンと同様に。しかし、テロリストに脅されて仕方なくの命令であることにすれば……。どこまでがトリューニヒトの仕込みなのかはヤンにもわからなかったが。
ヤンは諸将の方を振り向いて言った。
「やれやれ、気に入らなくとも新銀河連邦主席の命令ならしょうがない。ユリアン・フォン・ミンツを救いに動こう」
ヤンは困ったような顔をしていたが、諸将は彼が大して困っていないことを察していた。
心なしか、ヤンは今までより生き生きしているようにすら見えた。
オーベルシュタインが一人正論を吐いた。
「ヤン長官、トリューニヒト閣下は脅されているのです。テロリストに屈してはなりません」
ヤンはその困ったような顔をオーベルシュタインに向けた。
「主席はテロリストなどに屈してはいない。これは主席の意思に基づく命令なんだから」
「長官、あなたは」
「主席命令だ」
再度繰り返してオーベルシュタインを黙らせた後、ヤンは諸将を見渡した。
「私にミンツ総書記の救出と〈蛇〉の殲滅を両立させる作戦がある。オーベルシュタイン補佐の作戦を修正したようなものなんだけどね」
オーベルシュタインの作戦よりも〈蛇〉殲滅の成功率が低くなるため、ヤンはそれを提案することを躊躇っていたのであるが、ユリアン救出を命令された今となっては迷う必要などなくなっていた。
宇宙暦805年2月21日 月都市
皇女とその侍女しか入れない月都市地下の人工庭園で、薄く淹れた紅茶色の髪の少女が、人工的な空を仰ぎながら歌っていた。
いとしい者よ、あなたはわたしを愛するか
ええ、わたしは愛します
生命の終わりまで
…………
それでも春になれば鳥たちは帰ってくる
それでも春になれば鳥たちは帰ってくる
…………
「カリン」
呼びかけにカーテローゼは振り向いた。
エリザベートが立っていた。
歌い終えたカーテローゼは息をついた。
「母が好きだったのよ、この歌」
「春には、ユリアンにも戻って来て欲しいわね」
「そうね、結婚式までには帰って来てもらわなくちゃね」
カーテローゼは冗談めかして答えようとしたが、声の調子がそれを裏切った。
少しの沈黙の後、エリザベートが問いかけた。
「カリン、ユリアンを止めようとは思わなかったの?」
月で最後にユリアンと言葉をかわしたのはカーテローゼだった。決して責めようとは思わないが、エリザベートとしては何も思わないというわけにはいかなかった。
「女に止められて言うことを聞くような奴と結婚したいとは思わないわ。違う?」
「そうね……」
きっとエリザベートやサビーネがそこにいてもユリアンの行動は変わらなかっただろう。それはエリザベートにもわかった。しかし、ユリアンを失うかもしれないことへの焦燥感がエリザベートの心に募っていた。
そんなエリザベートに、カーテローゼは慰めの言葉をかけた。
「癪だったけど、ワルター・フォン・シェーンコップにはユリアン救出をお願いしたわ。あと、ポプラン保安官にもね。あの二人は人間としてはともかく、それぞれの専門分野では頼りになるわ」
「私達自身は待つしかないのかしら」
それは、カーテローゼ自身も悔しく思っていることだった。
「そうね。私達が動いて何か助けになるのなら喜んでそうするのだけど」
エリザベートは躊躇いがちに尋ねた。
「ねえ、カリン、もし……もし、ユリアンが〈蛇〉に囚われたまま帰って来なかったらその時はどうする?」
「どうするって?」
「私達自身はどうするの?このままここにいるの?」
「……」
エリザベートの問いかけは、深刻な問題をはらんでいた。
ユリアンが〈蛇〉に囚われたままになるならば、自分達も〈蛇〉の一部となることが選択肢となるのではないか。ユリアン自身はそれを決して望んでいなかったとしても。
カーテローゼは即答できなかった。
カーテローゼはその問いにこの場で答えずに済んだ。
サビーネが駆け込んで来たからである。
「二人ともこんなところにいたのね!銀河保安機構から連絡があったわ!私達に協力して欲しいって」
宇宙暦805年2月22日
新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの名で一つの布告がなされた。
「宇宙暦805年2月28日にエルウィン・ヨーゼフの死刑を執行する。これは、現銀河の状況を鑑みての特別の措置である」
エルウィン・ヨーゼフに対する「死刑執行の場」はシリウス星系、かつての首都惑星にして今は無人の地であるロンドリーナの衛星軌道上に定められた。
多くの者は、終身刑を宣告された者に死刑を執行するという超法規的措置に驚いた。多少考えを働かせる者は、これがユリアンを誘き寄せるためのわかりやすい罠だと考えた。
ユリアンもこの布告を知り、これが罠だと判断したが、それでも看過はできなかった。〈蛇〉の生存本能はしきりに危険性を訴え、ユリアンの考えを曲げようとしたが、結局果たせなかった。
ユリアンが〈蛇〉を指揮する限りは、いくら思考を誘導されようとも決定権はユリアンにあった。
その上でユリアンの心に燃える憎しみの炎は〈蛇〉の制御を超える部分があったし、ユリアンにはエルウィン・ヨーゼフ救出に関して成算があった。
このため〈蛇〉がユリアンを意思のない人形にするような非常手段に出ることはなかった。
千数百年にわたって続いた人類と異種存在の暗闘は、このようにして、ついに一つのクライマックスを迎えることになった。
決戦地はシリウス。