「宇宙に住む四百億の人間、四百億の個性、四百億の悪あるいは善、四百億の憎悪あるいは愛情、四百億の人生」
……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉
各国、〈蛇〉の大規模な侵入を防ぐことには成功したものの、漏れなく、というわけには流石に行かなかった。
銀河各国はその後、国民に対して星間航行の自粛を求めつつ、その間に領内に侵入した少数の〈蛇〉への対応を進めることになった。
予想以上の損害を被ったものの、ユリアン=〈蛇〉としては、ひとまずの目的を果たしたと言えた。
撃破された〈蛇〉は、民間船と融合したものが殆どで戦力としては二線級だったし、戦力の補充についても既に目処をつけていた。そのうち、艦艇を乗っ取る必要もなくなるはずだった。
各国が自領内に侵入した〈蛇〉の掃討に時間をかけている間に、ユリアン=〈蛇〉は銀河保安機構の宇宙戦力を打倒するつもりだった。
ユリアンは憎悪していた。
自らを天涯孤独にした父を。
自らを憎んだまま死んだ祖母を。
弱者の犠牲の上に戦争を続けた銀河各国を。弱者を食い物にした地球教団を。
##を毒牙にかけたデグスビイを。
数多の矛盾を無視して成立し、今もそれを放置している新銀河連邦体制を。
多数の安寧のために少数の犠牲の発生を躊躇わないオーベルシュタインを。
怠惰でいい加減な@@を。
神聖銀河帝国に属した者を白眼視する人々を。
自らにすべての命運を委ねてそれでよしとする地球財団を。そこに属する人々を。
**を失踪させた、この世界そのものを。
あるいは、すべてを憎んでいる自分自身を。
〈蛇〉の力ですべてを壊し、すべてをつくりかえよう。
すべてが繋がり、すべてが幸福となる世界をつくろう。
そうすれば**も戻ってくるのではないか。
せめて、&&達を守ることはできる。
##はもう還ってこないにしても。
……ユリアンは大切な人の名前を思い出すことができなくなっていた。〈蛇〉がそれを抑制していた。
〈蛇〉に個体の死はなかった。〈蛇〉の中で死ねば、その意識は〈蛇〉の中に拡散し、存在し続ける。
ユリアンの〈蛇〉との繋がりは完全ではなく、いまだに肉体の牢獄に繋ぎとめられていた。
だが、もう間も無くだった。
もう少しだけ〈蛇〉との繋がりが強まった後にユリアンの肉体が失われることになれば、その時こそユリアンの精神は真に〈蛇〉と一体となり、〈蛇〉一匹一匹に至るまでが統一された高い知能を持った存在として動くことになるだろう。
そうなれば、もはやオーベルシュタインも@@も敵ではない。
新銀河連邦は〈蛇〉のものになり、その次は銀河四国がそうなる。すべては〈蛇〉の統治するところとなるのだ。
そうなればすべての人が〈蛇〉と繋がることになる。
すべての人が肉体の死後も〈蛇〉の精神ネットワークの中に幸福のままあり続けることができるようになるだろう。
**も、&&も、♪♪も、&&も……
ユリアンはその時が待ち遠しかった。
新銀河連邦は〈蛇〉に対する対応にようやくまともに動き出した。相変わらずトリューニヒトの所在は不明だったが、行政機構長官ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒがヤン・ウェンリーやリリー・シンプソンと協力して必要な指示を出した。星間航行の一時的な禁止と合わせて銀河保安機構艦艇による必需物資の輸送体制が確立された。
地球財団は、ユリアン・フォン・ミンツを失ったことで混乱に陥るかに思われた。
しかし、総書記補佐であるウォルター・アイランズが、ここにきて守護天使が突如勤労意欲に目覚めたかのようにリーダーシップを発揮し始めた。
彼はトリューニヒトのごり押しで地球財団No.2の地位に就いただけの三流の政治業者と目されていた。
事実、今まで独自の識見や政策を示したことなど一度もなく、ユリアン不在時に代理を務めた時も事務処理を滞らせてしまっていた。
その彼が矢継ぎ早に、適切な指示を出して混乱を収拾したのだ。
アイランズはこの難局に、10歳以上も若返ったかにみえた。背すじが伸び、歩調は力強く律動的になった。あまりの豹変ぶりに、一部の口さがのない人々はアイランズの失われた頭髪が地球財団由来の再生医療によって復活したせいではないかなどと噂した。
アイランズは、シェーンコップから〈蛇〉に関する情報提供を受け、銀河保安機構と共同で地球と月の〈蛇〉に対する防衛態勢を整えた。
ユリアン・フォン・ミンツに関しては、彼がその意思に反して〈蛇〉に取り込まれたこと、自らの身を犠牲にして月を守ったことを積極的に公表した。
これによって、ユリアン・フォン・ミンツに対する非難の声は多少なりとも弱まることになった。
アイランズは一方で、銀河保安機構に対しては〈蛇〉に関する情報共有が遅れたことに抗議し、ユリアン・フォン・ミンツの救出を依頼したのだった。
その銀河保安機構では〈蛇〉に対する対策会議が開かれていた。