「余の熱望するところは、人類の永遠の繁栄である。したがって、人類を種として弱めるがごとき要素を排除するのは、人類の統治者たる余にとって神聖な義務である」
……ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、臣民に対する演説
宇宙暦805年1月26日、〈蛇〉に取り込まれたユリアンは銀河保安機構の造船工廠を襲った。
この時、造船工廠には銀河四国の軍縮条約によって発生した余剰艦艇が集められ、廃艦の準備と、一部艦艇には保安機構宇宙艦隊への再配備のための改修作業が行われていた。
ユリアンは、巨大輸送艦のタンクに積載されていた大量の〈蛇〉によってこの艦艇群を乗っ取ったのだった。
宇宙暦805年2月3日、アッテンボロー提督率いる銀河保安機構宇宙艦隊約八千隻は、人類未踏領域に続く回廊、通称
回廊は既に機雷で封鎖されていた。
〈蛇〉の情報はアッテンボローにも伝わっていた。
接舷して乗員ごと艦艇を乗っ取る特性は厄介だったが、既に有人惑星の土壌を艦内に大量に運び込むなどの対策を講じていた。
〈蛇〉の来襲時には機雷原が敵を防ぐことになるだろうし、艦隊はその間に機雷から洩れる敵を掃討するだけで良いはずだった。
2月3日18時、〈蛇〉総数約七千隻がツークンフト回廊内に侵入し、アッテンボローの敷設した機雷の直前で停止した。
細長い艇を淡緑色のスウェルが覆った〈蛇〉の姿は、蛇というよりも青虫を想起させるものだった。それが虚空の中で無数に蠢く姿は、多くの人の美的センスから鑑みると醜悪であり、見ただけで嘔吐する者も現れるほどだった。
アッテンボローには気付くよしもなかったが、未踏領域において〈蛇〉を指揮していたグリルパルツァーはこの場にはいなかった。彼は既知領域に戻るつもりなどなく、ただ〈蛇〉の精神ネットワークを通じて、遠方から〈蛇〉の群れに大まかな指示を与えるのみだった。
それで事足りるはずだった。既知領域には彼よりも優秀な「中核存在」がいるのだから。
機雷原を挟んで数時間睨み合いを続けていた〈蛇〉とアッテンボローの前に、乱入者が現れた。
それこそがグリルパルツァーが期待した中核たるユリアンが率いる三千隻、否、三千匹の〈蛇〉だった。
それらはワープアウトするやいなや、アッテンボロー艦隊に向けて高速で接近した。
「やっこさん、おいでなすったな」
アッテンボローにも、ユリアンによる艦艇強奪の報は入っており、相応の備えをしていた。
シュナーベル少将率いる四千隻に回廊内の〈蛇〉の対応を任せ、アッテンボローは四千隻を率いてユリアンの迎撃に向かった。
ユリアン率いる三千隻に乗員はいなかったが、最新の艦艇無人化技術と〈蛇〉の精神ネットワークは、精鋭部隊と同等以上の艦隊運動を可能としていたし、兵装も使いこなした。
ユリアンの卓越した能力は、〈蛇〉によってさらに増強され、今や三千匹全てがユリアンの身体となったかのようだった。
アッテンボローは対応に追われた。
アッテンボロー艦隊の砲撃は、ユリアン=〈蛇〉の、ホーランドを彷彿とさせる艦隊運動で見事に躱された。一方でユリアン=〈蛇〉の砲撃は完全に統制されており、アッテンボロー艦隊の要所を的確に捉えた。
ユリアン=〈蛇〉が中性子ビーム以外の攻撃手段を使わなかったため、損害が抑えられたことが唯一の救いではあったが、アッテンボローは他方に注意を向ける余裕を失った。
その間に回廊の方で動きがあった。
多数の小型の〈蛇〉が群れから分離し、機雷原に向けて直進し、そのまま衝突した。
これはワルキューレ、リントヴルム等の単座式戦闘艇を〈蛇〉が乗っ取ったものだった。
この特攻によって機雷原に複数の穴が開いた。通常であれば開けられた穴は機雷の移動によって埋められるはずだったが、〈蛇〉は間髪置かず、開いた穴から一気に既知領域側に雪崩れ込んだ。
シュナーベル少将も懸命に押しとどめようと試みた。穴に集中する砲撃によって火球となった蛇も多かったが、結局は衆寡敵せず〈蛇〉の侵入を許す形となった。
アッテンボローは、回廊からの侵入を許した以上、劣勢のままこれ以上戦うべきではないと判断し、撤退に移った。
撤退戦に関するアッテンボローの手腕は卓越したもので、ユリアンを相手にしても大きな損害を出さずに撤退することに成功したが、これによって新銀河連邦領内に〈蛇〉が拡散する事態となった。
宇宙暦805年2月6日20時、モールゲン星系にユリアン率いる〈蛇〉が現れた。
三千隻の防衛艦隊は追い散らされ、軌道上の防衛設備はユリアン=〈蛇〉の占拠するところとなった。
エオスと異なり惑星モールゲンの土壌にはスレイヴが存在するため、〈蛇〉は地上には降りられず、モールゲンの軌道上に留まった。
程なくユリアン=〈蛇〉からモールゲンの保安機構基地に向けて声明があった。
「収監されているエルウィン・ヨーゼフ及び新銀河帝国参加者を直ちに解放せよ。二時間以内に解放されない場合には地表に対して無差別の爆撃を加える」
モールゲンの収容施設兼保安機構基地責任者となっていたジャワフ少将は狼狽した。
かつて共に戦ったことのあるユリアンが、敵となって自らの前に現れ、さらには脅迫までしてきたのだ。
モールゲンには六千万人の民間人が存在した。それを人質に取られた形である。
ジャワフ少将は背に腹はかえられぬと収容者の解放を決意した。
しかし。
「ユリアンと話をさせてくれ」
状況を知らされたエルウィン・ヨーゼフ、かつてルドルフ2世だった少年は簡単には納得しなかった。
ユリアンはモールゲン基地からの通信を受けた。
スクリーンに映ったのはエルウィン・ヨーゼフだった。
ユリアンが最後に彼と会ってから二年の歳月が流れていた。
収容所での二年の月日がエルウィン・ヨーゼフから剛毅さを奪わなかったことが一目で見て取れた。むしろ背も伸び、身体の成長と共にさらに王者の風格を増しているようだった。
「陛下!」
ユリアンは懐かしさがこみ上げてきた。だが、その感情は高まる前に〈蛇〉の制御によって鎮められてしまった。
エルウィン・ヨーゼフは笑った。その笑みには覇気が滲み出ていた。
「まだ陛下と呼んでくれるか、ユリアン」
ユリアンも笑みを返した。エルウィン・ヨーゼフの笑みに比べると、どことなくぎこちなさがあったかもしれない。
「勿論です。臣がお仕えするのは陛下ただ一人です。お救いに参りました」
エルウィン・ヨーゼフは眉を動かした。
「救いに?卿がいる場所は別の牢獄に見えるがな。精神の牢獄だ」
ユリアンは心外そうに応じた。
「何を仰るのですか?陛下は〈蛇〉の精神ネットワークに触れたことがないからです。すべてのものが繋がり、すべてのものが同じ意思を持って共通の目的に邁進できる、この在り方こそが進化の極致です。陛下も一度体感されれば分かります」
エルウィン・ヨーゼフは静かに尋ねた。
「卿の言う共通の目的とは?」
「無論、陛下と同じ人類の永遠の繁栄です」
「少し違うな。余の目指す繁栄は、人類が他の生命体に隷属することを意味しない。あるいは、人類の精神すべてが繋がることは永遠の繁栄への一歩であるのかもしれない。しかしそれは人類自らが主導するものでなくてはならぬのだ」
ユリアンは首をしきりに横に振った。
「隷属?僕は隷属などしていません。臣は自らの意思で、同じ目的を持って〈蛇〉と共にあるのです」
「そのような世迷言を口にしている時点で、お前はその(蛇〉の影響下にあるのだ。目を覚ませ!ユリアン!ユリアン・フォン・ミンツ!」
エルウィン・ヨーゼフの一喝は、ユリアンの精神を動揺させた。
ユリアンと〈蛇〉の繋がりが一時的に弱まった。
「エルウィン……陛下……」
ユリアンの瞳に今までと違う色が宿ったように見えたが、それも一瞬のことだった。
「お判り頂けないのですね?いいでしょう。先に銀河を手の内に納めてから、再びお迎えに上がることにします」
ユリアンは急いで言い放ち、逃げるように通信を切った。
「ユリアン!」
エルウィン・ヨーゼフの再度の呼びかけは、暗くなったスクリーンに跳ね返されて相手には届かなかった。
エルウィン・ヨーゼフは一つため息をつき、後ろを振り返った。
そこには厳重に拘束されたレムシャイド侯、ド・ヴィリエがジャワフ少将と共に控えていた。
「余はそなたらが生きて外に出る機会を奪ってしまったかもしれぬな。許せ」
レムシャイド侯はかぶりを振った。
「いいえ、陛下。今のミンツ伯についていっても命を縮めるだけです。彼自身が自らの意思で来たのならまだしも、あれではとてもとても」
ド・ヴィリエも無言で頷いた。
「そうか」
エルウィン・ヨーゼフは顎に手をあてて考え込んだ。
「しかし、あれは放っておけぬなあ。……ジャワフ少将」
「何でしょう?」
「ライアル・アッシュビー……は、もういないのだったな。ヤン・ウェンリーに連絡が取れるか?」
「は、はあ。取れると思います」
「すまぬが、繋いでくれ。ヤン・ウェンリー本人にだ」
「はあ、わかりました」
エルウィン・ヨーゼフの自然体の命令に、ジャワフ少将は自らがまるで臣下のように扱われていることに気がつかなかった。