時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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3話 幽霊騒ぎ

奇妙なうわさが月都市のなかに流れている。月都市は急速に建設が進む月面都市と、旧月要塞である月地下都市に分かれている。

その月地下都市の方に幽霊が出るというのだ。

 

噂は徐々に広がり、ついにユリアンの周りでも幽霊を見たと主張する者が現れた。

 

「ユリアン、私見たのよ!灰色のローブに身を包んだ男か女が、すーっと前を横切ったの!あれは幽霊よ!」

興奮しながら話をしているのはサビーネだった。

サビーネとエリザベートはそれぞれシュトライトとアンスバッハを後見人として地球財団の預かりとなっていた。とくにやる事もなく、要するに彼女達は暇だった。

 

サビーネはユリアンの手を握りながら話していた。

カーテローゼが、その様子を不快に感じながら、口を挟んだ。

「サビーネ様。何故幽霊だと思ったのですか?」

 

彼女は皇女達の侍女を続けていた。彼女としては辞めようと思っていたのだが、サビーネとエリザベートが寂しがって引き留めたのだ。そのままずるずると侍女を続けているうちに今や彼女は最古参となり、侍女長という立場になっている。付き合いも長くなって、今や主従というよりは友達のようなものだった。

 

サビーネはカーテローゼに向かって得意げに答えた。

「何故って?だって行き止まりの方に曲がったと思って追いかけてみたら姿が消えていたのよ!」

 

「……」

 

「そんなことないわ!だって影がそっちに消えたんだから」

 

カーテローゼはサビーネの話の矛盾を発見した。

「サビーネ様、おかしいですわ。幽霊なのに影があるなんて」

 

「えっ!?あれ?どうしてかしら?」

サビーネは首をひねった。本人もよくわからないようだ。

 

ザビーネに手を握られたままのユリアンが彼女達の仲裁に入った。

「まあまあ。月要塞は歴史が古いですから。幽霊の一人や二人出ますよ」

 

彼としては特に実害がないなら放置しておこうと思っていた。他にいくらでもやることはあった。

だが、ユリアンの言葉はサビーネにとっては逆効果だったようだ。

彼女はユリアンに抱きついて言った。

「ユリアン、怖いわ!退治して!」

 

カーテローゼの顔がひきつった。

 

それを努めて見ないようにしながら、ユリアンはサビーネに微笑みかけた。

「サビーネ様が安心していられるよう、努力しますね」

 

とはいえ、いくらユリアンでも超常の存在は退治できない。サビーネの催促をやり過ごしつつ、数日が過ぎたが、ついにそうも言っていられない状況になってしまった。

 

「地球財団は巨大な月地下構造の全てを把握しているわけではない。コンピューターの管理もおよばぬ無人のフロアやブロックが、いくらでもある。実はそこに神聖銀河帝国軍の残兵がひそんで破壊工作の機会をうかがっている。それを幽霊と見誤ったのだ」

そのような説がまことしやかに唱えられるようになった。

 

この説が出るに至り、銀河保安機構の月面支部が事態を看過しえぬものと見なしたのだ。

 

月面支部長補佐のアウロラ・クリスチアン少佐が、スクリーンを通じてユリアンに銀河保安機構の意向を伝えた。

「ミンツ総書記。機構は、月地下都市に探索部隊を派遣します。しかし地球と月は自治ということになっておりますので、どうか探索の許可を出してください」

 

「どうもご苦労様です。許可させて頂きます」

ユリアンとしてはそうとしかいいようがない。地球財団の立場は新銀河連邦においていまだに強いものではなかった。

 

だが話は終わらなかった。

「他人事ではありませんよ。地球財団もご協力を」

 

「どういうことでしょう?」

 

「単純な話です。我々は月の地下構造を把握しておりません。地球財団の協力が必要です。それに、あなた方自身に反乱を企てる意思がないことを明確にするためにも、積極的に協力しておく方がよいのではないでしょうか」

 

確かにその通りだった。

「わかりました」

 

「では、後のことは担当者に任せます。後ほど出向かせますのでよろしくお願いします」

 

アウロラは用件だけを伝えるとさっさと通信を切った。彼女はユリアンと話す時は常にこうだった。話をする時は常にスクリーン越しだったし、いつも硬い表情を崩さないのだ。

ユリアンにそのような態度を取る者は他にもいた。

彼らはユリアンを信用できないと考えているのだ。そういった者達は決まってユリアンのことをこう呼ぶのだ「あのユリアン」と。

そしていつしか妙な二つ名までもらってしまっていた。新銀河連邦を影で操ろうとしている元地球教団の首魁、「黒衣の宰相」と。

そう思われるのもしょうがないとはユリアン自身も思っているので、深くは気に病んではいなかった。

 

だが、アウロラの言っていた担当者が来てユリアンは頭を抱えたくなった。

いくら何でもこの人選はないよなあ、と。

やって来たのはマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中佐だった。

 

彼女は無表情で機先を制してきた。

「何も言う必要はありません。私も同じ気持ちです」

「……とは言ってもだよ。よりによってどうして君なんだ?」

二人とも真銀河帝国の一件で、言い合いになってから一ヶ月。そうそう会う事もなかろうと思っていたところでの今日この日で、とても気まずかった。

 

「それは私が訊きたいです。しかしまあ答えるなら、たまたま近くに来ていたというのが一つ。もう一つは、あなたの担当にはあなたに容易に丸め込まれない人物をつけるというのが、銀河保安機構の方針だからです」

マルガレータの回答にはユリアンにとって聞き過ごせない内容が含まれていた。

「君、僕の担当だったの?」

 

マルガレータの表情はアウロラ少佐よりもなお硬かった。

「どうもそのようです。大変遺憾です」

 

ユリアンはマルガレータに提案した。

「ねえ。とりあえず礼儀は抜きにして、一旦溜めているものをお互い吐き出さないか?」

「……奇遇ですね。私もそうしたかったところです」

 

そうして二人は同時に長い長い溜息をついたのだった。

 

探索行の開始前日になって参加希望者が現れた。

独立保安官のオリビエ・ポプラン大佐だった。彼は月の幽霊騒ぎを聞きつけてわざわざ月までやって来たのだ。彼はマルガレータに頼み込んだ。指揮の邪魔はしないので是非参加させて欲しいと。

「幽霊はきっと美女に違いない。君も勿論美女だけど」

マルガレータは面倒ごとが増えたと思いつつポプランの参加を渋々承諾した。

なおも口説こうとしてくるポプランをあしらうのには、さらに時間を要した。

 

さらに参加希望者が現れた。

保安機構による幽霊探しの話を聞いて、サビーネがエリザベートとカーテローゼを連れてユリアンの元にやって来たのだ。

 

「私幽霊を見たのよ!捜索に行きましょう!ぜひ行きましょう!保安機構の女狐なんかに横取りされてなるものですか!」

 

近くに控えていたシュトライトは、横取りの目的語は幽霊とユリアンのどちらなのだろうかと思ったが、弁えて何も言わなかった。

 

サビーネがあまりにしつこかったのと、以前彼女にお願いされた時に何も対応しなかった負い目もあって、ユリアンは迂闊にも承諾してしまった。

 

その結果……

 

「何故こうなったのじゃ……」マルガレータは再び溜息をついた。

 

ユリアンと、サビーネ、エリザベート、カーテローゼとマシュンゴ。それにマルガレータと数人の保安機構月支部員。それが幽霊探索第一班のメンバーになった。

探索は五つの班に分かれて地球財団職員と保安機構支部員が協力して行うことになっていた。

ポプランは「俺もそっちがよかった」と言いつつも、第二班の指揮を担当することになった。

 

マルガレータはユリアンと一緒の班となるのは、彼に目を光らせなければいけない立場上受け入れていた。しかし、女性3人がおまけでついてくるとは。

 

 

皇女達3人は、意気揚々と探索行に臨んだのだが、探索が月地下都市の薄暗い廃棄区画に及ぶに至って、だんだんと怖くなってきた。照明はその殆どが破損し、空気も淀んでいた。

 

彼女達はユリアンの両手と肩をそれぞれ掴んで離さなくなった。

 

そして……

 

「キキキッ!」

 

「「「キャー!!」」」

皇女達三人はユリアンに一斉にしがみついた。

 

マシュンゴが皇女達を落ち着かせようとした。

「ただの月鼠ですよ」

 

それは低G環境に適応した鼠だった。ただの鼠と違うのは、この月鼠、跳躍するのである。

 

「キキキッ!」

 

「「「跳んだー!?」」」

三人に跳び掛かられ、ユリアンは潰されかけた。

 

マルガレータが皮肉を言った。

「楽しそうですね」

 

それを聞き付けた。サビーネがマルガレータを睨んだ。

「あなたは混ぜないわよ」

 

「誰が混ざりますか!」

 

サビーネとマルガレータが言いあっている間に、ユリアンは残り二人に尋ねた。

「カリン、エリザベート、君達まで今日はどうしたんだい?」

彼女達二人は普段はサビーネの抑え役に回っていた。それなのに今日はサビーネと一緒にはしゃいでいるようにユリアンには見えた。

 

カリンはマルガレータの方を見ながら言った。

「ちょっと、見せつけておきたくて」

エリザベートはユリアンの目を見て言った。

「負けませんから」

 

何か誤解されている気がするが、訂正する方が厄介になりそうだったので、ユリアンは何も言わなかった。

 

カーテローゼがユリアンに耳打ちした。

「でも少し安心したわ」

「何が?」

「あのマルガレータという娘、サビーネのお父さんに母親を殺されたんでしょう?サビーネのこと、仇だと思っていてもおかしくないのに、そんな素振りは見せないから」

 

ユリアンはそのことを忘れていた。

 

ユリアンは小声で答えた。

「そんな娘じゃないさ。リッテンハイム大公のことは恨んでいるかもしれないけど、その娘まで恨んだりはしないさ」

 

その答えに、カーテローゼは少し不機嫌になった。

「あの娘のことよく理解しているのね」

 

エリザベートも呟いた。

「面白くない」

 

いや、僕はまったく理解していない。理解できていない。マルガレータも平穏無事な人生を送って来たわけではない。彼女なりの苦しみがあったはずなのに。そして、皇女達の苦しみも僕は理解できていない。

 

ユリアンがそう答えようとした時、サビーネがユリアンの方を見た。

「あーっ!?三人で内緒話なんて許せないわ!」

 

 

その後も月鼠やカサカサと動く虫以外には出会わなかった。

その度に三人に抱きつかれてユリアンがポロポロになっただけだった。

初めのうちは若干羨ましがっていた保安機構支部員達も、今では憐れみのこもった目でユリアンを見ていた。

 

朝からさんざん歩き回って、時刻は既に昼を回っていた。

「お昼にしましょう」

床に防水布を敷いて、エリザベートがつくってきたサンドイッチを皆で食べることにした。

 

「おいしいね」

料理にはうるさいユリアンであったが、その出来には素直に感嘆した。

そんなユリアンにエリザベートは安堵し、花がほころぶように笑った。

 

残るカーテローゼとサビーネは妙に深刻な顔でサンドイッチに口をつけていた。

「本当においしいけど、困ったわね」

「自己主張が少ない娘だと思っていたら胃袋から掴みに来るなんて、思わぬ伏兵だわ」

 

マルガレータと機構支部員、マシュンゴは別に集まってサンドイッチを食べていた。

マルガレータがこぼした。

「この空間にいるのがつらい」

「わかります」

「人は運命には逆らえませんから」

「早く何か見つからないですかね」

 

そんなことを話していたせいか、サンドイッチを食べ終わって探索を開始しようとした時にうめき声が聴こえてきた。

おどかすように、ではなく、救いをもとめるような弱々しい声で。

 

「「「キャー」」」

皇女達にのしかかられて下敷きになったユリアンを尻目に、マルガレータは素早く動いていた。

懐中電灯の光をうめき声の方に向けた。そこにはチーズ、ライ麦パン、ビタミン添加チョコレートなどが散乱していた。

 

「物を食べる幽霊などあり得ない」

マルガレータは呟き、支部員達と共にブラスターを構えてうめき声の方に近づいていった。

 

……と、マルガレータは何かに足をとられよろめいた。

片膝をついたマルガレータは人にぶつかった。

「あっと、ごめんなさい。……誰じゃ?」

 

支部員達は不思議そうに彼女を見ていた。

 

いるはずのないもう一人。

 

マルガレータの腕に向かって、その誰かの手が伸びてきた。

「た……たす……」

 

「ギャー!!」

マルガレータは乙女らしくない悲鳴を上げて、その手を掴み、投げ飛ばした。

 

とりあえず投げてからよくよく確認すると、そこにいたのは半死半生の男であった。彼の他にも数人同様の状態の男達が転がってうめき声を上げていた。

 

外に出てから、ひとしきり騒動があり、暗闇の住人達は病院に収容された。

 

真相はすぐに解明された。月要塞降伏に納得がいかない地球教徒の何名かが逃げ出して、廃棄区画に住み着いていたのだ。

食料を盗みに出没していたので、幽霊よばわりも無理のないところだった。

そして古くなった食料にあたって食中毒で呻いていたところをマルガレータ達探索隊に発見されたというわけだった。

 

幽霊騒動はひとまず落ち着くことになった。

ポプランは美女の幽霊を見たと一人だけ主張し、ユリアンに「ミンツ総書記には似た顔のお姉さんか妹さんはいませんよね?」と妙なことを訊いてきた。ユリアンも他の面々もポプランの話をあまり真面目に受け取らなかった。

サビーネも一人、「私が見たのと違う」としきりに不思議がっていた。

 

ユリアンは、回復した彼らに密かに尋ねた。

「デグスビイ主教を見ませんでしたか?」

姿を消した主教の名を。

 

彼らの一人が答えた。

「短期間だけ一緒にいました。ですが、そのうち消えてしまいました」

 

ユリアンは事件が完全には解決していないことを知った。

 

マルガレータもポプランもさっさとアルタイルに帰還してしまっていたので、ユリアンはアウロラに伝えた。

「彼らが逃げ出した全員であるとも限りません。今後は地球財団職員で見回りを強化することにします」

アウロラは無表情で答えた。

「そうした方がよいでしょうね。しかし、月要塞は本当に巨大ですね。とてもすべて把握することなどできないのでは?」

 

その通りだった。月要塞はかつての地球軍月基地の遺構を元につくられている。中には要塞建設工事の過程で、物理的に封印された区画も存在する。

地下構造体の延べ床面積は下手な惑星の表面積にも匹敵するだろう。

ユリアンは自らの足元に巨大な謎が横たわっていることを自覚したのだった。

 

 

 

ようやく地球財団本部に帰り着いたユリアンは、シュトライトの出迎えを受けた。

「……どうしてそこまでボロボロになっているのでしょうか?」

ユリアンの服は三人娘に引っ張られ、押しつぶされ、地面に押し付けられ、ボロボロになっていた。

 

自らのそんな様子を確認しつつ、ユリアンは遠い目をして答えた。

「幽霊にやられました」


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