ユリアンの負傷はトレーニング中の事故として処理されることになった。
保安機構付設の病院に入院している間にヤンが見舞いに来た。
ヤンはウォーリック伯から、ヘルクスハイマー伯の移籍を認めるという伝言を預かっていた。
これで、ユリアンとマルガレータ、それにカーテローゼ、サビーネ、エリザベートとの結婚に対する障害はほぼ無くなった。
1週間後にユリアンは退院することになった。
旧知のバグダッシュやディッケル、イセカワ達は出払っており、入院中にユリアンと会うことはなかった。いたとしても、ディッケルやイセカワが来てくれたかどうかはユリアンにはわからなかったが。
意外な人物が退院の日にやって来た。
銀河保安機構長官補佐兼情報局長、オーベルシュタインである。
どこで知ったのか、オーベルシュタインはユリアンに祝意を伝えた。
「ご結婚されるようですな。おめでとうございます」
ユリアンにはオーベルシュタインの訪問の意図がわからなかった。しかし、返事をする必要はあった。
「ありがとうございます。オーベルシュタイン局長も養子を迎えられたそうで、おめでとうございます」
オーベルシュタインは軽く頷くのみで話を続けた。
「時に、サビーネ・フォン・リッテンハイム、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクとの間にも子を作るおつもりか?」
ユリアンは不躾な問いに戸惑った。
「結婚すれば、おそらくは……」
オーベルシュタインはユリアンの戸惑いなど意に介さなかった。
「ゴールデンバウムの血脈が後世に残ることになりますな」
オーベルシュタインの言いたいことはわかったが、ユリアンには承服できない話だった。
「それが何か?今更ゴールデンバウム朝の血にどれほどの求心力があるというのですか?」
「本来ならば、そうでしょうな。血だけを言えばケートヘン家もある。ですが、そこにユリアン・フォン・ミンツという特異な存在が関わればどうなるか」
ユリアンは意表を突かれた。
「僕にどれほどの力があるというのですか?」
自らを過小評価するつもりはないが、それは地球財団と地球自治区をどうにかできる程度のものだと考えていた。
「ご謙遜を。今回の件で卿はオリオン帝国との繋がりを強めた。旧帝国勢力との繋がりは元々深い。ルドルフ2世も生きている。卿には、地球勢力と合わせてそれらを統合する力も人望もある。卿自身が望むかどうかはともかく、将来において卿を中心に乱が起きる可能性は十分にあるのではないか」
「僕などより能力も人望もある人間はいくらでもいるように思いますが」
「そうかな?確かにラインハルト帝やライアル・アッシュビーにもその可能性があったが、二人とも消えた。ヤン・ウェンリーとジークフリード帝は、気質的に向いていないようだ。エルウィン・ヨーゼフはひとまず獄中。残るのは、卿と、強いて言えばヒルデガルド・フォン・マリーンドルフぐらいのものだ。そしてその二人は連携を始めたように思える。脅威ではありませんか?」
「つまり、僕がいなくなればよいということでしょうか?」
ユリアンはオーベルシュタインの返答を待った。それ次第でユリアンの行動は変わるはずだった。
しかしオーベルシュタインの返答は明確なものではなかった。
「さて、そう単純な話になるかどうか」
「……」
「かつて私は、覇者の誕生に期待していた。ゴールデンバウムが滅びた後に、創業を行う存在が必要と考えた。そのために何人かに期待をかけた。その時に卿が台頭していれば、私は卿にも期待をかけたかもしれない」
「覇者ですか……」
ユリアンには話が見えなかった。
「だが、今の私はこう思うのだ。今の銀河に覇者など不要」
「……」
「少なくともこの先数十年ほどは今の体制でやっていける。であるならば今覇者となる可能性を持つ者が出てきても戦乱の種にしかならない」
「数十年の平和、その程度のものが望みなのですか?」
「私も毒されたのかもしれないな」
No.1不要論とでもいうべきか。新銀河連邦体制は、オーベルシュタインのような人にも影響を与えたのかとユリアンは思った。義理の息子ができた影響?あるいは上司の?
ユリアンには確認しておくべきことがあった。
「しかし、目的が変わってもなさることは変わらないのですね?排除によって解決を目指すということ自体は」
「そうなりますな」
オーベルシュタインの義眼はユリアンをしっかりと捉えていた。
それだけにユリアンには意外だった。
「何故、このような話を僕にしたのです?黙って僕を排除すればよかったではありませんか?」
「とぼける必要はなかろう。卿は優秀な諜報網をお持ちだ。既に私の思惑など卿は把握しているはずだ」
ユリアンにはオーベルシュタインの言っている意味がわからなかった。ユリアン自身は地球財団の防諜体制の構築は課題の一つと考えていたし、正直オーベルシュタインに注意を向けられるような状況では公私ともになかった。
ユリアンの内心に気づいたのかどうか、オーベルシュタインは話を続けた。
「実のところ、排除すべきなのが卿だけなのかどうか、実のところ見極めがついてはおらぬのです。……卿を排除するのはなかなか骨が折れる話だし、卿に集中することで、他の存在の跳梁を許すことになるのではないか」
ユリアンは何者かの存在を示唆するデグスビイ主教の言葉を思い出した。その話をヤンがオーベルシュタインにしたのかどうか、ユリアンにはわからなかった。
「それに、卿には人に心の内をさらけ出させる才能があるようだ。私も話し過ぎた」
わずかな表情の変化はあるいは苦笑だったのかもしれない。
オーベルシュタインは話を切り上げた。
「では、またいずれ」
「……はい」
オーベルシュタインの排除を積極的に目指すべきか、判断に迷っているのはユリアンも同じだった。
これがオーベルシュタインの行動を止める最後のチャンスだったのかもしれないとユリアンは後に思うことになったが、この時点でそれを知るのは無理なことだった。