時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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39話 通過儀礼

 

ユリアンは再びポプランの船に乗せてもらってアルタイルに向かった。

 

ポプランはキッシンゲンでも「戦果」を挙げていた。

ユリアンは道程でポプラン自身の自慢話とユリアンへの事情聴取を交互に浴びせられることになった。ユリアンは必要経費と思って諦めるしかなかった。

 

アルタイルの宇宙港に着いて船を降りると、歩み寄って来たのは古今無双の白兵戦の勇者、首席保安官代理ワルター・フォン・シェーンコップその人だった。

ユリアンとしては万全の準備をしてから会いたかったのだが、機先を制された形だ。

 

シェーンコップは笑みを浮かべていたが、ユリアンとしては猛獣に睨まれている気分になった。

 

「これはこれは首席保安官代理。わざわざこのポプランめのお出迎えとは、恐縮であります」

ユリアンに続いて降りてきたポプランが、シェーンコップに大仰に敬礼をした。

 

シェーンコップはニヤリと笑った。

「これはこれはポプラン保安官、運送業に転職したとは知らなかった。だが、用があるのはそちらの坊やだ」

 

「はいはい、私めは退散させて頂きます。種を蒔いて実らせてしまった方々同士、お願いだから仲良くやってくださいよ」

最後に強烈な一言を残して、ポプランは疾風のように去っていった。

 

「あの種無しめ」

シェーンコップの顔からは一瞬だが笑みが消えていた。

 

常に余裕のある態度を崩さない人物だと聞いていたが、この様子だと機嫌は悪いと推測された。

ユリアンはシェーンコップと何度か遭遇していたがまともに話したことがなかった。

特に月での遭遇の際はシェーンコップがカーテローゼにノックアウトされていたため、認識されてすらいなかっただろう。その際にシェーンコップを背負って移動させたのはユリアンなのだが。しかしその話を出しても良い結果には繋がらないと、ユリアンも流石に心得ていた。

 

「ついて来い、坊や」

 

拒否する権利はユリアンに与えられていなかった。

 

ユリアンは銀河保安機構のトレーニングルームに連れて行かれた。

 

シェーンコップは訓練用の武器を一つ一つチェックしながらユリアンに告げた。

「カリンから連絡を貰った。久々の連絡が、婚約の報告だった。相手はお前さんで、四人同時の重婚と来たもんだ。マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー嬢を孕ませたらしいな」

下手な答えを許さない雰囲気がシェーンコップにはあった。

 

「はい……」

ユリアンはそう答えるのが精一杯だった。

 

シェーンコップはユリアンに笑いかけた。

「勘違いしないでくれ。別にお前さん達の結婚に反対しているわけではない。そんな資格は元々俺にはない。カリンにも今更口を出すなと言われたよ。だがな……」

 

シェーンコップは訓練用のナイフを手に取った。

「義父になる予定の俺のトレーニングに付き合ってくれるぐらいの甲斐性を、お前さんには期待してもいいと思うんだ」

 

シェーンコップの目は笑っていなかった。先程から感じていた殺気が錯覚ではなかったとユリアンは思った。

 

 

シェーンコップの言う「トレーニング」が始まった。

 

シェーンコップはナイフを手にした。ユリアンは杖を手にしつつ、念のためナイフを腰に差した。

 

ユリアンはパトロクロスでローザ・フォン・ラウエに手酷くやられた後、地球教団主教の時代からリハビリを兼ねて杖術を学んでいた。

軍事貴族たる諸侯を中心に尚武の気風の強い独立諸侯連合では「銀河武士道流」の名で古代武術が復興していた。

これは地球教団内でも広く学ばれていた。地球由来の武術が隆盛することは地球教の教義に照らし合わせても望ましいことだったためである。

その中でも杖術は聖職者の護身術として推奨されていたし、ローザに負わされた傷によって片腕が多少不自由なユリアンにとっては戦斧よりも扱いやすかった。

 

ヤン・ウェンリーの妻となったローザを相手に今更復讐戦を挑むつもりはなかったが、同様の状況になった時にまた最悪の結果に終わってしまうことは避けたかったのである。

 

しかし、相応に鍛錬を積んだというユリアンの自負は、シェーンコップによって粉々に打ち砕かれた。

ナイフと杖のリーチの差などないもののように、突きも払いもすべて捌かれてシェーンコップには届かなかった。

シェーンコップはユリアンの態勢を崩して懐に入り、ナイフを突き出した。ユリアンは杖を手放して、自らのナイフでシェーンコップの一撃をなんとか受け止めたが、意識が留守になった間に足を刈られて転倒させられた。

 

その上で隙だらけとなったユリアンの腹部をシェーンコップは容赦なく踏みつけた。

 

胃の内容物を吐瀉してのたうち回るユリアンに、シェーンコップは声をかけた。

「おいおい、何でもできる天才と聞いていたんだが、その程度か?」

 

ユリアンに答える余裕はなかったが、シェーンコップは構わず続けた。

 

「なあ、坊や。月での暴動でカリンが襲われた時、お前さんは何をしていた?俺が間に合っていなかったらカリンは一体どうなっていたと思うんだ?」

 

ユリアンは気づいた。シェーンコップがユリアンに含むところがあるのはそこか、と。それはユリアンもずっと気にしていたことだった。

息を整えてユリアンは答えた。

「仰る通りです。僕は、他のことに気を取られて、カリンの救出に間に合わなかった。でも、もう同じ失敗はしません」

 

シェーンコップは鼻で笑った。

「他に三人も抱えながら?ここで俺から自分の身一つ守れない男の言葉なぞ寝言にしか聞こえんな」

 

「ここであなたを倒せば認めてもらえるのでしょうか?」

 

「それこそ寝言だな。俺にまぐれであっても勝てる奴なぞ、今の銀河に数人いるかどうかだ」

 

「実の娘にのされた癖によく言えますね。あの後あなたをおぶって帰ったのは誰だと思っているんですか?」

 

シェーンコップは激情を口よりも行動で示した。

虎の尾を踏むとはこのことを言うのだと思った。

ユリアンはナイフで、拳で、脚で、散々に打ち据えられた。

シェーンコップがこれまで曲がりなりにも手加減していたことがよくわかった。

 

しかし……

おかしい。

 

ユリアンは思った。

そろそろのはずなのに。

 

シェーンコップは、ユリアンの動揺に気づいたようだった。

「何かを待っているようだな。例えばこの部屋がいきなり0Gになるとか、そういったアクシデントかな?」

 

シェーンコップは、ユリアンが待っていたものを言い当てていた。

 

「お前さんがそういった手が大好きなことはフェザーンでの戦いの際に把握済みだ。そんなことが起きないように、子飼いの部下何人かにこの部屋の重力制御室を見張らせてもらっていたんだよ」

 

ユリアンがポプランに頼んでいたことは無駄に終わってしまったようだ。

 

黙ったままのユリアンを見て、シェーンコップは吐き捨てた。

「姑息な手を封じられたらもうおしまいか?情けない、それこそ俺の娘の方がまだ強いんじゃないか?」

 

「……」

 

「それとも、お前さん、もしもの時は、俺の娘に守ってもらうつもりか?」

 

シェーンコップは「ああ」と何かに気づいたそぶりを見せた。

 

「そう言えば、あの時もお前さんは、一緒に突入した女に庇われたんだったな」

シェーンコップもパトロクロスに突入したユリアンの迎撃に参加していた。シンシアがローザの刃からユリアンを身を呈して庇ったことをシェーンコップは言っているのだ。

 

 

「女を守るどころか女に守られているじゃないか。そうか。お前さんは俺の娘も他の三人も、自分が生き残るための盾に使う気なのんだな?盾は多い方がいいもんな?」

 

シェーンコップの言葉はユリアンの心の柔らかい部分を抉った。

「っ、そんなことは!」

 

「こんなクズを庇って死ぬなんて、あの女も馬鹿な死に方をしたもんだ」

 

その瞬間に、ユリアンの表情が一変した。激情が彼を支配した。

「もう一度言ってみろ」

 

「は?クズにクズと言って何が悪い?」

そう答えつつもシェーンコップはユリアンの変貌に驚いていた。

 

「違う。シンシアさんのことだ。彼女の死を馬鹿だなんて言わせない」

 

シェーンコップはため息をついた。

「お前がクズなのが悪いんだろうが」

 

「わかっている!だからここでお前を倒して、そうではないとわからせてやる」

 

「無茶苦茶だな、おい……」

 

ユリアンは、戸惑っているシェーンコップに突撃をかけた。

 

しかし。

 

「無駄なことを」

 

何も変わらなかった。

ユリアンはその後もシェーンコップの攻撃を受け続けた。

 

「そろそろ倒れろ。でないと死ぬぞ」

 

シェーンコップは、ユリアンの顎に掌底を放った。

ユリアンはなんとか踏みとどまった。

「まだまだ。カリンに殴られた時の方が痛かった」

 

「それは自慢気にいうことじゃないだろうが」

今度はこめかみを打たれた。

ユリアンは舌を噛んで、かろうじて意識を保った。

 

意地でも倒れまいとするユリアンに対して、シェーンコップは殺してしまう前になんとか幕引きを図ろうとしていた。

 

シェーンコップはユリアンを引き倒して、背中に回り込み首に腕を回した。首を締めて意識を失わせるつもりだった。

「これで流石に終わりだ」

 

ええ、終わりです。

ユリアンは声を出せず、頭の中で答えた。

密着した状態ならば、ようやく奥の手が出せる、と。

ユリアンは過去の時代で片足を失い、義足になっていた。旧式の義足だったため、月に帰還した後に新調したのだが、その際にスタンロッドを埋め込んでいた。

蹴りを当てさえすれば相手を失神させることが可能だったが、シェーンコップにはその蹴りが全く当たらなかったし、足に触れることがあっても一瞬で、スタンロッドを起動しても、効果は薄いと考えられた。

だが、密着してしまえば問題はなかった。

 

ユリアンはスタンロッドを起動した。

 

シェーンコップの体に大電流が流れた。

 

「があああ!」

 

白兵戦の勇者も、常人が気絶するレベルを遥かに超えた電流が体を通れば意識を失わざるを得なかった。

 

密着した状態のため、当然ユリアンも無事ではなく、シェーンコップと同時に失神してしまった。

 

相打ちというべき状態である。

 

しばらくして、シェーンコップの部下数名と共にポプランがやって来た。ポプランも、他の数名も顔に痣をつくっている。

重力制御室で自分を阻んだ彼らと喧嘩を楽しんでいた。ユリアン達が失神したのをモニターで見て、喧嘩を中断してやって来たのだ。

 

「うげえ、ゲロまみれで……。色男二人がひどい絵面だ。ああ、水はかけるなよ。感電するかもしれないから。二人を引き離して医務室に運んでくれ」

 

ユリアンは万一のための事後処理もポプランに頼んでいた。

 

医務室に運ばれて一時間後、ユリアンは目を覚ました途端に、シェーンコップに声をかけられた。

 

「よう、起きたか、坊や」

 

ユリアンは身構えようとして、強烈な痛みに苦悶することになった。

 

「もうアドレナリンも切れたんだから無理するな。あちこち亀裂骨折ばかりだろう」

シェーンコップ自身は既に問題なく動けるようだった。最後の電流以外、ユリアンはまともにダメージを与えられていないのだから当然かもしれない。

 

シェーンコップからは険しい雰囲気は消えていた。

「少し揉んでやるだけのつもりが、まさか命懸けの戦いになるとはな」

 

ユリアンも流石に冷静になっていた。

「熱くなりすぎました」

 

シェーンコップは肩を竦めた。

「挑発した俺が言うことじゃないが、カリンとのことに口は出さないと最初から言っていただろ。適当に付き合ってくれれば俺だって飽きてすぐに終わったんだよ」

 

かなり身勝手な発言だったが、ユリアンとしては反論する気にはなれなかった。

「時々自分を抑えられなくなるんです」

怒りにしても、憎悪にしても、ユリアンはそれを時々制御できなくなる自分が恐ろしかった。

 

「面倒なやつだ。しかも、結婚相手の父親に対して、別の女のことでキレるだなんてお前さんも大概だな」

 

「自分でもそう思います」

とはいえ、また同じことがあれば同じことをしてしまうのだろうが。

 

「だが、適当に流せるような奴よりはずっと面白い」

 

ユリアンは少し驚いてシェーンコップを見た。

 

シェーンコップは急に真面目な顔になった。

「腕は未熟だが、心意気は買った。こんなことを言うのは柄じゃないが、カリンのことをよろしく頼む」

 

一瞬聞き間違いかと思ったが、そんなことはなかった。

ユリアンは力強く返事をした。

「はい!」

 

シェーンコップは苦笑した。

「親としては思うところがないでもなかったが、男としてはご愁傷様と言ってやりたい。結婚という牢獄に自ら入るだけでも気がしれないのに、四重の鉄格子に囲まれていると来たもんだ。まあ、頑張れ」

 

「カリンや他の娘達と一緒ですからきっと楽しいだろうと思っていますよ。たまには様子を見に来てください」

 

「気が向いたらな」

シェーンコップはしばらく笑っていたが、そのうち人の悪い表情になった。

「そうだ。これからもたまにはトレーニングに付き合ってくれよ、坊や。今度はゲロも電流なしで」

 

当代随一の白兵戦の名手の手ほどきを受けられるのはユリアンにとってもありがたい話だった。

「手加減して頂けるなら喜んで」

 

しかしユリアンには気にしていることがあった。

「でも、坊や呼ばわりは不本意です。やめて頂けませんか?」

 

シェーンコップは平然と言った。

「そうか、悪かった、気をつけるよ、坊や」

 

ユリアンはその反応を予想しており、すぐに言い返した。

「ええ、気をつけて頂きます、お義父(とう)さん」

 

ユリアンは、シェーンコップが返答を躊躇う姿を初めて見ることになった。

 

全治2ヶ月、とりあえず立って動けるようになるまで1週間という診断だった。

 

シェーンコップのせいでユリアンが大怪我をしたという連絡を受け、当然ながらカーテローゼは烈火のごとく怒った。

 

スクリーン越しに怒気を放つカーテローゼに対してシェーンコップを弁護して事を収めることがユリアンの「義理の息子」としての初の仕事となったのだった。

 


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