「いや、失礼した。バラの押し売りかと思ったのだ」
ヘルクスハイマー伯は弁解した。弁解の内容は適当だったが、とりあえずは弁解したという事実の方が重要だった。
「いえ、ミッターマイヤー元帥の逸話に倣ってみたのですが、あのような花束を持っていたら当然ですね」
ユリアンも気にする風ではない。
「して、娘に用があるとのことですが、何用ですかな?お約束などしていたら大変申し訳ないが、娘は今体調を崩しておりまして」
ユリアンは居住まいを正した。
「実はフロイラインに求婚に参りました」
「ほぅ」
ヘルクスハイマー伯は相手の意図を見定めようとした。
「先ほども申しましたが、娘は体調を悪くしておりましてな。実は縁談の話もあったのですが、すべて断った始末でして」
ユリアンは顔に微笑を湛えながら答えた。
「そうでしょうね。存じておりますよ、大事にしなければなりませんからね」
ヘルクスハイマー伯は理解した。
「すべてご存知ですか。するともしや……」
「はい、僕が父親です」
ヘルクスハイマー伯は、掴み掛かりそうになる自分を抑制した。
相手が平民であればそうしただろうが、相手は同格の貴族、ここは冷静に動くべきところだと彼は新無憂宮で培った嗅覚で判断した。
「お分かりと思うが、結婚前に娘がこのようなことになって、私としては大変頭を悩ましているのです」
ユリアンは頭を下げた。
「申し訳ありません。それゆえに責任を取らせて頂きたいのです」
ヘルクスハイマー伯は即答を避けた。
「ふむ、このことを知っているのはあなただけですかな?」
「いいえ、地球財団の方に数名。あとはヤン長官も知っているも同然です」
となると、ユリアン・フォン・ミンツを脅して利益を得ることは諦めざるを得ない。であれば、彼の言っていた通り結婚を認めるか。認めるに当たって条件をつけることは可能に思える。
ここまでのやり取りで、ユリアン・フォン・ミンツ、ミンツ伯が貴族としての一定のマナーを心得ていることは理解できた。連合の貴族ではなく、ゴールデンバウム朝の貴族としての。
「なるほど。求婚の意志は本物ですな?」
「勿論です」
「知っての通り、あれは一人娘でしてな。ヘルクスハイマー伯爵家存続のため、できれば婿を迎えたいのです」
ユリアンは言葉に微妙な修正を入れた。
「それは、子供にヘルクスハイマー家を継がせたいということですね」
「まあ、そういうことでもありますな」
「私も爵位を有する身、婿に入ることは難しいのですが」
「……」
「ですが、ラウエ伯爵家の前例もありますように、フロイライン・マルガレータにヘルクスハイマー伯爵家を継いで頂き、子供にヘルクスハイマー伯爵家を継がせることは可能と思います」
「ミンツ家の方はよいのですか?」
「それについてはまた後ほどの話で」
「ふむ……」
ヘルクスハイマー伯は考えた。
落とし所としては悪くない。あとは、相手がユリアン・フォン・ミンツであることをどう考えるかだが……。
仮に彼と結婚させないとする。そうすれば、ヘルクスハイマー家は一人娘を孕まされて相手に逃げられたと笑い者になる。連合諸侯の中で一定の地位を取り戻すには多大な労力を必要とすることになるだろう。
ユリアン・フォン・ミンツと結婚させた場合は?同格の貴族間のトラブルでしかも円満に解決したことになる。少なくともヘルクスハイマー家は被害者ということになり、マルガレータは同情を買いこそすれ、嘲笑う者は少なくなるだろう。善かれ悪しかれユリアン・フォン・ミンツの名前が出て笑える人間は少ないのだ。その上で、だが。
ヘルクスハイマー伯は改めて目の前で微笑む若者の品定めをした。
良くも悪くも有名人で、彼を侮る者は連合諸侯にはいない。
一方で彼に反感や警戒心を抱く者は数多い。ただ、そのような悪評も評判のうちである。自分自身だって、強引、強欲、好色と悪評まみれだったが、それ自体権勢の維持には役立った。一つまちがえれはリッテンハイム大公や自分自身のように失脚する可能性もあるが、ヘルクスハイマー伯自身、綱渡りを繰り返して権勢を拡大してきたのだ。
前回は最終的に失敗して亡命することになったが、今度こそ上手くやればフォン・ミンツの威を借りてヘルクスハイマー家の権勢をかつて以上に拡大できるかもしれない。それも自分自身の手で、娘に負担をかけることなく、だ。
面白いじゃないか。
ヘルクスハイマー伯は、体を壊して以来失っていた野心が再び体に漲るのを感じた。
彼はユリアンに微笑みかけた。
ユリアンはヘルクスハイマー伯の笑みに邪悪なものを見た。
神聖銀河帝国時代によく見た、打算と野心にまみれた笑み。
ユリアンの想像した通り、ヘルクスハイマー伯は彼にとって付き合いやすい相手だった。
ユリアンはこの数日ヘルクスハイマー家の動向調査に費やしていた。
マルガレータが実は朝に弱いことは、タイムトラベルにおける共同生活で知っていた。一方でヘルクスハイマー伯は早起きであることがこの数日でわかった。
だから、ユリアンは朝の早い時間帯にヘルクスハイマー伯爵邸を訪れたのだ。
まずは外堀から埋めるために。
……花束のせいで危うく入れてもらえなくなるとは思っていなかったが。
ヘルクスハイマー伯は笑顔でユリアンに手を差し出した。
「これからは私を実の父親と思って何なりと頼ってくれ。婿殿。私もいろいろと頼らせてもらうことになりそうだ」
ユリアンも笑みを見せてその手を取った。
「ええ、いろいろとよろしくお願いします。お父さん」
それぞれの思惑を秘めつつ固い握手が交わされた。
「早速なのですが、相談事があります」
「わかっている。メグをどうやって説得するかだろう?」
「一言で言ってしまうとその通りなのですが……」
「何だね?」
「実は……」
二人は早速、「相談」に入った。
マルガレータは、9時半を過ぎても起きて来なかった。
ユリアンはヘルクスハイマー伯の提案によってマルガレータの寝室に案内された。
3ヶ月近く間を開けての再会であったが、マルガレータはまだ寝ていた。
寝間着姿のマルガレータは妙に扇情的で、ユリアンは自制に努めなくてはならなくなった。
冷静になろうと目を周囲に移すと、ベッドの枕元の棚に二体のクマのぬいぐるみがあった。
そのうち小さめの一体はユリアンがマルガレータにプレゼントしたものだった。
まだ大切にしてくれていたのかと、ユリアンは感情を揺さぶられた。
「んむぅ、父上かや?」
マルガレータは誰かが寝室に来ているのに気がつき、寝ぼけながら声をかけた。
「僕だよ。ユリアンだ」
ユリアンの答えに対しても、マルガレータはまだ寝ぼけていた。
「何を言っておるのじゃ。ユリアンならそこに座っているではないか」
マルガレータは小さい方のクマのぬいぐるみを指した。
ユリアンが答えられないでいると、マルガレータは徐々に頭が冴え始めて来たようだった。
「んん……んんん!?」
「マルガレータ?」
「ユリアンが何故、妾の寝室におるのじゃ!?これは夢か!?夢に違いない!」
「落ち着いて!お父上に案内して頂いたんだ」
ユリアンはマルガレータを宥めて状況を理解させるのに時間を要した。
「父上め、男を、娘の寝ているところに放り込むなんてあり得んじゃろう……」
マルガレータは状況を理解したものの、まったく納得がいかなかった。
ユリアンとヘルクスハイマー伯が企んだマルガレータへの奇襲は予想通りの効果を示したと言えた。
ユリアンはマルガレータに言いたいことがあった。
「マルガレータ。ぬいぐるみ、大切にしてくれていたんだね。ありがとう」
「ん?ああ。お前が最後にくれた物だからな」
「ユリアンって名前をつけてくれていたんだ」
沈黙。
マルガレータは真っ赤になった。
「な、ななな!?そんな訳ないだろう!?」
「でもさっきはそう呼んでいたよ?」
「うう……」
マルガレータ痛恨の失敗だった。
くまのユリアンを抱いて寝ている時でなかったのが不幸中の幸いだったが。
その様子を見てユリアンは相好を崩した。
「マルガレータ、かわいいね」
「なあ!?」
マルガレータは羞恥心のあまり頭を抱えてベッドの傍に蹲った。
その様子もまたユリアンにはかわいく思えたが、そろそろ用件に入ろうとも思った。マルガレータを動揺させるという狙いは果たせたのだから。
「マルガレータ、改めて言うよ。結婚して欲しい」
ユリアンはバラを一輪、蹲るマルガレータに差し出しながら求婚した。花束はヘルクスハイマー伯の助言でやめておいた。
マルガレータは一瞬で冷静さを取り戻して、ユリアンと差し出されたバラを交互に睨んだ。
「結婚?その話は終わったはずだろう?」
ユリアンは退かなかった。
「マルガレータ。僕が、君と結婚したいんだ」
「……」
マルガレータは居住まいを正した。
ユリアンはマルガレータと子供を慮ってではなく、今回は自らの願望として結婚を申し込みに来たようだ。それはそれで対応する必要があるようにマルガレータには思えた。
マルガレータは確認した。
「私と結婚したいのか?お前が?」
「そうだ」
「月の三人娘のことはどうなる?」
「ここに来る前に三人には話をした。子供のことも。みんな最終的には納得してくれた。……カリンには殴られたけど」
ユリアンは頰をさすった。
マルガレータは驚いた。
「話してしまったのか!?」
「そうだよ」
「私に断られたらどうする気なんだ!?」
「そんなことは考えないようにしていた」
ユリアンの瞳はマルガレータだけを写していた。
マルガレータはユリアンが退路を絶ってここに来たのだと思った。
「……では、約束はどうなる?私はお前を止めたいんだ」
ユリアンは静かに言った。
「約束は無効にしてもらえないかな?」
「はあ!?何を勝手なことを」
マルガレータは頭に血が上った。あの約束もまたマルガレータにとって大切なものだった。それを一言で否定されたのだ。
しかし、ユリアンは続けた。
「別の約束をして欲しいんだ。僕の傍で、僕が道を外れる前に止めて欲しい」
マルガレータは戸惑った。物は言いよう、というものではないかとも思えた。
ユリアンはマルガレータを、恐る恐るという感じで見た。
「駄目かな?」
「うぅ……」
「マルガレータ、僕と結婚してくれ。僕を助けて」
「うぅ……」
マルガレータは頼られるのには弱かった。ユリアンの為にならないと思ったからこそ拒絶して来たのに、それを悉くひっくり返されて捨てられた子犬のように飛び込んで来られては……
マルガレータは此の期に及んで逃げ道を探した。何故かはわからないが、ここで流されてはまずい気がするのだ。
「しかし、父上が何と言うか……」
「既にお父上とは話した。君が朝寝坊している間にね」
「ぐむ」
「反対していたら、僕をここに寄越したりしないよ」
「しかし私にはヘルクスハイマー家の跡取りを迎える義務が」
「そこも大丈夫。お父上と話して解決済みだ」
「ぐむむ」
逃げ道が悉く塞がれている気がする。
同盟軍の罠に嵌った帝国の猛将バルドゥング提督になった気分だった。
ベッドに腰をかけたままのマルガレータの前にユリアンは跪き、上目遣いに彼女を見た。
「お願いだよ。マルガレータ」
長い沈黙の後にマルガレータはついに言った。
「本当に、私でいいのか?」
「君がいい。君じゃないとだめなんだ」
マルガレータは溜息をつき、回答した。
「わかった。お前と結婚する」
言ってみて、幸せな気持ちが湧き上がって来た。マルガレータ自身も結局それを望んでいたことを自覚した。
ユリアンの顔が綻んだ。
「ありがとう!マルガレータ!大好きだ」
ユリアンはマルガレータを優しく、体を労わるように抱きしめた。
黒衣の宰相ユリアン・フォン・ミンツは連敗を重ねた因縁の相手、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーに対して、周到な準備の上でようやく一勝を収めることに成功したのだった。
「一つ、いいか?」
マルガレータはこの際一つ注文をつけておこうと思った。
「何?」
「私のことはメグと呼んでくれないか?父上にはそう呼ばれているんだ。カーテローゼさんのことをお前、時々カリンと呼んでいただろう?実のところ何だか複雑な気分だったんだ」
「わかった……メグ」
目の前にはユリアンのごくごく自然な、幸せそうな笑顔。
それが見られただけでも、求婚を受け入れた甲斐があったと言えるのかもしれないとマルガレータは思った。
ユリアンは、今思い出したかのようにまた話を始めた。
「ああ、そうだ。メグ、言いそびれたんだけど……」
言い終わる前に、ドアがノックされた。
「私だ。話はついたのかな?」
ヘルクスハイマー伯だった。
マルガレータから体を離しつつ、ユリアンが答えた。
「おかげさまで。それで、これからあの話をするところです」
「なるほど。それなら私も同席しよう。入るぞ」
ヘルクスハイマー伯は、部屋に入り、マルガレータを見て、微笑んだ。
「メグ、まずはおめでとう。立派な婿殿だ。私も嬉しいよ」
マルガレータは顔を赤らめた。
「ありがとうございます」
ヘルクスハイマー伯はユリアンを見た。
「それで、まだ婿殿の話は終わっていないようだ。拝聴しようか」
ユリアンは話し始めた。
数分後、屋敷にマルガレータの声が轟いた。
「はああ!?ふざけるな、ユリアン!妾を愚弄する気か!?」