時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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本日投稿二話目です


30話 夢幻遠点のロストワールド/一つの旅の終わり

宇宙暦746年/帝国暦437年4月、ブルース・アッシュビーとなったライアルと、彼の唱える帝国領侵攻に賛同した超党派組織「730年グループ」は同盟市民の圧倒的な支持によって選挙に圧勝した。

 

アッシュビーは最高評議会議長となった。彼は副議長となったローザス、後任の宇宙艦隊司令長官となったウォーリックらとともに、民間にあっては軍需生産の増強、軍においては艦隊の増強、後方部門の充実など、帝国領侵攻の準備に邁進することになった。

兵士のなり手には事欠かなかった。アッシュビーと共に戦いたいという者は若者を中心に非常に多かった。特に十代前半の志願者が増加し、国防委員長を兼ねたローザスと新任の人的資源委員長はその扱いに頭を悩ますことになった。帝国領侵攻においては彼らが戦場で活躍し、武勲を重ねることで十代の下士官、士官が多数出現することになる。極めて稀な事例ではあるが野戦任官で分艦隊司令官を務めた十代士官も出現したほどである。

この辺りの前例がトリューニヒトによるユリアン・ミンツの異例の抜擢を許容する下地にもなったがそれは後世の話である。

 

いずれにせよ、アッシュビーの時代は、自由惑星同盟という国家にとってもそこに生きる市民にとっても青春の時代であったのだ。その最終的な挫折と共に、後に懐かしさを込めて語られるようになることも含めて。

 

ジークマイスターの組織した帝国諜報網は同盟への情報提供の量を一時的に低下させた。その後大規模な会戦がしばらく行われなかったことだけが原因ではなかった。軍の一部に諜報網の存在を疑う動きを察知した為である。とはいえ、ティアマトにおいて多大な損失を被った帝国軍にとっては人的資源の再配置の方が優先され、その追及は尻すぼみに終わってしまった。

同盟側への情報提供を半ば休止している間にも、ミヒャールゼンの「諜報芸術家」としての意欲は減ることはなく、別方面での活動が続けられた。

彼らは軍内部ではなく、外への働きかけを強めた。来るべき同盟軍の帝国領侵攻の際に、帝国内で呼応する動きをつくろうとしたのである。

彼らにとっては幸いなことに、辺境諸侯には門閥化して宮廷貴族と化した中央貴族に対する不満が高まっていた。彼らを門閥に取り込もうとする動きもあったが、ミヒャールゼン達の動きはそれに先んじていた。

学があり理想主義的な面を持つ辺境諸侯の子弟は以前から共和主義思想蔓延の温床であった。しかし、ミヒャールゼン達はあえて共和思想を推進しなかった。

その代わりに「護民思想」なる代物を辺境に広めたのである。それは貴族は民を護るために存在し、その義務を放棄する者は貴族にあるまじき悪であると主張するものであった。辺境諸侯の矜持と親和性が高く、共和主義ともそこに至るまでの発展的段階と考えればこの時点では対立しない。何より、護民思想であれば社会秩序維持局に逮捕されることがないということは大きかった。

ティアマト以前からこの活動は進められており、それが加速された形である。

ミヒャールゼン達は、民衆の教化、組織化は少なくともこの時点では考えていなかった。貴族階級出身らしく、諸侯が先頭に立って民衆を導くべし、と考えていたからだった。

ミヒャールゼンの工作は上手くいき、護民思想の皮を被った反中央貴族、反ゴールデンバウム思想によって、諸侯の子弟はいくつかのグループに組織化され、アッシュビーの帝国領侵攻を待つことになった。

もっとも実際の同盟軍侵攻の際には護民のために同盟軍と戦おうとする諸侯も一部に現れてしまうという計算違いもあったが。

 

それからの流れは歴史に伝えられる通りである。

 

宇宙暦747年/帝国暦438年

12月中旬 アッシュビー議長率いる同盟軍遠征艦隊、イゼルローン回廊内に侵入

12月下旬 イゼルローン回廊出口の会戦 アッシュビー議長の指揮のもと、同盟軍の大勝

 

宇宙暦748年/帝国暦439年

1月~2月 帝国各地で反乱勃発

2月上旬 帝国辺境の諸侯を中心として独立諸侯連合発足

2月~3月 同盟軍、帝国領の半ばまで進出

 

ただし、今日思われているほど順調であったわけでもない。

辺境諸侯の多くが味方についたことで占領コストは軽減されたが、一方で諸侯達も理想論で同盟側についたわけではなかった。民への想いも無論ないわけではなかったが、そこには冷静な計算があり、彼らなりの野心もあった。様子見の後に帝国から離反した者達ほど、その傾向は強かった。そのような一癖も二癖もある連中をどうにか宥めすかして引き連れて、アッシュビーは帝国領侵攻を進めていった。実のところ苦労の多くはアッシュビーより人当たりの良いローザスが引き受けることになったが。

後方部門の負担も甚大で、責任者たるキングストン大将は前線及び占領地から、加速度的に増える物資の要求や支援要請に、神経が焼ききれそうになっていた。

戦いも、総合すれば連戦連勝の快進撃には違いなかったが、その中には手痛い失敗もあったし、目立たないながらも敗北も存在した。「行進曲(マーチ)」ジャスパーのジンクスはこの遠征においても有効だった。予定外の事態にアッシュビー本人が出張ってなんとかした戦場も存在した。

 

そのような様々な困難を乗り越えて、「ブルース・アッシュビー議長」率いる同盟軍遠征部隊は、ついにアルタイル星系にまで到達した。

 

ハイネセンの脱出後もアルタイル星系第七惑星には未だに政治犯の収容所が存在した。収容所を閉鎖してしまっては政治犯とその子孫の脱走が大失態だったと認めることになり、むしろ矜持に関わるという、帝国の一種の見栄によるものであった。

同盟軍は、現代のハイネセン達、それに生き別れとなったかつての同胞の子孫達を解放した。実に275年の時を経てのことであった。

 

聖地アルタイルの解放はこの遠征事業の中間目標であり、最大の山場の一つだった。

 

アッシュビーは、イオン・ファゼガス号の建設地とされる場所に立ち、演説を行った。

同盟軍将兵、軍属、独立諸侯連合義勇軍将兵、解放されたアルタイルの民が聴衆だった。

氷点下を大きく下回る気温の中でも英雄の姿を前にして、聴衆は熱気と希望に満ちていた。

「アーレ・ハイネセンの長征より275年の時を経た今日この日、我々は再びこの地に立つことになった。ハイネセンは自由を求めてこの地を旅立った。我々は自由をもたらすためにこの地に来た」

 

歓声がドライアイスの渓谷にこだました。

 

アッシュビーは、未来におけるこの地を想い起こした。アルタイル星系が新銀河連邦の本部とされ、第七惑星には銀河保安機構本部が置かれたことを。そのためにライアルにとってこの地は馴染み深い場所であった。

 

帝国においてこの第七惑星には「虐殺者」エルンスト・ファルストロングの親族の名前が与えられていたし、それ以前はアルタイルⅦという面白くもない名前しか与えられていなかった。

それ故に同盟ではこの故地の名を、「アルタイル第七惑星」あるいはアルタイルⅦと呼称するしかなかった。

宇宙暦804年の未来では銀河保安機構本部が置かれており、銀河の中心地の一角を占めるようになったのだから別に固有名を与えられるべきなのではないかという議論が盛んに行われていたが、ともかくもこの時点でこの惑星は「アルタイル第七惑星」である。

 

ヤン・ウェンリーやマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは未来のこの地で、銀河のために活躍していることだろう。

それは、今のアッシュビー達の延長線上にある未来である。しかし、自らの手がもはや届くことのない、夢幻のような遠い未来でもある。

 

アッシュビーは演説を続けた。

「この地は自由惑星同盟の原点である。しかし未来においては、この地こそが銀河全土における自由と平和の原点となるのだ」

歓声はさらに大きくなった。

 

アッシュビーは聴衆に見たことのある顔がちらほら混じっている気がしてきた。

コステア退役准将、ボーデヴィヒ退役少佐、ぶ退役大尉、未来の連合建国五十周年の年にライアルと共にラインハルト・フォン・ローエングラムと戦った戦友達。「797年マフィアの会」のみんなだ。

 

アッシュビーは心の中で語りかけた。

やあ、戦友達、会えて嬉しいよ。しかしまるで新米もいいところじゃないか。

 

だが、その目は五十年後のあの時と一緒だった。アッシュビーを信頼して、彼と共に戦えることに喜びを感じている目。アッシュビーは彼らを五十年後の未来に繋げたいと思った。彼らと未来において再び共に戦うために。

 

「我々はそのためにここに来た。一部の心ある諸侯は我々の協力者となった。この地を含め、各地の収容所でも新たな仲間を得た。自由と平和は帝国領に浸透しつつある。

我々はこれからさらに帝国深部に攻め入り、それを事実として確定させるだろう。

それは勿論大事業である。

しかし、その後にも大事業が待っている。

自由と平和の灯火を皆で守っていくことも大事業なのだ。

私も力を尽くす。だから未来のためにこれからも君達の力を貸して欲しい!」

 

歓声、拍手。

それに割れんばかりのアッシュビーコール。

 

多くの者は、アッシュビーが帝国征服をもはや確定事項としてその後のことを考えていると思っただろう。

しかし、彼を待ち受ける運命を知る者にとってその演説はまた違う感慨を抱かせた。

演説を終えたアッシュビーはローザスに近寄り、肩に手をやった。

「あと少しだ。よろしく頼むよ。それからのことも」

 

ローザスは頷き、声を出した。

「勿論だ。そう約束した」

声が震えていたのは寒さによるものばかりではなかっただろう。

彼は年齢以上に老け込んで見えるようになっていた。人によってはそれを貫禄がついたと表現したが。

 

既に帝国軍が態勢を立て直し、シャンタウ星域に集結中であるとの情報が届いていた。

 

同盟軍は帝国軍とそこで決戦を行なうことになる。

同盟軍が勝てば後には、オーディン目前での帝国軍にとっては絶望的な最終決戦が待つのみである。

 

だが、そうはならないことをローザスもライアルも知っていた。

 

それでも二人は同盟軍と諸侯連合義勇軍を率いてそこに向かうのだった。

 

フレデリカは演台から降りる二人の背中を聴衆の中から見守っていた。

フレデリカも情報部フリーダ・アシュレイ大尉としてこの遠征に付き添っていた。

ブルース・アッシュビーの最期の時まで、フレデリカは彼を見守ることを決めていた。

 

 

宇宙暦748年/帝国暦439年4月、シャンタウ星域会戦

同盟軍5万5千隻に対して、態勢を立て直した帝国軍6万隻が決戦に挑んだ戦いである。

度重なる将兵の損耗で質の劣化が著しいといえども量においては未だに同盟軍を凌駕し、名将シュタイエルマルクが率いる帝国軍に対して、アッシュビーはウォーリック、コープ、ファン、ベルティーニ、コッパーフィールドら、万全の布陣で臨んだ。

フレデリック・ジャスパーは後方にあって、占領地域の統治に力を尽くしていたが、彼が参加しなかったのは実のところ彼のジンクスが今回は負けの回にあたるからだった。その点も含めて万全の布陣ということである。

 

帝国軍に後はなかったが、同盟軍も余裕がある訳ではなかった。ここまでの戦いで相応に消耗していたし、ここで勝ったとしても大損害を負えば、帝国が最後の兵力をかき集めて挑んでくるだろうオーディン攻略戦において帝国軍に後れをとる可能性が大きくなってしまうのだ。

このため同盟軍は兵力の消耗を避けつつ、大勝を収めるという難題をクリアする必要があった。

戦略的不利を戦術的勝利の積み重ねでひっくり返してここまで来てしまったアッシュビーと同盟軍にとっては、もはや日常とも言えたが。

ライアルは、ブルース・アッシュビーとしてここまで温存してきた必勝戦術をここで披露するつもりであった。

何かが間違っていて自らが死ななかったら、帝国軍にそのまま勝ってしまおうとさえ思っていた。

 

戦況は左翼においてはコープとベルティーニの、右翼においてはウォーリックとファンの連携によって同盟軍有利に推移していた。

しかし、長時間の戦いで双方に疲労と物資の不足が目立ち始めた。

ライアル・アッシュビーは頃合いと感じ、ハードラックの艦橋から全軍に指示を出すべくマイクを取った。

「さあ、勝負はこれからだ!アッシュビー、超必勝戦術、アッシュビー・スパークのお披露目だ!」

 

その時。

 

 

「アッシュビー提督!」

 

振り向いたライアルの前に一人の兵士がブラスターを持って立っていた。

 

ライアルはその時がやって来たことを悟った。

「やあ、俺の運命」

 

 

彼の運命は激しい光の姿をしていた。

 

胸に激しい痛みを感じ、そこから赤い液体が噴き出すのを見ながら、ライアルは床に崩れ落ちた。

 

「あなた!」

 

金褐色の髪を持つ、彼の妻の声が聞こえた。

 

「フレ…デ……愛して……」

 

最後に見たのは、彼女の泣き顔だった。

 

 

 

「ブルース・アッシュビー」はここに死んだ。

 

 

 

アッシュビーを失った同盟軍は撤退し、歴史は未来に向けて確定した。


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