宇宙暦802年9月 新銀河連邦辺境航路
辺境において、商船は開拓民の命綱である。再開拓が進められている新銀河連邦直轄地。その辺境航路を10隻程度の商船団が航行していた。殆ど無主の地と化していたその領域は、海賊の跳梁するところとなっていた。
従って商船団にも銀河保安機構より派遣された一隻の警備艦が同行していた。
そこに、黒と銀で塗られた軍艦が接近してきた。その軍艦は商船に目もくれず、警告も無視して警備艦に近づき、強襲接舷を図った。
商船団は逃走を図ろうとしたが、既に周囲は同様の軍艦に取り囲まれていた。
警告が発せられた。
「停船せよ。しからざれば攻撃す」
警備艦を襲った軍艦からも通信があった。
「警備艦は占拠した。停船せよ。しからざれば攻撃す。
我々は『真銀河帝国』である。
銀河の民よ。銀河の帝王たる真帝ルドルフ3世の名の下に結集せよ!」
宇宙暦802年10月10日 地球自治区 月都市
「真銀河帝国ですか?」
ユリアンはヤンからその名を知った。その名は初耳だった。
ヤンは
ヤンはユリアンの所に寄って、茶飲話としてその名前を出したのだった。
ヤンはユリアンに紅茶のお代わりを要求しながら答えた。
「そうだ。と言っても、規模は中程度の宇宙海賊といったところのようなんだが。ご大層な名前を名乗っている宇宙海賊なんていくらでもいるんだけどね。……ああ、ありがとう。君の淹れる紅茶はローザの紅茶と甲乙つけ難いな……って前にローザに言ったら物凄い不機嫌になったんだけどね」
ユリアンはティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。
「そりゃあ、なるでしょうよ。やめてくださいよ。ヤン長官の奥さんに殺されかけるのは一回で十分ですよ。……で、何が問題なんです」
「問題は、二点。一点は保安機構の警備艦すら襲われていること。もう一点は、こちらがより重要なんだが、彼らがルドルフの名を使っているところだ」
ユリアンはその名に反応した。その反応を見てヤンは頷いた。
「ルドルフ3世だそうだ。ただ騙っているだけか、それとも……。それで君に訊きたいんだが、成長したルドルフのクローンはエルウィン・ヨーゼフと、シリウスで死んでいたもう一人。その二人だけなのかな?」
ユリアンは少し考え込んだ。
「正直に言いますが、わかりません。リヒテンラーデ公の一族の方か、ド・ヴィリエ大主教の方がお詳しいと思いますが」
「それは既に訊いてみたんだが、知っている限りはいないが、いないとも言い切れないという答えしか返って来なくてね。まあやっぱりそうか。ちなみに今、捕まっているルドルフ2世が偽物という可能性は?」
ユリアンは一度だけ捕まったルドルフ2世と面会していた。何度も面会を申請して拒否され続けて、トリューニヒトの力に頼ってようやく実現した面会だった。
格好をつけた別れからすぐの再会となってお互い苦笑いをせざるを得なかった。とはいえ、生きて再会できた喜びの方が強かったのだ。
ユリアンはそのことを思い出して言った。
「あり得ません。本人です。いかにルドルフのクローンとはいえ、あのような英明な君主が二人もいてたまりますか」
仮に君主というものに全面的な忠誠を捧げるとしたら、それはエルウィン・ヨーゼフ2世しかあり得ないと今でもユリアンは思っていた。
「そうだよなあ」
ヤンとしてもモールゲンにいるエルウィン・ヨーゼフ2世のカリスマは本物だと感じていた。
いずれにしろ今のところは情報が足りない。
ヤンは話を切り上げることにした。
「まあ、今日のところはただの茶飲話だよ。ただね、以前の彼らは物資を略奪するだけだったんだが、最近人攫いにも手を出し始めたようなんだ。独立保安官達も動いているが、彼らの行動があまりに酷くなったら、早期に潰すために、君のところにも協力要請が行くかもしれない。その時はよろしく頼む」
「わかりました」
ユリアンは地球財団の総書記と、新銀河連邦の高等参事官を兼任していた。要するに態のいい便利屋である。
とはいえ、ユリアンもヤンも、この話は念のためという程度にしかこの時は考えてなかった。
しかし、協力要請は意外に早く出されることになったのである。
宇宙暦802年10月20日 クラインゲルト-アルタイル間航路
オルタンス・キャゼルヌ、シャルロット・フィリス・キャゼルヌとその妹の三人はアレックス・キャゼルヌ中将の赴任先に民間船ナルニア号で向かっていた。キャゼルヌ中将はヤンの悲鳴に近い依頼により同盟軍から三年期限で銀河保安機構に出向していた。
キャゼルヌは、銀河保安機構の基盤を短い期間のうちに急速に整えていった。そして、アルタイルに学校組織がつくられたタイミングで彼はハイネセンから家族を呼び寄せたのだ。
アレックス自身は多忙により同行できないが、クラインゲルト、アルタイル間の航路は新銀河連邦の中では比較的安全な航路であるはずだった。
しかし……
「停船せよ。しからざれば攻撃す。我々は真銀河帝国である」
黒と銀で塗装された軍艦がキャゼルヌ一家の乗るナルニアに接舷し、乗り込んで来たのだ。
船の重力制御室がまず占拠され、0Gとなった船内に、動力服に身を包んだ男達と、旧帝国の軍服を来た数人の男が船に乗り込んで来た。
パニックになりかける乗客を、船員が何とか落ち着かせる中、軍服を来た男は乗客に呼びかけた。
「我々は真銀河帝国である。12歳以上20歳以下の女子は銀河の帝王ルドルフ3世の後宮に迎えられる。8歳以上15歳以下の男子は真銀河帝国の兵士となる。共に喜んで受け入れよ!」
該当する女子はシャルロット・フィリスを含め5人、男子は2人だった。
「主要航路を行く船だからもっと収穫があるかと思ったが少ないなぁ。少し範囲を広げるか?」
「いや、それはルドルフ3世陛下の趣味ではない。それに他の者達に馬鹿にされる」
「だろうな。それに陛下が飽きたら俺達に下賜されるかもしれん。それを考えるとなるべく若い方がよかろう?」
そのような話をしていた男達だったが、艦からの警告で話を中断せざるを得なくなった。
「接近する艦あり!銀河保安機構の艦と思われる!」
「ちっ!早いな。流石に主要航路か」
その艦は完全な逆涙滴型の形状をしていた。銀河保安機構、独立保安官専用の高速巡航艦、その5番艦メテオールであった。
ライアル・アッシュビーの専用艦となっていた改装版ハードラックの設計思想に、帝国の最新の防御装甲技術と同盟のエンジン技術を加えた銀河最新最速の高速巡航艦である。
民間船ナルニアが発した救難信号を受け、近くにいたメテオールがいち早く現場に駆けつけたのだ。
「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中佐である。抵抗は無意味だ。降伏せよ」
険しい顔をしていた男達だったが、マルガレータが映像で通信して来たのを見て顔を見合わせた。
男達の代表がマルガレータに呼びかけた。
「おい、女、何歳だ」
マルガレータは律儀に答えた。
「二十だが、それがどうした?」
「ギリギリか。まあいい。おい、この船の乗員が人質だ。下手な真似はするなよ」
「交渉には乗らぬ。お前達にできるのは今降伏するか後で降伏するかのどちらかだ」
「俺たちを逃さないなら、人質は皆殺しだ」
マルガレータは動じなかった。
「下手な脅しだな。そんなことをすればお前達こそ皆殺しになるぞ」
そして、艦の乗員に密かに突入準備の指示を行なった。
しかし男は言った。
「待て。いい条件がある」
「何だ?」
「お前が俺達と来るんだ。そうしたら約百人の乗員のうち、そうだな、10人以外は解放してやろう」
「……全員ではないのか?」
男は、掛かった、と思った。
「無茶言うな。俺たちだって赤字は困る。それから、返事は三分以内だ。三分経てば人質を10人殺す。全員を生かすか、10人殺すか、短い時間でよく考えるんだな」
マルガレータは即断した。それが正しい判断であるかどうかはともかくとして。
宇宙暦802年10月21日 月 銀河保安機構月支部
ユリアンはライアル・アッシュビー首席保安官、副官のフレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー少佐と面会していた。
フレデリカはエンダースクールの後輩に笑顔を向けた。
「初めましてユリアン君」
「初めまして少佐」
ユリアンはアッシュビーの副官にして妻である女性の美貌に見とれた。少し、かつて副官だった女性、シンシアのことも思い出した。
アッシュビーはユリアンと握手をした。
「会うのは初めてだな。天才少年」
立場上敬語を使われるべきところであったが、フレデリカに対してもアッシュビーに対してもユリアンは不要だとことわっていた。
ユリアンは笑顔で答えた。
「もう少年ではありませんよ。アッシュビー提督」
「そうか、悪かった。それで、既に通信で話した通りだ。真銀河帝国を壊滅させる作戦に君も同行してもらう」
ユリアンは事前にアッシュビーから報告を受けていた。マルガレータが人質解放と引き換えに自ら捕まったと聞いた時には怒りで我を忘れそうになった。
僕を止めてくれると言っていたのに一体何をやっているのか、と。
だが、マルガレータもただ捕まったわけではなかった。ヤン・ウェンリーはかつての神聖銀河帝国戦の教訓から保安機構技術局に命じて一組の兵器を開発していた。
それは、超光速通信中継装置と、携帯型高出力通信装置である。
超光速通信中継装置は、新銀河連邦の各星域に一つ以上設置されており、定められた通常通信を受診すると、銀河保安機構に超光速通信で信号とその発信位置が伝わるようになっていた。
携帯型高出力通信装置は、この中継装置に対して救難信号を発するもので、小型ながら衝撃を与えることで一度だけ強い通常信号を発することが可能だった。これが中継装置を組み合わさることで、新銀河連邦のどの位置からも携帯型高出力通信装置の現在位置を教えることが可能となっていた。
マルガレータは人質となる前にこれを飲み込んでいた。これが使える状態になれば、真銀河帝国の位置を保安機構に伝えられるようになるのだ。
アッシュビーはこれを機会に、真銀河帝国の根城を見つけ、壊滅させるつもりだった。
アッシュビーはヤンに連絡を取り、真銀河帝国の位置がわかり次第独立保安官以外の通常警備戦力も派遣させる手筈を整えていた。
ユリアンは、マシュンゴと何人かの月の民と保安機構専用の宇宙港に向かった。
その途中、アッシュビーはユリアンに尋ねた。
「君を連れて行く意味、それに月の民で君が信頼を置く軍務経験者を連れて行く意味はわかるか?」
「僕については真銀河帝国が神聖銀河帝国と繋がりがあった場合を考えての情報提供役ということはわかりますが」
「月の民に関しては実戦力だ。それに君もだ。ヤン・ウェンリーの奥方に手酷くやられて肩と腕に後遺症が残っていると聞くが、戦えないわけじゃないんだろう?」
ユリアンは唖然とした。
「戦えと言われれば戦えますが、わざわざ僕ですか?」
「そうだ。真銀河帝国は0Gでの戦闘行動を得意としているようなのだ。君がパトロクロス突入でやったように、な。エンダースクールの0G戦闘訓練、バトルゲームを連想しないか?真逆のベクトルではあるが、エンダースクール残党の関与も疑われてくるな」
アッシュビーは自らを生み出し、フレデリカやユリアンに英才教育を施した組織の名を出した。エンダースクールは挙国一致救国会議に与したため、関係者は逮捕、組織としては解散したはずだった。
ユリアンは納得した。
「だから僕、それに月の民ですか」
「そうだ。0G、それに低Gでの戦闘に慣れた者を揃えるのには時間がかかる。今回はその時間が惜しい。だから君達を活用させてもらうのさ」
宇宙港に着いたユリアンは、ハードラック以外にも独立保安官専用艦が存在するのに気づいた。
ユリアンの視線の方向に気づいたアッシュビーは、専用艦の主を呼び出した。
やって来たのは、若く、鋭い目をした青年だった。
「保安機構の若き俊英クリストフ・ディッケル少佐だ。歳は22歳。君より少し上だな。彼は亡命者なのでエンダースクール出身ではないが、以前に0G対応訓練を受けている」
ユリアンはその青年の名に聞き覚えがあった。
かつてトリューニヒトが同盟の議長就任式典で称揚した四人の少年少女、通称「トリューニヒト・フォー」。
彼らのうち一人は政治の道に入り、新連邦の主席となったトリューニヒトを秘書として支えている。もう一人は銀河開拓財団に入り、再開拓事業で活躍している。
さらにもう一人は従軍看護婦となった後、軍医学校に再度入学し、間もなく保安機構初の軍医兼独立保安官になるだろうと目されている。
クリストフ・ディッケルは残りの一人にしてその筆頭だった。士官学校に首席入学後、そのまま首席で卒業。亡命先にあえて連合ではなく同盟を選んだ共和主義の信奉者。真銀河帝国を名乗る存在は彼にとって許せない敵だろう。
ユリアンは笑顔で手を差し出した。
ディッケル少佐も笑顔を見せ握手を交わした。
しかしアッシュビーが離れた途端に、彼はユリアンの手を振りほどき、ユリアンに告げた。
「トリューニヒト先生にこれ以上迷惑をかけるな。同盟市民の面汚しめ」
ユリアンは笑顔で流そうとした。
ディッケル少佐がそう思うのは当たり前だとユリアンも思ったからだ。
「そうだね。気をつけるよ」
だが次の言葉はユリアンの何かを刺激した。
「マルガレータにも近づくな。彼女は俺が助ける」
ユリアンは笑顔のまま、まるでトリューニヒトのような笑顔のまま、ディッケルに答えた。
「君は何を言っているんだ?近づくな?助ける?違うだろう?君にしてもマルガレータにしても、君達独立保安官が不甲斐ないから、僕なんかが出張らないといけなくなったんじゃないか。立場を理解する知恵もないのか?助けてくださいと頼んで見せろよ」
ディッケル少佐はユリアンの豹変に唖然とした。そして言われたことを理解し、怒りに震えた。
「お前……」
「そこまで!ディッケル君、貴方が挑発するのが悪いんでしょう?」
黒髪の東洋系の若い女性がディッケルを窘めた。
闖入者の出現にユリアンも冷静になった。
「君は……?」
「サキ・イセカワ。軍医大尉で、今の所ディッケル少佐の副官をしているわ。よろしくユリアン君。本当に男にしておくのが勿体無いくらい綺麗な顔ね」
彼女こそが保安機構に所属するもう一人のトリューニヒト・フォーだった。
「そうか、君が。よろしく」
ユリアンは彼女と握手を交わした。
その後ユリアンはディッケルに頭を下げた。
「ごめん。言い過ぎた」
素直さを見せたユリアンに、ディッケルも多少冷静にはなった。
「いや、俺も言い過ぎた。……だが、お前を信用していないのは変わらないからな」
サキも言葉を重ねてきた。
「悪いけど、信用していないのは私も同じ。あなたはそれだけのことをやったんだから」
ユリアンは再び笑みを見せた。カーテローゼなどが見たらそれが寂しさを含んだ笑みだと見抜いてくれただろう。
「それでいいよ。簡単に信用してもらおうなんて思っていないから」
ユリアン自身、自分のことを信用しきれないぐらいなのだ。そんな自分のことを止めると言ってくれた彼女のことがユリアンの心に浮かんだ。
アッシュビーが戻って来た。
「少しは相互理解が図れたようだな。出発するとしようか」
ユリアンは気づいた。アッシュビーが離れたのはわざとだったのだと。