ユリアンとマルガレータはフレデリカの返事に愕然とした。
「私、そんな通信送っていないわ」
「そんな馬鹿な……」
「通信を送るならあなただけに送るはずなんてないじゃない。マルガレータにも送ったはずよ」
フレデリカは念のため通信ログを確認したが、受信側にも発信側にも通信の記録は残っていなかった。
「いちおう、もう少し調べてみるわね」
この件はフレデリカの預かりとなった。
ユリアンは焦ってマルガレータに釈明した。
「僕、嘘はついていないからね」
マルガレータは頷いた。
「わかっている。お前はすぐにばれるような嘘はつかないし、ばれた時には素直に認めるからな」
マルガレータが信じてくれてユリアンは安堵した。その信じられ方もどうなのだろうと思う気持ちもあったが。
未解明の要素を残しつつ、彼らはバーラト星系への帰路に着いた。
ユリアンは従軍看護婦に人気だった。
常に誰かしらがやって来て、ユリアンと話をしたがった。
マルガレータとしてはモヤモヤした気持ちを抱かざるを得なかった。
空いている時間も、ユリアンはフレデリカと何やら相談をしていた。
マルガレータがいると話せないような空気を二人してつくるので、その間は一人待合室で、読書でもしていることになるのだった。
マルガレータの見るところ、ユリアンはフレデリカに好意を持っているようだった。恋愛感情というより姉か母親への甘えのようにも見えたが、それはそれで複雑な感情がマルガレータの中に発生した。
病室から出てきたフレデリカは、マルガレータの表情に気がついて、笑いながら声をかけた。
「そんな顔をしなくても、別に盗りはしないわよ」
「盗るって、何のことですか!?」
「何のことって、ユリアンのことよ。好きなんでしょう」
「いや、好きというわけでは……」
「嫌いなの?今度デートするんでしょう?」
フレデリカには何故かいろいろとバレていた。
「嫌いではないです」
見透かすようなフレデリカの目を前にして、マルガレータはついに白状した。
「好きです。でも付き合いたいとは思っていないので誰にも言わないでください」
「わかったわ。でも、何故?」
「好きだから付き合わないといけない理由はないでしょう?ユリアンにはもっとお似合いの女性達がいます。ご存知でしょう?」
「知っているけど……あなたが卑下する必要もないと思うわ」
「私は、ユリアンと付き合いたいのではなく、彼を止めたいんです。いざとなれば、その……殺しあうことになってでも。そのようにユリアンと約束したんです。だから付き合えません」
フレデリカは驚いた。そんな約束をしていたとは。これが秘密の話でなければユリアンを引っ叩いているところだ。しかし……
「あなたも難儀な性格をしているわね」
マルガレータは言い返したくなった。
「フレデリカさんはどうなんですか?本当にこのままでいいのですか?ライアルさんがこのまま……」
「よくないわ。だから……」
フレデリカの思い詰めた顔に、マルガレータは僅かながら恐怖した。
フレデリカは取り繕うように笑った。
「ごめんなさい。怖がらせてしまったようね」
「いえ。意外だっただけです。フレデリカさんもそんな風に感情を表すのですね」
「あら。私は普段猫をかぶっているだけなのよ。好きになった人は、絶対に離さないわ。あなたも何が自分の幸せにつながるか、少しは考えてみたら?」
そう言い残してフレデリカは去って行った。
「幸せ、か」
フレデリカが去った後、マルガレータはその言葉を呟いた。
思えばあまり考えて来なかったような気がした。亡命して父親が倒れてからは貴族としての義務と軍人としての職務を果たすのに精一杯だった。
確かに自分の幸せを考えても良いのかもしれない。
実のところ父からはそろそろ結婚を考え始めてはどうかと言われていた。何人か候補者の名前を伝えられてもいたし、連合領に戻った際にはそれと知らされず顔合わせのようなことを何度かさせられた。しかし、誰に対してもあまり強い印象も感情も抱くことができなかった。ユリアンが自分の心を占めていることをマルガレータも自覚していた。
だからと言って、ユリアンとの約束を抜きに考えても、ユリアンを慕う三人娘を押し退けてまで彼とどうにかなりたいなどとは、負い目を感じてどうしても思えないのだった。ユリアンも幸せにはなれないだろう。
そもそも自分が選ばれること自体あるまいと思い直し、マルガレータは考えることをやめた。
どうせならフレデリカにデートの心得を教えて貰えば良かったと思い至ったのは、それから少し経ってのことだった。
同盟軍宇宙艦隊はバーラト星系に帰還した。
ブルース・アッシュビーの遺体は、第四課の管理する死体保管室に秘密裡に運び込まれ、アッシュビー・クローンの死体と共に保管されることになった。
宇宙暦746年1月4日、ブルース・アッシュビーは"生きて"元帥となった。36歳での元帥は同盟軍史上最年少であり、その記録は宇宙暦804年に至るまで破られていない。730年マフィアの提督達も皆大将に昇進した。
同日、盛大に催された戦勝式典で、ライアル・アッシュビーはブルース・アッシュビーとして演説を行なった。
「同盟市民諸君。今回の会戦に参加した者も、そうでない者も。あるいはここに立てなかった者達も含め、我々は皆守るべきものの為にそれぞれの立場で戦ってきた。自由惑星同盟は我々が流した血と汗の上にだからこそ今も存在している。しかし、敵である銀河帝国もまた存在し続けている。なあ、諸君はこう思ったことはないか?我々は、帝国と永遠に戦争を続けなければならないのか、と」
会場がどよめいた。反戦論的発言にも聞こえ、利敵行為とも指弾されかねない発言を司令長官が行なったのだ。
だが、アッシュビーは不敵に笑っていた。
「安心してほしい。そんな時代は終わる。このアッシュビーが終わらせる。ティアマト会戦はその嚆矢であり、帝国の終わりを告げる号砲だ。
帝国は本会戦で、回復困難な大打撃を受けた。私の狙い通りだ。
同盟は帝国に対してこれまで常に受け身であった。しかしそれは過去の話である。今度は我々が攻め入る番だ。
なあみんな!今こそ圧制に喘ぐ人々を解放し、銀河帝国を打倒しようじゃあないか!」
総立ちとなった聴衆から万雷の拍手が沸き起こった。
それが一旦収まってから、アッシュビーは演説を再開した。
「諸君、私は本日をもって退役する」
その唐突な発言に、再び会場がどよめいた。悲痛な顔をしている者も少なくなかった。
アッシュビーはそのどよめきを手で制して続けた。
「私は政界に転身する。同盟市民全員に問うのだ。このまま終わりのない戦いを続けるか、アッシュビーと共にこの戦いを終わらせるか。その二択を。
私は諸君に三つ約束をする。
一つ、必ずや最高評議会議長になる。
二つ、最高評議会議長として私は常に陣頭に立つ。私は諸君と共に帝国領侵攻作戦に参加するぞ!」
大歓声が巻き起こった。
最高評議会議長、国防委員長をはじめとした政治家達は頭を抱えていたが。
「そして最後に、私は諸君と共に、銀河帝国の存在しない未来をもたらす。ブルース・アッシュビーの名の下に約束する。必ずや、もたらすだろう。それが死んでいった者への手向けであり、我々の子孫に対し我々が果たすべき責務である」
この時だけはアッシュビーの表情と口調が変わった。戦死者を悼んでいるように参列者には思えた。
この時、730年マフィアの面々に目を向けた者がいれば、彼らが揃って瞑目していたことにも気づいただろう。
アッシュビーに不敵な笑みが戻った。
「同盟市民諸君、だからこのアッシュビーによる未来を決するための戦いに協力してくれ!
さあ、戦いはこれからだ!」
「アッシュビー!アッシュビー!」
軍民問わず聴衆は熱狂の渦に巻き込まれた。これから国防委員長の演説や評議会議長の演説もあるというのに聴衆はそれを既に忘れていた。
ヤンも不本意ながらも起立し、熱のこもらない拍手をしていた。
歴史の一場面を乱すべきではないという理解と、フレデリカのやんわりとした事前注意がなければ、どうしていたかわからないが。
主戦論、聴衆の煽動、軍隊の私兵化。
そのようなキーワードがヤンの頭をよぎっていた。
ヤンは思う。
アッシュビーという存在は、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムになり得ただろう。それを危険視する者が出ていたこともよく理解できた。ライアルに任せたため、真相は曖昧なままとなったが、あるいはアルフレッド・ローザスも友がそうなることを止めるために行動したのかもしれない。
しかし、強力なリーダーシップを持った人物に期待したくなる状況が同盟にはあった。百年も続く戦争のことだけではない。人口推移、労働生産人口推移、出生率、経済成長率、医療費に対する政府支出、政府総債務残高……この時代既に多くの指標が将来における同盟の苦境を示唆し始めていた。それを察している者は少なくはなかったはずである。
劇薬による解決を望んだ者、アッシュビーをあくまで民主共和制の枠内の英雄と考えた者は、アッシュビーと彼の戦いを支持した。
アッシュビーを危険視した者の一部はアッシュビー謀殺に加担したのかもしれない。その者達には将来の展望があったのだろうか?ティアマトでの勝利で同盟が一息つけると考えたのかもしれない。あるいは帝国との講和も考えていた?それともフェザーン/地球教の意向に沿って動いただけで、同盟の将来のことなど何も考えていなかったのだろうか?
そもそもこの時代に、帝国との講和成立の可能性はあったのか?帝国からすれば対等な講和はあり得ない話だっただろう。しかし、停戦であれば?地球教勢力の存在を知っている今となっては、長期間の停戦など望めないように思える。
そうなれば結局、アッシュビーと、それを支持した同盟市民が正しかったということになるのだろうか?
このように思い悩んだ時、もう一つの歴史ではユリアンやフレデリカが話の聞き手になってくれていたように思う。
しかしこの歴史では違う。ユリアンもフレデリカも隣に座っていたが、精神的な部分で距離間が存在することが、今のヤンには少し寂しかった。
いつか息子のテオが自分の話を聞いてくれたらと思い、未来への望郷の思いが強くもなった。
式典は自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」の斉唱で締めくくられた。
友よ、いつの日か、圧政者を打倒し
解放された惑星の上に自由の旗を樹てよう
吾ら、現在を戦う、輝く未来のために
吾ら、今日を戦う、実りある明日のために
友よ、謳おう、自由の魂を
友よ、示そう、自由の魂を
……
聴衆はその歌詞を今こそ現実のものとして認識していた。
アッシュビーと共に輝く未来を実現するのだ、と。
730年マフィアは、今はいない友に想いを馳せた。友が生きていたら実現させていたことを、彼らはこれから友の分身と共に実現するのだ、と。
巨大な熱狂と隠された哀悼を乗せて、聴衆の歌声はハイネセンポリスの青空に響き渡った。
ヤン達は、帰路に着いた。フレデリカの隣にライアルはいなかった。ライアル・アッシュビーは既に彼らが簡単には接触できない立場となっていた。
「ええと、フレデリカ少佐、なんというか……」
「大丈夫ですわ。ヤン提督。お気遣いありがとうございます」
「そうか……」
二人の間にある何とも言えない空気に、ユリアンとマルガレータは顔を見合わせた。
だが、彼らが何かを話し合う時間はなかった。
目の前に、彼らが探していた一人の男が現れたのだ。
「久しぶりですな。ミンツ大主教」
ユリアンにとっては因縁深い相手、デグスビイ主教であった。