時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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23話 生離死別のロストワールド/喪服と軍服と病院服の間

 

「勝ったのか、俺たちは……」

自らの感覚を疑うようにジャスパーが呟いた。

通信スクリーンから彼に劣らず疲弊したファンが返答した。

「彼らは去り、我々は残っている。一般的にはこれを勝ったというのじゃないか」

 

そこに別の通信波が割り込んで来た。

「ハードラック被弾、艦橋への損害あり、アッシュビー総司令官は軽傷を負うも無事なり」

 

ジャスパーは毒を吐いた。

「アッシュビーめ、日頃の行いが悪いからこうなるんだ」

 

ファンが混ぜ返した。

「では貴官は二回善行をしたら一回は悪行を働いているのか?」

 

「立派なもんだろう。善行の方が多いんだから」

 

730年マフィアは、アッシュビーの負傷の報に、心の何処かでいい気味だと思っていたかもしれない。しかしそれは生きていると思っていてこそのことであった。

 

ハードラックに集められた730年マフィアの面々はそこで真実を知らされた。

ブルース・アッシュビーが死んだこと、未来よりアッシュビーのクローンが暗殺阻止のためにやって来て、結局失敗したこと、この上はクローンが代役を務めること、を。

 

最も狼狽したのはウォーリックであった。

「ブルースの奴がくたばるはずがない!そこにいる男が別人でしかも未来から来ただと!?ローザスと二人で俺たちを担いでいるんだろう!?」

 

ローザスが指摘した。

「ならばこの死体はどう説明する?」

 

ウォーリックは頑なだった。

「蝋人形か何かだろう?クローンなどという話の方が信じがたい」

 

ローザスは溜息をついた。

「ならばブルースの死体を切り刻んでみせれば納得するのか?……お前さん方を本気で担ぐつもりならタイムワープやクローンなんて非現実的なものは出してこないさ」

 

壁を一度叩いて沈黙してしまったウォーリックに代わって、ファンが尋ねた。

「俺は冗談は嫌いだ。もう一度だけ訊く。本当にアッシュビーは死んだんだな?」

 

「ああ、そうだ」

ローザスの肯定に730年マフィアの面々は彼らのリーダーが永遠に失われたことをようやく認めることになった。

 

ファンはさらに訊いた。

「ローザス、アッシュビーが死んだことが事実だとして、そのクローンが今後俺達のリーダーを務めることになるのか?」

 

「そうだ」

 

まずコープが反対した。

「悪いがその案には乗れないな。ブルース本人ではないその紛い物に俺達のリーダーが務まるとは思えん」

 

ウォーリックも続いた。

「俺も認めない。ブルース・アッシュビーでない奴の風下に立つつもりなどない」

 

皆、口々に同様の言葉を呟いた。

 

今まで沈黙していたライアルが口を開いた。

「認めさせればよいのだろう?」

 

その言葉にウォーリックが反応した。

「何?偽物が何をどうやって認めさせるつもりだ?」

 

ライアルは笑った。

「ブルース・アッシュビーはその軍事手腕で自らを認めさせてきた。俺もそれに倣うとしよう。お前達全員を戦略戦術シミュレータで打ち破ってやる」

その笑みは730年マフィアの面々にとってさえ、ブルースのものと見間違えるものだった。

 

ライアル・アッシュビーと730年マフィアのシミュレータによる模擬戦闘が始まった。

彼らは一人ずつライアルと戦い、ライアルは一人一人、誠実に、丹念に、悉く叩き潰した。

 

ファンとベルティーニは一度で納得した。コープとジャスパーは三回で納得せざるを得なかった。

 

ジャスパーは戦いの後に呟いた。

「俺の勝利のジンクスが通用しない奴などブルースの奴しかいなかったというのに」

 

最後まで諦めなかったのはウォーリックだった。七度戦い、負け続けた。

ローザスを含む730年マフィアの面々はただ黙ってそれを観ていた。

それがブルース・アッシュビーの葬いになるかのように。

 

七度目でようやく負けを認めた時、ウォーリックの顔は悄然としたものになっていた。

「ブルース・アッシュビー以外に勝てなかったか……。奴のためにも勝ってやりたかったが……」

 

ライアルもシミュレータから降りた。

「いいや、お前さんはブルース・アッシュビー以外には負けていない。何故なら俺もブルース・アッシュビーになるのだから」

 

ウォーリックはライアル・アッシュビーを睨んだ。

「おい、クローン。お前に名前はないのか?」

 

「何?」

 

「名前だ。クローンにも名前ぐらいあるだらう?」

 

「……ライアル・アッシュビーだ」

 

「覚えておく。悪いが俺はあのブルース・アッシュビー以外認められない。だが、お前さんをブルース・アッシュビーの代役として認めないわけにはいかないのだろう。だからお前さんをブルースと呼ぶ時も、心の中ではその名前を呟いておくからな」

それはウォーリックが心の中で折り合いをつけたことの表明だった。

 

「わかった。それでいい」

 

ローザスがライアルに尋ねた。

「それで、今後どうするつもりだ?ブルースの奴は政界進出も考えていたようだが、それが未来の歴史につながるのか?」

 

「ああ、そうだ。俺とローザス提督はこの勝利と民衆の支持を足掛かりに政界に転身する。そうしてオリジナルのブルース・アッシュビーであればやっていたことをやる」

 

「何だ?」

ウォーリックはそう尋ねつつも既に答えをわかっていた。

 

「帝国領侵攻作戦。後の世では大解放戦争と呼ばれる戦いだ」

 

ウォーリックが皆を代表して質問した。訊かざるを得なかった。

「俺達は帝国を倒せるのか?」

 

「ここまで来たら言ってしまうが、帝国領侵攻は半ばまで上手くいき、そこで終わる。ブルース・アッシュビーの死によって、終わるんだ」

 

ウォーリックは疲れた声を発した。

「その戦いは無意味に終わるのか。結局ブルースはティアマトで死ななくても結局道半ばで死ぬのか」

 

「無意味ではない。その戦いの結果、帝国領内に銀河第四の国家、独立諸侯連合が出現し、銀河のパワーバランスは同盟優位に傾く。詳しくは話せないが、その先には銀河帝国が消滅し、曲がりなりにも平和となった未来が出現するんだ」

 

ファン・チューリンが尋ねた。

「貴官達の歴史をなぞることが、同盟にとっても良い結果に繋がると言いたいわけか?」

 

「そうだ。少なくとも、ブルースがここで死んだことになるもう一つの歴史では、同盟は帝国に併呑されるらしい。あなた方が退役し、死んだ後の話だ」

 

それは730年マフィア、同盟を守るために戦って来た者達にとっては衝撃的過ぎる情報だった。

 

ジャスパーがそっぽを向きながら吐き捨てた。

「できれば聞きたくなかったな」

 

「たしかに、その歴史は受け入れがたい」

ファン・チューリンも首を横に振りながら呟いた。

 

ウォーリックは、ライアル・アッシュビーを待ち受ける運命に気づいた。

「歴史をなぞるということは、お前さん、ブルースの代わりに死ぬことになるのか?」

 

「そういうことになる。承知の上だ」

 

730年マフィアの面々は、ライアルの顔に静かな決意を見た。

 

ライアルは、彼らを見渡し、頭を下げた。

「どうか、この俺に協力して欲しい」

 

少しの沈黙。

 

「頭を下げるな」

ジャスパーの言葉だった。

 

顔を上げたライアルにジャスパーは続けた。

「ブルース・アッシュビーは頭など下げない。常に偉そうにしていやがった。代役を務めるつもりなら気をつけるんだな」

 

それが承諾の返事だと理解し、ライアルは不敵な表情を取り戻した。

「わかった。そうさせてもらう」

 

艦隊司令官達が去り、後にはライアルとローザスが残った。

 

「ローザス提督」

立ち去りかけたローザスをライアルは呼び止めた。

 

「何だ?……アッシュビー」

ローザスは妙に生気のない声で応えた。

 

「ブルース・アッシュビーはルドルフを目指していたのか?」

 

ローザスは一瞬目を見開き、すぐに表情を戻した。

「そんなわけはないだろう。ブルース・アッシュビーは民主共和制の英雄だ。以前も、これからも」

 

「そういうことに、しておきたいよな」

 

「……何が言いたい?」

そう答えつつもローザスは相手が察していることを悟っていた。

 

「何も。ただ、貴官にはこれからも協力してもらう必要がある。俺が生きている間だけではない。俺が死んだ後も歴史の見守り手は必要だからな」

 

「俺に、生き続けろと言うのか?妻にも、友にも先立たれた俺に」

 

「そうすべきだろうな。貴官には果たすべき責任というものがある」

 

「ブルースへの責任か?」

 

「……貴官、息子がいるだろう?」

 

「いるが」

 

「クローンの俺が言うのも何だが、まず親として果たすべき責任があるんじゃないか?」

 

ローザスは驚いてブルースの顔を見た。

 

ライアルは苦笑した。

「貴官、わかりはするが、思い詰め過ぎだ。その様子では息子さんは寂しい思いをしていそうだな。俺達は軍を退役することになる。退役したら少し休みを取って息子さんともよく話してみたらいい」

 

ローザスは妻を失ってから息子とまともに話をしていなかったことを思い出した。

「……そうだな。そうしなければな」

 

場に沈黙が落ちた。

 

ローザスが絞り出すように呟いた。

「本当はブルースと共にあの艦橋で死にたかった。だが、俺は死ななかった」

 

ライアルは黙っていた。

 

「なあ、俺はいつまで生きたらいいんだ?」

その声は年齢よりもはるかに年老いたものに聞こえた。

 

ライアルは、ローザスの最後を思い起こした。息子夫婦の残した孫娘の婚約が決まった後に、睡眠薬の過剰服用して死亡。自殺を覚悟したものだったとされている。

それは、ローザスが四十年以上背負い続けてきたもののためだったのだろう。

 

「独立諸侯連合のエルランゲンという星系で、ヤン・ウェンリーという男が、奇跡の脱出劇を起こす。それが起これば、我々の歴史に繋がったことになる」

 

ライアルは少し考えて付け加えた。

「普通なら絶対に軍人にはならないような男だから、場合によっては何か手を回す必要があるのかもな」

 

「ヤン・ウェンリーか。よく覚えておこう」

 

 

ライアルは、最後に言うべきことがあった。

友が悔恨だけの人生を送るのをブルース・アッシュビーは望んでいないと思ったから。

おそらくはブルース・アッシュビーのクローンである自分にしか伝えられないことである。

「なあ。ブルース・アッシュビーは自分の死の理由に気づかなかったと思うか?俺なら最後の瞬間、気がついたと思うがな」

 

ローザスにとってそれは想像もしていなかった可能性だった。

「……あの勘の良いブルースのことだ。あり得ないとは言えないな」

 

「それを、いつもより深刻な顔をして隣に突っ立っていた貴官と結びつけてもおかしくはなかろう?」

 

ローザスはその瞬間を思い出し、身震いした。

「……だが、最後にブルースは俺を呼んだんだ。俺を頼った。恨み言も口にせず、腹を裂かれながらも笑って死んでいった」

 

「いろいろと察していてさえ、貴官を親友と思っていたのだろう。貴官になら……と思っていたのかもな。だから貴官を最後に呼んだ」

 

「まさか……」

 

「いずれもただの想像だ。少なくとも俺ならば、という話だ」

 

動揺するローザスに向けて、ライアルは怒鳴った。

 

「ローザスの大馬鹿野郎!」

 

驚くローザスにライアルは不敵な笑みを見せた。

 

「……まあそれぐらいは当然ながら思っていただろうが、案外あの世で会っても一発殴られるぐらいで済むかもしれんぞ」

 

ローザスはその笑みにブルース・アッシュビーを重ねざるを得なかった。

ブルース・アッシュビーは基本尊大で唯我独尊だったが、他人の失敗には寛大だった。俺じゃないのだから失敗して当然、そういう奴だった。確かに、自分の死もその程度で済ましてしまうのかもしれない。

 

ローザスはこの数日で初めて笑った。寂しげに。

「本当のところはどう思っていたのか、ブルースとあの世で会った時に訊いてみることにする。……大分後にならざるを得ないのだろうが」

 

「そうしてみてくれ。あと、俺と、奴と、他のクローンが先にあの世で喧嘩していたら仲裁してくれよ」

 

それは想像するだにシュールな光景だった。

 

「……わかったよ。ライアル」

 

ローザスは初めて、彼の本当の名を呼んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ユリアンはマルガレータに付き添われて病院船に移されていた。

 

ベッドの上でユリアンが目を覚ますと、目の前には綺麗な金色の髪があった。それは椅子に座ってうつらうつらと舟を漕ぐマルガレータのもので、ユリアンは無造作にその髪を手に取り……

 

「んむ、起きたのかや?ユリアン」

多少寝ぼけつつも目を覚ましたマルガレータは、自らの髪がユリアンの手の中にあるのを見て……

 

二人してしばらく固まり……

 

ユリアンがマルガレータの髪を触っていたことは二人の暗黙の諒解により、なかったことになった。

 

マルガレータはユリアンに、彼が意識を失ってからこれまでのことを説明した。

 

「結局、ブルース・アッシュビー本人は助けられなかったか」

ユリアンは少し気落ちしている様子だった。

 

マルガレータは言わないといけないことを思い出した。

「ええと、ユリアン、ありがとう。お前が庇ってくれなかったら、私は死んでいたかもしれない。それにその足……」

 

ユリアンは片足を失っていたことをそこで初めて思い出した。

「ああ、足ね。義足で何とかなるよ。きっと」

 

「こんなことを訊くのも不躾とは思うが、気落ちしていないのか?」

 

「まあ似たようなことは2回目だから。1回目の時は肩の方だね。あの時は助けたい人に逆に庇われて、結局助けることができなかった。それに比べれば今回は随分マシだよ。君を助けることができたんだから」

 

マルガレータも、ユリアンによるパトロクロス突入の話は聞いていた。ユリアンを庇って死んだシンシアという女性のことも。

ユリアンの口振りで、自分がその女性と同列に並べられた気がして、マルガレータは心臓が高鳴った。どうせユリアンのことだから相手がフレデリカ少佐やヤン長官でも同じように助けたようとしたのだろうとも思いつつ。

 

だが、ユリアンに再び助けられたことに変わりはなかった。

だからマルガレータは改めて感謝した。

「ありがとう、ユリアン。助けられてばかりな気がする」

 

ユリアンは笑った。

「気にしないで」

 

マルガレータは続けて言った。

「助けられた立場で訊きづらいのだけど、一ついいか?」

 

「何だい?」

 

笑顔のままのユリアンに、その問いが飛び込んできた。

 

「ユリアン、お前、みんなに秘密でタイムワープを繰り返してはいないよな?」

 

マルガレータの瞳には、不安と僅かな怯えがあった。

 


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