アッシュビーの大言によって、同盟軍はある意味でまとまった。
アッシュビーの言う大勝利が実現するかどうか見てみようじゃないか。出来なければその時は……
その意識が、アッシュビーによる常識外の部隊引き抜きを各司令官に許容させた。
アッシュビーはファン・チューリンの艦隊から抽出した三千隻の艦隊を核として、各艦隊から少しずつ部隊を抽出し、最終決戦部隊を編成していった。
アッシュビーはその最終決戦部隊を帝国軍に気づかれないように戦場外縁に移動させた。
提督達との不和など意に介していないかのようにアッシュビーは意気軒昂だった。
「さあ、戦いはこれからだ!」
ヤンは巡航艦アウトノエの艦橋で、戦闘の推移を見守っていた。無論、周辺の状況についても警戒を怠ってはいない。
……艦橋メンバーに不自然な動きをする艦がないか確認するよう指示を出して任せるだけだったが。
ティアマト会戦の戦闘詳報を何度も読み返していたヤンにとって、今更目新しい展開はなかった。
状況は史実をなぞっていると言えた。
それでも会戦全体に勝ちつつある状況から後退を命じるなど、まともな司令官にできることではなかった。自らの目で見ることでその思いは余計に強まった。
とはいえ、ヤンにはアッシュビーの意図がわかっていた。歴史知識の助けを借りた上でのことだったが。
帝国軍に大打撃を与え、それによって帝国に暫くの間積極的な行動を取れなくさせる。その間に大勝利に沸く民衆の支持を受けて政治家に転身し、最高評議会議長として帝国領侵攻の準備を整える。さらには帝国軍が打撃から回復しないうちに侵攻を始め、ジークマイスターの諜報ネットワークと連携して帝国打倒を一気に推し進める。
それがアッシュビーの構想だったのだろう。
帝国はハード面の損失についてはそれほど時間をかけずに回復させることが可能である。それだけの底力を持っていたし、貴族私領艦隊という予備戦力も存在した。
しかし、正規軍の人的損失の回復には十年単位で時間がかかる。アッシュビーはそれを意図していたのだ。
一つの決戦における勝利によって、帝国領侵攻を可能とする戦略的状況を整えてしまう。それはまさしく、天才にして異端の戦術家と言うべき所業だった。
あるいはアッシュビーのこれまでの華麗な勝利も、帝国をこの一戦に持ち込むための準備に過ぎなかったと言えるかもしれない。
お前たちを叩きのめした人物はアッシュビーだ、と帝国軍を戦いの度に挑発し、帝国軍の注目と憎悪を自らに集めさせた。
その上でさらに勝利を重ね、小規模な戦いではラチがあかないと思わせ、総力を挙げた決戦を帝国軍に挑ませるに至った。
戦術的勝利を積み重ねられることを前提とした帝国打倒構想。戦略的状況を整えてから戦うことを好むヤンとは真逆のアプローチ。ヤンとしては追い詰められでもしない限りは同じ真似はしたくなかった。
ヤンはこの戦いに関して、いや、このタイムトラベルに関して、観察者に徹しようという意識が働いていた。歴史に影響を与えることを避けたということでもあったし、歴史学者志望としての欲を満たすことを優先していたと言えるかもしれない。
そのことが、彼の動きを受動的なものにさせていた。
ユリアンとマルガレータは交代で艦橋の状況に気を配っていた。今の所怪しい動きをする者は見受けられなかったし、カメラを通じて監視しているフレデリカからも特段の指示はなかった。
二人は引き続きアッシュビーの護衛を続けることになる。
アッシュビーの決戦部隊が移動を続ける間に戦闘は再開された。12月8日から10日にかけて戦況は一進一退を繰り返し、どちらが有利であるか容易に判断しがたい状況となった。
当初はフレデリック・ジャスパーの活躍が目立った。
彼の艦隊は当初帝国軍の繞回進撃への備えとして配置されており、ここまで戦う機会を得ていなかった。彼は彼でコープやウォーリックとは別種の不満を抱いていたわけだが、漸くそれを解消する機会を得たのだった。
わずか15分間の接近戦によって、ジャスパーは帝国軍の密集隊形を切り開くことに成功した。「チーズをナイフで切るように」と同盟軍史は表現している。
帝国軍は、突出したジャスパーの艦隊を左右から挟撃することを試みたが、ウォーリックの並列前進に圧迫され、6光秒にわたる後退を余儀なくされた。
「勝てそうですね」と幕僚に言われてウォーリックはベレー帽の角度を直しながら答えた。
「問題は勝ち続けられるかどうかだ」
局地的にジャスパーとウォーリックの連携は多大な効果を示し、相対していたカイト中将の艦隊は甚大な被害を被った。
コーゼル大将が救援に向かおうとしたが、その動きはファン・チューリンによって牽制され、果たせなかった。
司令官のカイト中将は戦死し、副司令官パルヒヴィッツ少将も重傷を負って意識不明の重体となった。
この方面における帝国軍の統率は失われた。このタイミングで同盟軍が全面追撃を行えば、同盟軍の勝利は決定づけられたかもしれない。しかし、それはアッシュビーの求める大勝利には繋がらなかったし、ウォーリック、ジャスパーの両艦隊が負った損害もまた大きなものだった。遅れながらもカバーに入ったシュリーター大将の艦隊と対峙しながら、彼らは再編のため後退する敗残部隊を黙って見送るしかなかった。
一方でその他の戦域ではシュタイエルマルク中将がコープとベルティーニを相手に有利に戦いを進めており、戦線全体ではどちらが有利とも判断し難かった。
その間にも帝国軍の主力は繞回運動を続け、同盟軍の後背を取ろうとしており、それに対してアッシュビーは効果的なタイミングで側背攻撃をかけようとしていた。
12月11日16時40分、帝国軍の主力が不完全ながらも繞回運動を完了し、ウォーリックとファンの艦隊の後背に出現した。
これによって帝国軍は同盟軍に対して挟撃を実現することになった。
「
日頃のダンディーぶりをかなぐり捨てて、血走った目でウォリス・ウォーリックはどなった。
現段階で帝国軍の戦力は同盟軍の二倍であり、ここで突破を許せば同盟軍の全戦線が崩壊することになる。
既に半ば崩壊しつつあったが、同盟軍の各提督は必死で持ち堪えようと試みた。
「アッシュビーが来るか、死神が来るか。この競走は、なかなか観物だな」
冷静な表情は変えぬまま、ファン・チュ ーリンが呟いた。その唇は心なし白っぽくなっていた。冗談を解さぬとされる彼にしては軽口じみていたが、本人は冗談のつもりはなかったのだろう。
ジャスパーはウォーリックとファンを救援すべく帝国軍に横撃を試みたが、十倍する火力で報復され、危うく戦場の塵となりかけた。
「ブルースはなにをやってやがる!」
ジャスパーは怒号し、それでも収まらずに黒ベレーを艦橋の床にたたきつけた。
このタイミングでアッシュビーが来なければ、同盟軍は大勝利どころか大敗北を迎えるだろう。ジャスパーにはそれがわかっていた。
しかし30秒後、彼はベレー帽を拾い上げ、口笛で勢いよく勝利の行進曲を奏で始めた。
18時10分、アッシュビーが到着したのである。
この時のアッシュビー率いる決戦部隊の機動を知った後世の同盟軍将兵は唖然とすることになる。決戦部隊の航跡は綺麗な円を描いていたのだ。
無駄のないその機動は、アッシュビーが帝国軍来襲の位置とタイミングさえ事前に予測していたことを意味した。
余人には不可能な芸当というべきだった。
しかし、この時シュタイエルマルク中将が動いた。同盟軍攻撃に集中する帝国軍の中でシュタイエルマルクだけが、別働隊に備えていた。
シュタイエルマルクはベルティーニと対峙していたが、分艦隊にその相手を任せ、アッシュビーの進路の妨害に向かった。
ここで時間を稼げば、帝国軍は迎撃の態勢を整え、混戦に持ち込んで会戦を痛み分けに終わらせることができると彼は考えていた。
だが、彼はベルティーニを甘く見ていたかもしれない。
別働隊を意識していたことで、シュタイエルマルクのベルティーニに対する攻撃は、常の彼のそれと比較すれば弱いものとなっていた。
このために、ここまでの戦いで撃ち減らされてはいたもののベルティーニの艦隊はまだ最後の余力を残していた。
ベルティーニは艦橋で吠えた。
「シュタイエルマルクを追え!ここが勝負だ!」
ベルティーニはシュタイエルマルクの残した分艦隊を一瞬のうちに突破し、シュタイエルマルクの本隊に食らいついた。
シュタイエルマルクはその対応に手間取り、アッシュビーの行動を阻害することが出来なかった。
結果、帝国軍は前後から挟撃された。
アッシュビーは帝国軍の左側面を削ぎとるように急進し、途中で方向を変えて斜めに帝国軍の中央を突破し、帝国軍を潰乱の淵に叩き込んだ。まさに神業だった。
〝どうだ〟と、少年のような動作で胸をはってアッシュビーは味方の陣列を見渡し、ベルティーニの不在に気づいた。
「ベルティーニはどうしている!?」
ローザスが淡々と返答した。
「一人、シュタイエルマルク中将相手に奮戦しています。劣勢ですので支援を送るべきかと」
アッシュビーの顔に安堵の表情が広がった。
「死んだかと思ったぞ。奴にはまだまだ活躍してもらわないといけないからな。二千隻ほど送ってやれ」
ベルティーニのことを意識の外に追いやり、アッシュビーは壊乱中の帝国軍本隊を見据えた。
「さあ、最後の仕上げだ!」
わずか40分の戦闘で、帝国軍は六十名におよぶ将官の戦死者を出した。その中にはシュリーター大将、コーゼル大将ら歴戦の宿将も含まれており、帝国軍の人的資源は恐るべき損失を被ることになった。
「軍務省にとって涙すべき40分」
後に帝国軍はそう伝えることになる。
涙すべきなのが、軍務省に留まらないことを思い知らされるまでの間であったが。
勝敗が完全に決したのは18時50分前後のこととされる。
アッシュビーが構築した重層的な罠の中で帝国軍はのたうちまわった。
そこには陣形も艦列も存在しなかった。個艦ごとに逃げまどい、数瞬後には火球と化していく。時間差があるだけで次々に同じ運命を辿った。
最後まで組織的な抵抗を続けたのはシュタイエルマルク中将の部隊だったが、遂に抗戦を断念して敗走を開始した。
18時52分のことである。
ライアル達の歴史においてハードラックに流れ弾が当たったとされる瞬間が近づいてきた。
直撃した箇所にいた人員は無論即死であったが、艦橋への被害は軽微であり、ブルース・アッシュビー他数人が軽傷を負うに留まったとされる。
しかし、その混乱に乗じてアッシュビー暗殺を試みる者が現れないとも限らなかった。
これまで交代でアッシュビーの護衛に当たっていたユリアン、マルガレータの二人だったが、この時は艦橋に揃って警戒を行なっていた。
アッシュビーの旗艦ハードラックは三隻の巡航艦と六隻の駆逐艦に守られ、主戦場宙域から前進を始めた。
孤立した敵艦が散発的な砲撃を加えてきたため、一隻の巡航艦が砲撃を放ちつつ、わずかにハードラックから離れた。
ヤンの乗る巡航艦アウトノエともう一隻の巡航艦は、ハードラックから離れなかった。
仮に流れ弾の命中位置が記録に残るものと異なっていたとしても艦橋に致命的な損傷が及ばないように二隻の巡航艦でカバーしていた。あくまで念のためであったが、敵が流れ弾に関与している可能性を考えてのことだった。
次の瞬間、流れ弾の服を着た「運命」がやってきた。
ハードラックの艦体中央部右下で爆発が起こった。それは艦内を三層にわたって貫いて艦橋にまで被害を及ぼした。
司令部要員のアトキンス大尉が床に生じた亀裂に飲み込まれた。
震動で転倒した作戦参謀ヒース少佐がようやく起き上がり時計を見たところ19時7分を指していた。
アッシュビーは爆発の発生時、例の決め台詞を帝国軍に向かって通信しようとしていたところだった。
ヒース少佐はアッシュビーがいまだ煙の中に立っているのを見た。
さらに二度目の爆発が生じた。
その残響が収まった時、アッシュビーは床に倒れていた。
どこから飛来したものか、腹部にはセラミックの大片が突き刺さっていた。
ヒース少佐はアッシュビーの声を聞いた。
「おい、ローザス、すまんが軍医を呼んでくれ。このまま傷口を塞がずにいると、俺の腹黒いことが皆にわかってしまう」
ローザス総参謀長も頭に負傷をしていたが、それでも立ち上がって軍医を呼んだ。
「軍医、軍医!」
駆け寄って来た軍医に、ローザスは命じた。
「至急、アッシュビー大将を治療室に運べ!」
「しかし……」
「いいから言われた通りにしろ!」
ただならぬ様子のローザスに気圧されつつ、軍医はアッシュビーを担架に乗せてローザスと共に治療室に向かった。
後のことは作戦主任参謀兼副参謀長のフェルナンデス少将に任された。
総司令官と総参謀長が艦橋から居なくなるなど異例のことだった。皆、ローザス提督でも取り乱すことがあるのだと意外に思ったが、アッシュビー負傷ともなればあり得ることだと納得した。彼ら自身も動揺していたのだから。
マルガレータは、短時間気を失っていた。覚醒すると、自らの上にはユリアンが覆い被さっていた。
「ユリアン!何を!」
ユリアンは穏やかに笑っていた。しかしその顔は奇妙に白かった。
「目を覚ましたんだね。よかった。悪いけど自分で退くことができないんだ」
マルガレータは、ユリアンが急にマルガレータを艦橋から連れ出したかと思うと、次の瞬間に爆発が起きたことを思い出した。
ユリアンはマルガレータを庇ってくれたのだ。
「退くことができないって……」
「脚がね……」
見ると、ユリアンの右脚の膝から下が失われていた。
「!」
マルガレータは悲鳴を口の中に押し留めて立ち上がり、ユリアンの止血を試みた。
そうしながら軍医を呼んだ。
軍医は来なかったが、代わりにフレデリカがやって来た。
マルガレータとフレデリカは意識を失ったユリアンを両脇から担ぎ、治療室に向かった。
ヤンは巡航艦アウトノエの艦上で、一人愕然としていた。
……どういうことだ?あの場所に流れ弾が当たるはずがない!伝えられている史実と違う!それに、万一に備えて巡航艦二隻でカバーしていたはずなのに!
治療室の一つでフレデリカ達はローザスと合流した。
本来は入ることは許されないはずだったが、ローザスはやって来たのがフレデリカ達であることを確認して許可を出したのだった。
二台ある治療台にはユリアンとブルース・アッシュビーがそれぞれ寝かされていた。
軍医はユリアンに対して処置を施していた。
もう一人は既に手遅れであったから。
フレデリカもマルガレータも目の前の事態に蒼白となっていた。
ブルース・アッシュビーは、この第二次ティアマト会戦で道半ばにして死んだのだった。