第二次ティアマト会戦と呼称されるその戦いは、12月5日9時50分、遠距離からの砲火の応酬をもって開始された。
「前進!敵の中央と右翼のあいだを突破せよ」
アッシュビーの指示はあらかじめ伝達されており、改めての命令はその再確認に過ぎなかった。
ベルティーニの第九艦隊と、コープの第十一艦隊がその指示に従って動き出した。
コープは大いに不満を抱いていたが、仕事に手を抜くようなことはなかった。
急進し肉薄するそれぞれ一万隻前後の両艦隊に対して、帝国軍は砲火の集中でこれを押し留めようとした。
だが同盟軍主力もベルティーニとコープに呼応して砲火を強め、完全な集中を許さなかった。
その間にベルティーニとコープは隊列を乱すことなく帝国軍の砲列に肉薄することに成功した。
しかしここに至って帝国軍の砲火が両艦隊に集中し始めた。特にコープ艦隊に対する砲火の集中は凄まじかった。
「第十一艦隊は
アッシュビーはそのような表現で致命的な事態に至る前に第五艦隊、ウォリス・ウォーリックに命じてコープを支援させた。
コープに対する苛立ちは完全には収まっていなかったとはいえ、それを理由に総司令官としての責任を放り出すほどアッシュビーは未熟でも無気力でもなかった。
12月6日14時30分、この会戦において初めて将官の戦死者が出た。
帝国軍のウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将が旗艦クーアマルクを突出させた時に、コープ率いる第十一艦隊からの集中砲火を浴び、艦ごと極彩色の雲となって四散したのである。
彼はアッシュビーに対して叔父であるケルトリング元帥の復讐を望んでいたが、それを果たせずに死ぬことになった。妻と一人息子を残して。
ミュッケンベルガーの戦死によって帝国軍に生じた隙に、ウォリス・ウォーリックが乗じた。
「
この動きを帝国軍の少壮の戦術家ハウザー・フォン・シュタイエルマルク中将は阻害しようとした。ウォーリックと同様に円運動を行い、第五艦隊に対して側背攻撃を成功させた。
しかしこの時、帝国軍本隊は危機の最中にあった。ベルティーニとコープが帝国軍に攻勢をかけ、カルテンボルン中将の旗艦に直撃を与え、重傷を負わせたのである。
それによって拡大した混乱に乗じて両艦隊は攻勢を強めた。
帝国軍は本会戦において戦力を二分しており、その一方は大規模な繞回運動によって同盟軍の背後を遮断し、包囲殲滅しようとしていた。
シュタイエルマルク中将はこの時戦況全体の分析研究によって、同盟軍の戦線に特異な点を発見していた。
彼らの配置と移動を解析するに、帝国軍の繞回運動を見抜き、およそ一個艦隊を備えとして用意しているように思えた。
叛乱軍は一個艦隊で遅滞戦闘を行い、その間に帝国軍本隊の撃破を狙っているのではないか。
シュタイエルマルクの知らぬことながら、アッシュビーはじっさいにジャスパーに繞回部隊への対処を命じていた。
慄然としたシュタイエルマルクは、急いで報告書をシャトルで総司令部へ送った。
「叛乱軍が我が軍の繞回運動を察知している可能性高し。敵の目論見は繞回部隊の進撃を遅滞させ、その間に本隊を撃破することにあるならん。この上は早期の撤退も視野に入れられたし」
この報告はツィーテン元帥の元に届いた。
同盟軍がこのタイミングで全面攻勢に出ていれば理想的な各個撃破の形が成立し、シュタイエルマルクの具申の有無に関わらず帝国軍本隊は大きな損害を被り、撤退を選択せざるを得なくなっていただろう。
だが、アッシュビーは全軍に一旦後退を命じた。
前線の同盟軍提督達は、その命令に唖然とした。
「我々は今勝ちつつある。何故後退しなければならないんだ!?」
コープはベレー帽を床に叩きつけながら叫んだ。
「援軍も寄こさず後退しろだと?総司令官殿は正気か!?」
シュタイエルマルクの攻勢に耐えていたウォーリックは横に居た従卒のチャン・タオにそう漏らした。
とはいえ、総司令官の命令を無視して動くような者は彼らの中には存在しなかった。
各司令官の心境が反映されたのか、渋々といった態で、同盟軍は後退していった。
それを追撃する余力は混乱が収まりきっていない状態の帝国軍にはなかった。
この後、二十時間に及ぶ戦闘の空隙が生じた。
この時間を両軍は補給と索敵、作戦会議に費やした。
索敵に関しては両軍共に芳しい成果をあげることはできなかったが、補給は順調に行われた。
問題は作戦会議だった。
ツィーテン元帥は、シュタイエルマルク中将の報告に一度は動揺したが、叛乱軍の後退によって強気を取り戻した。
「シュタイエルマルク中将の意見は一考に値するが、同盟軍の行動を見るにその可能性は低い。ここで奴らが攻勢に出ていれば、それこそ撤退を我々に強いることもできたのだから。繞回行動は継続する」
既に高級士官に死傷者が発生しており、このまま何の成果も出さずに退くことは国内政治の観点からも難しかった。
口には出さなかったが、シュタイエルマルク中将の、撤退を視野に入れろ、という言葉自体ツィーテン元帥は気に入らなかった。
……私が撤退を選択肢に入れられないとでも彼は思っているのか!?
ツィーテン元帥は自らに対して頭が固いという陰口があることを知っていた。シュタイエルマルク中将の文言は、ツィーテン元帥を余計に意固地にさせる結果となったのかもしれなかった。
ツィーテン元帥の言葉を受け、シュタイエルマルクは、少し考えた末に返答した。
「承知しました。この上は指揮権の範囲で全力を尽くさせて頂きます」
シュタイエルマルクにとっても叛乱軍の後退は不可解だった。しかしながら今後も敵が繞回進撃に対応した行動を取る可能性は否定しがたかった。このためシュタイエルマルクは万一への備えを一個艦隊レベルで用意することにしたのだった。
帝国軍も一枚岩とは言い難かったが、一方の同盟軍の内部対立はより深刻なレベルに達していた。
12月7日18時の作戦会議において、コープとウォーリックの言動は殆どアッシュビーに対する詰問に近かった。
ベルティーニは黙っていたが、これは彼ら二人がベルティーニの考えを代弁して、話す必要がなかったからに過ぎない。
「俺達は勝ちつつあった。あのまま攻め続ければ勝っていただろう。それを何故後退させた!?」
ウォーリックは冷静に話そうと努力はしたが、結局成功しなかった。
対するアッシュビーの答えは暢気にさえ感じられるほどだった。
「確かに勝っていただろうな」
アッシュビーの肯定に、コープは激昂せんばかりであった。
「ならばどうしてだ!?俺が手柄を上げるのが認められなかったのか?」
ウォーリックも同調した。
「勝利の花束を独占して俺達にバラの一本も寄越さないつもりか?」
ローザスが、深刻な司令部不信を口にしたコープとウォーリックを宥めた。
「コープもウォーリックも落ち着け。そんな訳はないだろう。アッシュビー総司令官、後退の理由を説明してください」
ローザスはあえて形式ばった言い方をした。
アッシュビーはこれは公式記録には残すなと伝えた上で説明を始めた。
「あのまま戦えば確かに勝ちはしただろう。しかし、それは単なる勝利に過ぎない。それでは同盟と帝国が百年来続けてきたありきたりな一幕の一つで終わってしまう。俺が求めるのは大勝利だ。来るべき帝国領侵攻のための布石となるような大勝利を、俺達はここで実現するんだ」
「帝国領侵攻だと……」
居並ぶ諸将にとってそれは夢の領域の出来事であった。同盟と帝国が接触して百年、小規模な偵察艦隊の侵入を除き、同盟軍が帝国領に侵攻を果たした事例は存在しなかった。それをアッシュビーは実現しようというのだ。
ウォーリックは士官学校卒業の際にアッシュビーが言っていたことを思い出した。
「俺達なら宇宙だって手に入れられる」と、彼はそう言ったのだ。
皆、酒の席での冗談だと思っていた。本気にしたのはアンドリュー・ホィーラーだけだと思っていたが、アッシュビー自身も本気だったとは。
「ブルース、お前さん、宇宙を手に入れられると本気で思っているのか?」
ウォーリックは、自らの問いに対するアッシュビーの答えを半ば予期していた。
赤毛の英雄は昂然と言ってのけた。
「アッシュビー以外の何者にそれが叶うだろうか」
ウォーリックは彼我の差を見せつけられる思いだった。ここでそのように答えられるのがアッシュビーという男なのだ。
「ならばその大勝利というやつを見せてもらおうじゃないか。それが出来なかったならば、俺は金輪際お前さんの下では働かないからな」
アッシュビーに気圧されたウォーリックのせめてもの強がりだったのかもしれないが、その言葉は会議の方向を決定づけた。
コープも続いた。
「俺もだ。ここで大勝できないようなら、悪いがこれ以上お前さんには従えない」
ジャスパーやファン・チューリンまでもが頷いた。
ブルース・アッシュビーは肩を竦めながら答えた。
「いいだろう。まあ出来ないわけがないんだがな」
「言ったな。その言葉を忘れるなよ」
ウォーリックはそう言い捨てて席を立った。コープも続いた。
ベルティーニも今回は天を仰いで動かなかったし、ローザスは溜息を吐きながら静かに首を横に振っていた。
ともかくも、アッシュビーの大言によって、同盟軍はある意味でまとまったのだった。
アッシュビーの言う大勝利が実現するかどうか見てみようじゃないか。実現できなければその時は……