ティアマト星域が近づいてきた宇宙暦745年11月20日、同盟軍宇宙艦隊総旗艦ハードラック内で作戦会議が開かれた。
ヤンはこの会議にローザス提督直下の情報主任参謀兼情報部出向者の代表として参加した。
目の前には歴史に名を残す名将達が並んでいた。歴史の現場に立ち会って、ヤンとしても無感動ではいられないし、居眠りも控えるつもりだった。
彼らに関しては、何度も読み返したローザス提督の回想録における記述がヤンの頭に強い印象として刻み込まれていた。
「
「
勝ち勝ち負けのパターンを繰り返す奇妙なジンクスの持ち主で、本会戦は勝ちの番に当たっていた。
大解放戦争でも転戦を重ねて、ジンクス通り負け戦もあったが、最も武勲を積み重ねた人物である。
大解放戦争後は同盟軍副司令長官、コープ退任後には司令長官を務め、独立諸侯連合の支援に出向くことも多々あり、そこでも勝ち勝ち負けを繰り返した。ウォーリックには独立諸侯連合への移籍を度々勧められたが、各種の事情により結局それは実現しなかった。しかし彼の部下には移籍する者も多数現れた。
ジョン・ドリンカー・コープ中将。名前に反してアルコールに対するアレルギー体質の持ち主。ジャスパーと異なり黙々と自分の責務を果たすタイプであるが、やはり優秀な戦術家で、逃げる敵を追撃して戦力を削ぐことを得意とする。大解放戦争最初の大会戦、イゼルローン回廊出口の会戦で撤退を始めた帝国軍を追撃し甚大な損害を与えたのも彼だった。
ウォリス・ウォーリックが独立諸侯連合に移った後、宇宙艦隊司令長官を務め、統合作戦本部長となったファン・チューリン、副司令長官となったジャスパーとのトリオで、大解放戦争後の同盟軍の立て直し、独立諸侯連合に舞台を移した対帝国戦争を戦い抜いた。
ヴィットリオ・ディ・ベルティーニ中将。破壊力はアッシュビーにも勝るとされる猛将。重量級の体躯と、頰髭と傷痕が特徴的な強面で粗野な人物と見なされがちだが、日常的には気の優しい人物。小柄な女性と結婚し、「熊とリスの結婚だ」とフレデリック・ジャスパーにからかわれた。趣味の熱帯魚は本出征前に全滅した。
ファン・チューリン中将。周到な準備と緻密な計算に基づく用兵で、大崩れすることがなかった。気難しく堅苦しい性格で冗談を解さない。アッシュビーは彼を決して好いてはいなかったものの、信頼していたというのがローザスの印象である。
彼は作戦会議の場にヤンを見て一瞬怪訝な表情をした。ローザスが彼を情報部から出向した将校だと説明したことに納得したようで、それきりヤンには見向きもしなかった。
ジョゼフ・キングストン中将。後方勤務部長。彼は730年マフィアの一員ではないため、ローザスの回想録における情報は少ないが、同盟軍の戦史が伝えるところではデスクワークに堅実な手腕を発揮した人物で、ティアマト会戦においては後方勤務部長、大解放戦争においては後方勤務本部長として、アッシュビー達の活躍を支えた。
現時点で、40代後半であったが、自分より若年で強引な指示の目立つ宇宙艦隊司令長官に対して、常に職務の範囲では誠実な対応を行なってきた。
ブルース・アッシュビー、アルフレッド・ローザスに加えてこのような人物達が会議の参加者だった。
会議の場でブルース・アッシュビーは、奇妙なほど高圧的で、自らの作戦について説明不足であった。とにかく俺のいうとおりにしろ、という態度を押し通そうとした。
ジークマイスターの情報があった上でのことだとヤンは理解していたが、それにしても他にやりようはないのかとも思う。それに、ジークマイスターの情報を得ていたのはこれが初めてではないはずであるのに。
そのようなブルース・アッシュビーに対して、猛然と異議を唱えたのはジョン・ドリンカー・コープであった。
彼が公然と彼に逆らったのはこれが初めてだった。
刺々しい応酬の末、コープは次のような痛烈な捨て台詞を吐いて会議室を出て行こうとした。
「あんたは変わったな、アッシュビー、それとも最初からそうで、俺のほうに見る目がなかったのか」
アッシュビーは顔中に怒気を漲らせたが、コープを呼び止めようとはしなかった。
常であれば仲裁に入ることの多いローザスも、この時はそれを行わなかった。代わりとなったのがベルティーニだった。
「コープ、言いたいことはわかるが、ちょっと待ってくれよ」
コープはベルティーニの言葉よりもその握力によって行動を制止させられた。
「なあ、アッシュビー。おいらも馬鹿だからあんたの今回の説明はよくわからなかった」
自分も馬鹿の一人にされたコープは、腕を掴んだままのベルティーニに何か言いたげな視線を向けたが、ベルティーニは構わず続けた。
「まあ、決定権はあんたにあるし、おいら達は納得のできない作戦でもそれに従うだけなんだけど。それでも、おいら達が気持ちよく仕事をするために何か一言あってもいいんじゃないか。ほら……話ができるのも生きている間だけなんだから」
ベルティーニは最後の一言をローザスを見ながら言った。
ベルティーニの介入に、ブルース・アッシュビーも多少なりとも冷静になった。
ローザスもここに至ってアッシュビーを促した。
「皆、お前の言葉を待っているぞ」
ブルース・アッシュビーはため息をつきながら皆に言葉をかけた。
「説明不足は認める。俺の作戦を信じて従って欲しい。頼む」
頭こそ下げなかったものの、アッシュビーからの歩み寄りの言葉を聞き、コープはようやく出て行くことをやめた。
和やかとはいかなかったが、作戦会議はどうにか出席者が欠けることなく終わることができたのである。
ここまでの展開は、ヤンが知る歴史のそれと同じだった。回想録にも事前の作戦会議で内部対立が起きかけて、ベルティーニの仲裁によってそれが収まったことが書かれていた。
この先も史実の通りの展開となって欲しい、そう思いながらヤンは会議室を後にした。
会議室にはブルース・アッシュビーとローザスが残された。
ローザスにはブルースに言うべきことがあった。
「ブルース、ベルティーニの仲裁がなければ、戦う前に内部崩壊することになっていたかもしれないぞ」
ブルース・アッシュビーは机に足を投げ出した。
「馬鹿な奴らだ。俺の作戦の通りに動けば勝てるに決まっているのに」
「ブルース!」
ローザスは暴言を窘めた。ここまでのことを言うのは、いかに圭角ばかりのブルースと言えども今までならあり得ないことだった。
だが、ブルースは気にも留めなかった。
「今の俺にはジークマイスターからの情報だけでなく、未来知識がある。あの未来人達が、会戦場所と帝国軍の基本戦術構想を言い当てていたのを見ていただろう?ジークマイスターもまだその情報を掴んではいなかったというのに」
「……しかし、彼らは未来の情報を話すつもりはないはずだぞ」
「今回あのフォン中尉は俺の作戦に異議を挟まなかった。彼は俺にここで負けてもらっては困る立場だ。それだけでも十分な情報になる。それに、いざとなれば、あの中の誰かを人質にすれば色々と情報を吐き出してくれるんじゃないかな」
ローザスは耳を疑った。
「人質を取るなど同盟憲章違反だろう」
「奴らはこの時代の人間ではない。何の権利も保証されない存在だ。そもそも、ジークマイスターの諜報網が後ろ暗いことを何もしていないと思っているのか?」
「……」
ブルースは椅子から立ち上がり、黙り込んだローザスの肩に手を置いた。
「なあ、ローザス。奴らがいくら隠そうとしても透けて見えることはある。お前さんも感づいているだろう?この戦いで俺は勝って、以前から話していた通りに政界進出し、最高評議会議長にもなれるだろう。帝国領侵攻するところまでもきっと実現できるのだろう。だがその後、どこかで俺は失敗するんだ」
ローザスもそれは薄々感じていた。帝国は未来においても存続している。アッシュビーがこの戦いに勝った後に実施を進めるであろう帝国領侵攻作戦は、どこかで頓挫するのだ。
「俺はその失敗を許容できない。帝国領侵攻を成功させるためには奴らの未来知識が必要だ。そのためには何でもしてやるさ。未来は変わる。俺が変えてやる。奴らにとっては不本意な結果だろうが、それが俺たちの悲願だろう?」
「それはそうだが」
ローザスも、帝国を打倒できない未来と打倒できる可能性を提示されれば、後者を選択したい気持ちはあった。彼が守りたいのは未来の歴史ではなく、同盟と民主共和制であるのだから。
アッシュビーはなおもローザスに語りかけた。
「なあ、ローザス。失敗さえ冒さなければ俺は帝国を手中にできるんだ」
その言葉にローザスは引っかかりを感じた。アッシュビーの顔を見て言った。
「同盟が、ではなく、お前が、なのか」
ブルースは驚いた顔でローザスを見た。
「当たり前だろう。同盟に二倍の人口を持つ帝国を支配することなんて出来るわけがないだろう?俺は兵士達の命を無駄な目的のために浪費するつもりはない」
「民主主義を広め、彼らの自治に任せればいいじゃないか。それが同盟の帝国領侵攻に当たっての基本方針だっただろう?」
アッシュビーは鼻で笑った。
「それは帝国領侵攻が夢物語だった時代に立てられた方針だ。机上の空論だ。今まで専制にどっぷりと浸かっていた者たちにいきなり自治などできるのか?治安を安定させ、民主主義を根付かせるのに同盟はどれだけの労力を注ぎ込むことになるのだろうな?同盟は帝国を征服したがために滅びるかもしれんぞ」
「ではどうするというんだ?」
訊きながらもローザスはブルースの答えを聞きたくなくなってきていた。
「だから、俺が帝国の新たな為政者になって、上から押さえ込み、徐々に改革していく方が現実的だと言っているんだ」
新たな為政者?
ローザスの頭に、同期生アンドリュー・ホィーラーの抱いていた懸念が浮上してきた。
アッシュビーはルドルフになるのではないか、ホィーラーに先日そう言われた時には一笑に付したが、先の会議におけるアッシュビーの態度で、ローザスの中にも疑いが芽生えてしまっていた。
だから尋ねた。
「ブルース、お前さん、ルドルフにでもなるつもりじゃないだろうな?」
ブルース・アッシュビーは笑った。
「ルドルフ?馬鹿なことを言うな。あんな奴になる訳がないじゃないか」
ローザスはほっとした。
次の言葉を聞くまでは。
「俺はルドルフなどよりも、はるかに良い皇帝になる。とても優しい皇帝に俺はなるぞ」
ローザスは椅子から立ち上がって後ずさった。
目の前の人物が自らの僚友だと信じられなくなった。
こいつは誰だ?俺はこんな奴を支えてきたのか?クローンと入れ替わっているのではないか?
しかし、ローザスの類稀な観察眼は、目前の人物がブルース・アッシュビーであることを否定しなかった。
ローザスは言葉を絞り出した。
「それはお前を信じて出征する兵士、同盟市民に対する裏切りだ。ジークマイスターも、そんなことのためにお前に協力しているのではないぞ」
ブルース・アッシュビーはやれやれと言いたげに首を振った。
「ローザス、何を言っているんだ?俺が帝国との慢性的な戦争状態を終わらせてやるんだ。同盟市民のことを考えているだろう?ジークマイスターのことも考えているぞ。ゴールデンバウム朝を滅ぼしてやるし、俺が皇帝になった暁には帝国内で人民主権的な政策を実施してやる。自由帝政という奴だ」
「自由惑星同盟はどうなる?同盟も専制国家にするつもりなのか?」
「同盟は、ローザス、お前に任せる。自由惑星同盟と銀河帝国の二重帝国、大銀河帝国の皇帝となった俺の元で、自由惑星同盟は民主主義を保証される。何の後ろ盾もない状態より、遥かに同盟の民主主義は安定するぞ。腐敗した政治家も独裁者も、俺が許さないからな」
「そんなお前に誰がついていくというんだ?」
「皆ついてくるだろうよ。俺が勝ち続ける限りは。そして俺は勝ち続ける。勝利の女神と時の女神、その両方を味方につけて」
「……」
確かに、同盟の民衆は勝ち続ける限りアッシュビーを熱狂的に支持するだろう。彼が皇帝になりおおせてもそれが銀河帝国内でのことに留まるならば、きっと。
下手をすると帝国の民衆も彼を支持するかもしれない。
そしてそのうちに手遅れになるのだ。
「なあ、ローザス。お前さんのことを俺は友達だと思っているんだ。だからここまで話したんだ。協力してくれ。俺は銀河全人民の導き手になって皆を幸せにしてやる。子供を導く理想の父親みたいなものさ。優しい皇帝に俺はなるぞ」
ブルースはローザスに歩み寄った。
ローザスは、ブルースの精神を慮った。
ブルースが幼い頃に彼の父親は家を出て行った。
ブルースはそれ以来あたたかい家庭というものを信じられなくなった。アデレード夫人もブルースを引き留めることはできなかった。だが一方で、ブルースは心の何処かでそれを求めていたのではないか。父性の対象は全銀河人民……代償行為に巻き込まれる側はたまったものではないだろうが。
「ブルース・アッシュビーによる全銀河人民のための大銀河帝国。俺の言う通りにすればそれが実現するんだ。さあ、そのための戦いはこれからだ!」
ブルースは熱弁しながらローザスの手を取った。
ローザスはその手を振りほどくことができなかった。